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La Lune Lunatique

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「家族の勝手でしょ!」読了。

岩村暢子氏による、食DRIVE調査のまとめ本(?)第4弾。
過去3作に比べ、非常に写真が多く、文章2~3ページに対して、その実例となる写真が2ページ、みたいなつくりのため、とても読みやすい。

調査概要の末尾に、以下のような趣旨の説明がある。
調査対象が主婦であるため、文章中に引用される発言や行動は、当然、主婦のものが中心となっている。(ちなみに、ここでいう主婦には、職業を持っている主婦も含まれているが、仕事を持っているかどうかで、特筆すべき違いは見当たらないとのこと。)しかし、ここに語られる様々な問題が「主婦」や「女性」にだけ起因すると考えているわけではない。単に、食卓に焦点を当てることで、現代の家族のあり方がよく見えてくるのだ。

これは、ネット上の一部で、岩村氏の一連の著作に、専業主婦を貶めるためのもの、みたいな評価をしている人がいることを意識しての説明かもしれない。それはともあれ、確かに「食卓」を見ていると、このような食卓が必然的になってきた、その社会的背景に思いをはせずにはいられない。目の付け所として非常に鋭いのは間違いないだろうと思う。

その上で、食卓及びその背景である社会状況を考える際に、私なら、この本の中味を、大きく3つに分ける。

1.食事内容の変化(あるいは崩れ)について
主に本書の第1章、第2章に書かれている(第3章の幼稚園弁当なんかもそう)ことなのだが、とにかく、栄養バランスってものがかなーり怪しくなってる食卓の多いこと。「野菜は一週間でバランスよく摂れればいいから」すなわち、一食でたまたま野菜が少なくても、他の日でカバーを、という趣旨の栄養士さんの言葉が、なぜか「野菜は一週間に一回とればいい」に変換されるすさまじさ。
確かに、有史以来、長いこと、人間は、栄養なんてことを云々するのは贅沢だ、という、豊かでない食生活を送ってきた。(現在でも、日本以外には、そういうところはたくさんある。)それでも人類は生き延びてきた、といえばそうだし、現代の栄養学のいう栄養バランスが最善なのか、という話もある。しかし、それにしても、この食材豊かな現代日本で、こりゃないでしょ、っていう食卓がいくつも出てくる。健康に問題が既に生じているのに意に介さない人もいる。(糖尿病で通院中なのに、毎日コーラを1.5リットル飲む、理由は運動で喉が渇くから、とか、すさまじい話もある。それ、運動じゃなくて糖尿で喉渇くのと違うんかい!)
食育云々言う前に、この辺は、早急になんとか対策を考えなきゃいけない分野じゃないのか。これからこの世代(1960年以降生まれが調査対象)が高齢化したら、医療費、ものすごいことになるかもしれないぞ。

2.食習慣の変化について
主に第2章のあたりだが、食事がなんでも大皿盛りで出される、とか、鍋料理じゃないのに鍋が食卓に出てきてそこから取り分けてる、とか、「スタイル」の変化の話。
これは、いい悪いの価値判断は、やや難しい。8歳の子どもが箸をちゃんと持てないので家ではなんでもスプーンで食べるとか、ええ?と思わなくもないんだけど、まぁ、これまでは正しいマナー、食のスタイルであったものが、「絶対的な正しさ」を持っているか、といえば、そんなことは全然ないわけで。世界では、手づかみで食べる国もあり、それは、いい悪いじゃなくて、ただの文化の違いなわけで。日本だって、箱膳の時代と我々の子供の時代では、もう、食事形態は全然違う。これに眉をひそめるのか、それとも「いいじゃない」と変化していくか、というのは…結局、各家庭が、自分達の食を、どうあってほしいもの、と考えるか、にかかっているのかも知れない。
ちなみにうちの夫は、この本のこのあたり(そうめんとかをステンレスのざるのまま出すとか)は「それの何が悪いの」という反応で、なぜなら、夫の育った家庭が、そういう食卓風景の家庭だったから、である。前にも書いたけど、夫の実家には、「MY箸、MY茶碗」の概念もない。その時代においては、間違いなく、日本では少数派の家庭だと思う。私は、我々の今の家庭には「MY箸」を一応持ち込んではいるが、夫が配膳するとちょっとあやしい(笑)。これはもう、ホント、自分がどうしたいか、どこまで妥協できるか、を、夫婦間ですり合わせるしかない分野のような気がする。

3.しつけの後退や各種手抜きを実現ならしめている意識のあり方について
第3章から第6章までは、そうでない部分もあるが、おおむね、この話が中心。
子どものマナーがよくないと思っても注意しない親、好き嫌いがあっても好きなものだけ食べればよしとする親、すぐ「疲れて」料理できない主婦(小学校の30周年記念式典に出た翌々日も「前々日の疲れが残っていてお弁当作りはパス」とか、とにかくすぐ「疲れた」と言うのが近年の主婦の特徴だそうな)、子どもが「お腹すいた」と言わなければ、平気で子どもの食事を抜いて一日2食になっても平気な親…。
単純に言ってしまえば「我慢ができない」というか、自分も誰か、何かにしばられたくないので、だから他人も拘束しない、できない、子どもをある種の<大人と対等な存在>として扱ってしまう…そうした傾向が、たまたま食卓を対象にした調査だから、このような食卓に現れている、というだけで、問題の根は食卓にあるわけではない。
もちろん、言ってしまえばこの意識のあり方が、「1.食事内容の変化(あるいは崩れ)」を引き起こしているのも間違いないので、この3つの分類は、最終的にはみな、根っこは同じ、ってことになるのかもしれないが。
この第3の点に対して、私の思いは複雑だ。同世代の親として、気持ち的にはけっこう、分かる部分もあるのだ。ずっと親役割を担っているのはしんどい。子どものまんま親になった、と言われればその通りだが、自分がケアしてもらえる立場ではなくケアする立場に立つ、立ち続ける、というのは、時にうんざりするような気にもなる。多分、私達の子ども時代は、かつてなく恵まれすぎていたのだろう。子どもだって早くから家庭の一員として子守だのなんだのと働かなきゃいけなかった時代には、親になって突然、立場が変わるのではなく、立ち位置の変化は、年齢と共に徐々に起こってくるものだったのではなかったか。ひきかえ、私の、なんと長いこと「子ども」でいられたことか!(実家にいれば、結婚するまで「子ども」でなんでもやってもらえたりするんだもんね。その辺を描いたのが、岩村さんの前々著「<現代家族>の誕生」なわけだが。)

そんなわけで、食い意地の張っている私としては、この本を読んで、食事内容の部分についてだけは、「なんでこんな食卓を続けて平気なんだ…」と愕然とはするものの、後の部分については、まるで鏡を見るような、後味の悪い思いが残る。けれども、これが私達の現実で、私達は、この現実からしか、どこへも歩き出すことが出来ない。

(細かい続き)
by mmemiya | 2010-02-21 22:24 | 読んだ本