La Lune Lunatique

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カテゴリ:読んだ本( 72 )

デキる女のおしゃれの方程式 きちんと見える 信頼される

ちょっと、手に取るのが恥ずかしくなるようなタイトルではある。もうちょっとなんとかならんかったのか。

中身は、かなーりオーソドックスな仕事着論である。著者の森岡弘氏は、元々、男性向けに「男のファッション練習帖」などのファッション指南本を書いている人で、その人のところへ、女性から、職場でどんな服を着ればいいのか、みたいな手紙などが届くことから、女性向けの本を書くことになったとか。

正直、ラストの方にあるコーディネート例の休日ファッションなんかは余分だと思う、というか、女の目から見るとイマイチなんだけど、著者いわく、男性はこういう格好の女性を好ましいと思うんだそうで、まぁそれはふーん、というか、休日の服なんか、男のために着るわけじゃないしな、私、なんだけど、オフィスの服装というのは、どうしても、男性にはきっちりルールが有るところへ新参者として入ってきたのが女である以上、男性向けのルールを踏まえる必要は十分あると思う。
元々、私の服に関する知識というのは夫の本の受け売りなんで、で、旦那の持ってる本というのが落合正勝だったりするもんだから、流し読みしかしていない私も、やっぱイタリアが一番、みたいな洗脳はされかかっている(苦笑)。あと、黒のスーツなんて仕事着としてありえないでしょ、とか、茶色というのはカントリーの色で、オフィスで着る色ではない、とか、そういうのはなんとなく受け入れていた。

ただ、その辺はこの本は、オーソドックスとはいえ、女性はそこまできっちりじゃなくても大丈夫、と説く。まぁ実際、茶色のスーツだろうがベージュのスーツだろうが、テーラードスーツ着てるだけで十分きちんとして見えるのが女ってもんではあるわね。私の手持ちスーツも、男性だったらこんな生地ありえねー、みたいなのは結構あります。その辺は多少、ゆるやかでありつつも、これぐらいの線は守ってね、という線を説いている本で、これでも十分保守的は保守的なんだろうけど、やっぱ仕事着のスタンダードってこんなもんなんだろうな、という無難な着地点は伺える。
わざわざ買う程でもない本かもしれないけど、もし、女の仕事着について何か一冊だけ買うならこれ、って感じかも。過不足なくまとまってるし。オシャレな女性には物足りないだろうけどね。

ああ、それにしても、テーラードのスカートスーツ、それ自体が中々気に入るようなものが見つからないのが女の現実でもあったりして、最終的にはパターンオーダーとかへいくしかないのか、みたいなのが最近の私の感慨だったりします。40女の仕事着は、あいも変わらず難しい。
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by mmemiya | 2014-12-11 22:05 | 読んだ本 | Trackback | Comments(2)

「育休世代」のジレンマ

本日、東京往復の新幹線の中で読了。
著者は今年30歳の女性、東大を卒業して新聞社に入社、やりがいを感じてバリバリ働いていたのに、いざ妊娠したら、それまで意識したことのなかった壁にぶち当たった中で、好き勝手なことを言われることや、それに対して明確に反論できないことに苛立ち、妊娠9ヶ月で大学院入試を受けて、育休中に修士論文を書き上げた。その論文に加筆修正したのがこの本。
「そもそも大企業の総合職なんか、世の中の超少数派であって、そういう世界の狭いくだらない競争社会を降りることを大問題みたいに取り上げることが間違っている、というのもまっとうな意見だと思う。しかし、それでも、そこには悔し涙があると私は言いたかった。」と著者が書く通り、取り上げられた事例は、いずれも総合職として就職し、結婚し、出産したという、ある意味恵まれていると言われる女性たちなのだが、彼女たちが直面した葛藤と、その葛藤を引き起こしている社会構造を理論的に指摘して、ごく一部の女性たちの事例を、働いていようがいまいが、既婚だろうが未婚だろうが、子どもがいようがいまいが、女性が現代社会でどうしたってぶち当たる「女であること」に起因する諸問題への普遍性につなげた筆力は見事というしかない。
要所要所で、自分の身とひき比べながら色々なことを考えさせられた。第二子の育休から復帰して今年で10年目のこの私にしたところで、働きやすい制度が相当整っている職場に就職して、おまけに、世間のものさしで言えばものすごく育児に協力的な夫も得て、復帰後は仕事量に相当配慮された職場に配置してもらった上に、同期男性にほとんど遅れることなく昇進までさせてもらった、という、どう考えてもものすごく恵まれている立場にいる、ということは百も承知で、それでもなお、仕事と家庭の両立についての葛藤、そしてその葛藤をなぜ男はほとんど引き受けずに生きていられるのか、という疑問を抱え続けている。
この本は、また同時に、私より一回り若い筆者たちの世代が少なくとも学生時代は所与のものと考えてきたという男女平等を、おそらく筆者たちほどは信じておらず(※高校進学時、中学の同級生の女の子に「そんな学校に行ったらお嫁に行けない」と言われたのは忘れられない。まぁ、一学年10クラス中4クラスが男子クラスだったし、こんな田舎だし、女の子が勉強なんかしたって、みたいな空気がまだまだ濃厚に漂っていた時代ではあった。今、母校に男子クラスがない、と聞くだけでも隔世の感がある。)だからこそ、仕事を続けやすい職場、という視点で就職先を探した私(筆者の言葉を借りれば早い段階でジェンダー秩序に組み込まれている)が、この先、筆者のような自分より若い世代に、どんなロールモデルを示せるのか、これからは、もう少しそういうことを考えないといけない年になったなぁ、と強く感じさせてくれた本でもあった。この本が取り上げているのは、まだ子どもがせいぜい2歳ぐらい、当然就学前、という、かなり限られた期間においてのジレンマでもあって、それでも、広く読まれるべき価値は本当にある本だと思うのだけれど、女の人生、まだまだ先は長いよと、長期的な視点も必要だと、そう言わなければならない、というか、長期的な展望を抱けるような姿を見せなければならないのも、20年以上は働いてきた人間の責任の一つかなぁ、などと、いい年して今頃ではあるけれども思う。
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by mmemiya | 2014-10-22 21:25 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

日本の風俗嬢

帯から受ける印象よりはずっと真面目な本。
私の風俗業界に関する知識というと、都立大卒現役風俗嬢という肩書で山口みずかが別冊宝島に色々書いてたり、漫画家米沢りかが、ルポ漫画?「アクション大魔王」で風俗嬢インタビューをやってたりした20年ぐらい前の知識で止まっていたのだけど、ソープだのピンサロだのの基本形態はそう変わらないにしろ、風俗業界は近年、相当大きく変動しているらしい。
デフレ化・価格破壊の中で、業界で働く人(女性だけじゃなくスカウトマンとか経営者とかの男性も)の平均収入はぐっと下がり、なのにインターネット求人のおかげで参入する女性は増えて、並みの容姿じゃ風俗で働くことすら困難になりかかっている現状の中、風俗業は実は貧困者のセーフティネットにすらならない状況に至っている。また、風営法改正で無店舗業態が圧倒的になり、働く女性の危険度は増しているということなどもよく分かる。
Amazonの書評にもあったが、性病問題に全然触れていないのが意図的なのかどうなのか気になるところではあるけれど、性産業を皆無にする、ということが無理ならば、そこで働く人の尊厳、安全をどう考えるか、というのは、世の中のみんなが、他人ごとだと思わず向き合うべきことのように思う。仕送り額が少ない女子大生が働いていることも近年は珍しくないらしく、自分たちの住む世界と別の世界のことだと思うのは間違いではないだろうか。
(ただ、行政が支援しにくい問題、という本書中の指摘も、それはそれでよく分かることは分かる…。)
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by mmemiya | 2014-10-19 23:20 | 読んだ本 | Trackback | Comments(2)

家事労働ハラスメント

とりわけ新書に多いのだが、読み終わって、タイトルと中身の乖離に首をひねることがある。

この本も、題名がピント外れな気がする。「ハラスメント」って嫌がらせでしょ。個々人に対する嫌がらせというより、もっとずっと大きな社会状況の話をしてる本だと思うんだけど。

生きていく以上、食事は準備しなきゃいけないし、毎日着る物だって洗濯しなきゃいけない。
「家事労働」は全ての人につきまとう。自分でやるか、家族にやってもらうか、外注するかの違いはあれど。
そして一日は誰にでも平等に24時間しかない。労働対価の発生しない家事労働に費やす時間が多い人は、それだけ、収入を生み出す労働に費やせる時間が少なくなるわけで、何かのきっかけ一つで貧困に転落しかねない危うさをはらむ。
また、日本では、無制限に会社に勤務時間を捧げられない人(家事労働を担う人)は二流労働者として扱われてしまう。
さらに、外注化された家事労働である保育や介護といった分野の労働は、家事労働が無償評価されていることに引きずられ「専門性なんてない、誰にでもできるでしょ」とばかり、低賃金を余儀なくされている。

…大雑把にまとめてしまうと、こんなようなことが実証を挙げつつ書いてある本。色々と自分が思ってきたことがきれいに言語化されてまとめられている感じで、読むのが辛いところもあったけど、一気に読み終えた。
毎日、日付代わるまで残業してたような若い頃、「結婚?奥さんだったら欲しいけど」なーんて冗談を言い合っていたのって、日本の労働者が、家事労働を引き受ける人が家庭内に別にいることを前提にされててることが身に染みて分かってたからだよね、と改めて思う。
20年前のあの頃より、若者を取り巻く就業環境は尚更厳しく、一体、日本に明るい未来はあるのか、と、暗澹たる気持ちにさせられる本でもあるけれど、子どもを含め、これからの自分たちの未来を変えていくには、どんなことをしていけばいいのだろう。
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by mmemiya | 2014-02-28 16:23 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

ことばの発達の謎を解く 今井むつみ

娘の学校の宿題で、生まれてから今までを振り返るための写真が何枚か必要になった。
データがあるだけでプリントしていない写真というのがけっこうあって、その中から娘が選んだものを、急いでプリントに持っていった。10分ほどかかる、と言われたので、同じショッピングセンターの中の書店に行ってみると、今井むつみさんの本が目に入った。
あー、やっぱりこれだから、たまには本当に本屋に行かないとねぇ。ちくまプリマー新書の一冊で、1月に出たものらしい。

今井さんの本で読んだことがあるのは、岩波新書の「ことばと思考」だけですが、そちらも読み応えがありました。そしてこの本は(って、まだ読みかけなんだけど)ちくまプリマー(中高生向け)だけあって、より平易に、読みやすく書いてある。(中学生にはちょっと難しいかも・・・。)だからといって、内容は手抜きじゃなく、最新の知見が盛り込んである。
内容が、赤ちゃんがどうやって言語を習得していくのか、に絞り込んであるのですっきりと読みやすく、そして飽きさせない。飽きないということは、つまり、子どもがことばを習得していく過程が、いかに複雑精緻なものであるかの証左でもある。「はじめに」を読んだだけで、わくわくしてしまう。
<多くの人は、「単語の一つ一つの意味は、他の単語と独立に(つまり無関係に)覚えられる」と思っています。例えば、いくつかの自動車の例と「クルマ」という音が結びつけば、自動的に「車」ということばの意味が理解できる。あるいは赤い花や赤いシャツ、赤鉛筆を「アカ」という音と結びつけることを覚えれば、「赤」という単語の意味を覚えたことになると思っている人は多いのではないでしょうか?本書を読むと、この考え方も誤解だということがわかっていただけると思います。>ええっ?違うの? と、これはもう、読まずにはいられますまい。

欲を言えば、冒頭の、音素をカテゴリー化していくあたりなど読んでいると、バイリンガル環境の赤ちゃんの場合はどうなんだろう?などと思うのですが、それを著者(認知心理学者)に要求するのはさすがに無理ですわね。
ああ、こういう本を読んでいると、自分の子どもがもっと小さかった頃のことばをきちんと記録していなかったことが悔やまれます。ま、真っ最中にはそんな余裕は実際にはなかなかないんだけどさ。

そういえば、今度の小学校授業参観、娘のクラスは英語活動で、親も一緒に買い物ごっこ、らしい。息子のクラスは将来の夢の発表らしいんだけど。英語活動かぁ・・・授業参観でそんなことやらなきゃならん先生方もご苦労様なことです。今日、ひょんなことからうちの県の教員採用案内見てたら、今、小学校教諭の実技試験には英語もある!全然知りませんでした。いつからだろう。でも、多くの小学校の先生方は、教員になったとき、まさか自分が英語の授業をやらないといけなくなるなんて、想像していなかったんじゃ・・・。娘の担任なんか、子どもたちに、「○○くんの方が発音がいい」(○○くんは、多分英語を習いに行っているお子さんと思われる)とか言われているらしい。気の毒に・・・。で、教えてる内容がちゃんとサポートされてるか、といえば、かつて息子の授業参観で間違った文法の英語が教えられているのを見て以来、内容面のサポートについても、私は深く先生方に同情しています。そしてそんな環境で英語とやらをやらされる子どもたちもだな。「めいあいへるぷゆー?」だの「はうまっち?」(娘がこの通りのカタカナ発音で授業内容を説明してくれました・・・)だのやるより、なんぼかいい異文化学習のやり方ってありそうなもんなのに。
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by mmemiya | 2013-02-06 22:08 | 読んだ本 | Trackback | Comments(2)

献立日記

沢村貞子「老いの道連れ」は、さすがに昨日の今日で、まだ届きません。
職場の同僚が貸してくれた湊かなえ「往復書簡」読了。人間、なかなかそんな、劇的な出来事に出会うばかりの人生ではありませんが、出会うとこんなこともあるのかも、と思わせるぐらいのリアリティはあるし、叙述のテクニックもうまい。これは中編集ですが、一つ目は大体、どう転がっていくか途中で予想がついたけど、あとの二つは、へぇーへぇー、と感心して読むばかりでした。けど、自分で買って何か読むか、って言うと、多分買わないかなー。
こんなドラマティックなことばかりあったら息苦しいよね、というか、私はなんというか、小説ではこういう類の現実っぽいものではないものが読みたい、のかも。SFとかは、私にとっては、現実逃避の物語じゃなく、現実を描く手段が違うだけ、というか・・・まだ、うまく言えませんが。

そういや、先日、とんぼの本「沢村貞子の献立日記」というのを買ってしまいました。実はAmazonで注文したあと、本屋に行ったら置いてあって、うーむ、買わなくてよかったかも、などと思っても後の祭り。
黒柳徹子の寄せた文と、実際の沢村さんの直筆の献立日記が見られるのはよかった。あ、あと、沢村さんの全著作解題もあってこれはけっこう便利。

しかし、本のメインであるらしい、献立日記による献立の再現が、どーも私には受け入れにくいのだな。果たして沢村さんはこういう食器を使っていたのだろうか、とか(葉山に転居される際に、食器類もほとんど処分した、とかどこかに書いてあったな。)「いなだの照焼」に、再現写真ではかぼちゃが添えてあるけど、献立日記にかぼちゃの文字がないのに(買い物リストにも出てこないし、前後何日かのレシピにもかぼちゃは使用されていない)どういう理由でこれを添えるんだろう、とか、いちいち、細かいことが気になる。要は、再現をしきった高橋みどり氏の解釈に私が乗り切れない、ってことかもしれないが。
そういや、高橋みどりといえば「私の好きな料理の本」も、イマイチ乗れない本だったな。私、料理本好きなんだけど。買う前は、これ読んでどんどん欲しい本が増えたらまた困るなぁ、なんて思ってたのにそうでもなかったのは、まぁ、なんか、おいそれと手に入りそうもない、明治とかの古本の紹介がかなり多かったせいもあるのだけれど・・・。

ま、私としては、ご本人の「わたしの献立日記」読んでる方がいいな。他のエッセイも含め、あまりにも家事がずさんな自分としては、読んでいて、穴があったら入りたい、みたいな心境になる部分も、ないではないんだけど。
そうそう、親御さんに小さな頃から家事をしっかり仕込まれた明治の女性、といえば、幸田文なんて名前が思い浮かびますが、平松洋子さんの「野蛮な読書」によれば、沢村貞子と幸田文の対談というのがあるそうだ。ああ、それは読んでみたい。ええと、その「老いの語らい」も絶版なんだっけか。中古はすぐ手に入るとは思うけど。

この冬初めてのキムチを漬けました。このブログを見返したら、ジョン・キョンファさんのレシピで漬けるようになって、もう、9年目なんだわ。でも未だに、分量とか本で確認しないと作れないけどね・・・。(さすがに材料は忘れないようになった。)
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by mmemiya | 2013-01-24 23:15 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

野蛮な読書 平松洋子  巴里ひとりある記 高峰秀子

私は食い意地がはっているせいか、本も食べ物まわりの本が好きで、そんなこんなで自然と、平松さんのお名前を目にすることがあった。一番最近だと、沢村貞子の「わたしの献立日記」の解説かな。

その平松さんが、こんな読書家だったとは、初めて知った。
本好きの書いた本を読んでいると、どんどん読みたい本が増えてきて困るんだけど、これもまさにその典型で、出てくる本出てくる本、メモって注文したくなる。
そして、こういう読み巧者の本を読んでると、自分がいかにくだらない本に時間と金を費やしてきたか、それから、自分がいかに、素晴らしい本から大して何も読み取れていないか、を思い知らされて、どっぷり自己嫌悪につかったりする。でも、このエッセイはとにかく引き込まれます。獅子文六読みたくなったし、宇能鴻一郎の食べ物エッセイってどんなだろう、と思うし、あー、読みたい本がたくさん。絶版本が多そうだけど。

そして、平松さんの本を買う少し前に、食べ物まわりの本の一冊として出会った「台所のオーケストラ」高峰秀子。
これも名高いエッセイで、前々から名前は知ってたんだけど、買ったのは割と最近。
そして、それを読んでいると、しばしば、パリ滞在時の話が出てくるのだけれど、そのパリでの出来事を綴った、高峰さんの最初の本が「巴里ひとりある記」。

私はもともと映画には疎いし、私の物心ついた頃には引退していた高峰秀子が、昭和26年の日本で、どれほどの大スターだったか、というのは、実感としてはとても想像ができない。ただ、子役から始まってスターの道をひたすら歩んできた27歳の彼女が、家を売り払って遠い異国へ行き、ただの人として過ごせる場を得たことで、いかに楽に呼吸ができるようになったのか、を思うと、胸に迫るものがある。それは確かに、フランスではなくても、日本から離れられたのならどこでも良かったのだろうし、徳川夢声との対談で「半年ぐらい行ってなんか得られるんなら、みんないくわよ。(笑)」とご本人が述べているとおり、その半年で、これを得た!と明言できるものはなかったのかもしれない。それでも、たとえば私も2年のパリ滞在で何を得た、と言われりゃ何も答えられないけれど、それでも、その2年がなければ私は今とは違っていただろうな、と思うのと同じように、半年のパリ滞在は、確かにその後の高峰秀子を変えたのだろう。

なにしろ、着くまでが遠い。次々といろんな都市に寄港して、飛行機を乗り換えて、やっとのことでブラッセルから「ブールジェ」に着くのだ。ル・ブルジェ!エアショーを見に行ったことがあるので、あそこがかつて空港だった(今でもプライベート機は発着するらしい)ということは知識としては知っていたものの、オルリーじゃないのか、と驚く。調べたら、この時代、オルリーももう開港してたようだけど。
在外事務所ってなんだろう、と考えて、そうか、サンフランシスコ条約前だから、大使館なんておけないのか、と気がついたり。「日本の在外事務所が昔の大使館に移ったレセプション」で「セット・アヴェニュウ・フォッシュ」へ向かう、などという話も出てくる。そっかー、そんな昔から大使館の場所はあそこなんだー、みたいな。(一瞬、サントノレ通りの大使公邸と頭がごっちゃになったのですが、あっちはいつからあそこにあるんでしょうな。)
そんでもって、パリの街にはオートバイが溢れていたそうな。そんなパリ、もちろん、私は知らない。知らないんだけど、前に、石井好子さんの「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」読んだときも思ったんだけどそれでもなお、ここに出てくるパリも、チラチラと、私の知ってるパリと地続きだよなぁ、という感じがしてくる。通貨の単位だってフランなんだけど(私はユーロは全然わからないのです)、1960年のデノミ前なんで、金額は???ではあります。私の朝食は150フラン、と言われて、で、高級レストラン行くと2,000フランとか、うーん、私の感じる通貨価値の10倍換算ぐらい・・・とも違うのか。5倍ぐらい?1960年に行われたのは100分の1のデノミで、1968年にもう一度切り下げが行われた、と、Wikipediaには書いてあったけど、当然、インフレとかもあるので、値段のところだけは今ひとつ伝わりません。かといって、当時の日本円に直されても、これまた分かんないことは一緒なんだけど。

と、話はすっかり横道にそれてしまったのだけれど、場所はパリではなくても、スタア・高峰秀子ではなく、ただの一人の日本人として扱ってもらえる場所なら、どこでも彼女は息をつけたのだろうけど、でも、彼女にとって、パリはやはり、特別な場所になったのに違いない。パリのここが嫌だった、なんて話も、多分、色々出来たんじゃないかとは思うけれど、それでも、ヘミングウェイが一生ついて回る、と言ったように、やはり、パリには何か、うまく言葉にできないけれど、それだけの力があるような気がしている。

他にも何冊か、読みかけの本を抱えてるんだけど、今、ほかに読みたいのは、沢村貞子の「老いの道連れ」です。どうも絶版らしいのですが、つい、注文してしまった・・・。
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by mmemiya | 2013-01-22 22:16 | 読んだ本 | Trackback(1) | Comments(0)

金の仔牛 佐藤亜紀

バタバタしてたら、大蟻食さまの新刊が出てるの、ちっとも知らなかったよ。
「メッテルニヒ氏の仕事」が雑誌に連載中で、そのうち本になるだろうことは知ってたけど、「金の仔牛」はまったく知らなかった。

これがなんと、18世紀フランスを舞台にした、バブル経済小説!びっくり、と思ったけど、さすが大蟻食様、読みだしたらホント、やめられないとまらない、なのですわ。
題材となったのはヨーロッパ三大バブルのひとつと呼ばれた「ミシシッピ計画」だそうで、全然知らないものだったのですが、予備知識なしで十分楽しめ、ついでに言うと、18世紀フランスなど知るわけがない私が、いやー、きっとこうだったんだろうなー、と、その雰囲気に浸ることができるのは、佐藤亜紀ならでは、でございます。
(なお、ミシシッピ計画はあくまでも背景なので、それ自体についての解説は本書にはなく、これを主導したジョン・ローという名も出てこないのですが、Wikipediaにも出ているぐらい有名な出来事・人らしい。)

そういえば、かなり前の作品だが「1809」(ナポレオンのウィーン侵攻が背景にあるが、ナポレオンはちらっと遠目で出てくるだけ)に関して、「当時の無名の個人が書いた回想録などをフランスの国立図書館で読みあさった」とご本人から聞いたという方がいらっしゃいました。細部のリアリティがそういう資料で裏づけされてるので(モノの値段とか、人々の服装とか、色んなところがね)読んでて安心感があるのでしょうね。

まぁホント、自分が時代小説なんてものをちょっとでも書こうとしてみりゃ分かりますが、登場人物が一箇所にじーっとしてるならともかく、ちょっとでも動くなら、横に当時の地図でも置いてなきゃ何も書けないし、食事でもさせようとすりゃ、何時頃にどんなものを食べるのが普通だったか調べにゃならん。(1日何食とるのかも、時代によって、階層によって違いますわな。)登場人物をちょっと描写しようと思えば、当時の服装を知らなきゃならん。現代ものやらファンタジーものやらと、そのへんはだいぶ違いますわな。
なお、佐藤作品は、説明ってものをほとんどしないので、例えば、「フェリポーの帳簿を預かってた」と書かれるだけで、こっちは「フェリポーって誰」なんですが、別に、わからなくても読めることは読めます。なんかすごい人なんだろう、とは分かるので。「オピタルの帳簿が見たい」と出てくるオピタルは、深く考えず、あ、きっとあそこ、と、オテル・デューに変換してた(で、多分、あってる)。なんでだろう、と読み返すと、「シャトレの前を抜け、川を渡ってオピタルの脇まで行く」って文章があった。

私は数字に疎いので、作中に数字が頻出しはじめると、そこはもうすっ飛ばして読んでる感じなのですが、実際にはバブル経済の話なんで、どんどんどんどん膨らんでいく数字のマジックこそが読みどころなのでしょう。そして単なる株の売り買いだけじゃなく、新たに出現した「紙幣」というものの胡散臭さ、そして株やら紙幣やらを元に、とんでもなくややこしい賭けを行う主人公たち。一筋縄ではいかない人間が何人も何人も出てきて、手を取り裏切り人間関係が錯綜し、でも、巻頭の登場人物紹介ページはホント余計だよ!と思うぐらい、人物はしっかり書き分けられてて生き生きとしてる(あ、ただ、アルザス出身の三つ子だけが誰が誰だか分からない・笑)。最後まで主人公がどうなるのか、手に汗握ってハラハラ。舞台は豪華でとにかく楽しいなんてもんじゃない。
オペラを見に行く場面もあるが、「金の仔牛の歌」という歌が出てくるグノーのオペラ「ファウスト」(私は見たことはないんですが)は、この小説の始めから終わりまで、通奏低音のように鳴り響いているのかもしれない。(注:当然ながら、作中で見に行くオペラはファウストじゃないです。)おお、なんというか、この小説自体も、どことなく戯曲風でもありますな。

いやー、本当に、読み始めたら一気でした。もう一度、数字を飛ばさず真面目に読み直せば、きっと、経済の勉強にもなるに違いない。
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by mmemiya | 2012-10-21 20:38 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

かもめホテルでまず一服

この間、書いたように、高山なおみさんのエッセイが、私はどうも駄目なんですが、フランス日記を読む限りでは、あれかなぁ、固有名詞の扱い方がニガテなのかも。(本業の料理の方はこの方のレシピをまだ試したことがなく、判断できない。試そうと思ったことがないのはなぜだろうな。)
いやまぁ、旦那さんを「スイセイ」と書くのは別にありなんだろうけど、それが夫だ、という説明がどこにもないんで、高山さんについて予備知識のない人間には、??って感じなんですよ、最初のうち。
そりゃまぁ、こんなネット時代ですから、ご夫君かな?と思って検索したらその通りだったけど、冒頭で、私、息子さんかなんかだと思った(爆)。なんでだろ、名前呼び捨てだから、息子?みたいな。
その後も次々、○○ちゃんとか××さんとか出てくるんだけど、その人がどういう人か、なんの説明もないので、こりゃー、内輪向けの文章なのかなー、まぁ題名の通り、日記ならそれでいいんだけど、公刊するものとして、こんな、初めて読む人間を拒絶してるようなものってなぁ、と思う。旅の部分も、読んでて何か目新しい発見があったわけでもないしなー。古本で買っておいてなんだけど、古本屋行きかな、こりゃ。

旅に関するエッセイで、その後、関川夏央の「かもめホテルでまず一服」を読んだ。私はどうも、関川夏央と夏目房之介がごっちゃになる。「夏」しか共通項ないのに。あれか、関川さんが「坊ちゃんの時代」の原作者だからか。関川さんは別に、夏目漱石の孫じゃない、うん。この方の淡々としたエッセイは嫌いじゃないです、って、「中年シングル生活」しか読んだことなかったけど。
「かもめホテル・・・」は、異国での、あ、いや、一部、日本での出来事をあれこれ綴った(それぞれ関連性は特にない)短いエッセイを集めた本。関川さんと言えば韓国だけど、この本には「思うところあって」韓国での話は一つしか入っていない。1981年から1986年までの文章、ということだから、日本人にとって海外旅行とはまだそんなに身近なものではなかった筈の時代で、でも、ぼちぼち、団体旅行とかで海外に行く人も珍しくなくなっていたような時代?田舎の子どもだった私の近くには、この間、海外に行って来たわ、なんて人、全然いなかったように思うけど。

ポルトガルの話がいくつか出てきて、革命、なんて単語が出てきたりしたので、そういえば、近代ポルトガル史って、私、何も知らないな、とネット検索などしつつ読み進める。恥ずかしながら、スペインのフランコは知ってても、サラザールって誰だ、みたいな。私にとってのポルトガル史って、完璧、大航海時代で終わってる。やれやれ。
私、リスボンをはじめ、ポルトガルの観光地、そこそこまわったのに、これ読んでてもほとんどリスボンのこと思い出せないし・・・。これはまぁ、理由ははっきりしてて、人の後をついてまわるだけで、楽をしてたから、である。当時、ポルトガルに住んで5年ぐらい経ってた大学時代の友人(今も住んでるので、もう15年以上になるのか・・・)に案内してもらって、勿論、言葉も全部しゃべってもらって、全部やってもらってまわったもんだから、覚えてるのはいくつかの風景とか、ヴィーニョ・ヴェルデがりんごみたいな味で美味しかったとか、そんな程度になっちゃってます。ああ、もったいない。彼女がタクシーの運転手さんとしゃべってたりすると、「今、そこへ行くには道が二通りあるけど、どっちの道にする?って聞かれたの?」みたいに、漠然と分かるような場面もあったけど、とにかく自分で言葉を理解しようとか、通じさせようとか、全然しなくて済んだしなー。おお、パリで運転手をしてた、という運転手さんとフランス語で会話はしたけど。(パリはポルトガル第三の都市という冗談があるって、彼女から聞いたな。つまり、それだけポルトガルの人が多いということなんだけど。)

いくら異国へ行こうと、受身でいる限り、ああ、綺麗だったね、ぐらいしか、自分の中に残るものはない。せっかく、全く違う環境にいて、今まで知らなかったやり方で、何かを見ることができるようになるかもしれないのに。
関川さんのこの本は、わざわざ金と時間をかけて遠くまで旅するより、こんなエッセイを読むほうがよほど、自分の糧になることもあるかもしれないと思わせてくれる、さりげないけれど、知らなかった世界を切り取って見せてくれる、読み返してみたくなるエッセイ。
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by mmemiya | 2012-07-26 22:32 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

Boy's surfaceは難しい・・・

Self-Reference ENGINEが大いに気に入ったので、ってことで次に読んだ円城塔作品は道化師の蝶なんですが、これはなんというのか・・・レース編みを見たときに、「このレース模様にはこんな意味があるのでは」とか別段考えず、きれーだなーと見とれればいいように、「この物語の意味とは何か」などと考えなくても見とれる小説っての、それはそれでありなんでないかな。言葉を使ったレース編み。そこまでうっとりとできるものかというと、ちょっとまだ判断保留ではあるのですが。イメージは美しいな、と思いますし、面白く読みはしましたが、Self・・・みたいにウケる、ってタイプの作品ではなかったです。それはしょーがないか。

ならSFならなんでも楽しく読めるのかといえばさにあらず、「Boy's surface」は、読み始めては見たものの、いや、面白いんだけどさ、ちょいと難しいのは私が理系ではないからなのか。

それにしても、なんでこの人の作品を難解だと思い込んでいたか、ってのは思い出しました。kikulogで、前回の芥川賞審査のときに、村上龍がこの人の作品(そのときの候補作は「これはペンです」)を「科学的に不正確」って言ったらしいけど、どこをどのように不正確だと思ったんだ?って話があったんですよ。かなりコメント欄が延びたんですが、そこで繰り返し「読みにくい」というようなことを述べてる人がいたんだわ、そういや。
まぁ読者を選ぶのは確かなんだろうけど、そんなこと言ったらハーレクインだって読者は選ぶし、少なくともこの人の作品は、多少SFとか幻想文学系を読んだ経験がありゃ、読み通すぐらいはどうってことない気はするんだけど。
もっとも、私は、普通の人の平均的読書傾向(って、そんなもんどーやって出せるのか、って話はあるけどね。売り上げ数で決めるのか。)よりはSFを読んでるとは思うんですが(高校生の頃とか、SFとミステリしか読んでないに等しい)そんでも自分をSF者とは思えないなー。日本人作家の作品なんてホンの少し(しかも1970年代~80年代初頭ぐらいの作品のみ)しか読んでないし、海外作品にしたって、オールタイムベストみたいなのに出てくる作品、けっこう読んでないの多いし。(ソラリスとか地球の長い午後とか、あー、バラードも一作も読んだことないしなー、などと、今、試みに、とあるオールタイムベスト海外編100作をチェックしてみたら13作品しか既読がなかった。)

Self-Reference・・・の中とかにも、多分、読む人が読めばにやりとする、みたいな部分がたくさんあるんだろうなぁと思う。もちろん、知らなくても楽しめるけど、知ってるとなお美味しい、みたいなものね。文庫版P315 の最後のほうに、人間を凌駕するぐらいになっちゃったコンピュータが「われわれはデイジーデイジーと歌うつもりはないし」と言ってる部分があって、おお、これはクラーク(別の場所でモノリスって単語も出てきたし)、と思ったら違いました。もともと、IBMのコンピューターが1961年に歌った「デイジー・ベル」って歌があるんだそうですね。世界で初めてコンピュータが歌った歌なんだそうで。で、それを踏まえてクラークはああいうシーン(2001年宇宙の旅に出てきます。映画でもあるんだろうか、あのシーン)を描いたんだと。全然知りませんでしたわ。

まぁしかし、当分、読んで楽しめる本がたくさんあって嬉しいことです。来月、早川から、円城&伊藤作品がそろって(またも!)文庫化されるんですが、それも注文しちゃったよ(両方とも)、おい。
ずーっと、小説って読まなくなったよなぁ、と思ってたけど、このところ、思えばなぜか、小説に回帰しているな、私。なんでだろう。
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by mmemiya | 2012-02-28 21:29 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)