La Lune Lunatique

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土地の匂い

匂いって、自分ではなかなか、自分の匂いとか、自分の家の匂いとか、分からないものですよね。
たまに、泊まりに行った時に実家の母が子どもの服を洗濯してくれたりすると、娘は「おばあちゃんちの匂いがする」と言います。洗剤なんて、どこのメーカーも大差ないような気がするのですが(というか、うちなんかその都度安いのを買ってるので、銘柄なんて決めてない)、確かに、なぜか、うちとは違う匂いがするものです。

方言のことを「土地の匂いがすることば」などということがありますが、これまた、使っている本人は、あまり深くは意識していなかったりもします。そして、前にも書いたように、方言というのはどちらかというと、恥ずかしいもの、隠すべきもの、あるいは標準語より一段下のもの、と、長いあいだ見られてきました。おかげで、「正しい方言」を伝達する、という行為は、なかなか難しいものとなっています。方言そのものが矯正されるべきもの、という扱いであった以上、方言として正しい形にしろ、という指導?は、入り込む余地があまりありません。それはただ、匂いのように、うっすらと伝わっていくものでしかないというか。

しばらく前に、サッカーJ2リーグのFC岐阜のポスターで「オレンターノ岐阜」ってのを見たとき、うまい!と思いましたが(いっそ、チーム名それにしてもいいかもよ。後援会の名前らしいけど。)これは、「俺んた岐阜県民はみんな、サッカークラブを持っている。」と続きます。しかし、よく考えると、
俺→俺んた(しばしば、俺んたぁ、と伸びる。以下同じ。)
子ども→子どもんた
などという言葉も(左が単数形で、右が複数形)、私含めて、もう、そんなに使われることはないような。

「あなたたち」は、正当な?岐阜弁では「おまはんた」でしょうが、これはますます、相当上の世代の言葉だと感じるし。(なお、単数形は「おまはん」です。)ま、「あんたんた」というのも、聞いたこともないではないような・・・。と言い出すと、「あの人→あの人んた」もある気がするけれど、こっちはやはり、本来は「あのジン→あのジンた」なのかなぁ。
私が多少、この土地の匂いに敏感なのは、前にも書いたように、この土地のことばをしゃべらない父を持っていたせいです。(前の記事を書いたときは、そういえば父はまだ存命でしたね。)でも、逆に言えば、正当な?この土地のことばを身につけていないうらみがあるわけですが。    
土地の匂いがどこまで広がるものなのか、というのも、興味深く、かつ、答えの出ない問いだと思います。尾張と美濃の言葉は確かに似ています。しかしながら、たとえば、同じ学校文化にまつわる方言であっても、「B紙」「がばり」「机をつる」はどっちも使うでしょうが(標準語では「模造紙」「画鋲」「机を運ぶ」)名古屋の学校言葉として名高い?「放課」(授業と授業の間の休み時間のこと)を、岐阜で聞くことはないと思います。逆に、「チャンペラ」(標準語ではあんちょこって言うの?)は岐阜でしか通用しないらしい。                                                      
って、簡単に「岐阜」と書いたけど、そもそも、飛騨まで事情が同じなのか確かめたことはないし、「名古屋」と書いたことが尾張一帯だけの話なのか、三河まで広がる話なのかも知りません。三河弁と尾張弁は、そりゃ別の地方から見れば似てるでしょうが、三河といえばじゃんだらりんだしなぁ・・・というと三河の人に怒られるか。  
東海三県、という括りがありますが、三重はもう、アクセントがかなーり関西よりでして、まただいぶ感じが違う。ああでも、関東アクセントと関西アクセントの境は岐阜の垂井あたりにあると聞いたことがあるので、じゃあ、美濃と一括りにしても、西美濃(西濃)はまた違うってことか。でもそれなら、奥美濃の方まで行くと、また言葉が違う気がするし・・・。
まぁ、「関西弁」と括っても、京都と奈良と大阪と神戸じゃ違うよとか、神戸弁と播州弁が違うよとか、大阪って北摂の言葉と堺の言葉が一緒のはずないやん、みたいな話と全く同じことで、ぼんやりと同じような匂い、でも比べてみればそれぞれ違う、そのつかみどころのなさ(そして変化の速さ)が、方言を、生ものたる<コトバ>の先鋭?たらしめているのかもしれません。 

ところで最近、私は仕事で、アポイントをあれこれ取ってまして、相手方のご都合をお尋ねする際、私はどうしても「よろしいですか」が使えないのですね。「嬉しいです」が使えないのと同じ理由で。で、仕方なく「よろしゅうございますか」を使うのですが、これがどうにもしゃちほこばったというか、現代では今ひとつ浮いてしまう言葉遣いだという自覚もあることはあるのです。
で、さきほどネット検索をしていましたら「よろしいでしょうか」にすればよい、という解決策を見つけました。「だろう」「でしょう」は形容詞に附けることができる、と。
ここで思い出すのは「よろしかったでしょうか」という、若者言葉とかバイト言葉とか言われるアレなのですが、この言葉もまた、当初は地域限定で始まったという説があるそうです。北海道や東北の一部地域では、現在の事象を標準語で言うところの「過去形」で表すことがあり(丁寧な感じを出したい時に使うとか。)それと関連しているのかもしれないのだとか。
そういえば、山形で一時生活していた友達が、山形では、たとえば宅配便のお兄さんが「○○急便でした!」と入ってくるのでびっくりした、と言ってたなぁ。

言葉の変化、それも、たったひとりが使っているのではなく、それなりに一定数の人々が使うようになった変化というのは、やはりどこかにそれなりの源というのがあるのでしょうね。文法的ななんらかの不具合を避けようとしているとか、説明はそれなりにつくけれども、使い始めた人はきっとそんなことは無意識にやっていることで。
人類が今使っている<コトバ>というもののそもそもの始まりとはどんな感じだったのだろう、なんてこと、壮大すぎて、ちっとも分かりませんが、移り変わる言葉とはきっと、そんな集団の無意識の塊なのかもしれません。 

追記:こんなどうでもいいブログ記事を書くのにも、多少はネット検索などをしたりしているのですが(岐阜と愛知の方言は「ギア方言」と括られることがあるとか。飛騨と美濃に大きな違いはないようだとか。)ちょっと!この年になるまで、「しゃびしゃび」が方言だとは知らんかったがね!ほんなら標準語ではなんていうの、しゃびしゃびを!(アクセント付きでお届けできないのが残念です。是非、「なんていう」までは平板に、最後の「の」だけ上げてお読みください。)                                              
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by mmemiya | 2013-04-24 21:09 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)
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