La Lune Lunatique

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便法と真理と

アクセス解析をたどっていましたら、3×5と5×3の問題について、再びちょっと考えるところがありました。

「5枚の皿にりんごが3つずつ載っています。りんごの数は全部でいくつでしょう」という問題で、これは3×5と考えるんだよ、と教えることを否定するつもりは、私には毛頭ありません。その方が子どもが掛け算を理解しやすいとか、色々な理由があるのでしょう。

私が言いたいことは唯一つ、テストでこういう問題を出されて「5×3」って答えた子にバツをつけるなよ、ってことだけです。

掛ける数と掛けられる数(ってものが本当に存在するのか、数学に弱い私には実は分からんのですが)は、こういう順序で書くんだよ、と教えることは、便法であって真理ではないでしょう。真理だとしたら、世界中の「掛ける数と掛けられる数の順序」が世界共通になってないのがおかしい。

便法から外れると×、ってのは、勘弁して欲しいな、ということです。掛け算が理解できているかどうかを確認したいなら、確認する方法は、他にも色々あるでしょう。

この問題に熱くなっている人のうちには、実際に子どものころにバツをつけられた(この問題そのものでなくても、類似の場面でね)という経験がある人もいらっしゃるのかもしれません。便法から外れていたがゆえに自分は×とされたのだ、と気づけば、教師に対して、怒りか、憎しみか、軽蔑か、なんかそんな気持ちがわいても不思議ではなく。

私自身の立ち位置を振り返ってみるに、私の中にはどうも、一定の教師への軽蔑のまなざし、というか、正しくは軽侮の気持ちがあります。それがなんらかの実体験に基づくものなのか、ってのは、私、子どものころの記憶が余りなくて、全然思い出せないのですが、多分、なんかあるんでしょう。大人になってからも、なんという世間知らずなんだろう、と思える先生に出会ったこともありますし、それによって教師という属性全体を「世間知らず」と決め付けてはいけないことは重々承知で、しかし、なんか、侮ってしまうところは、正直、なきにしもあらずです。

自分自身の子どもに対しては、先生を尊敬していて欲しいのです。以前、息子が小1の英語授業で、I like apples.という間違った英語を教わっているのを授業参観で見たときも、息子に対して、先生の英語は間違ってた、とは言いたくありませんでしたし言わなかった。教育委員会に対して、教科書すらない小学校英語の授業をどう組み立てているのか、少なくとも間違った英語表現は教えないで欲しい(ホント言うと小学校では英語の授業なんかやらないで欲しい)と、意見は申し上げました。
ただ、自分の子どもは先生を尊敬していて欲しい、と思うことも、そうしたいのにそうできなかった、という自分の苦い記憶が思わせているのかもしれない、などと思ったりもしてみます。まぁ、そんなに先生達が嫌いだったわけじゃないけど、そう好きな先生なんてのも思い出せない。

今回、改めて自分の一連の文章を見直すと、なるほど、そこかしこに先生への軽侮の念ってのが見え隠れしてるなー、と実感できました。今さら文章を直したところでどうしようもないことですけど。

学校教育ってのは、大勢の子どもに対して行うもので、一対一の家庭教師なんかとは、やり方は全然違って当然なんです。そんでもって、私は、教育技法に関する教育なんて微塵も受けてませんので、先生方の教育技法に対してなんか言えるような立場には全くない。「掛け算の教え方は、どうも指導書に書いてあるからそう教えてるんじゃないのか」みたいなことは、一連のネット上でのあちこちの話(現役の小学校教師とおっしゃる方のコメントなんかも含めて)を見ての、単なる印象に過ぎません。まぁ、我が家の小学校教員免許を持ってる夫(教員採用試験は落ちた)とか、小学校教育ではないけど同じく教育学部にいた妹とかを見る限りでは、大学4年間で教わることなんて限界があるでしょうから、実際に教員として教壇に立つ現場で、個々の先生方はそれぞれ一生懸命勉強なさって、それで初めて授業が成り立ってるんだろうな、と想像します。そんななかで、指導書ってのにそれなりの影響力があっても不思議はなかろう、とも、同時に思います。

なるべく多くの子に理解してもらうための教育技法、は、一方で、理解の早い子どもにとって退屈だったりすることもまた事実でしょう。「5×3と書いてバツにされた」(これはあくまでも比喩です)と語っている人の多くは、平均より理解が早い子どもだったのでしょう。私自身、少なくとも中学卒業までは、中間・期末テストだの実力テストだので5教科計450点を下回ることはなかった子どもだったので、そういう人に共感する側なんです。(もっとも、高校に入って数学オチこぼれまくって、共通一次では数学は140何点かしか取れてないんで、根本的には数学は苦手のバリバリ文系です。)ただ、先生方の教え方それ自体に異を唱えるつもりは、全くない。私ならもっと上手く教えられる、とは、全然思わないからね。

だから、教育の専門家の方々が、一生懸命、掛け算の効率よい教え方を考えておられるのは、結構なことだと思うんです。「5枚の皿にりんごが3つ 合わせていくつ」を、「3×5」って教えていただいて、全然構わない。

でもさ、掛け算が理解できてるかどうかを確認するときに、「5枚の皿にりんごが3つ」は、使わないで欲しい。でもって、一生懸命、「なぜ5×3ではダメなのか」を、長々と解説してくれなくていい。読む気にもなれない。15個という答えが正解なのは自明なんだもん。そんでもって、「たまたま3×5と5×3の答えが一緒」ってわけじゃないんだもん。そして、「3つのりんごが載った皿が1枚、2枚・・・」という考え方だけが、この問題に答える正しいやり方ってわけじゃないんだもん。

もうこれについては、これで書き尽くした、気分なんだけど、書き尽くせたんだろうか。

一個だけ追記。自分の子どもに掛け算の交換法則の話をしていたとき、

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と書いた紙を一度見せて、そんでそれを90度まわして見せたんだけど
(つまり、くるっとまわして見る角度を変えると、下のようになる、って、この画面ではちょっと間隔が違っちゃってて、ただ90度まわしたようには見えないんだけど。)
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どっちを先に書いても正解ってのは、これに尽きるんじゃないのかな。違うのかな。
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by mmemiya | 2011-10-02 22:03 | 日々雑感