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La Lune Lunatique

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「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」橋本 治

斎藤美奈子が橋本治の本について、「読んだときはとてもかしこくなったような気分になるけれど、読み終わったあと、何が書いてあったか思い出せない」といったように評していた記憶があるけれど、これも正に、そんな評がぴったりの橋本節で書かれた本。

我々の親世代と違い、我々は、今の仕事を定年まで勤めることができる保障などないし、運良く?勤め上げることができたとしても、退職金などという制度はなくなっているかもしれない。まして超少子化の続く中、年金制度など、とうに崩壊しているだろう…
そんな感覚は、きっと今の40代以下の世代なら、多かれ少なかれ共有しているのではないだろうか。

個人投資家がかつてなく増えていると言われ、本屋に行けば「私は株でこんなに儲けた」式の本がずらりと並んでいるのも、この本の中で橋本も言っているとおり、こんな時代への焦りがあるからだろう。実際、私だって、このままでいいのか、という気持ちはいつも感じている。

けれど、一方で、私の中には、いわゆる投資というものを「胡散臭いもの」と感じる感覚がある。労働の対価ではない収入というものに、なにかしらの抵抗がある。

以前に、橋本の「二十世紀」という本を読み(これは二十世紀の出来事を、1900年から1年ずつ100年分つづった本なのだが)ああ、この人のこの感覚は、自分と同じだ、と思った。「二十世紀」ではほんの僅かに語られただけの「経済活動」への違和感を、もっと聞いてみたいと思った。
だから、なんの予備知識もなしに書店の店頭ででこの本を見つけたとき、「やっと書いてくれたか」という、待っていた本に出会ったような驚きとうれしさがあった。
肝心の本そのものは、実はまだ斜め読みしかしていない。それで感想を語るのもなんだけれど、もともとこの本には結論はなく、いつもの橋本流のあーでもないこーでもないがあったあと、最後には、「あとは各自が考えることなので、後はよろしく」と終わってしまうのである。

私には経済学は分からないし、日本の未来も皆目分からない。ただ、世界に流通しているお金が実体経済をはるかに上回っているということを聞くと、何かがおかしいんじゃないか、と思うだけだ。

うちの夫は「そのうちハイパーインフレが来るんじゃないか」と言いながら、株式投資に精を出している。それを否定するつもりはないけれど、ハイパーインフレは来るのかもしれないけれど、インフレで、それで私たちは餓死するほどに追い詰められるのだろうか?
「ハイパーインフレとやらで大量に死者が出たなんて聞かないけど」と私が言うと、「でも日本はエネルギーも食糧も自給率が低すぎる」と夫に言われた。確かにそういう要素は無視できないのだろうけれど、もし、死活問題というほどに追い詰められるのではなく、ただ、食べていくだけで精一杯、ということになるのなら、結局、必死に働いていくしかないのではないか、と、現在の豊かさをのうのうと満喫しながら、でも漠然とそう思う。所詮、観念論なのかもしれないけれど。

そして、この本の中で橋本が言う「我慢と貧乏を切り離すこと」の先には何が見えてくるのだろう。私は子どものころ、戦中生まれの父親に「うちにはお金がないから我慢しなさい」と何度も言われたことを覚えている。食うことに困るような生活ではなかったけれど、でも欲しがったものを何でも与えられたわけではなかった。所詮その程度の経験が、今後を生きていくときの力になりうるのだろうか?

我が家では毎週木曜、たいてい、NHKの「世界遺産」という番組を見る。見ていると、3歳の息子が、「こんなところ行ってみたいねぇ」と、毎度お決まりのように言う。
「そうだねぇ、いつか行けるといいねぇ」と応えながら、この子達が大きくなったとき、果たして、海外旅行などというものが、今のように気軽に行けるものであり続けているだろうか、という思いが頭をよぎる。

生まれた土地以外のところへ行くことなど遠い夢となり、あるいは、欲しいと思ったものがすぐに手に入れられることなどありえない世界になったとして、そんなこととは無関係に「幸せだ」と感じることのできる人生を、子どもたちが歩んでいくために、私たちには何ができるのだろう。
by mmemiya | 2006-02-05 22:10 | 読んだ本