La Lune Lunatique

mmemiya.exblog.jp
ブログトップ

ら・ら・ら

・・・って歌が昔ありましたが、その話ではなく。

「お腹がいっぱいで、もう食べることができない」を、ごく単純に言い表すとき、標準日本語では「もう食べられない」って言いますよね、多分。
昨今は「もう食べれない」っていう人もいるのでしょう。ネット上を「ら抜き」で検索すると、嫌悪感を示す人、どんどんやれという人(「ら」が入っていると、尊敬なのか可能なのか受身なのか、意味が多義的で分かりづらい、という意見らしい)、色々な人がいます。

以前、こんな文章を書いたぐらい、「ご利用できます」が嫌いな私。「とんでもございません」は、自分では使いませんが、そこまで気にはならない。「先日は、思わぬところでお目にかかれて嬉しゅうございました」などとメールを書きつつ、うーん、<嬉しう>が正しいのか?などと思ったりもするが、「嬉しかったです」は少なくとも使用は避ける。
とはいえ、どうせ、<100%正しいことば>なんてフィクションでしかないし、まぁ所詮、趣味みたいなものですわね、こんなもの。意味が通じなければさすがに問題だけれど、通じるのならば、あとは、好みの問題、というか。

・・・とは言いつつ、子どもの言葉遣いは、気になると色々言ってしまいますが、いわゆる「ら抜き」については、当地には実は、これが方言なら間違っていない、という、別の事情が存在します。

冒頭の、<お腹がいっぱいで、もう食べることができない>。なんていうのが正しいんだろう。「もう食べれん」なのか、「よう食べん」なのか。うーん、どっちを使われても違和感はない気もするが・・・。それとも、「まー食べれーへん」が正解なのか、いやいや、「まー食べれーせん」の方が由緒正しいのか。
(※方言らしさを出すために否定形にしていますが、肯定形なら「まんだ食べれるやろ」と、「食べれる」になるわけです、当然。)

「食べられん」という活用がないのは確かだと思うのだけれど、実は、方言というのは、標準語以上に難しい。
一昔前、いやふた昔前までは、方言というのは恥ずかしいものであり、まともな研究など、ほとんど存在しなかった。一方で、ラジオ、テレビ、新聞、インターネットから入ってくる標準語の洪水におされ、方言は、標準語以上に変化が激しい。一世代変わるだけで、標準語に同化こそしていないものの、方言の形は大きく変わってしまう。単語として使われなくなったもの、新たに使われるようになったもの(自転車を「ケッタ」とか「ケッタマシーン」と呼ぶのは明らかに新方言のはず。そして、最近の若者はもはや使わないようですが。)があるのはもちろん、文法の変化もけっこう激しいものがあります。標準語に引きづられている面も、お笑い番組などから入ってくる関西弁(エセ関西弁みたいなものも含む)に引きづられている面もあるのではないかと勝手に思っているのですが。
で、「もう食べることができない」だけで、少なくとも4パターンを思いついたわけですが、おお、いや、違うぞ。
「まー食べれやへん」、「まー食べれやせん」というパターンもあるではないの。語尾の「へん」と「せん」の違いは地域によるのか(私の母は岐阜の生まれ育ちですが義母は名古屋の生まれ育ちで、両者の言葉はかなり似ていますが、当然、地域差はあると思う)世代によるのか。ああ、分からない。

※夫の意見を聞いてみたら「せん」はもう死語に近いのでは、とのこと。夫の感覚では「せん」の方が古い世代の言葉だそうです。言われてみれば、やっぱりそうかなぁ。少なくとも私は使わないしなぁ・・・。

ともあれ、方言もまた、奥が深すぎます。そして、これに関しては、子どもも、なんとはなしに覚えていくものであって、私も「<食べれーへん>でしょ!<食べれん>じゃないでしょ!」などという指導は、とてもできそうにありません・・・。まぁ、言葉の移り変わりの激しさの縮図が、方言であるとも言えましょうか。

追記:この言葉は、例えば「まーお腹ぽんぽんだで、食べれんでかんわ」などと枝葉をつけますと、より、当地らしさが出てまいります。でも、正しくはこれも、「当地の一定以上の年代の人らしさ」かな。
[PR]
by mmemiya | 2013-04-21 21:56 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://mmemiya.exblog.jp/tb/19255890
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。