La Lune Lunatique

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2008年 03月 15日 ( 1 )

教育できるものと出来ないもの

そもそも、このカテゴリに「子育て、子育ち」と名をつけたのは、子どもって、育てようとしたわけでもなく勝手に育つ部分があるよなぁ、と思ってのことだった。

まぁたとえば、極端な話、通常の発達をしてきた子どもがつかまりだちとか始めた時に、「ほら、歩くっていうのはこうやってやるのよ」と、手取り足取り教えるって人はあまりいなかろーし、必死にそばで「こうよ、こう」なんて見本を見せなくても、その子どもは歩き始める筈だ。

横浜にある「子どもの虹情報研修センター」の紀要(全文、ネットで読めます)に、「歩く」というのは人間の脳にどうもなんらかの形でプログラミングされてるらしく、昔、アメリカ先住民だったかで、子どもを、日中の農作業の間、まっすぐ何かにくくりつけておくという育児法を採用している民族がいたが、そういう育児の中で、ハイハイとかをしなくても、やはり子どもは歩くようになるんだ、という話が出ていた。
そうなると、ずいぶん前に物議を醸した「奇跡の詩人」のドーマン法って奴(歩くことが出来ない子どもにハイハイの姿勢をとらせて、大勢で手足を動かしてハイハイをさせる、そうすれば歩けるようになるはずだ、みたいな話が出てたはず)ってのは、その点だけを見ても明確に間違いってことですな。(ドーマン法のあやしさってのは、もちろん、そんなところだけじゃないんでしょうけど。)

まぁそんなことはともかく、最近思うのだけれど、誰かが子どもに教育をして、その結果、子どもがその影響を受けることって、人生に対する姿勢(というとやや大げさだけど)とか、ものの見方、みたいな部分だけかなぁ、って気がする。
勉強とか、運動とか、要するに個々人の「能力」に左右されるものってのは、教えてどうなるもんでもない、というと語弊があるかもしれないが、教えられたから伸びるってもんじゃないよなぁと思うのだ。
もちろん、教えられなきゃ知らないことなんて世の中にはいっぱいあって、だからこそ教育のシステム(端的にいえば現代の場合、学校)というのもあるのだけれど、それら、知識とかもろもろのものは、「教えなきゃ身につかない」ものである一方、「教えられても身につくとは限らない」ものだと思うのだ。
世界一流のコーチをつけたって、じゃあ、教えられた人みんながオリンピック選手になれるとは限らないというのは誰だって納得するだろうに、こと勉強に関していえば、早期教育とかに幻想を抱く人が多いのはどうしてなんだろう?勉強だって、どんな上手に教えられたって、理解度は結局、その子その子の素質に左右されるのは当然じゃないだろうか。
3歳までにすごい英才教育を始めようが、小学校へ上がる前に英語を始めようが、それによって、そういう教育を受けなかった子より、必ず英語が得意になったり、天才的な能力を発揮するようになる、なんてこと、言えないと思うんだけど。そういうところはきちんと割り切っておかないと、親も子も不幸になりそうな気がするな。

一方で、物事の捉え方、価値観ってのは、これは、親を始め、周囲の大人の影響を受けるところ大、という気がしている。だからこそ、家庭教育には、主にその方面が期待されている(た)のではなかろうか。
せんだって、息子と、「年中・年長児への性教育」みたいな講座に出てきたのだが、性教育、と言っても、とりあえず、第一回は「目はどんな仕事をしている?」みたいな、体の働きをちょっと考える、みたいなお話で、第二回は「おへその仕事ってなんだろう」みたいな話になる予定らしい。
で、うちの息子は、講師の問いかけに、率先して大きな声で反応していて「いいキャラですね~」(元気が良すぎる子どもを持った親に対するなぐさめの言葉みたいだったが)と講師に言われていたが、車椅子に乗った子どもが駅の階段の下にいるという写真を見せられて、「この子はどこのお仕事がうまくいかないんだろう」と問われ、率先して「足のお仕事!」と叫び、「この子は階段の上へ行きたいんだけど、どうすればいい?」と聞かれ、「坂のところ(スロープのことだろう)を探す!」「抱っこしていってあげる!」と答える息子を見ていると、とりあえず、街中で車椅子の人とすれ違って、「あれは何?」と聞かれた時の自分の対応は間違っていなかったのかな、と、思ったりしたのだった。
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by mmemiya | 2008-03-15 21:29 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(4)