La Lune Lunatique

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文字の重さ

富山日帰り出張。予想はしてたけど疲れた・・・。なにしろ、3時間のために、片道3時間以上かけて行くわけですからね。3時間あったら東京へ行けるよな、考えてみりゃ。リニアとか出来たらもっと東京の方が早くなるな。やれやれ。
せめて昼ぐらいは美味しいもの食べたい、と思ってたけど、検索してても、夜しかやってない居酒屋風の店ばかり見つけるような状態で(帰りは、5時に向こうを出ても実家着が9時近いという状況だったため、最初から車中でますのすし、と覚悟はしていた)なんか、駅傍のビルで郷土料理風の食事をしましたが、残念ながら美味しくはなかった。ちぇっ。
車窓風景が雪になり、雪が消え、また雪が現れて・・・とめまぐるしく変わる中、とりあえずかばんに突っ込んだ本は、既読、読みかけ、ほぼ未読、と3冊の文庫でしたが、いずれもどういうわけか料理エッセイ?だった。ここんとこ手近においてたのがそんなんばっかりで。
石井好子さんの「東京の空の下オムレツのにおいは流れる」に出てきたケジャリーって、こっちでも見たぞ、と、もう一冊の、宮脇孝雄「煮たり焼いたり炒めたり」を広げると、やっぱ、あるある、でも、作り方けっこう違うぞ、とか、「煮たり焼いたり炒めたり」の中のロシア風ロールキャベツの作り方って、「東京の・・・」に出てくるスウェーデン風ロールキャベツと材料は似てて、でも、作り方自体は「東京の・・・」に引き続いて出てくるドイツ式、フランス式のほうが似てるかも・・・とか、全然違うタイプの2冊だが、比べて読むのも意外に乙なもの。
もう一冊は、色川武大「喰いたい放題」で、これはまたこれで、毛色がまったく違う。
それにしても、石井さんて、1922年生まれということは私の祖母の世代だと思うが、その石井さんのおばあさんがロールキャベツをつくっていた、なんていう話はけっこうびっくり。明治どころか生まれは江戸の人ではないのか?昔の日本の一部階級というのは、相当早くから欧化されていた、って話なのかね、これ。そういや、かの佐藤雅子さん(「わたしの洋風料理ノート」「わたしの保存食ノート」)のご母堂も、外国人シスターから料理習ったりしたという話が出てたっけ?佐藤雅子さんは明治生まれ。ご母堂は・・・石井さんの祖母世代、ってことになるのか、もしかして。

ところで、一日外に出ていると、必然的に公衆トイレを、それもあちこちで使うことになるのだが、前から非常に不満なことがひとつある。昨今のトイレ、どこに水を流すボタン、あるいはそれに類する装置(最近、ボタンとかレバーじゃなかったりするもんね)があるのかが、非常に分かりにくいのだ。いや、私はいいのよ、字読めるしさ。困るのは、子連れのときなんである。
子どものオムツが外れるのが3歳ぐらい。で、まぁその直後ぐらいならともかく、5,6歳の女の子なら、母から離れて一人で個室に入るじゃないですか。で、時々、娘が困って「おかーさーん、どこで水流すのか分からないよー」と言ってくることがあったのだ。流す装置ってのはたいてい傍に説明が書いてあるが、平仮名しか読めない幼児に、漢字交じりやらましてローマ字やらってのは、意味を成さないんである。今日も、なんとなくそういう視点でチェックしてしまったのだが、振り仮名つきって、ないね、やっぱ。それでもボタンとかが一種類しかないならこれだろう、と想像もつくだろうが、たまに、気分が悪くなったときのための非常ボタンとかがあるトイレもあって、娘、それを押すのかと(あれ、ひっぱる奴だったかも)思った、と言ってたときもあった。
せめて、デパートとかショッピングセンターとかさ、あと、高速道路のサービスエリアとかは、ぜひ、もっと分かる表示をお願いしたいもんである。これもひとつのユニバーサルデザインではなかろうか。おそらく、小用では個室を使わない殿方には、あんまり分からないことなんだろうな、これ。

世の中全体が、「人は(この国の)文字が読める」ということを前提に動いている、ということに、大人になってしまった大多数の人は気づきにくい。昔、大学時代に読んで衝撃を受けた話があったのだが、それは、駅の切符が券売機で自動的に売られるようになって、外出が出来なくなってしまったおばあさんの話だった。被差別部落の生まれで、文字が読めない人だったのだ。日本で、視覚障害のない大人で、字を読む教育を受けられなかった人が、大昔ではない時代にいた、ということを知らなかった私は、識字教室というものの存在を知ってとても驚いた。

考えてみれば、今でも地球上には、文字が読めなくても日常生活にはそれほど困らない国、というのも存在するわけだ。そういうところでは、たとえば「読字障害」なんてもの、顕在化しにくいだろう。
障害とは何か、というものは、そうやって、社会によって変わっていく部分が確かにあるのだろう。うちの息子が発達障害と言われるとしても、発達障害なんていうのも、社会のありようによって、何を問題とするのか、何を障害とするのか、変わってくるものだと思うし。

ちなみに、息子と同様忘れ物の多い私は、今回も筆記用具を忘れました。忘れましたが、忘れっぽい私は、たいていの鞄の中に、多色ボールペンを1本入れてあるので、今回も、筆記用具なし、の状態ではありませんでした。ほんとはシャープペンシルを持っていくつもりだったんだけどね。まぁ、先日は東京へ行くのに、買ってあった新幹線の切符を家に忘れた(乗り換えの駅まで夫に車で来てもらって受け取った・・・)ので、それに比べれば致命的ではなかった。(どういうわけか、切符を買ったときの袋は鞄に入れたのに、その袋には切符が入ってなかったんですよ!!いつ出したんだ、私、みたいな。)
あと、大人ですし、この時代ですから、財布さえあれば、大抵のものはコンビニとか出先でそろえられるわけで。問題としては、同じようなものをいくつも持ってる、金の無駄遣い、ってことはありますが。そういや、たまに化粧ポーチを職場に忘れてくる(昼に化粧直しに使ったあと、入れっぱなしにしてしまう)ので、仕事にもっていく鞄には、別の化粧用品がおおむね一揃い入っている。今年度になって、職場に財布を持っていくのを忘れたのが2回。2回やった後はさすがに、仕事場の机の引き出しに、千円札を1枚しのばせておくことにした。仕事の締め切りを破ったことはありませんが、こういう状態で診断名をつける、という社会なら、私にもなんらかの障害名がつくわけだ。

そういえば、私、5年以上前に、このブログにこんな文章を書いているのだが(実は、当時、とある知り合いのお子さんの様子に色々と思ってしまうところがあって、そのもやもやをぶつけた文章である。今となっては、こんな形で自分に跳ね返ってくる?というのは苦笑するしかないわけだが。)しかし、改めて読むと、同年齢の中の7~10%が障害って、つまり、集団の1割を障害と呼ぶのは、それはどう考えたって障害の定義の方がヘンでしょ、という気がする。素朴な感想なのだが、こういう問題って、場合によってはもっと素朴に考えるべき、と思うのは間違っているのだろうか?
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by mmemiya | 2012-01-13 22:16 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)
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Commented by at 2012-01-15 20:58 x
1割障害ってすごい確率・・・もはや障害ではないですよね(笑)

富山にいらしたんですね~。
ワタシ高岡市在住だったんですよ、高校時代(親の転勤)
弟の妻が富山市の人です。
富山って本当に、昼間美味しいお店って無いですよ(笑)
夜のお店が美味しいようですけれど。

ちなみに富山時代の友人が出産したときにお祝いを贈り、
その内祝いに「何がいい?」と聞かれたので
「ますのすし!!」とリクエストしたのはワタシです(笑)

あんまり食べられないんですよ、こっちでは。へへ。
Commented by mmemiya at 2012-01-16 20:53
夏さま

そうそう、障害名をつけたところで、たとえば育てやすくなるわけでもなし、結局、うちの子はうちの子でしかないしなー、状態に対する名前はどうだっていいよなー、というのが最近の私の感想です。

やっぱ、夜が中心なんですかね~。悔しいです~。娘に「富山ってぶりが美味しいんでしょ」などと言われましたが、食べられませんでしたから!みたいな。
高岡といえば、大学時代の友達に高岡出身の子がいて、その子のうちですっごく新鮮なイカの刺身を食べさせてもらったことを思い出します。
ますのすし、こんなにいろんなメーカーがあるんだ、と、驚きました。いろんなメーカーの食べ比べセットとか欲しいかも。今はコンビニにもますのすしもどきが売られてますが、あれは似て非なるものですよね。(関東のコンビニにはないですかね?)