La Lune Lunatique

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追記:I like watermelon.

I like...という文章について調べていくうちに、今まで知らなかったことを知りました。

英語のネイティブスピーカーにとって、「私は苺が好き」は、I like strawberries.だけれども、「私はすいかが好き」は、I like watermelons.ではない、というのです。

「どちらを使うかはケースバイケースだが、大きさに関係があるようで、大きめの果物は単数形になるようだ」というような説明(?)がありました。

まぁ、普通のネイティブスピーカーに、その辺の機微を説明してくれ、と言ったって難しいですよね。例えば、日本語で「赤い」「青い」「黄色い」はOKですが、「みどりい」も「緑色い」も、日本語のネイティブスピーカーなら即座に「変」と判断できます。判断できますが、なぜ「茶色い」があって「緑色い」がないかを説明するのは困難を極めるのではないでしょうか。少なくとも、私は論理的に説明が出来ません、はい。

英語圏のサイトを眺めていたら、どこかの国の英語学習者と英語のネイティブスピーカーがこの件について意見交換をしていまして、それを見る限りでは、喚起されるイメージの問題なのかもしれません。

つまり、「私は苺が好き」と言って思い浮かぶイメージは、苺が盛られた皿の前で喜んでいるとか、苺を次々ほおばっているとか、色々あるでしょうが、その場合において、苺が一粒だけだと、絵というか画像としてしっくりこない。しかしながら、「すいか」の場合は、すいか好きでも一人で食べられる量は自ずと限界があるでしょうから、この場合は、複数形で I like watermelons.というと、すいかを3個も4個も並べてかぶりつこうとしている、なんて映像が頭の中に想起され、でもって、「なんか違う」といった印象を与える・・・ということなのかもしれない、と推測しました。

a とtheの使い分けにしても、先に例えばdogがあって、それにa をつけようかtheをつけようかと悩む、なんてことはありえない、と、マーク・ピーターセン氏は「日本人の英語」の中で書いておられます。
私なりの理解では、いろんな種類のたくさんの犬を頭の中に思い浮かべ、それら全部をひっくるめて「私は犬(というもの)が好き」と言う際は「I like dogs.」
で、犬と言うもの一般に共通する何かについて言及したい時は、そのずらっと並んだ犬の中から目をつぶってどの一匹を抱き上げたとしても(重すぎて抱き上げられない犬もいる、という突っ込みはなしでお願いします)みーんなにおんなじことが言えるわけですから「A dog is ××(犬と言うものは…である)」と言う、反対に、ずらりと並んだ多くの犬の中で、特にこの犬が、と言いたい時は「The dog is mine.」とかになる、という、そういう感じですね。
「日本人の英語」で言及されていた、「私は鶏肉を食べた」と書きたかったらしい日本人が、I ate chicken. じゃなく、I ate a chicken.と書いたばかりに、<一羽の生きた鶏をまるごと咥えている様子が思い浮かんだ>といった話(正確な表現を忘れました、ごめんなさい。)は、まさに、chicken なら鶏肉なのに、a chickenとやると、ずらりと並んだ鶏の群れから適当な一羽をひょいと取り出す感じがする、ってことなんでしょうね。(書いた方は、一羽分の鶏をまるごと食べた、ってなノリだったのかもしれませんが、多分、a...で、強烈に生き物としての鶏がイメージの中で立ち上がるんじゃないかと。)

というわけで、すーっかり話が脱線してしまいましたが、初めて学ぶ単語を教えて、そんでもってそれがI likeの後だと複数形に形を変える、ってだけでも十分、初学者(まして母語についての言語意識さえあやうい小学校1年生)には難しいのに、そこに「この単語は単数形で」なんてのが入り混じるこの単元、そもそも、入門時の単元としてふさわしいのか否か、って感じが、ますますしてきますわな。

私が小学校(とりわけ低学年)における英語教育に反対なのって、つらつら考えるに、要するに一言で言えば「<ことば>を甘く見るんじゃねえ!」ってことかなー、と、やっと自分でも分かりつつあるのですが、こんな、穴だらけに見える、よく考慮されたのか不安になるカリキュラムを組まれるとしたら、ホント、言語教育をなめてんじゃねえ、でございます。
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by mmemiya | 2009-07-07 21:47 | 子育て、子育ち