前にチラッと、気になる、と書いていた「ピアニシモでささやいて 第二楽章」(石塚夢見)の最終巻だけを、出てすぐに買った。で、読んだのだが、だいぶ経った今、また、読み返してみたり。
途中を読まずにどうよ、とも思うが、まぁ、最終的に一意と朱がどうなったのかだけ知りたかったのだ。
前作は高校生の頃読んでいた。あれから14年、という設定だそうで…えーと、ラストの朱ってハタチぐらい?とすれば第二楽章の朱は私よりも年下ってことか。
高校生の頃は、これと、あと、「麒麟館グラフィティー」(同じくプチコミック連載)を、とってもオトナな感じのマンガだと思っていた。麒麟館なぞ、DVのDの字も聞かなかった(と思う、少なくとも私は)当時の私に、すんごい強烈な印象を残した。おかげで今でもDVというと、「ああ、秀次がやってたアレだ」と思ってしまう。
そんで、ピアニシモ。ラストで、別れるためだけに二人だけで別荘に篭り、別れるために初めて結ばれる。で、「二度と 会わない」という決断をした…のではなかったか。あそこで紅涙を絞った立場としては、「え、今更なんで、一意と朱がくっつくのよ」みたいな感じもあったわけだが(大体、ラストじゃ朱には恋人もいたじゃん。「きっと、最後の人になる」って言ってたのは誰だ!)、しかし、前作で解せなかったのは、実はなんで、一意が貴子を選んだか、ではあった。
一意が音楽の道に進みそうなことに不安を持って、恋人である彼に傷を負わせてまでそれを妨害した女である。しかも、それを頼んだ男に体を要求されて一夜を共にまでしている女だ。朱を散々妨害しておいて、最後に、突然、アフリカにボランティアしに旅立っていってしまった唐突さ。なんで、一意が朱より彼女を選んだのか、あの頃も分からなかったが、今も分からん。
(更に言うなら、そもそも、一意のどこがいいのか、朱の気持ちも実は分かんないんだが、結局、色恋沙汰って理屈じゃないのかも。)
その貴子が死ぬことで、第二楽章が始まる。前作では貴子の存在を思って身を引いた朱が(あるいは一意に選ばれなかった朱が)色々あったが最後は一意と結ばれる…というわけだ。
なんというかなー、まぁ、「ありえたかもしれないバリエーションの一つ」として、許容はできる。「もしも、貴子が早く亡くなったなら、今度こそ二人が結ばれることもあっただろう」みたいな。
でも一方で、前作のラストのまま、二人は、時折、ラジオやテレビから流れてくる、お互いの作った音楽を耳にして、お互いの存在を確かめながら、二度と顔自体をあわせることはない…というのもまた、ありえたかもしれない未来ではなかったか、とも思う。
もっと言葉を変えて言うなら、第一部の終わり方のまま、二人は結局結ばれなかった、という方がよりリアルで(このマンガそれ自体がリアルかどうかは置いておいてだな。芸能界モノだし。)、二人が結ばれるにあたって障害であった女が若死にしてしまい、あまつさえ、今際の際に、二人の今後の関係を容認するような台詞を吐く、というのは、ちょっとご都合主義に過ぎるんじゃないか、ということだ。
しかし、朱が、「もうすっかり大人だから 若い頃のように 恋だの愛だの言わなくなった (中略) それだけに捉われるでなく (中略) それでも 小さく密かに 恋心は息をしている (中略) 一意 今 あなたに憧れてやまない この想いを (中略) 恋 と呼んだら違う?」とつぶやけば、ついつい朱の十数年越しの思いを応援したくはなるし、「私はもう やめてもいいか 疑うことを やめてもいいか あり得ない をやめてもいいか 私はもう 信じていいか あり得ること と信じていいか あなたと私の 胸と胸とに 奇跡のように運命はつながっている と その運命を 肯定 していいのだ と―」と、シルクロードへ旅立つ朱を見れば、それなりに胸は熱くなる。
絵柄も決して上手とはいえないマンガなのだが、なんというか、こう、ドラマティックな有無を言わさぬ力はあるよね。(って、もちろん、そんなもの感じない、という人もありましょうが。)
とはいえ(私は貴子さんという女性が決して好きではなかったが)「別の幸せがあったはずだもの、あなたには」「あなたと朱ちゃんは魂の深いところでつながってるのよ」という最期の言葉を残して死んでゆく、というのは、ちょーっと貴子さんもいい面の皮、って感じで気の毒なことではあった。しかも、死んでなお、娘の口を通して<母さんも、「行きなさい、朱ちゃん」って言ったと思う>と、一意を追いかける後押しの一言まで言わされてしまうのだ。立場ないよなー。