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La Lune Lunatique

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地球環境のために、人類は絶滅すべきか?

大学時代に、ゼミで環境問題の話になって、「そりゃ、一番簡単な解決策は、世界人口が減ることでしょう」なんてしたり顔で発言したことがある。世間に流布する言説でも、たまに、そういうのを見かけないでもない。

「環境問題」の何を問題と捉えるか、によりけりなのだが、例えば、1000年前とか2000年前とか、あるいは数万年前ぐらいの地球を理想と思い、今はその頃の貴重な動植物が失われた…!などと感じるのならば、人類の数が減ったり、いっそ滅亡したりする方が、地球のため、という論法になるのかもしれない。

しかし、現実問題として、地球環境を少しでも良くするために自殺を図っても、誰も褒めてくれないだろう、っていうか絶対引き止められるだろう。

大多数の人にとって、環境問題とは、人類の存続すら危ういようだから、自分や自分の子孫たちが劣悪な環境に置かれそうだから問題なんであって、「諸悪の根源の人類よりも地球環境の方が大事だから、私はいなくなった方がいい」という人はごく少数だろうと思う。そんな風に思わないほうが生き物として健全なのは間違いないと思うし。

地球の方が私より何より一番大事、という視点で捉えるなら、人類は、滅亡とまでは行かなくとも、なるべく原始的な暮らしに戻った方がいい、ということになるんだろう。(原始時代にやっていたことがなんでもいいか、といえば多分違うんだけど。なにしろ人口規模が違いすぎるからね…。当時も人間は規模やら形は違っても、環境を破壊していたと思うけれど、人間の絶対数が少ないから、そう大問題にならなかったのだろう、ということで、やはり、人類はなるべく少ない方が望ましい、という話にはなってしまう。)

子々孫々まで、なるべく今ぐらいの生活を享受していきたい、と思うなら、少しずつ、できることをしよう、ってな話になる。まぁ、ロハスなんていう小っ恥ずかしいコトバとか、どうもファッションとして消費されてるだけ、っつーか、実際のところ、何をすることが環境の持続にとって望ましいのかはっきりしておらず、下手すると何かエコグッズ買って、イイコトした気分になって終わり、になりかねないってことがこの視点に立った場合の難点のような気がするが。

ところで、たとえ、この先、人類が地球を「汚染」しまくったとして、それで人類も滅亡するほどの事態になったとしても、地球自体が爆発して四散でもしない限り、地球上に何かの生命体は残るだろうから、地球環境を問題にするのは、やはり、人類のため、ということのような気がする。
その生命体が細菌類やウィルスだけなのか、ってあたりはともかくとしてだ。生命ってモノは、そう人間ごときがことごとく滅ぼしてしまえるほどヤワなもんではなかろうよ、と、地球の未来そのものについては、私はけっこう楽観視している。(この場合、当然ながら、人類の未来をも楽観視しているわけではない。)
もちろん、人間の巻き添えを食って絶滅してしまう生き物は多数あるだろう。とはいっても、人類が地球上に誕生する遥か以前から、絶滅した種なんて数え切れないほどあるし、恐竜絶滅前後の地球環境の大変動って言ったら、ひょっとして、今の環境問題なんか目じゃないくらいの大問題だったかもしれない。

とりあえず、地球の未来というよりは、人類が存続可能な未来の地球のために何をなすべきか。これが簡単なようでいて難しい。門外漢なんでよく分からないけど、地球上の全ての農地で有機無農薬栽培とか始めちゃったら、多分、今でさえ飢えてる人が多いという食糧問題が輪をかけて悲惨なことになるのは間違いないような気がするし(日本はそもそも食料自給率が100%に遠く及ばないから当然なんだけど、つまり、以前の農業生産量で養えるような人口を、今は遥かに凌駕しちゃってるだろう、ってことだ。)じゃあ畜産を全部やめたら、って、それもまた生態系の循環を考えると暴論のような気もする。

ほんじゃ一体、どのあたりが落としどころなんだ、って、パソコンなんぞ使いながら言うことではないのかもしれないが、とりあえず、以前にコメント欄でお勧めいただいた「環境リスク学」、入手したんですが、まだ読んでないんで、それを読んで、また考えてみることにしたい。
by mmemiya | 2007-08-14 20:49 | 日々雑感