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教育できるものと出来ないもの

そもそも、このカテゴリに「子育て、子育ち」と名をつけたのは、子どもって、育てようとしたわけでもなく勝手に育つ部分があるよなぁ、と思ってのことだった。

まぁたとえば、極端な話、通常の発達をしてきた子どもがつかまりだちとか始めた時に、「ほら、歩くっていうのはこうやってやるのよ」と、手取り足取り教えるって人はあまりいなかろーし、必死にそばで「こうよ、こう」なんて見本を見せなくても、その子どもは歩き始める筈だ。

横浜にある「子どもの虹情報研修センター」の紀要(全文、ネットで読めます)に、「歩く」というのは人間の脳にどうもなんらかの形でプログラミングされてるらしく、昔、アメリカ先住民だったかで、子どもを、日中の農作業の間、まっすぐ何かにくくりつけておくという育児法を採用している民族がいたが、そういう育児の中で、ハイハイとかをしなくても、やはり子どもは歩くようになるんだ、という話が出ていた。
そうなると、ずいぶん前に物議を醸した「奇跡の詩人」のドーマン法って奴(歩くことが出来ない子どもにハイハイの姿勢をとらせて、大勢で手足を動かしてハイハイをさせる、そうすれば歩けるようになるはずだ、みたいな話が出てたはず)ってのは、その点だけを見ても明確に間違いってことですな。(ドーマン法のあやしさってのは、もちろん、そんなところだけじゃないんでしょうけど。)

まぁそんなことはともかく、最近思うのだけれど、誰かが子どもに教育をして、その結果、子どもがその影響を受けることって、人生に対する姿勢(というとやや大げさだけど)とか、ものの見方、みたいな部分だけかなぁ、って気がする。
勉強とか、運動とか、要するに個々人の「能力」に左右されるものってのは、教えてどうなるもんでもない、というと語弊があるかもしれないが、教えられたから伸びるってもんじゃないよなぁと思うのだ。
もちろん、教えられなきゃ知らないことなんて世の中にはいっぱいあって、だからこそ教育のシステム(端的にいえば現代の場合、学校)というのもあるのだけれど、それら、知識とかもろもろのものは、「教えなきゃ身につかない」ものである一方、「教えられても身につくとは限らない」ものだと思うのだ。
世界一流のコーチをつけたって、じゃあ、教えられた人みんながオリンピック選手になれるとは限らないというのは誰だって納得するだろうに、こと勉強に関していえば、早期教育とかに幻想を抱く人が多いのはどうしてなんだろう?勉強だって、どんな上手に教えられたって、理解度は結局、その子その子の素質に左右されるのは当然じゃないだろうか。
3歳までにすごい英才教育を始めようが、小学校へ上がる前に英語を始めようが、それによって、そういう教育を受けなかった子より、必ず英語が得意になったり、天才的な能力を発揮するようになる、なんてこと、言えないと思うんだけど。そういうところはきちんと割り切っておかないと、親も子も不幸になりそうな気がするな。

一方で、物事の捉え方、価値観ってのは、これは、親を始め、周囲の大人の影響を受けるところ大、という気がしている。だからこそ、家庭教育には、主にその方面が期待されている(た)のではなかろうか。
せんだって、息子と、「年中・年長児への性教育」みたいな講座に出てきたのだが、性教育、と言っても、とりあえず、第一回は「目はどんな仕事をしている?」みたいな、体の働きをちょっと考える、みたいなお話で、第二回は「おへその仕事ってなんだろう」みたいな話になる予定らしい。
で、うちの息子は、講師の問いかけに、率先して大きな声で反応していて「いいキャラですね~」(元気が良すぎる子どもを持った親に対するなぐさめの言葉みたいだったが)と講師に言われていたが、車椅子に乗った子どもが駅の階段の下にいるという写真を見せられて、「この子はどこのお仕事がうまくいかないんだろう」と問われ、率先して「足のお仕事!」と叫び、「この子は階段の上へ行きたいんだけど、どうすればいい?」と聞かれ、「坂のところ(スロープのことだろう)を探す!」「抱っこしていってあげる!」と答える息子を見ていると、とりあえず、街中で車椅子の人とすれ違って、「あれは何?」と聞かれた時の自分の対応は間違っていなかったのかな、と、思ったりしたのだった。
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by mmemiya | 2008-03-15 21:29 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(4)
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Commented by okimuff at 2008-03-18 20:12 x
mmemiyaさんがここで言っていらっしゃること、全くそうだと思います。だから、成長し続けている子どものそばにいる大人たちは、いつも自分の生き方を問われていると思います。厳しいものですがね。
Commented by mmemiya at 2008-03-18 22:33
「親は子の鏡」というか、「育てたように子は育つ」というのも真実である一方で、「子どもなんて思うようになるものじゃない」というのも真実だ、ということですよね。確かに厳しいことではありますが、子どもが成人した後まで、あれこれ親の責任を言われるのも、それはそれで勘弁、というのが私としては正直なところです。世間ではなかなかそれは通らないような予感もしますが。
Commented by zizi at 2008-04-17 15:46 x
初めまして。岩村 暢子さんのこと検索していたらヒットしました^^
ダイガクセイ教えてます(しかも英語^^)。いつも思い出すのは「馬を水飲み場に連れてこれるが、水を飲ませることはできない」という言葉です。本人にやる気がなければ 勉強の神様は降臨せず 同じように教えていても身につく人とそうでない人がどうしても出てしまいます。私論ですが、日本語(母国語)力が足りないと英語(外国語)も身に付きにくいようです。子供の時に良い本を読み手紙を手書きする習慣、「興味を持つ、楽しんで勉強すること」の大切さを痛感します。
Commented by mmemiya at 2008-04-20 22:49
ziziさま、初めまして。コメントありがとうございました。
本人がやる気にならなければ仕方がない、という第一段階があって、やる気になってもすべて学ぼうとすることが身につくわけではない、という第二段階があるあたりが、<勉強>の難しいところなのかな、と、いただいたコメントを拝見して思いました。
例えば私の卒業した高校は、毎年30名ほどの東大合格者が出ていましたが、同級生等を見ていた限り、試験で東大合格レベルぐらいの点数が取れる人とそうでない人を分けるものは「やる気」ではないと思えます。
更には、そういう、「試験の点数がいい」ということと、実生活において有能であるということが必ずしもイコールではないというあたりがまた、いっそうこういう話を複雑にしているのかもしれませんよね…。