La Lune Lunatique

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人はみな、いつかは、とは言うものの

至極、当たり前のことですが、人はみな、いずれ死んでいく存在です。

8月というのは、広島、長崎原爆の日、終戦記念日など、色々と、生と死について、考えさせられる日が多い気がします。いや、本当は、いつだって考えるべき問題なんでしょうけれど。
この夏は、もうあの事故からそんなに経ったのか、と思いつつ、今さらながらに日航機123便についての本などを読んだりもしました。そして、ぼんやりと考えていました。

突然の事故で、不意に命を絶たれたら、死んでゆく当人は無論のこと、残された人たちも、みな、心残りなことばかりなのは当然のことでしょう。
しかし、遅かれ早かれ、いつか、我々は誰しもが死ぬ存在です。そんなこと、理屈では誰だって分かっている筈だけれど、じゃあ、本当に「もう、今死んでも、悔いは特にない」なんて思える瞬間が、来ることって、あるのでしょうか。あるいは、家族の死を、死の直後から、「これが寿命だったんだね」と淡々と受け止めることが出来る、ということはあるのでしょうか。

いつかは、と分かってはいても、日常、「明日死ぬかも」なんてことを毎日考えていたら、生活は中々まわっていきません。まして、平均寿命の数字もまだ遠いもの、と思う年頃ならば、どっちかといえば「縁起でもない、考えたくもない」という事柄かもしれません。
それでも、この平凡な日々の積み重ねの先に待つものが「死」である以上、では、その平凡な毎日をどう送っていれば、自分の死と正面から向き合えるようになるのでしょう。

一昨日、急に、父が入院しました。(定期通院している検査に、自分で車運転して行って、その場で入院になっちゃったので、車を家に戻すとかが面倒なことに。)今回の入院自体は、おそらく1ヶ月程度で済むらしいのですが、同時に、おそらくガンである、それも、数箇所に転移している、という可能性が高くなってきました。
まぁ、今は色々結果待ちですが、本人もけっこう気弱になって「もう駄目かもしれん」と言ってみたり、「まだ後、5,6年は生きたい」と言ってみたりしているようです。
72歳(注:父の現在の年齢)と77歳では、当人にとってどこがどう違うのでしょうね。あるいは、別の言い方をすれば、あと5,6年でやりたいことはなんなのでしょうかねぇ。
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by mmemiya | 2010-09-09 21:42 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)
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Commented by Rico at 2010-09-09 22:37 x
私のすごくお世話になった第二の父とも言える人が、やっぱり癌で余命5年と宣告されたんだけど、それから5年で何をしようか、と考えたんだって。
そして、奥さんに少しでも自分との楽しい思い出を作ってもらおうと考えて、一緒に色々行動する、ということがひとつ。
もうひとつは自分の人生の軌跡を書き留めたいと思って手記を書いた、と言って送ってくれました。
余命宣告って酷なことだとそれまでは思っていたけれど、人生の終着点が見えると、それからの人生が一番濃いものになるのかもしれないと思ったできごとでした。

私たちも、親のそういうことに心を痛める年齢になってきたのね。
Commented by mmemiya at 2010-09-12 22:03
Ricoちゃん
そう、本人にやりたいことがある場合、余命宣告って重要なのかもしれない、とこの頃思います。
ところがうちの父と来たら、突然容態が急変しまして、「この週末が山」とか言われて金曜に私も病院に呼び出され(でも本人の意識はしっかりしている)金曜以降、家族の夜間付き添いが求められたので、土曜、一晩付き添ってきました。
人工透析が効いたのか、腎不全は脱したのではないかと思うのですが、あまりに急展開で余命宣告の余地すら、あるのかないのか…。当分、バタバタした日が続きそうです。