La Lune Lunatique

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きょうも料理

以前に触れた「変わる家族 変わる食卓」の続編、「<現代家族>の誕生」を読み返していた。
「変わる~」で調査対象となっていた現代主婦(というのは、この本の定義では、1960年以降生まれの子どものいる主婦)の母親の元を尋ねていって、インタビューを行い、「なぜ、家庭の食は崩壊しかかっているのか」を読み解こうとする本。

<「現代主婦」の母親たちは、戦中戦後の欠乏時代、食に非常に恵まれず、やっと回復してきてからは、自分の母親の料理より、雑誌などで見るような洋食などにあこがれてそれを作ってきた>とか、<敗戦でそれまでの価値観が全く変わるのを体験して、子どもに何か教えようにも「自分が古いかも」「自分が重要だと思ってきたことも価値がなくなるのかも」と、自信を持って何かを伝承することが出来なかった>とか、<この母親たちが子育てする頃、育児書では「子どもの個性尊重」とか「本人の意思が大事」とか言われていたので親が子どもに強制することが減っていた>とか、まぁ色んなことが出ているわけです。

で、著者は、<本を見てごちそうを一度だけ作る>能力と、<日々の料理を作り続ける>能力は違う、と最後の方に言ってますが、これは本当にその通りでしょうね。
主婦のしんどさって、例えば自分がちょっと食欲がなかったりしても、家族の食事はいつもどおり作らなきゃいけないとか、そういうところにあると思いませんか?「きょうも料理」じゃないけれど、「あー、きょうの献立何にしよう、もう考えるの面倒くさい~」と思いつつ、日々の食事を作る能力。それが、現代主婦から失われつつある、と言われると、確かにそうかもしれない。

ところで本書「<現代家族>の誕生」の書評をAmazonで見てたら、「これじゃあ、まるで、戦前には、伝承すべき<家庭料理>があったかのようだ。それは違うんじゃないか」といったような評があって、また膝を打ちました。
えーっと、「アメニモマケズ」じゃないけれど、明治・大正期の庶民の食事って、多分「米と味噌汁と少しの野菜」ですよね~。せいぜい、たまに魚。肉なんて、飼ってる鶏をつぶすぐらいしか入手手段がないに等しい。
で、野菜も、自然に任せていると、とにかく、一時に同じものが大量に採れるんですな。漬物などはそれを保存する手段ですが、基本は多分、来る日も来る日も、ひたすら同じ野菜を食べ続ける。2週間とか一ヶ月とかね。すると、野菜が入れ替わっていく。これでしょう。
 義理の父の家庭菜園のおかげで、我が家もそれに近い生活を送り続けているので、実感として分かるのですが、これって「きょうの献立どうしよう」じゃないんですよ。「この茄子をきょうはどう食べよう」なんです。ま、もちろん我が家は、<メインディッシュは何にしよう>がありますけどね、肉も魚も食べてますから。
調味料の種類も限られていた昔のこと、また、調理手段は煮るか焼くかの時代でもあり、多分「茄子をどう食べよう」といっても、そうそうバリエーションはなかったと思うんですよ。で、恐らくは、毎日毎日、同じような食事の繰り返し。それを誰も疑問には思ってこなかった。

…そう思うと「きょうの献立何にしよう」「ああ、きょうもまた料理…」は、せいぜい、ここ50年ほどの主婦の悩みであって、比較的新しい課題なのでしょう。そしてその課題への対応に、既に2世代目にして息切れが始まっている、と。

私自身、この本に出てくる典型的な娘で、自宅で母の料理を手伝ったこともなく、食事を作ったこともほとんどありません。ところが、大学生になって4年間、私は、基本的に毎日、夕食は自炊していました。コンロは電気で一口、冷蔵庫には冷凍室なし(ビジネスホテルにあるような小さな冷蔵庫が備え付けでついていたんです)電子レンジなし、といった劣悪な?条件の下で、オーブントースター(魚のホイル焼きをよく作りました)や、ホットプレート(フライパン代わり)を駆使しつつ、大した料理ではないけれど、とりあえず毎日作ってました。
今の私の毎日をこの経験が支えているのは間違いなく(冷凍食品を滅多に使わないのも、この頃、使いたくても使えなかったせいだと勝手に思っている)、それにしても、毎日食事を作っていたことに、親も驚いていたけれど、一番驚いていたのは自分だったという。
学生で、比較的時間にゆとりがあったから、というのは否めないですが。最初の一人暮らしが就職してからだったら、どうなっていたか分からない。
それにしても、あれが4年間続いたのはなぜか、未だに自分でもよく分からないのですね。分かれば、何か自分の子育てにも有益なヒントをつかめそうな気がしますが。
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by mmemiya | 2006-08-30 05:21 | 料理のこと | Trackback | Comments(0)

行きつ戻りつ

またしても、トイレトレーニングの話題で恐縮です。

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by mmemiya | 2006-08-29 21:19 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)

助産行為関係の追記

産婦人科での助産行為事件に関しては、院長が開きおなった後一転謝罪、とか、分娩後期でも看護師が内診をしていたとか、色々話が出てきているけれど、少なくとも、世の中の、看護師が「助産行為」をやっている病院を全部取り締まったら、事態が良くなる…という話では、全くないだろうな、というところがなにより哀しい。

違法行為とのつながりで言えば、医師じゃないもの、あるいは医師の指示を受けていない者が仕事として医療行為をやっちゃいけないのは勿論なのだけれど、じゃあ医療行為とは何か、という話があって、助産行為同様、それは法律とかに列挙してあるものではない。おかげで、国が「これは医療行為ではない」という通知を出すまでは、ヘルパーさんが利用者さんの爪を切ったり、薬を飲ませたり、座薬を入れたりというのも医療行為だ、ということで、ヘルパーさんはやっちゃいけないものとされていた。
今回の、看護師の内診について、それは助産行為なのか?という疑義が呈されているのも、これと同じことだ。爪きりだの耳掃除だのが医療行為といわれれば、そんなアホな、と笑い飛ばす人は多かろうが(詳細はこちらを参照してください)、医師の指示の下に看護師が行う「医療行為」と、「助産行為」(医師か助産師しかできない)を分けるものは、じゃあ何なのか?

なにより、実態として、数多くの産婦人科で、看護師の内診は続いてきた。実態があるから認めろ、というのは間違っているだろうが、さりとて、そんな産婦人科を次々検挙していけば、ただでさえ激減しているお産の場が、ますます減る、ということは、みんな分かっていたはずなのに。
厚生労働省が、この問題について話し合いを続ける、という態度だったこと自体、それが分かっていたからなのだろうに。
助産師資格を持っている人を揃えさえすればいい、という問題でもまたなく、10例ほどのお産を取り上げて(少子化とか、医療事故への恐れ等から、助産師資格を取るための、このお産を取る経験が、現在、なかなか何件もできないそうですが)助産師資格を取ったものの、その後、看護師として、お産に関係ないまま働いている、という人も、世の中には大勢いる。そういう人たちをかき集めたからといって、じゃあ、看護師しかいない医院と比べて安全なお産ができると言えるのかどうか。

少子化が問題だ、問題だといわれ続けているのに、安心してお産のできる場所がどんどんなくなっていっている、というこの現実。
お産は病気じゃない、昔はみんな自宅で産んでいた、と言われても、それでもやはり、母子の命に危険が及ぶこともあるお産。
万全の体制を整えたところで、妊産婦死亡や早期新生児死亡がゼロになることは絶対にないけれど、安心して妊娠できる環境を取り戻すために、今、私たちにできることはなんなのだろうか。
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by mmemiya | 2006-08-29 21:11 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

悪い病院なのねぇ~で終わる問題ではない

<横浜の病院>准看護師ら助産行為、神奈川県警が捜索開始

第一報をネットで見て驚いた。
この問題は、もう長い間、医師会と厚生労働省その他、関係団体の間で揉めている問題で、実際のところ、現在でも、看護師が助産行為をしている病院など、他にいくらでもあるだろう。(私が第二子を出産したところでも、陣痛が来て最初に内診をしたのは助産師ではなかった。看護師なのか準看護師なのかまでは、尋ねなかったし、知らないが…)

「医師一人では、特に分娩第一期に、何度もお産の進行状況を確認している時間がない。かといって助産師はそんなに大勢いない。だったら、看護師に適切な研修等を実施して、医師の指示の下、内診行為(更に具体的には、子宮頚管の状態、児頭の下がり具合のチェック)をさせればよい」「このままでは、分娩の取扱いを続けられない医療機関が更に増える」という意見が一方であり、他方では、「子宮頚管の状態と、児頭の下がり具合を診るだけの行為を、他の行為と切り離せるのか。それ以外の、例えば児の回旋の状況などを確認して、なすべきことを総合的に判断しなければいけないのではないか」「助産師資格を持ちつつ、看護師として働いている(助産業務をしていない)者が相当数おり、その人々を活用すべきではないか」などといった意見あり。
で、「助産行為」の見直しについては、少なくとも厚生労働省においては、まだ、別途議論する、ということになっていたはず。
参考URL

そんな中で、このニュースである。厚生労働省の判断と県警の判断というのは無関係なのかもしれないけれど、話し合いに全く決着がついていない段階で、いきなり家宅捜索。容疑が保助看法違反ときた。医師側にしてみれば驚天動地の出来事ではないか。

最近、何かと言えば、医師が逮捕されたりというニュースが世間をにぎわせるけれど、まさかこの問題で、こんな唐突な捜索が行われるとは私は思わなかった。もちろん、背景には、一人の妊婦さんが亡くなっている、ということがあるわけだけれど、その死亡と、看護師の内診行為とに、果たして因果関係があるのか。あると言えそうと踏んだから、捜索に至っているわけか?(素人考えでは、そんな立証、ものすごく難しいのでは、と思えるのだが…)

私は専門家ではないので、助産行為とは何か、とか、それを助産師ではなく看護師が行うことの是非、とか、助産師の受けた教育と看護師の教育の違い、とか、そういったことは何も分からない。分からないけれど、専門家の間でさえ、どうすべきなのか意見が割れている問題で、そう単純に、善だ、悪だ、という結論が導き出せるとは思えない。
根拠となる厚生労働省の通知にしたところで、保助看法そのものには「助産とは何か」の定義はないから、「助産行為を看護師がやるのは違反」というなら、じゃあ助産行為とは何か、から話を始めないといけないのに、厚生労働省が一方的に通知しているだけ(=その通知は厚生労働省側の法解釈であって、そもそもその法解釈でいいのかどうか)という話だって出てくるのだ。

少なくとも、これは、「うわぁ、悪いことしてた病院だったのねぇ~」なんて、単純な結論を導き出せるような話ではない。
そして、今現在、この病院で出産を予定している妊婦さんたちは、どこで出産の日を迎えるのか?突然助産師を大勢雇えと言っても無理な話。かといって、これだけお産ができる病院が減っていると騒がれているご時世に、他の医療機関が引き受けられるのか?

なにより、これで更に、お産を扱う医療機関が激減したとしたら、どこの誰が、どんな責任を引き受けてくれるというのだ?
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by mmemiya | 2006-08-25 00:29 | 日々雑感 | Trackback | Comments(4)

地蔵盆

実は、初めて聴いた言葉だったのだけれど、今日8月24日(あるいは7月24日)は「地蔵盆」だそうで、うちの子たちの通う保育所に隣接するお寺でも、今日はそのお祭りが行われました。

ちょっとネットで調べてみたら、関西方面では盛んなんだそうですね。「十日戎」は知ってたけど(あれも、大阪に住んだときに初めて知った)「地蔵盆」は耳にしたことなかったなぁ。
ま、子ども向けの行事のようだし、そもそも大学生なんて地域コミュニティとほぼ無縁の生活ですから、知らなかったのもむべなるかな。ネットで見ていると「日本のハロウィンみたい」なんて書いてあるところもあり、確かに、子ども達がお菓子をもらえたり、楽しそうですね。

で、今日は、浴衣を持って保育所のお迎え。・・・と思ったら、サンダル(ぞうり代わり)忘れた~!浴衣なのに足元はスニーカーという、やや(いえ、かなり)間抜けな姿。子どもたち、ごめん。

ともあれ浴衣に着替えさせ、18時ちょっと前に、お寺の境内に移動。般若心経の読経の中を、順番に、お地蔵さんにお参りしていくのですが、大勢の園児たちが来ているので、まず、お参りに時間のかかったこと!下の子など、お腹を空かせてすっかり不機嫌。(お迎え時間のもっと早い子達は、家で腹ごしらえをして出てきているのかもしれないけれど、うちはそもそも、いつも18時近くがお迎えなんで…)
それから、各クラスごとに記念撮影。で、盆踊りをしたり、出店のフライドポテトやカキ氷を食べたり、ヨーヨー釣りをしたり。(ちなみにこれらは、お寺の方から園児たちに無料券をいただきました。)盆踊りの中で「すいかの名産地」も流れておりました。

おかげで、今日の子ども達の就寝は、ちょっと21時をまわってしまいましたが、子どもたちには楽しいお祭りだったようです。
親の方は、来年に向けて「おにぎりとお茶ぐらい持参したほうがいいのかな?いや、なによりぞうりを忘れない!」など、色々と反省点をぶつぶつつぶやいてみるのでした。

どうでもいいけど、たまに般若心経を耳にすると、「これぐらいの長さなら覚えられるかも」と思うんですが、どうにも最初の方と最後の方、あわせて5分の1強ぐらいしか記憶に留められない私…。別にちゃんとした仏教徒でもないので、覚えなきゃならない訳は何もないんですけどね。
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by mmemiya | 2006-08-24 23:17 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

喜びと、感謝と、敬いの心を持って

最近、娘が本当によくしゃべるようになった。そして、気づけば、かんしゃくの回数が減っている。
もちろん、自分がやりたいこと(娘の場合、主に「これは食べたくない、あれがもっと食べたい」)が認められないと泣いて怒りはするけれど、どうして怒っているか分からないかんしゃくと違って、こちらもラクだ。
2歳2ヶ月って、こんなにしゃべったっけなー、と、早くも、息子の時のことは忘れてしまっている。でも、考えてみたら、娘が生まれたとき、息子はちょうど2歳2ヶ月で、そういえば、前駆陣痛で早朝、病院に走り、結局すぐに帰されて、息子を保育園に送り出した日、「きょう病院行った。赤ちゃんもうすぐ!」などと先生に息子が語った、との記録あり。まぁやっぱり、同じようなものだったのかしら?
息子の場合と違うのは、娘には、常に「にいに」という刺激があるので、とにかくにいにの口真似ばかりしていること。最近の娘のブームは「どうして?」責めだけれど(例:どうして止まってるの? どうして赤いの?)これなども兄ちゃんの影響もあるのかも。なにしろ、保育所への往復の車の中で、二人から「どうして」「どうして」攻撃にさらされ続け、疲れきることもしばしば。

喧嘩になっても、このごろは「にいにがCちゃんのかみのけひっぱった~!」とすぐに訴えに来る。もっとも、息子によれば、先に手を出すのは大抵娘なんだそうですが。

二人の会話から、保育所生活も垣間見える。すいかを見れば「すいかのめいさんちー、ほいけんでおどっとるよー」と娘が言い、息子も踊ってくれる。(それにしても「すいかの名産地」って何??お遊戯らしいんですが。)
食事の前に、息子が(お当番さんになりきって)「手を合わせてください」と言えば、「あわせました!」と娘。
この、給食前の挨拶が、なんだかものすごく長いのだけれど、最後は「喜びと、感謝と、敬いの心をもっていただきます」なのだそうだ。
4歳児にも2歳児にも、まったく意味は分からないであろうこの言葉、しかし、三つ子の魂なんとやら、いつか、言葉の意味が分かるようになった頃、懐かしく思い返したりするんだろうか?
娘が「うやまいの」を正しく言えないのはもちろん、息子もどうかすると「うまやいの」になっているのは、まぁご愛嬌。

ああ、願わくば、毎日、夕食を作っている母にも、「感謝」をしてほしいものですが(笑)。
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by mmemiya | 2006-08-21 23:35 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(2)

ローマにいるときはローマ人のするようにせよ

先日、ある建物を出ようとしたところ、すぐ前に出て行くヒトがいて、自動ドアでないドアが、私の鼻先で閉まった。

マナーの違いは文化の違いでもあるし、日本でそんなことに目くじらを立ててもしょうがないんだけれど、フランスへ視察旅行等にいらっしゃった皆様に、機会があれば私がご案内していたのは以下のようなこと。

・フランスには自動ドアはほとんどありません。そして、ドアを通るときは後ろを振り返り、1メートル以内ぐらいに誰かが来ていれば、ドアを押さえてその人が来るのを待ちましょう。
(ちなみに、ある本によると、日本でこれをやると、ドアマン状態になって、後続の人はドアを受け取らず、ただ通り抜けていくのだそうで。)

・エレベーターに真っ先に乗り込まない。真っ先に降りない。その場に女性がいないか確認。
※これは、日本のおじさまがホントーに無意識にやってしまわれることなんですが、女性のほうは女性のほうで、当然、自分が先に乗り降りするものと思ってますから、ぶつかりそうになるんですな。

・お店などに入るとき、無言で入らない。必ずあいさつすること。これは、「私は怪しいものではありません」「敵意のあるものではありません」という表明みたいなもので、無言でぬーっと入ってくる客って、私たちの想像以上に気味が悪いものらしいです。大袈裟に言えば強盗が入ってきたような感じなのかも?

・基本的に、夕食の席で「まずはビールでカンパイ」は出来ません。(除:日本料理店、中華料理店。)また、食後のコーヒーは、濃いエスプレッソタイプしかありません。
(※ある店で、日本人向けに薄いコーヒーを出してもらおうと思ったら、エスプレッソをお湯で薄められたことがありました。)

これは、私の勝手な決め付けなんですけど、フランスではビールというのは、清涼飲料水の一種じゃないかと思うんですよ。いや、アルコールですけどね。
例えば、ちゃんとした食事中のソフトドリンクとしてコーラを飲まない、ってのと同じではないのかしら、レストランにビールが置いてないのって。
ビールを飲む場所は、まぁ、ブラッスリーという大衆食堂(?)もありますが、それ以外だとカフェですよね。カフェで、食事時ではなく、例えば昼下がりにビールで喉を潤す。

・・・私、基本的にはビールって、お腹が膨れちゃって好きじゃないんだけれど(ぬるいビールをゆっくり飲むイギリス式は嫌いじゃないです)、久々に冷たいパナシェ(ビールの炭酸飲料割り)飲みたくなってきちゃったな・・・。
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by mmemiya | 2006-08-19 09:34 | フランス関連 | Trackback | Comments(0)

世界の温泉・お風呂

夏の疲れのせいなのか、温泉が恋しい今日この頃。

この間行ってきたエクシブ鳥羽の温泉は、なかなかお湯の質もよかったのだけれど、子連れというのもあって、十分に堪能はできなかった。なんて残念!

子どもの頃、親戚一同でキャンプに行き、その帰りにけっこう大規模な日帰り入浴温泉に立ち寄った。お湯の中を歩くための通路があったりとか、打たせ湯とか、初めて見たので感動し、夏休みの絵日記に詳しく書いた覚えがある。
そういう、色々とお風呂がある中でも、私が気に入ったのは、お湯のミストのような中でぼーっとしていること。(あれは何浴と言うのかしら?)。

温泉は好きだけれど、熱いお湯は苦手で、割とすぐのぼせてしまうので、蒸し風呂みたいなものが、一番自分にあっている気がする。
九州の指宿に、いつか行ってみたいなぁ。(指宿の割とそばまでは行ったことがあるけれど、仕事だったし足を伸ばすことはできなかった。残念!)

温泉ではないけれど、パリで、ハマムに行ってみたことがある。モスクに併設されているけれど、別にイスラム教徒でなくても入れ、風呂上りにはミントティー。マッサージなども割と安くやってもらえたのではなかっただろうか。なにしろ何時間でもいられそうな温度で、ああいうのが近くにあったら通いつめてしまうかもしれない。

ハンガリーで入ったゲレルト温泉も、そういえばお湯はぬるかった気がする。あれは別に蒸し風呂ではなくて、日本人の言う温泉に近いものだけれど。

フランスにもいくつか温泉はあって、地名に「Bain(英語で言ったらBath)」なんて入ったところもあちこちにある。一度そういう町に行ってみたことがあるのだけれど、残念ながら、温泉施設がどういう仕組み(水着が要るのかとか、そんなこと)になっているのかよく分からなかったので、結局温泉に行ってみる勇気がなかった。後から思うともったいないことだけれど。
ドイツのバーデンバーデンなんてのもよく聞く名前ですが、あそこもどういうシステムになっているのでしょう。
(イギリスのBathもちらっと立ち寄ったことがありますが、その当時はあそこには入れる温泉はなかったのです。最近、入浴施設ができたというニュースを見たような?)

そういえば、アイスランドのブルーラグーンなんて所にも行きました。これはもう、みんな、水着を着て入るところで、しかも、建物の中ではなく、屋外に広がっている温泉。なんというか、巨大な池が温泉、みたいな感じなのですね。夏でもアイスランドはそれなりに涼しいというか寒いので、あっという間に湯冷めしてしまいそうな環境でした。でもあそこも、最近はなにやら施設が出来たんだとか?

北欧といえば、フィンランドでサウナにも入りました。そうそう、タンペレという町で泊まったホテルは「タンペレ・スパ」という名前でした。(室内はメゾネットで、部屋にサウナもジャグジーもついていた・・・)。ムーミンランドのそばの「ナーンタリ・スパ・ホテル」なんてホテルも有名だし、まぁ、水着を着て入ったりする「スパ」は、日本の大浴場とはちょっと違うとはいえ、マッサージ・トリートメントなども併設された「癒しの空間」であることは同じですね。

こうやって見てみると、お風呂・温泉好きは日本人に限らず、いろんな国で、その国なりのお風呂文化が根づいている、ということかしら。
温泉は洋の東西を問わず、療養とも切り離せない関係にありますしね。

ああ、どこかの温泉でゆったり手足を伸ばしてのんびりしたい・・・。
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by mmemiya | 2006-08-18 21:59 | Voyage | Trackback | Comments(2)

食器へのこだわり

ブログめぐりをしていて、「そーよねー、結婚って異文化の激突よねー」と改めて思った。
ま、異文化は大袈裟かもしれないけれど、「フツー」と思っていることって、けっこう、個人個人というか、家庭によって違うもので、おいそれと「普通」という単語って使えないものだよな、と、結婚してみると実感することが多いのではないか。

それが、地域差によるものなら、まだしも「文化の違い」と思えるけれど、そうではない場合、その違いをどう受け止めて、どう新しい家庭のルール(?)を作っていくか?が問題になる。
(あ、もちろん、地域差でも、自分たちの家庭はどうする、というすりあわせをしてかなきゃいけないのは当然なんですが。)

私の場合、結婚して驚いたことの一つに、食器に対する考え方の違いがあった。
新生活に必要な食器をどの程度買い揃えるかで、まず意見が対立し、ま、とりあえず、確かに少しずつ買えばいいか、と、そこは私が妥協した。
で、夫の実家に行って食事をしてみて驚いた。食器類が、どこかで貰ったお皿とか、なんか蕎麦屋の出前に使われてるような感じのこだわりのなさだったことも、だけれど、なにより、夫の実家では、「自分のご飯茶碗」「自分の箸」という概念がなかったのだ。
(箸は毎回適当に配られるし、ご飯茶碗は同じデザインのものが6個ぐらいあって、お味噌汁の椀なんかと同様な扱いだ。)

食器が、言葉は悪いが寄せ集めみたいであることに関しては、妹から「男の子だけの家だし、いい食器を壊されてもねー、とか思うからそうなったのでは」という仮説が出されたのだが、それにしても茶碗共有はかなり驚いた。

ちょっとネットを彷徨うと、「MY箸、MYご飯茶碗は日本の文化」みたいな記述が多くて、じゃあ、夫実家は日本の家庭ではないのかよ、と突っ込みを入れたくなるが、日本の中でもかなり少数派の家庭なのでは?

この点に関しては、私が譲れなかったので、我が家は夫のご飯茶碗、私のご飯茶碗と決まっているが、箸は夫がかなり無頓着で、気づくとお客様用の箸(って、そんないいもんじゃないけど、ま、予備の箸)が食卓に並べられた後だったりする。

まぁ、ご飯茶碗と箸(と、あと湯のみかな?)は各自の専用で、なぜ汁椀は違うの?とか、この風習も考えてみると興味深いですが、やはり、ご飯の位置づけは特別なんでしょうかね。(あと、食べる量が各自違うから?)ところで、こういう風習って、江戸時代ぐらいまでさかのぼるのか、どうなんでしょう。

あと、夫の実家は、基本的になんでも大皿盛だ。これに関しては、結婚直後はどうせ夫婦二人なのでわざわざ別に盛り付けるのも面倒だし~洗い物増えるし~と、私も易きにながれ、我が家も大皿に盛っておしまい、がほとんど。
最近は、たまに実家で食事をすると、あまりにも使われている食器の量が多くて(どんなオカズも銘々盛り付けてあるから)めまいがするほどだ。

一人の前に、お手塩まで含めれば5つか6つぐらい食器が並ぶ、というのは、それだけ食器の数が多い、ということでもあって、実家へ行くと、食器の量にもめまいがする。そういえば、娘の初節句の時は、我が家へ両家の祖父母を招待したが、事前に実家へいき、食器を借り出したのだっけ。毎年、陶器市に出かけては増やしたりしているので、増える一方、という感じなのが実家の食器たち。

他方、我が家は、夫がとにかく「食器なんかそんなに要らない」というヒトなので、もう毎日毎日、おんなじ食器ばかり使っている。和食でも、洋食でも、中華でも。
もっとも、慣れればこれはこれでシンプルでいいな、と思う。大切なのは、色んな料理に使えそうな、シンプルかつ趣味のいい食器をどう揃えるか、ということ。

現在、我が家では、90×110×40の食器棚(じゃなく、多分サイドボードなんですが)に収まるだけしか食器はない。
ご飯茶碗4(うち子ども用2)、汁碗4、 パスタ皿2、平皿大2小5、パイ皿1、グラタン皿大中1ずつ、楕円の皿大小1ずつ、スープボウル2、どんぶり2、ケーキ皿2、角皿4、小鉢3、そば猪口(茶碗蒸し用としても)4、ラムカン4、ワイングラス2、グラス4、湯飲み8?、カップ8つかな?

一番値がはるのは、フランスから持ち帰ったベルナルドーのティーカップセット(悩んでブルーにしたけれど、淡いグリーンに金の縁取りもいいなぁ。多分、コーヒーはそちらの方が映えるのでは。)と、カンペールのケーキ皿で、これは普段は滅多に使わない。
(カンペールのほうはちょうどこのページの一番左上にある2つと同じデザイン、ブルーとピンクの皿が各1枚ある。)

他の食器は、どれも安いものばかりなのだけれど、まぁそれなりに気に入っているものがほとんど。おっと、皿というか調理道具というか、エミールアンリのグラタン皿はそういえば高かった。

普段からおかずを盛り付けるのにいちばんよく使うパスタ皿を、子どもが大きくなってきたらもう2枚増やしたいのに、その皿をどこでも見かけなくなってしまったのが非常に残念。近所のスーパーで買ったイタリア製で、これはヒットだったのに。
現在、大きいほうの平皿が一番気に入らない。そのうち、もう少し気に入るものを見つけて、これと取り替えるのが、現在の私のささやかな楽しみ&望みかな。
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by mmemiya | 2006-08-17 21:31 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

遠くへ行きたい

今日は午後から先生たちが保育士研修会とやらで、半日休んで家にいるわけですが、せっかく家にいるというのに、暑い!ふと庭を見れば、すさまじい状況が展開されているのだけれど、暑さと蚊の群れの中に飛び出していく気にもなれず・・・

車の調子がおかしい(クラッチが絶対に変!)のでディーラーに持ち込もうと思っていたけど今日までお盆休みだそうで・・・ま、そうですわなぁ。
せいぜい、車の中のゴミをなんとかしておかなければ。も、もう少し涼しくなったらね・・・

普段は、土日でも日中はクーラーなしで過ごしているのですが、あまりの風のなさに、とうとうスイッチオン。パソコンから離れればいい、って話もありますが(笑)。

ああ、蓼科は涼しかった。それに蚊がいなかった・・・と、去年の夏を懐かしく思い出します。
(年中、蚊はいないとかホテルのフロントで聞きました。)

しかし、本記事は、そういう「遠くへ行きたい」ではなく。

フランスにいた頃、よく、Yahoo!掲示板のフランス、なんてところを見ていたのですが(ヤフーの形式って、あとからまとめて話全体を追う、というのがしにくくて、今は全然見ていません)フランスへ移住したい、という人をすごくたくさん見かけて、驚いた記憶があります。
今は、日仏間にワーキングホリデー制度があるので、少しはそういう人も減ったのかしら?

客観的に見て、世界に180あまりだか国がある中で、日本というのは相当恵まれた部類に属するでしょう。食べ物に恵まれない、教育に恵まれない、紛争に悩まされ続けている、そんな国の人々が日本へ移住したい、と思っていても、驚くには値しないでしょう。

でもなぜ、”先進国”の日本の若者たちは、異国に移住したがっていたんでしょう?
それほど、この国の未来は暗く感じられたんでしょうか?

こんなことを考えたのは、ちょっと前の「ぽかぽか地球家族」で、ロングステイとかの話を取り上げていたから、なんですが。
そういえば、昔、国を挙げての「シルバーコロンビア計画」なんてので、外国の顰蹙を買ったこともありませんでしたっけ?
ま、でも、リタイア後の人の場合は、「なるべく物価が安くて温暖なところに住みたい」とか、そういう願望がたまたま異国と結びつく、ということなのかもしれませんが。

異国に住まわせてもらう条件というのは、私が考えるには、割とシンプルだと思うんですよね。

1.その国の人々の仕事を奪わない。(=お金を持って移住する。)どうしても仕事をする場合にはその国に現在いる人々では中々出来ない仕事であること。逆にその国の人々に雇用を提供するようなら歓迎される。

2.その国の福祉等になるべくお世話にならない。納めた税金より使う税金のほうが多いのは歓迎されない。

基本的にはこんな感じでは?
それでも、何か事があれば、外国人というのは敵視される存在に変わってしまうし、排斥や憎しみの対象になる。ガイジンというのは、当然といえばそうかもしれないけれど、母国にいるほど安らげないものですよね。

それにしても、客観的に見て、世界の中でも恵まれた国の若者たちが、こんなに大勢(かどうかは、ネットで見た印象だけですけど)異国へ移住したがっているって、他にあるんでしょうか?
単に見聞を広めたい、というような感じじゃなかったんですよね、あの頃、掲示板で見た書き込みの数々って。
自国の若者に好かれていないって、少子化なんかにもつながっているというか、なんかこう、日本の閉塞感を象徴している気がします。
といって、私も、もう少し寒くなく、暑くなく、少な目の資金でも老後を豊かに暮らせそうなところがあれば、心惹かれるものがない、とは申しませんが・・・(でも、体とか脳が弱ってきてからの異国暮らしは、更に辛いものがあるでしょうけどね。)

追記:これを書いた後、ちょっとネット検索していたら、イギリスの若者で国外へ移住したい者が80%だとか(数字うろ覚え)、イタリアの若者で40%だとかいう記事を発見。印象で簡単に物言っちゃいけない、という好例でしょうか。
人間、結局、どんなに恵まれていたって、自分にないものを求めるのかな~。移民ってラクじゃないと思うけど・・・
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by mmemiya | 2006-08-16 16:15 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)