La Lune Lunatique

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何かでくくることで置き去りにされるモノ

下に書いた、思考を停止する…というのと同じようなことの繰り返しになってしまうけど。

「あ、こいつはウヨクだ」とか「うわ~、サヨクだ~」とか、「ニホンジンだー」などと、一人の人間をカテゴライズするという行為は、要は、その人を、いろいろと複雑な面のある個人から、単純な記号に変えてしまう、ということだ。
そして、大抵の場合、レッテル貼りをするってのは、「こいつは私とは相容れない」「理解不能」みたいな整理を、自分の中でしてるってことなんじゃないのかな。つまり、その人について、それ以上、考えるのを止めてしまうってことだ。

しかし、自分自身のことを振り返ってみれば、人間の考えって、そうそう単純でもない、って思えるんじゃないだろうか。
例えば、適切なたとえかどうかは分からないが、自民党員だって、自民党の政策の全部に心から賛成するか、って言われたら、「これは賛成するけど、あれはちょっと…」みたいな、総論賛成、各論反対、の部分をきっと持ってるだろうし。(議員だって、だから造反するわけよね。)考え方が何から何まで一緒、って人がいたら、それはそれでなんとなく気味悪い。

(あと、思想的にけっこう、共通するものを持っている人同士のほうが、一度食い違うと激しいセクト争いをするような気もするけど、まぁこれは別の話になるのでとりあえず置く。)

大状況を考えるとか、物事を鳥瞰する際には、そういう記号化が便利な時もあるかもしれないけど、お互い、生身の人間なんだから、そういつでも記号だと考えない方がいいような気がするけどなー。

しかし、そういう、単純な思考をする人が増えているのか、単に昔から大勢いるんだけど、そういう人の発言を、ネットというものが出来て見聞きすることが増えたのか、どっちなんだろうな。
もともと、日本の教育は、あんまり、自分の頭でモノを考えることを推奨してない感じだし。(なーんて、ほら、すぐ<ニホンジン>とカテゴライズしたりするわけだけど。やっぱ、これは楽は楽だね。)

他人と分かりあうためには、もちろん、その相手を色んな角度から知ろうとする方がいいだろう。分かりあうんじゃなくって敵視する場合だって、単純に記号化しちゃうと、うまいこと渡り合えないっていうか、色々戦略繰り出してるつもりで、全然相手に届いてない、ってことがあるような気がするけど(即ち対抗するにも効率が悪い)要は、本気で戦うつもりはない(戦っている自分の姿があればそれでいい)ってことなのかもしれないなー、と、論点がかみ合わないどころか交差もせずにすれ違ってるネット上の論争(って呼べるのか、そういうの)を見ると、時々思う。相手を倒すためじゃなくって、戦うために戦ってる、っていうか。
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by mmemiya | 2009-01-21 21:19 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)
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