La Lune Lunatique

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七五三前撮り終了

七五三写真の前撮りを済ませてまいりました。
二人とも和装させて、家族写真が一枚と、子ども二人の写真が一枚。けっこうお金がかかってしまいましたが(両じじばばと、ひいばあちゃんにも焼き増ししたため)、ちょうど二人ともお祝いといういい年齢だし、一度ぐらいプロにとって貰いたいわ、と思っていたので私は満足。
もっとも、美容院に行く暇がなくて、ハハの髪の毛はボサボサでしたが…。ま、他人に見せるわけでなし、いいのいいの。

娘の方は、最初の支度の時から割合落ち着いていて、お店の人に「さすが3歳ねぇ」などと言われ、横から「2歳3ヶ月です」と訂正する私。写真撮影中も、やや表情が硬い(緊張している)ものの、お利口な娘。対して、息子の方は、どんどんだれてきて、最後の方はもうぐにゃぐにゃ。
背筋を伸ばせ!と叫びたくなる。

まぁしかし、それなりにそれなりの写真が出来上がり、あとは本番を残すのみ。しかし、絶対、お参り終わったら着替えだな…。とてもあんな格好で、汚さず食事は出来そうにない。第一、娘のチャイルドシートったら、両足の間に金具があるタイプで、着物なんか着せて乗せたらくしゃくしゃにならないか??という新たな不安が。

ひいばあちゃんが元気なうちに七五三の写真を見せてやりたい、という思いの他に、「もしかして、オムツが取れた直後に和装なんかさせるより、いっそオムツをしてる間の方がラクなんじゃないか?」という思いもあって、数え年での祝いを選んだのだけれど、今日の娘は、こちらがトイレに誘わなくても、常に「おしっこ」と教え、一度もパンツを濡らすことなし。とはいえ、オムツを履くことを嫌がるわけでは全くないので、別に構わないのですが。

そのまま、近くの図書館に本を返しに行ってちょっと本を読んで新しい本を借りて、図書館横の公園で外でお昼にして、そのまま公園で遊んで、食料品の買い物をして帰宅するともう夕方。
ああ、あしたは町内の運動会(頼み込まれて夫が玉入れと綱引きに出るのです。って、それをOKしたのは私ですが…)だし、ああ、部屋の掃除と衣替え、一体いつするんだ!
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by mmemiya | 2006-09-30 21:55 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)

子どもの悩み、親の悩み

月曜日の帰りのこと、息子が、「お母さん、保育園に行くのは、明日で最後にしたい」と言い出した。「もう行きたくない」ではなく「明日で最後にしたい」。そんな言い回し、どこで覚えたんだ、ということはともかく、何があったのか聞いてみると(断片的にしか語らないというのもあって、聞き出すのに夜寝る直前までかかったが)、<一人一つまでしか使えないおもちゃを二つ持っていた子がいたので注意したけれど、その子は二つとも離そうとしないので、一つを息子が取り上げたら、その子が怒って、息子はパンチされそうになった、あるいは、された>ということらしい。

その子というのが、先週末、保育園との連絡帳で「○○君に叩かれたとKちゃんは言うのですが、保育士が見ていたところでは、二人はずっと離れて遊んでいて、そのようなことはありませんでした。○○君に対して何か思うところがあるのかもしれません。おうちでは何か話していますか」と書かれていた、まさに○○君。

「そうかー、決まりを守らないのは良くないねぇ。でも、口で言うだけできいてくれるといいねぇ」
「聞いてくれないもん」
「そうかー、じゃ、K一人じゃ言うこと聞いてくれないかもしれないけどさ、他のお友達と一緒に<一つは他の子にあげて>って言ったらどうかな?」
などと話していると、今度は翌日、
「Kはそんなことしていないのに、○○君が<Kにばりかかれた>と先生に言った。先生はKの言うことを信じてくれなかった」と、入浴中、父に語る息子。

4歳児が語ることというのは、別に嘘をつこうと思っていなくても、事実と空想がごっちゃになりがちなもの。(と、この間読んだばかりの「3歳から6歳―保育・子育てと発達研究をむすぶ 幼児編」に書いてあった。)
ひとまず「そうかー、それは口惜しいよねー。嫌な気持ちになるよねー。」と応えておくが、連絡帳で聞いてみたところ、やはり、先生方に思い当たる節はないとのこと。
しかし、翌日も、○○君が別の名前になっただけで、また同じストーリーを父に語る。母にはしゃべらず父に、ってところにどのような意味があるのかはちょっとつかめないのだけれど、なんかこう、先生に対してわだかまりがあるのだな、と思い、「ちょっとお母さん、さっきの話聞こえちゃったんだけど、だれ先生が信じてくれなかったの?」と聞いてみると、担任ではない先生の名前が出てくる。
その先生に叱られた、とか、そういうことがありましたか、と連絡帳で聞いてみたところ、「どんな理由があっても、お友達を叩くのはいけない」と注意された、とのこと。
妹との日頃のやりとりを見るに、恐らく、ルールを破っている友達を注意している、といっても、その時、手が出ている可能性が十分ある息子である。それで叱られて、その先生に対してわだかまりが残っている、というのは大いにありそうなことだ。
とりあえず、出来事に対してのコメントはせず、「それは口惜しいよね」「淋しいよね」と、感情面に焦点を当てて返事をするよう心がけていたら、なんとか週末には元気を取り戻してきたようだ。

子どもの悩みっていうのも、だんだん複雑になってきますなぁ。下の子の、なーんも悩みなどなさそうな天真爛漫な笑顔がまぶしい。
しかし、下は下で、今度は親の悩みどころ。どーも、トイレトレーニングが、大の方だけ滞っております。本人は、ちょっとおまるに座っては見るものの「紙パンツ、紙パンツはくよう」とすぐに言い張る。そして、はかせると、じきに「紙パンツにする」と言いながら力みだす。
大人にとっては、オムツに排泄するというのは当然ながらかなり抵抗があるものなんだけれど(介護職の人などは、そういう体験を義務づけられたりするらしい。なかなか出来ないそうですよ。)、子どもというのは、オムツじゃないところに排泄することに抵抗があるものらしい。なんでそうなるんでしょうねぇ…。
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by mmemiya | 2006-09-29 22:17 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(2)

マルチミックスとフードプロセッサー

義父のモロヘイヤも、いよいよ終わり。(最近もらう野菜は茄子とピーマンが中心だ。)

この間、義姉が、茹でたモロヘイヤをフードプロセッサーにかけて、ポン酢をかけていた。
で、一度真似してみたのだけれど、今日、最後のモロヘイヤを食べようかな、と思って気づけば、今日は、フードプロセッサーの方では鶏つくねを作っている最中。またこれまで通り、適当に包丁で(超いい加減に)叩くか、と思って、ふと、マルチミックスの存在に気がついた。あれ?これでも出来るんじゃない?

ということで、ボウルにモロヘイヤを移してうぃーん。おお、簡単に出来るではないの。
まぁ、下の方に、まだ粉砕されていない葉が残ることがあるので、時々、かき混ぜることに気をつけなければいけないけど。

調味料が基本的なものしかない我が家では、ポン酢がないので、適当にレモン汁と醤油と鰹節を混ぜておく。

一方のつくねは、フープロ料理の本を買ってから、すっかり我が家の定番と化している。
鶏肉というのは、経験者なら分かるだろうが、なかなか焼くときに火が通らないものだけれど、つくねにすると火の通りがいいし、食べやすいので子どもたちにも好評。

マルチミックスは、バナナと牛乳を混ぜたり、スープを作ったりはするけれど、最近、みじんぎりのアタッチメントをあんまり使わないなぁ、そういえば。フープロの出番の方が多くなった気がする。週に3日は使っているような。
ああ、でも、もう少しすると、マルチミックスで美味しいココアを作る季節だわ…。
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by mmemiya | 2006-09-28 20:52 | 料理のこと | Trackback | Comments(0)

「子どもの話にどんな返事をしてますか?」ハイム・G・ギノット 草思社

スクーリング往復の電車内で、やっと読了。
注意欠陥障害の診断基準なんか見てると、「あ、私、こういう傾向あるよな~」という項目がいくつかある私のこと、仕事も複数同時進行、あれこれやりかけ状態だし、読書も常に複数の本を平行して読んでおりまして、今日なんか、かばんに、教科書以外の本が3冊。全部読みかけ。えーかげんにせー、自分、って感じですが。
(注意:こうした障害を自己診断するというのは決してやってはいけないことです。私もただ、「あ、これ、分かる分かる~」とか言ってるだけですので念のため。)

で、この本。すごくいいです。何度も繰り返して読む価値があると思う。
もうね、文化的な違いは多少あるにせよ(最後の方の性に関する問題のあたり、日本の親子は多分こんなにフランクに話し合えないと思う)、ついつい、「ほら、危ないわよ、ああ落っこちた、だから言ったでしょう!」とか言ってしまう親の私としては、ものすごく目からウロコです。

そんでもって、今日、社会福祉士スクーリングで「社会福祉援助技術」の講義を聴いてきましたらば、この本に書いてあったことと、全くおんなじこと言われました。言葉の二面性を理解する、相手に対して共感する、という話。
施設に入所しているお年寄りが「最近、ちっとも子どもが面会に来ない」とこぼしたとする。でも、実際には1週間前に面会に来たばかり。そこで、「そんなことないですよ、一週間前に来たでしょう?」とか、あるいは「面会に来るようにこちらから連絡しておきますね」という応答をしちゃいけない、というのです。
人の言葉を字義通り受け取るのではなく、その背後に隠れている感情は何かと考える。この間の面会が、そのお年寄りにとっては不満の残る内容だったのかもしれない。もっと子どもは頻繁に来るべきだ、と思っているのかもしれない。感情に思いを馳せて、例えば「寂しいですね」と応えることで、相手との関係が変わってくる、と。

援助関係にある人間は、友人とは違いますし、価値観も違う人間です。援助者だって人間ですから、相手が例えば怒っていることについて、「こんなことで怒るなんて、理解できない」と思っちゃうかもしれない。だけど、共感しないといけない。同情じゃなく。
「そこであなたが怒る理由は理解できない。だけど、あなたが怒っているということは理解できる」、私のまとめなんで、ちょっと間違ってるかもしれないけど、これが共感なんだと思います。怒る、という感情には誰にでもある。だから、怒っているということ自体には共感が出来る。価値観が違っていても。
あらー、おんなじことが書いてあるわー、と驚いてしまいました。

まして相手は子どもです。私なんか、相手にしているのは幼児です。言語表現も未熟です。だから尚更、言葉をそのまま受け止めるのではなく、そこにある感情を受け止め、そしてそれを、親が言語化してやらないといけない。なにしろ、子ども自身はまだ、自分の感情を上手に言語化できてないんですから。言葉にしてみると、人間、意外と落ち着いたりするものです。

つくづく、親ってのも訓練がいりますねぇ。ところで、じゃあ、急に今の親が情けなくなったのか、育児能力が低くなったのか、と言われれば、私は違うと思います。
自分の親の子育てを振り返ってみれば、やっぱ、失礼だけど未熟だったと思いませんか?私なんか、父親に感情的に叱られてばかりでしたよ。(母はあんまり感情的じゃなかったんですが…)
逆に、そうでなきゃ、あんなに「アダルトチルドレン」なんて本が流行ったりしませんって。みんなあれ読んで、「そうだわ、私は親のせいで息苦しい思いをしてきたんだわ!」と大なり小なり思ったわけでしょ?(実は私もご多分に漏れずその一人だったりしたのですが。お恥ずかしい。)
そんな状況でも、大多数の人は、どうにか育ってきたわけで、だから、逆に、少々失敗したって、それで全く取り返しがつかないわ!って訳じゃないと思えます、子育てって。
昔はただ、親にはまだ権威があったんですねー。だから、少々のことでは動じなかった。子どもへの接し方が、今の心理学とかの知識を持って見るとあまり適切でない面があったとしても、まだ親がそんなに不安にならずにいられた時代だったのではないかと思います。もちろん、戦後の価値観の揺らぎとかで、みんな、育児書とかを求めていたんだとは思いますが。スポック博士…とか。
それが証拠に、というか、この本、実は、初版はなんと、1965年に出ています。私の生まれる前。で、アメリカで大反響を巻き起こした、と。日本では1973年に「親と子の心理学-躾を考えなおす12章」というタイトルで出版。この本、親と子のやりとりの実例がいっぱい出てきて、それのどこが悪いか、どう変えたらいいか、が非常に具体的に書いてあるんですが、その「親」って、実は我々の親世代だったんですね。

いずれにせよ、いくら実例が豊富でも、実際の自分の子どもとの会話は、言ってみれば全て応用問題。一朝一夕でこの本にあるような対応ができるわけじゃないけれど、少しずつ、頑張ろう。
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by mmemiya | 2006-09-23 22:37 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)

後期スクーリング一日目終了

金曜日ということで、子どもたちは夫が保育所に送迎したのだけれど、私が先に出かける(=一緒に保育所へ行かない)と分かった途端、娘が号泣。ま、帰ってきたときは上機嫌で「おかーさーん!おかえりー!」と、二人揃って出迎えてくれましたが。

今日は授業+科目試験の他に、自由参加ですが国家試験対策等についての話があって、それに出てきたのでちょっと遅くなってしまいました。

社会福祉士の試験って、合格率が、大体3割弱なんですよ。それだけ見ると、すんごい難しい試験のようですよね。
でも、6割正解できたら合格なんです。試験科目が13科目あって、そのうち1科目でも0点って奴があると落ちちゃうのですが、0点でさえなければ、多少のデコボコがあっても、トータルで6割正解できていればいい。それだけ聞くと、そんなに難しくもないようにも思えますよね。

私の行っている学校は、通信課程と夜間課程があるんですが、夜間の国家試験合格率って、9割近いんですよ。通信は半数ちょっと。それにしても全体の合格率よりはるかに高い。
これは、どうも、この学校が特に優秀だから、というわけではなく、受験者の問題らしいんですね、今日の話によると。
福祉系の大学を出た(卒業見込み含む)人は、それだけで、社会福祉士の国家試験を受けられます。私のように、福祉系を出ていない人間は、専門学校を修了しないと受験資格がない。
で、福祉系の大学の学生が、どうも、あんまり受験勉強をしたわけでもないけど、いっちょ受けてみるか、でかなり受けるらしいんですよ。で、全体の合格率を引き下げている、と。

これが、医学部とか薬学部とか看護学部とかならねぇ。多分、その年に国家試験に受かるかどうかって、学校側にとっても大問題ですよ。だって、業務独占ですからね、あれらの資格は。逆に言うと、資格がなければ、その仕事できない。大学で勉強してきたことは、試験に受からない限り、パァですから。医学部出て、医者になれなかった人が、じゃあ、どこへ就職するか…。(そういう人、ゼロではないとは思いますけど。)
だけど、福祉系は、別に、社会福祉士取らなくても、福祉の仕事できるんです。そもそも、福祉系の大学でたからといって、福祉分野で働くかどうかもわかんない。法学部出た人みんながみんな、弁護士になるわけじゃないってのと、ちょっと似てるかも。法学部出ても、それと特に関係ない仕事をしてる人も多いだろうし。
で、学校側も特に試験対策を必死にやるわけでもなく、現役大学生の合格率は高くない。そんでもって、福祉系の大学が近年やたらに増えていることもあり、大学生が受験者のかなりの割合を占めているため、結果的に全体の合格率も低いのだそうです。そうだったのかー。
(講師は「記念受験」とか言ってましたが・・・私にとってはその言葉って、「多分受からないけど早稲田を受けてみる」とか、そういう意味の言葉だったんですけど、そういう記念受験もあるんですねぇ。)

今から過去問とか見てもねー、傾向変わるかもしれないし、来年、最新の奴で勉強すればいいやー、とか思っているので(その最新の過去問と自分が受ける試験との傾向が違う可能性は勿論ありますがね。)試験のレベルそのものもよく分かってなかったりするのですが、まぁ、それなりに試験前に集中して取り組めば(そんな時間があれば…)なんとかなるんじゃないかなー、というのが、今日のオリエンテーションで得た感触。

あと、もう一つ、自分にとっては朗報だったのは、「社会福祉法人系の施設では、この資格を持っているということは特段の意味はないことが多いけど、医療法人系の施設では必須に近い」という話。病院というものは、基本的に、全てが資格職の集まりだからして、資格というものを重要視しているらしい。業務独占ではないけれど、一応は、これも国家資格だし。
私がやりたいのは病院のワーカーなので、こりゃ、やっぱり、この資格を取ろうというのは、方向性としては多分間違ってないぞ、うん。(まぁ、医療ソーシャルワーカー<MSWと略す>の資格がイコール社会福祉士資格でいいのか、という話は、またあれこれありまして…。でも、現実問題として、MSWの国家資格化は実現していないんだし、多分、新たな資格が制定される可能性も低い。)

実は、心理学方面、とりわけ発達心理学にも興味があったりはする私なのですが、心理に関しては、国家資格って、まだないんですよ。ないので、色んな学会が、それぞれ資格を認定してます。(その資格の中に、有力な、というか主流派のものとそうでないのがある、って感じ。)ただ、あっちはみーんな、大学院卒(修士)が基本です。長く働いてきた人への例外規定みたいなものが経過措置みたいにあるけれど、基本的に、修士が前提条件。私みたいに、学部で心理をやったわけでもない人間だと、えーっと大学に編入学して1~2年勉強して、そんで2年修士やって…ちーとそれはきつすぎるな~。で、それだけやって、資格とって何、ってのもあるし(これは社会福祉士だってそうなんですけどね、資格とって何、ってのは。)逆に言うと、資格がなくたってその世界で仕事をすることは不可能じゃないし。まだ、私自身、興味がある=仕事にまでしたい かどうかは分かんないし。とりあえず、ちょっと調べたら、放送大学の講座に心理学関係がいっぱいあることが分かったんで、社会福祉士取れたら、次は放送大学でも検討しようかな~。

それにしても、人間が一人前ってみなされる年齢って、色んな分野でどんどん引き上げられていってますね~。薬学部が6年になるんですよね?医学部みたいに。私の学生時代(10年ちょっと前)は、理系の一部では、修士ぐらい出てないと専門的な仕事はできない、という風潮があったように思いましたが(私は全くの文系なんで、間違ってるかも)、文系で大学院へ行くって言ったら、そりゃもう、研究者になる人だけ、って感じじゃなかったでしょうか?
何を隠そう、高校の時の家庭科の授業で書かされた、自分の人生の将来設計(ライフなんとか)に「大学院へ行って研究職になる」って書いた私なんですが、実際に大学入ってみたら、概論みたいな勉強は楽しいけど、研究者って、すんごく細かいテーマを、いっぱいいっぱいいっぱい勉強して掘り下げて~掘り下げて~、って、あーこりゃだめ、私にはとてもできん!とあっさり3年次で進学は断念いたしました。
それがいまや、文系の大学院もどんどん数が増えて、ちょっと専門的な職業に就くのには院、みたいになってるようで。院へ行く=就職はしない、とは違ってきてるんですね。もちろん、院を出れば必ず希望する就職が出来る、って訳ではないんでしょうが。社会人向けの大学院も増えてるし(ちょっと調べたら、心理学でも夜間大学院とか、通信課程の大学院とか、ありますね~)そーいや私の友達(大学の同級生)で、最近になって院へ行き直した人もちらほら。

どうなんでしょ。そんなに、人間に、特に専門職に求められる知識が、急激に高度になってるんでしょうか。ちょっとだけ疑問だったりしますけど。少子化が、少子化が、というなら、とっとと早い年齢で社会人になって働いてもらう方が良さそうなもんですけどね、税収増には。

今日のオリエンテーションで言われたことをもう一つ。試験対策は所詮受験勉強。暗記物に強い人が受かる。それと、その人がソーシャルワーカーとして高い技術を持っているかどうかは無関係。援助者としての「腕」を磨くには、特に通信教育だけでは甚だ不十分。資格を取れたとして、それで自分はどうするのか、どうしたいのか?自問自答すべし、とのこと。はい。肝に銘じます。
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by mmemiya | 2006-09-23 00:47 | 医療ソーシャルワーク | Trackback | Comments(0)

子育てに関する本を読み漁る

本を山のように積み上げてみたところで、目の前の我が子を無視してちゃあダメだろーなー、と思いつつも、未熟な親は(ついでに軽く活字中毒でもある親は)ついつい、あれこれと育児本に手を出してみる。

最近買った本。
「子どもの話にどんな返事をしてますか?」
ネットでの評価が高かったので購入したんだけど、実はまだほとんど読んでいない。金曜から3日間、片道1時間弱の電車通学?があるので、そこで読もうとは思ってるんですが。

「3歳から6歳―保育・子育てと発達研究をむすぶ 幼児編」
主に、保育士さんたちの研修会というか現場実践から得られた「子どもってこんな風ですよ」という知識が分かりやすく書いてあります。保育士さんたちの話が中心とはいえ、親にも参考になる話ばかり。いやー、それなりにイッチョマエのことをしゃべってる4歳息子(この本では「3歳児」に分類される年少さん)の思考力ってのがまだまだ発展途上であることを改めて思い知りました。子どもに対する要求水準が高すぎたかしら、とちょっと反省。

カナダの、子育て支援ならぬ親支援(親になることを支援する)プログラムである「Nobody’s Perfect」にも興味はあるんですが、さすがに4305円は高い。
(これのダイジェスト版「完璧な親なんていない」の方はもう少し手が届くお値段。)

それにしても、「昔はそんな<親教育>を受けなくても親になれていたのに…」みたいな声が聞こえてきそうな気がするけれど、やっぱり、親になるって簡単じゃないですよね~。
あと、衣食足りて…ではないけれど、ひとまず食べさせて体を大きくすれば最低限の責任は果たした、みたいな時代と違い、親に求められるものも複雑になってきているのかもな~、などと思ってもみたり。当然、自己弁護も入ってるでしょうけどね。
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by mmemiya | 2006-09-20 23:12 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

運動会と低空飛行

3連休の真ん中で、早々と運動会の終了した我が子たち。
ずいぶん前から、息子に「お弁当は何がいい?」などと聞いていたら、一月ほど前「午前中で終わるので、お弁当は不要です」とのお知らせ。そりゃあ、その方がラクでありがたいけど、ちょっと拍子抜け。
まぁ、去年は地区の運動会(顔見知りの役員さんに拝み倒されて3種目ほど出場する羽目に)の際、ちゃんと揚げを煮るところから始めてお稲荷さんをつくったのに、本のレシピより砂糖を控えめにしたせいか、息子の反応は今ひとつでがっかりだったしなー。
(おいしかったのは、餃子の皮でチーズを包んで揚げたものだったそうで。)

ですが、体験してみて分かった。特に年少児までは、確かに午前中で限界だわ。
しかし、遠い記憶をたどれば、自分の幼稚園時代、家族みんなでお弁当食べたように思うのですがね…。
息子たち年少組は、出番は前半で終了し、いったん、建物の中に入ってトイレ行ったりお茶を飲んだりしていた模様。その後、園児席で年中さんや年長さんのお遊戯や競技を見ていたわけですが、まぁ、勝手に抜け出して遊具で遊びだしたり、退屈そうな様がありあり。
娘たち1歳児クラスは、開始後1時間半ぐらいのところで、親子での競技があり、それが終了後、そのまま解散となりました。

一応、全年齢かけっこがあり、「僕はすごく早くびゅーんと走れる!」と威張っていた息子は、さすが私の息子、見事に最後尾を走っていました。娘たちはほとんど歩いてました。
ま、息子は障害物競走はそれなりにやれてましたが。あと、お遊戯も、両隣の女の子たちほどちゃんと、ではないけれど、ま、そこそこ踊ってました。
娘たち1歳児クラスは、お遊戯といっても、きっと先生が踊ってるだけで、子どもたちは突っ立ってるだけよね~(立てない0歳児はマットの上に座ってました)と思っていたら、あにはからんや、すごくちゃんと踊っている子がいる!もうびっくりしました。例え4月生まれでも2歳半ってところなのに。うちの娘も、ときどき手足を動かしてはおりました。

しかし、天候が心配された運動会がなんとか開催されはしたものの、急に朝夕冷え込み始めたせいか、連休初日から娘が鼻を少しずるずる。その量はどんどん増えていき、最終日の夜は、ついに喉に落ちた鼻水のせいで咳き込む咳き込む。あー、こりゃ、休み明けの帰りに医者行きだわ、と思い、連絡帳にもそう記しておいたところ、2時半ごろ、担任から職場に電話があり、「Cちゃん、咳が酷くてもうこの1時間ぐらい止まらないんです。お昼寝も咳のせいでできてません。お熱はないですけれど、できれば早めにお迎えに…」との電話。1時間早退して医者に行ったらひどい混雑。
先月の受診時はガラガラだったのに~。連休明け、ということもあるけれど、そうか、8月は、幼稚園児とか、夏休みだから夕方には受診してなかったのか、と思ってはみてもどうなるものでもなし。

とりあえず、今は薬が効いて、咳一つなく眠っていますが、さあ、今週も低空飛行、かな?今週金曜から、3日間の後期スクーリングなので、もう、ちょっと休めない状態の私。なんとか、これ以上ひどくなりませんように…。
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by mmemiya | 2006-09-19 22:50 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)

80年代音楽 一人リバイバル

なんかこのところ急に、懐かしい歌をあれこれ聴きたくなった。

今週はまた、社会福祉士通信課程のレポート締め切りがあったので、あいも変わらず締め切りギリギリにバタバタ仕上げていたのだけど、そこからの逃避もあったのかしらん。
(とりあえず、無事に今日、レポートは郵送。そして、同じく今日、前回のレポートが二つともA評価で帰ってきた。おお、幸先がいい。)

私が中高生ぐらいの頃って、洋楽を聴いてる人がいっぱいだったんだけど、「ことば」にこだわりの強い私は、歌詞が気に入らない歌は好きになれない、という風だったので、碌に意味が分からない洋楽などは聞こうと思わなかった。(そんでも、あまりにも流行っていた「カーマは気まぐれ」とかはメロディ覚えていますけどね、今でも。)

そもそも、あの頃、私たちは、大体、音楽と言えばテープで聞いていた。レコードはもちろんあったけれど、中学生のお小遣いでは高すぎて、高校生でも貸しレコード屋に行く程度、滅多なことでは買えなかったんじゃなかろうか。そして私の家には、なんとレコードプレーヤーがなかった。
子どもの頃、ソノシートを聞いてた覚えはあるけれど、そのプレーヤーが壊れた後はそれっきり、そんなもの買いなおそうとしていなかった親だった。親が音楽聴いてるのなんて記憶にないもんなぁ…。(母親はやたら歌ばかり歌ってたけど。)
私も、今では家で音楽を流すなんてことあまりしないし、CDを聞くのは専ら車の中だけという程度なので、中高生の頃も、そんなに音楽好きでもなかったのだけれど、それでもあの頃、ラジオから一生懸命録音したり、友達と貸し借りしたりして聞いていた歌が、なんだか突然あれこれ聞きたくなった。そういう年ですかねぇ。

とりあえず、バービーボーイズのCDを買った。バービーは、自分が聞いてたというより、妹が聞いていたのを横で聞いていた、って感じなので、サビの部分ぐらいしか覚えていない曲がほとんどで、改めて聞くと余計に新鮮かも。
あと、あの頃聞いていたといえば、ユーミン(DADIDAとかの頃の)とか、レベッカとかかな?
こちらの方は、自分自身が聞き込んでいたものなんで、今でも口ずさめる。
レベッカなんか、フレンズでブレイクした後の主だった歌を覚えているのはもちろん、「フレンズ」が出る前に、「これ、いいよ」と、友達がテープをくれていたし、今、ちょっと検索して見てみたけれど、多分、3枚目のWILD&HONEYを除けば、1枚目から6枚目のアルバムまで、ほぼ全曲歌えるなぁ。最後に聞いてから15年ぐらいは経っていると思うんだけど…それだけ繰り返し聞いてたってことですねぇ。

しかし、CDを入手しても、車の中と言えば、今はほとんど子どもと同乗。それでもちょっとかけてみたらば「えー、僕はナマケモノの歌(注:NHK教育でやっていた「むしまるQ」の曲)がいい~」と言われてしまい、なかなか聞く時間はなかったり。


追記:今日、上川隆也の熱愛報道を見て、上川さんの名前の後に(41)とあったのに軽くショック。そりゃ、冷静に考えれば、そうですわな、私が35なんですから、全く不思議はないんだけれど…あ、私がキャラメルボックスの舞台を欠かさず見てたのは、あれはさすがにもう80年代ではない、90年代に入っておりましたが。(80年代といえば、先ごろ新しい劇団を作ると発表した鴻上尚史の作品が、私たちの高校演劇の世界でもとても流行ってましたが、田舎暮らしの私が生で第三舞台を見たのは、ぎりっぎり80年代終わりだったかと。)

嗚呼、それにしても月日が流れるのは早いもの…。
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by mmemiya | 2006-09-15 23:54 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

ゆる体操

たまたま、ちょっとだけ、「ゆる体操」の話を聞いて、実技指導を受ける機会があった。

知らなかったけど、去年はNHKの「難問解決 ご近所の底力」で紹介されて、かなりの反響があったのだとか。

調べていくと、ゆる体操の考案者の方というのは、失礼ながら、なんかこう、うーさんくさい(Byブライアン君)という感じがしなくもないのですが、体の緊張をゆるめる、と言われると、その台詞にめっぽう弱い私。
なにしろ、子どもの頃から習字を12年ほど習ってたのですが、とにかく二言目には、先生に「肩の力を抜けー!力を抜けー!」と言われ続け、ずっと「力ってどうやって抜くんだよー!」と泣きたい思いで字を書いてたんですよ。
そもそも、左利きを矯正するために始めた習字なので、ぎこちなく力が入っていても当然、と今なら思うわけですが、ま、今もう、字は左手では書けないし(右利きの人が左で書くより少しマシなレベルってだけ)そんな言い訳も通用しないかもしれません。ただ、むやみやたらと厳しい師匠で、なにしろ小学生を教えながら、教え子がみんな、プロの書道家を目指すのが当然、みたいな師匠でしたから、けっこう12年は大変な日々でありました。

そんなことはともかく、私の体が硬い、というのは、お習字だけじゃなく、あらゆる場面で言われ続け、また、自覚もしてるわけです。
で、リラックス?硬さが取れる?と期待して臨んだゆる体操。それがなんと、なんかそんなに難しいことをやるわけじゃない感じ。えー?こんなんで体が緩むの?ホントに?などと思ったりもしたのですが、なんか確かに、夕方以降も体が軽い。お風呂で頭を洗おうとして、腕がなんだか軽くてびっくり。

そして、なかなか運動の時間を見つけるって簡単じゃないのですが、ゆる体操には「寝ゆる」という、寝そべってやる体操がありまして、これをするのにぴったりの時間が私にはあるじゃないですか!子どもたちと布団に入り、子ども達が眠りにつくまで一緒に添寝している時間。
これまでは、子どもがなかなか寝付かなかったりすると、「あー、まだあれもこれもやらなきゃならないのに、時間の無駄ー!早く眠りなさいよー!」と、声に出さずともイライラしていたワタシですが、今日は早速、子どもが眠るまで、寝ゆる黄金の3点セットを繰り返してみました。
これはいいかもしれない。ただ、ますます、子どもと一緒に眠っちゃう回数が増えるかも、というのが難点ですが…。
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by mmemiya | 2006-09-12 21:42 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

「レナード現象には理由がある」と無意識の差別

遅ればせながら、川原泉の新作が久々に出ていると知り、購入した。
一通り読み終えた後、この本の中の一話が、ホモフォビア云々で一部で問題視されていることを知った。

作品全体は、久々の川原節、というか、まぁ絵柄は若干変わったけれど、長いスランプ(だったのでしょう、多分)を抜け出して、あの川原泉独特のほんわかしたムードを味わうことができるものだった、と思う。アマゾンの書評もおおむね好意的だ。
まぁ、正直、傑作!とまでは思わないし、マンネリ、という捉え方もあるかもしれないが、どんな漫画家だって、万人にとっての傑作をずっと生み出し続けるわけではないのだし、川原作品の新作が、安定したレベルで読めるだけで嬉しい、という人もいるだろう。

ただ、ネットでの書評をいくつか巡ると、確かに、ゲイへの蔑視、更には「偏差値の可愛い」学校の女生徒への差別的なまなざし、という問題は、この作中に明らかに存在していると思う。
けれども、それは、一読して不快に感じる人もいれば、「そう言われれば確かに…」という感想しか持てない人もいるだろうな、というレベルだ。足を踏まれた痛みが、踏んだ側にも、踏まれた人の隣に立っている人にも伝わってこないことに似て、差別というのは往々にして、差別された側に近い人、あるいはよほど、差別に対する意識が高い人にしか感じ取れない場合があると思う。

一方、差別する側の意識は、私の仮定では、3つに大別できると思う。
まず、自分でも、自分のやっていることが差別だ、と認識している人。(実際のところ、そんな人がどれほどいるのか分からないが。)
次に、自分のやっていることが差別だと言われるのではないか、とは認識しつつも、「これは差別ではなく、○○という理由に基づいて、合理的に区別しているだけだ」という正当化をしている人。例えば、昔、西洋では「黒人は劣っていると聖書に書いてあるから自分たちが上に立って教育してあげないと」みたいなことを真顔で語る人がいたとどこかで読んだけれど、そういう類の話。
最後に、自分のやっていることが差別だ、と、全く気づいていない人。

今回の作品における川原泉は、きっと3番目に属するのだろう。では、その差別意識はどこに由来するものなのか。

この問題を取り上げているブログ等で既に指摘されている通り、ごく一部の作品を除けば、川原は、男女の生々しい性というものを一切描かない、どころか匂わせもしない作家だ。高校生の恋愛を描いて、キスシーン一つ登場しない、そもそもそんなことを欲望しない登場人物たちの少女漫画。恋愛を描いて、というか、そこに描かれているものは、微妙に「恋愛未満」の感情である。そこがいい、とするファンも多かろう。
今回の作品中には、珍しく、朝帰りする男の子なんてのが出てくるけれど、そんな設定があるにもかかわらず、作品からは性的な匂いは一切漂わない。昔、川原は、自分に男性経験が全くないということをコミックスに書いていたけれど(そんなことなんでわざわざ公衆に告白するの、と、読んだこっちがうろたえた)恐らく、彼女はかつて、自分の中から、性的なものを抹消したい、自分を性的存在とは認めたくないという少女だったのではないか。
そういう時期を持つ少女はかなりいるだろうし、そして、そういう少女の一定割合は(偏見を承知で言うと)ボーイズ・ラブ、やおいに流れるんじゃないかと思うのだけれど、川原はそうはならなかった。あくまで「ボーイ・ミーツ・ガール(レナード…の帯より)」の世界を描きながら、あるいは「将来、結婚して子どもを持つ主人公たちの未来」まで示してみせながら、しかし、そこにいるのは、性的には「王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らしました」の幼児童話レベルの男女でしかない。

で…性への嫌悪がホモフォビアに結びつくのでしょうかね…?そのあたりは、分かるような、分からないような、なんですが。(やおいにあまり詳しくない私ですが、やおいとかBLとか言われる作品群には性的描写を含むものが多そうに思えるんですけど、それはそもそも何故なんでしょうね?それとこれとは関係が…ある?)

もう一つの、ユリアナ高校(だっけ)の女生徒の扱われようについては、こちらはなぜそうなるかが、分かるような気がします。(気がするだけかもですが。)
以下は全く、私自身のことを書いているので、川原泉がこうだ、という根拠など全くないのですが、自分の女性性に自信が持てない女の子が、「自分はお勉強ができる」というアイデンティティに逃げ込むのって、あるんじゃないかと思うのですよ。というか、私がそうだった、ということですが。で、この場合の「お勉強ができる」ワタシが思う、「可愛い偏差値の学校の子」ってのは、もう、女性性というか、男性から、性の対象と見られる女性のイメージそのもの、になるわけです。それを嫌悪する&私はあなたたちとは違うのよ、という認識で、自分を守っているつもりになるわけです。(でも、守るって、何から、なんだろう?)
ただ、この「お勉強ができる」は、あくまで、まぁどこかの国公立大学に進学できる、ぐらいのレベルなものですから、別にガリ勉(すごい死語…)してるようでもないのに、東大とかにあっさり(と見える)合格していった同級生たち、などという人に対して、これまた複雑な思いがあったりもするわけです。自分より上にいる(と思う)人へのコンプレックスが、自分より下だと思う者への差別意識に反映されるって、よくあることなんじゃないでしょうか?(あくまで私の場合、のことを書いてるんですが、自分の中にある差別意識を省みると、そうじゃないか、と思うわけです。)

多分、差別意識から全く自由になれる人はいないと思います。だからといって、差別を正当化できるわけじゃない。誰かを見下すまなざしを、ともすれば自分が持ってしまうのは何故か、を振り返ることで、実際に誰かを差別する行為に出たり、差別的な言動をしようとしてしまう自分に歯止めをかけなければ、という、まぁ当たり前のことを、改めて考えさせられた出来事(?)でありました。
特に、公共の出版物として流通するものはね…あまりにも無自覚に差別意識を垂れ流すのを放置するのはまずいでしょう…。もっとも、この方面への川原の無自覚さというのは、かつて「士農工商編集漫画家」なんてフレーズを漫画に書き込んだことから、十分うかがい知れることではあるのですが…。って、あれこれ勝手なこと書きましたが、「三月革命」とか、好きだったんだけどなぁ…。

(ただし、私は、笑うミカエルの司城史緒と兄ちゃんのその後話だけは、どうにも受け付けられません。自分にも兄がいたらよかったのに、というある種のブラコンをどこかで刷り込まれた身としては、基本的にブラコンは嫌いじゃないのですが、あれはダメだ…)


このエントリーにあたっては、下記のブログを参考にさせていただきました。

ハナログ 川原泉「真面目な人には裏がある」
▽架空の杜△ 川原泉の保守性は批判されるべきものでしょうか?
反・反ヤンキー主義宣言 川原泉「レナード現象には理由がある」
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by mmemiya | 2006-09-11 20:50 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)