La Lune Lunatique

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XY 男とは何か

私は自分のことを、殊更に、女性学だのなんだのに興味はない学生時代を過ごした…と思っていたのだが、しかしまぁ、「どうしたって、女に生まれると、世の性別に起因する理不尽さ、というのを意識せずにはいられないよなぁ…」とぼんやりと思っていた。

でも、よくよく振り返ってみると、学生時代、講義を受けた諸先生方の中に、女性史やらジェンダー論やらの著書のある方が4人もいるよなぁ…。「旧姓で授業をすることが認められたので旧姓を使っています」と数人の教官方が宣言されたことも覚えている。そのうちのお一人はうちの学科の先生で、私も授業を受けたことがあるのだが(泊まりこみのフィールドワークの真似事に連れて行ってもらったこともある)、妻の姓で婚姻した男性教官だった。こんなことを鮮明に覚えているのは、私が当時から、自分の姓にこだわりを持っていた、ということではあるのだが、姓へのこだわりの延長で、別姓婚には学生当時から興味があったことは確かだ。

余談はさておき、「XY 男とは何か」という本を読むと、いや、なかなかどうして、男に生まれても理不尽さはいっぱいあるのね、っていうか、端的に言えば、男も大変よねぇ~、と思わされる。
翻訳が読みにくいのは、もうちょっとなんとかしてほしいが、大雑把にまとめると、現在の男性が置かれている難しい立場は時代の必然、という主張のもと、丹念にその裏づけをしていった…というような本というか。

小難しいところはすっとばしつつ、おおむね読み終わっての感想は、いやー、うちの息子もなかなか大変そうだわー、ってところですか。特に父親のあり方については、未だ(西洋文化圏のいわゆる先進国が、ってことですが)確固たるモデルが確立されていないってのは、確かにその通りかもしれないわなぁ。

私自身、自分が女であること、ということと、気負いなく向き合えるようになったのは、けっこう遅かったように思う。それで余計なまわり道をしたよなぁ、と思う分、娘にはなるべく自然に自分の性別を受け入れてほしいものだと思っているのだが、息子が「自分が男である」ということと肩肘張らずに向き合う、ってのも、存外大変なこと、らしい。
まぁ、私が見るところ、比較的、うちの夫は「自分が男である」ということと、うまいこと折り合いがついているようなので、是非、息子に良い見本を見せてやってほしい、と思います。
いわゆる「男らしさ」、「女らしさ」(と、従来されてきたもの)は、そのどちらもが、男性の中にもあるし、女性の中にもあるのだから、それらを、自分なりのバランスで統御していかないと駄目だよ、ってなことを著者は言いたいようで、やや、抽象的に過ぎるとは思うが、言いたいことは分かる気はする。しかしなぁ。父親になるのに最適な年齢は40歳だ、って言われると…生物学的には女が40で母になるよりたやすいのかもしれんが、どーなんですか、それ。男の成熟は18歳から40歳までかかるんだそうですよ。男性側からの反論やいかに。(この本の著者自身は女性ですが、これは「ダニエル・レヴィンソン」って人の研究に基づくんだそうで。その人、男?女?分からない~。)
※追記:英語版のWikipediaに出てる人でした。男性ですね。えーっと、じゃあ、男性女性問わず、反論やいかに。


あ、あと、「男の子が絶対的に父親を必要とするのは誕生から二歳までの間である」というのもどういうことなのか、もう少し知りたいところ。うちは、上の子の時も下の子の時も、0歳から1歳ぐらいの期間に、夫が一時的に主たる育児者だったことがあるのだけれど、「息子の自己同一化のなによりのモデルとなる」かー。うーむ。正直、よく分かりません。
流し読みじゃなく、もうちょっとちゃんと読むと、もう少し理解できるのかもしれないが、ともかく、いかんせん、文章が読みづらいのはなんとかならないのかなー。正確に訳そうと思うとしょうがないのかもしれないけどさ。(米原万里さんの名言「不実な美女か貞淑な醜女か」ってのがありましたねー。)
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by mmemiya | 2008-09-04 23:24 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)
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