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La Lune Lunatique

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英語力幻想 金森強

「読んだ本」というか、正確には、また「読みかけの本」です。

ここのところ、また、英語に関する本をいくつか読み漁ってます。

そうそう、一週間前の金曜、息子が夫の実家にお泊りをすることになっていたのですが(というか、土曜のつもりでいたら、前日に「明日おいで」に変更になってた)なんと、当日の土壇場になって、保育園に迎えに行くと、娘が「Cちゃんも泊まる」と。あんた、あれだけ「お母さんと一緒じゃなきゃやだ」と拒否しまくってたくせに~!!って感じでしたが、二人とも夫の実家にお世話になりました。
今回は、平日ということもあり、保育園から夫の実家に送り届けた後は、まったくお任せしてしまいました。翌日は11時ちょい前ぐらいに行ったところ、ビニールプール(子ども5人全員入れる、かなり大きいのがある)で大はしゃぎしてましたわ。

んで、せっかくの?めったにない「子どものいない日」だったのですが、夫は帰ってこないし、電話しても留守電になっちゃうしメール打っても返事来ないものだから、家を空けることもできず、夫が帰宅した21時ごろまで、相も変らぬネット三昧をしていたのですが、夫の帰宅後、久々に長時間、本屋で過ごしてきました。このときも、この本ではないのだけれど、英語の本を買ったりしました。いや、語学コーナーに、原書の「プー横丁に建った家」(くまのプーさんの第二作)があったもので、「そういや、<いすがし すぎかえる>」の原文ってなんなんだっけ?と買ってしまった。しかし、原文の「backson」は、何かの動物名を直接もじった、ってことじゃないのかも?あれ、バイソンってどんなスペルだっけ。ストーリー覚えてることもあってすいすい読み進めることはできるものの、分からない単語が思った以上に頻出してびっくり。児童文学だから、正直、こんなに分からない単語が多いとは思わなかった・・・・。大抵は形容詞なので、無視して読んでも大意はつかめるんですが。

ってなこととは無関係に「英語力幻想」。<なんとなく、子どものころから英語を学んだ方がいいでしょう?>ってな言説の曖昧さを色々と指摘しつつ、小学生から英語教育を始めるとすれば(この著者の言ってることは英語教育というより、コミュニケーション教育なんですが)どうすべきか、を検討した本、と言っていいのかな。
個々の指摘には、私が前から感じていたようなこともあり、また、なるほど、と思わされるものもあり。
この方は音声学方面の方、ということもあり、発音にまつわる部分もけっこう興味深いところがあります。著者が実践しているのは幼児ではなく小学生相手の英語教育なんで、話はどうしても小学生のことになるわけですが、「母語の音韻体系が出来上がっている高学年の児童に発音指導をするのは無駄 のちに必要になった段階で、知識として調音様式や調音位置を理解しながら身につけていくほうがよほど簡単」というのが著者の見解。
よほど簡単…かどうかは分かりませんが、まぁ少なくとも、現行の教育現場のリソースで、ホンのちょっとの「発音指導」をやったって、大した効果が上がらない(どころか場合によっては逆効果)なのは確かでしょうね。この人は、発音指導よりも、英語を聞く絶対量のほうが大事、という見解のようです。
ただ、ご自身の体験としても、最初に中学で英語の授業が始まったときは、「勉強すれば世界の色々な人たちと話が出来るようになる」という期待に胸を膨らませていたのが、次第に「覚えた規則を使用しながら、パズルや暗号を解いたり作ったりすること」が英語の勉強だ、と、当初の期待は幻想に過ぎなかったのだと分かり始めた、と書いておられるのですから、そのあたりの、現実の言語としてのEnglishと教育の乖離(教育として扱う以上、乖離が生まれること事態には避けがたい面もあるでしょうが)についてはどうお考えなのか、その辺を気に留めつつ読み進めたいと思います。<先生から「今の発音はよかった」などと言われると、英語を話せるようになる可能性が残されているように思えてうれしくなったものです。しかし、それも今振り返れば錯覚でした>と、以下、中学における発音指導の稚拙さを指摘しているのですが、発音指導を「無駄」だけで切り捨てていいものなのかなぁ・・?というのは素朴な疑問。小学校では無駄だけど、中学ではやるべき、と、この後に書いてあるとは考えにくいしなぁ。

ところで、先日から漠然と思っていたことが、この本を読みながら明確になっていった。
これまでの中学・高校における英語教育に対し、「あんなに勉強したのに使えるようにならなかった」という思いを抱いている人は多いようで、それゆえに「子どもの頃に始めれば英語ができるようになる」という錯覚が広まり、児童英語教育への期待が高まっているのではないか、と、この本には書かれていた。恐らく、その通りだろうと思う。
で、私が、早期の英語教育に懐疑的なのは、言語ってものをそう安易に考えるのはどうよ、という思いが第一にあるのは間違いないが、どうも、自分が過去受けてきた英語教育にあまり不満(「怨念」という人もいるそうな)がないから、という側面もあるよなー、と、先日来、ぼんやり思っていたのだ。多分、そのあたりが関係してるのは間違いなさそう。

それはさておき、本書はなんとなく、私には役に立ちそうだ。わが子がこれから進む小学校にも、どんな風だか知らないが、総合的な学習の時間を利用して、英語の時間があるらしい。そうピントの外れたことをやってなきゃいいんだけど、親の目から見てちょっと…という教育が、もし行われていたとしたら、親としてはどんな形でそれを補完していったらいいのか、ということが、うっすら見えてきそうな本、という感じがする。まだ半分しか読んでないだろ、と、自己ツッコミはしておくが。
by mmemiya | 2008-08-23 01:02 | 読んだ本