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La Lune Lunatique

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正しく生きるなんて出来ないわ

先々週、子どもとの約束どおり、二段ベッドを買いに行ったのだが、配送が早くて一週間後、とのことで、旅行とぶつかってしまい、やむなく、二週間後の配送を依頼した。
というわけで、明日、二段ベッドが届く予定。しかし、息子はあれ以来、ずっと二階で寝ているのだが、娘は一週間頑張ったあと、ある日突然、「Cちゃんは今まで我慢してた~」と号泣し、以後、私の横で寝るようになった。息子は一人になっても「僕はどうしてもベッドが欲しい」と頑張っているが、3歳児の方は、やっぱ、親と離れて子どもだけで、ってのは無理だったらしい。
まぁそのうち、兄ちゃんと寝る、と、また言い出すかもしれないし、と、とりあえずベッドは約束どおり買うことにした。

最初、「ベッドが届いたらベッドで寝る」と言っていた娘だが、今日になって「ベッドで寝るの?」と聞いたら「うーん、そのうちねー」と返事し始めた(笑)。やっぱり、親と一緒じゃないと不安、ってことらしい。私なんか、もっとずっと大きくなるまで、親と一緒に寝てたもんなー。
息子の方が眠ってしまうまで、私は二階で添い寝しているので、娘は一階の布団の中で一人きり、だったりすることも多いのだが、寝付くまで一緒にいてもらうより、「あとで母はこの布団に入ってくる」と思って一人で寝る方が、娘にとってはいいものらしい。面白いなぁ。

親はいつまでも一緒にいられないし、子育ての究極の目標は、一人で生きていける(身の回りのことを自分でするとか、自分で金を稼ぐとか、色々な意味で、ね)よう育て上げることだ、というのは夫と私の共通認識なのですが、まぁまだあと10年以上かかって成し遂げればいいことなのですから、3歳児に無理を強いたってしょうがない。

しかし、親というのは、ついつい口うるさくなってしまうものですね。時々反省はするのですが、なにしろ、6歳児や3歳児ってのは、予測ってことがまだまだできないもので「これに登ったらどうなるか」なーんてこと、考えもせずに「面白そう」だと思えば、登るべきじゃないものにも登っちゃいます。
こっちはなまじ、危険性が分かるだけに、あまりに危ないことは止めさせなければならないのですが、その、「危険」の線引きも、なかなか難しいものですねぇ。

今のうちは、本当に、物理的な「危険」だけが気にかかるのですが、多分、子どもが多少大きくなってくると、今度はたとえば職業選択とか、進路とか、いろんなことに、つい、口出したくなるときがあるんじゃないか、と思うんですよね。親にはそれなりの人生経験があって、自分のやった失敗を繰り返させたくない、とか思ってるわけだし、そっちの方へ行くと、こんな風になるんじゃないか、と、子どもに代わって先を見通してやりたくなるのではないでしょうか。

しかしね、ことが子ども自身の命にかかわったり、あるいは、他人に害をなすようなことでない限りは、やっぱり、そういう口出しは、アドバイスを求められた時ぐらいにしておくべきじゃないかなぁ、とも思うんですよね。
自分がやった失敗を、子どもにはさせたくない、というのは、そりゃ親心です。でもね、じゃあ、子どもには、失敗する権利すらないのか。あるいは、人生って、小さな失敗ですら、一つもしない方がいいものなのか。

失敗は失敗ですから、そりゃ、いいものではないだろうけど、でもやっぱり、やってみないと学べないことだってあるわけで、子どもの試行錯誤する権利を奪ってしまう親にだけはなりたくないよなー、と、今から自戒。じゃあ、どこが本当に危険ラインなのか、そこを見極めつつ見守るってのは、親の方にも相応の技量が求められる問題でもありますね。なんでもかんでも止めたり助言したりしてる方がずっと楽でしょう。

しかし、親のした失敗は次の世代はやっちゃダメ、ってのは、「その失敗も含めて自分の人生」という、親自身の人生を、親自ら否定しているようなもの、と言ったら言い過ぎ?まぁ、しないにこしたことはない失敗も、もちろんたくさんあるでしょうが。

タイトルは、この記事内容とはおよそ無関係な、竹内まりや「哀しい恋人」の一節。要は不倫ソングですな。「正しく生きるなんて できないわ♪ 正直に生きるのも 苦しくて」
内容はあれですが、アルバムDenimの12曲中、この一節が一番好きかも、私。
by mmemiya | 2008-06-20 22:46 | 子育て、子育ち