La Lune Lunatique

mmemiya.exblog.jp
ブログトップ

エコキャップ?の謎。

うちの子どもの通う小学校では、以前から、アルミ缶のリサイクルをやっているようだ。

アルミ缶って、そういや、町内のゴミ当番(資源ゴミの日、収集場所に1時間ぐらい立っていて、持ってきた人の仕分けを手伝ったりする)の時も、アルミ缶だけ、業者が来てもってっちゃうのを見たことがある。あと、粗大ゴミも、次から次へと業者(というか下請けというか。日本語カタコトの人もけっこういた)がやってきては、めぼしいものを持っていってたな。

まぁとにかく、持って行く人がいるぐらいで、リサイクルとしては金になるというか、価値の高いものなんでしょうね、アルミ。ただ、うち、アルミ缶の飲料なんてものを何一つ買わないので、学校に持たせようにも持たせられない。晩酌しないから、アルコールなんてほぼ調味料としてしか用なし。そして、牛乳以外の飲料を金出して購入することがそもそもあまりない。ところで、どうして、同じ缶飲料でもアルミを使うものとスチールを使うものがあるんだろう。出張なんかで車にちょっと長めに乗るときなんか、コーヒー缶はたまに買ったりするんだけどな。

で、今度は、ペットボトルのキャップ集めが始まった。ペットボトルねぇ…。これもあんまりないんだよねぇ…。醤油はペットボトル入りのを買うことが多いけど、後は、水筒持って出るのを忘れた出先でお茶とか買うこともあるけど、そういや、去年の町内運動会とかで貰ったペットボトルのお茶が、まだあと6本ぐらいあるけど(未開封)、いずれにしても、ペットボトルキャップも、そうたくさんは集まりそうにない。

で、そんな運動があるんだ、ポリオワクチン?ほお、と思って最初に疑問だったのは、どうせなら、どうしてもっと大きいプラスチックも集めないの?ってことだった。ペットボトルの蓋に限定する意味がよく分からない。プラスチックって言っても色々種類があって、混在しているのはリサイクルしにくい、とか、なんか言い分があるのかもしれないけど、その昔に流行ったプルトップで車椅子、みたいなのと同じ違和感を拭い去ることは出来ない。気の遠くなるほどの数のプルトップ集めて車椅子一台にするより、車椅子一台分の寄付した方が早いでしょ、みたいな。

構造的にも、多分、似通ったところがあるんだよね、その昔のプルトップと。

プルトップ→ゴミとしてあちこちに落ちているから拾い集めることで街の美化にもなる、
        海岸なんかに落ちていたら怪我の元にもなって危険、集めることが
        ボランティアにもなるなら一石二鳥じゃないか。

ペットボトルキャップ→ペットボトル本体は資源ごみとして集めるのに、キャップは
              一般ごみに混じっていたりする(うちの自治体の場合ね)。
              リサイクルできていない後ろめたさ(?)、これがリサイクル
              できるなら一石二鳥じゃないか。

もともとは善意に基づく発想なのかもしれない(参加している人は紛れもなく善意だろう)が、行為が効率のよい善行足りえているか、というのは、話がまったく別だ。そんな気の遠くなるような善行をするより、ワクチンを送りたかったら、一本、ペットボトル飲料代を節約して寄付をしたほうが、よっぽど話は早い。あと、ワクチン寄付とかの話とエコの話は一応別だと思うけれど、環境問題的には、まず、ペットボトルをなくす運動をした方がいいでしょう、よっぽど。
でもさ、保育所時代も、ヒヤシンスの水栽培するから2リットルのペットボトル空き容器を持たせてくれ、というのがあったし、小学校でも、朝顔の水遣りに使うので500ミリリットルのを、ついで、朝顔が大きくなってきたので900ミリリットルのを持たせてくれなんて連絡があった。ペットボトル飲料を買うことは、そもそもが、私にとっては、幾分後ろめたいことなんだけど、世の中、各家庭には空き容器がある、という前提になっちゃってること自体、どうなんでしょう。

この、小さなものをちまちま集める非効率さ、については、それを送るコストと、送られるものの値段の話とか、なるほど、と思う話が色々とネット上にもありました。

たとえば「道草、より道、まち歩き」さんの「ボトルキャップ集めはエコじゃない」

善意でやっていることを批判するのは多少の勇気が必要なことだと思いますが、子ども達には、善意を教え込めばいい、ってもんじゃあない気がするんですよね。もう少し論理的に考えさせなきゃ。うちの小1にも、この週末にでも分かるように説明してやれたら、と思うのですが。
ただねー、学校って所は、多分、現金を持ってこさせたくはないところなんですよ。(だって、紛失したとかになったら、たとえ小額だって問題になるでしょ?)で、各個人が寄付すればいい、じゃなくって、「学校として」まとまって何か行動したい。バザーもいいけど、あれは子どもじゃなくって親が主体にならざるを得ないところがある、とりわけ小学校では。となると、こういう運動に飛びついちゃうのも、それ自体では分かるんですけどね…。
私が子どものころは、古切手集めとかやってたなぁ、中学のJRC(青少年赤十字)で。ユニセフに送っていた気がします。あ、あと、1円玉募金ってのもやってたぞ、そういえば。まぁ、最小限のお金は学校に持ってくることを許されている(購買でパンを買うとかあったからね)中学生だったから、かもしれないけど。

…更にどうでもいい重箱の隅なんだけど、なんでポリオなのかなぁ…。はしか(MRでもいいけど)の方が致死率も高いと思うし、ポリオが世界的にもかなり制圧されかかっているのに比べると、麻疹はまだまだなのにねぇ。(日本の予防接種率自体、もーちょっと上がらないと、日本ははしかの輸出国とか言われ続けちゃうんであれだけど。)
[PR]
by mmemiya | 2009-06-19 23:34 | 日々雑感 | Trackback(1) | Comments(9)
トラックバックURL : http://mmemiya.exblog.jp/tb/11345557
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Tracked from ゴミ問題 at 2009-06-24 18:51
タイトル : ゴミ問題
ゴミ問題で出切る身近な取り組みを紹介しているサイトです。... more
Commented by 雑草Z at 2009-06-20 20:24 x
こんにちは、はじめまして・・・
BEMさんの「道草、より道、まち歩き」さんの「ボトルキャップ集めはエコじゃない」のところのコメントから来ました。私もあそこには沢山コメント致しました。

>環境問題的には、まず、ペットボトルをなくす運動をした方がいい

>子ども達には、善意を教え込めばいい、ってもんじゃあない気がするんですよね。もう少し論理的に考えさせなきゃ。

全くその通りですね。子供たちだからこそ真の環境対策を教えるべきですね。
学校にもその旨伝えた方がいいかと思います。
世の中「エコ替え」みたいな逆効果のエコ運動がはびこり過ぎですよね。
このような良識的なブログに出会えて嬉しく思います。
Commented by BEM at 2009-06-21 01:14 x
こんばんは〜(^^
雑草Zさんに先を越されてしまいました(^^;

キャップだけでなく、家庭にペットボトルが当たり前のようにあるって、学校は思ってる節はありますね。
うちでも工作にペットボトルを使うからって家中探したこともありました。

私の子供の頃には勉強以外の教育ってほとんどなかった気がするのですが、今は総合学習として、様々なことを学んでいるようです。確かにいいなってこともありますが、昨今の環境問題のように一方的に考えを押し付けるようなのが教育なのかどうか疑問が残ります。

それからアルミ缶とスチール缶の用途の違いですが、私が思うに熱くしても良いものはスチール缶ではないのかと思います。アルミ缶を熱すると持てないとか、アルミの成分が溶け出すという話も少し前にありました。(アルツハイマーの原因になるだとか真偽は分かりませんが)

今後もよろしくお願いいたします(^^
Commented by mmemiya at 2009-06-23 22:29
>雑草Zさん。
はじめまして。かのコメント欄は(途中、多少、飛ばし読みしましたが…)おおよそ拝見しております。
私の書くものが「良識的」かどうかは分かりませんが、エコキャップみたいにある意味、非効率的であることが分かりやすいものはともかく、「真の環境対策」とは何か、というのは非常に分かりづらく、悩ましいものですね。
Commented by mmemiya at 2009-06-23 22:30
>BEMさま
わざわざお越しいただきありがとうございました。
そうですね、アルミ缶のホットドリンクって、ないですよね。輸送費などを考えると、軽いアルミ缶を使いたいが、ホットにもする可能性があるものはスチール缶で作る、ってあたりなのでしょうか。
環境問題を正面切って取り上げようとすると、大人でも、たった一つの結論というか合意を見出すのは難しそうですし、ちょっと小学生の手には余るでしょうね。ただ、「善意に基づいていれば手段はどうでもいい」ではなく、動機とは別に手段を吟味すべきだということを、徐々にでも分かってくれればな、と思います。
とりあえず、息子には、「クラスの全員が一人1円ずつ持ってくることと、キャップを40個ずつ持ってくることが、価値としては同じ」という話をして、「わざわざそのために40本もペットボトルを飲んだら、ずいぶんゴミも増えるしお金も使っちゃうね」と話してみました。前半はすんなり理解できたようです。ただ、「ペットボトルをあんまりたくさん買うのって良くないんじゃないか」というと、「ペットボトルを売ってお金を貰っている人が困るじゃない」だそうです。そこに思い至るのも、小1としては上出来かもしれませんが。
Commented by みけ at 2009-06-23 23:51 x
ペットボトルの蓋集めのことで、何だか変なことを思い出しました。学生の頃、子供キャンプのリーダーをしてて尾瀬に行った時、「自然を大切にしようねっ」とか言って、主催者の社会教育委員会のおっさんが子供達にゴミ拾いをさせたんですよ。子供たちは下ばかり見ながら尾瀬を歩いて、ゴミ拾いゲームみたいになっちゃったんですけど。この手の『イイことを教育する』人たちって、手を変え品を変え、ほんっとにゾンビのように蘇って来るからフシギです。

ペットボトル本体の話ですが、前の会社でプラスチック容器を作る工場に立会いに行ったことがあって、その会社のエラい人がインゴット(原料の塊みたいなもの)を見せながら「これからコレで忙しくなる」と自慢しました。その時はピンと来ませんでしたけど、それが500ml用の原料でした。500ml用を作ったのはその会社が最初で今でも大手です。ココが製造中止したら仕事は中小に流れるから、息子さんには本当に困りそうな人は大丈夫だと言ってあげてください(笑)。
Commented by みけ at 2009-06-23 23:57 x
ペットボトルはちょっと前まで中国に輸出されてぬいぐるみのワタ等に使われてましたが、不況の影響で輸出できなくなり、国内でも行き場を失って山積みになっているそうですね。こんなことで左右されるようなものなのに、相変わらず大量消費してていいのかと疑問には思いますね。。。。
 
分別についても、ペットボトルはよく燃えるから、生ゴミとかにちょっと混じってるとゴミ処理燃料が少なくて済むという話も良く聞きます。こんなものを捨て続けることへの免罪符として分別しなきゃと思う人が多いのかもしれません。
Commented at 2009-06-24 11:22
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by mmemiya at 2009-06-24 22:04
みけさま
「いいことをする」のはまぁいいんですけど、本当にそれがいいことなのかどうかを問わずに、取り組みの態度とかが問題にされちゃうのがうっとおしいんですよね、こういうの。
キャンプの途中に見つけたゴミを自主的に拾うぐらいならまだしも、下ばかり見て歩く散策は勿体なかったですね。ゴミ拾いイベントを別に企画してくれれば良かったのに。
そうか、500mlって、けっこう画期的な発想だったんですね。そういえば、「お茶」を飲み物として発売すること自体(最初はペットボトルじゃなくって缶かな?)「そんなもの売れるわけがない」って言われたらしいですね。お茶なんてみんなお金出すわけないだろう、というのが一昔前は常識だったんですよね。ちょっと遡れば、なくて当たり前だったものですが、「なかった時代」に戻るってのは、やっぱり大変なんでしょうね、きっと。

そうそう、一般ごみにペットボトルが混じっていると燃焼が効率的という話は私も聞き(読み)ました。物事には色々な側面がありますね、やっぱり。
Commented by mmemiya at 2009-06-24 22:13
鍵コメさま
日本では(と言っていいのか、他の国でも同じかは分かりませんが)「何をするか」よりも「態度」が重視される、という話を斎藤美奈子さんの本で読んで、深くうなずいた経験があります。妊娠中絶が是か非か、という論争が、日本においては、「いい加減な気持ちで中絶する人はいない(態度は良い)」「いや、態度が悪い」みたいな言い争いになっている、とかいう文章でした。

あと、「そのやってることって変じゃない?」と指摘すると、善意の人ほど「私はこんなに善意でやってるのに!」と、自分の善意、あるいは自分の人格自体を攻撃されたように受け止めるのかもしれません。
善意で1,000円寄付する人も、別に善意はなくても1,000円寄付する人(見栄とか、色々)も、やったこと自体は一緒なんですけどね。

それと、外国でのボランティアってのも色々と難しそうですよね。これこそ、良かれと思ってしたことが、本当に「いいこと」になるか、難しそう…、と、しばらく前にアフリカ関連の本を読んで思いました。(アフリカの食事とか生活習慣を紹介した本なのですが、そこかしこに「援助」が地域の農業を潰しちゃった話とかが出てくるんですよね…)