La Lune Lunatique

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造物主の掟

下の記事へのコメントを頂戴して、「人は自分の信じたいことを信じる」ということで思い出したこと。

私の好きなSF小説に「造物主の掟」(J.P.ホーガン)という本がありまして、この話の主人公が、「すごい超能力者」と持て囃されているが、実はただのインキチ霊能者、という設定なのです。
彼はものすごい情報網を持っていて、たくさんのネタを仕入れて、さも超能力であてたかのように振舞い、また、人の心理状態をうまく利用して、自分を演出しているのです。で、彼のインチキを暴こうと乗り出すのが、とある気鋭の心理学者で、これ、人間が惑星間有人飛行に乗り出してるぐらい未来の話なんですが、心理学者は、それほど科学技術が発達した時代にもかかわらず、似非科学を信じる人がとても多いのを嘆いてるわけです。そんな状況の中で、人が騙されやすいのは、信じたいものだけを信じるからだ、みたいな言葉が出てきてたような気がするんですがどうだったかしら?(確かついでに、日本人は実際的で、似非科学になんぞ騙されない、という設定で、似非科学が蔓延して技術発達が停滞しているのはアメリカ、という…)
この二人の対決がどうなるかは読んでみてのお楽しみ、なんですが、実際のところ、ハードSFとしての読みどころは冒頭のタロイド(という生命体)の誕生のあたりだったりはします。

まぁ、ホーガンは政治的なテーマを扱うとどうもナイーブ過ぎるとか、ストーリーはともかくキャラクターがイマイチ、とか、結局一番面白いのは処女作の「星を継ぐもの」よね、とか、色々言いたいことはあるんですが、彼の作品の中で、キャラクターのピカイチは、このザンベンドルフでしょうな。「ガニメアン3部作」(いや、4作目が出てるけど)のダンチェッカーも嫌いじゃないけど。
なんだかんだいってもこの人の著作は全部持ってて、「揺籃の星」の続きを待ってるわけなんですがね。

私、理系が駄目なくせにSF大好き(しかもハードSFが)という人間なんですが、SFとの出会いもまた、小学校の図書室でした。アシモフのロボット刑事ものとか、オッドジョン(作者誰だっけ?)とか、ハインラインの「夏への扉」(あ、これはこのシリーズじゃなく、別のだったか。)とか「宇宙の孤児」とかを子ども向けにした作品集があって、読みふけってました。あー、あと「トリフィドの日」とか「ドウエル教授の首」とかあったはず。
スペースオペラ系のものはあんまり読んだ記憶がないのですが、でも、バローズの火星シリーズは何度も読みました。

私の住んでいた田舎には当時、子どもの行動範囲内に本屋などなく、父が東京方面に出張の都度、新幹線に乗る前に八重洲ブックセンターでお土産に買ってきてくれる本というのがとにかく楽しみでした。
(おかげで今でも私にとって、「八重洲ブックセンター」というのはちょっと特別な響きがあります。)
で、中学の頃だったと思うのですが、こういうのが好きだろう、と父が買ってきてくれたのが、クラーク「2010年宇宙の旅」。なんで2001年も読んでないのに2010年かって、きっとそれが平積みになっていたのでしょう。クラークは、スターチャイルドだ、オーバーロードだ、というのが絡んでこない部分なら大好きです。楽園の泉の宇宙エレベーターとかね。初期の短編集も好きでした。

あと、近所に唯一あった、クリーニングの取次ぎ兼文房具屋兼文庫が少し並んでいる店で、だったと思うのですが、日本SFベスト集成を2冊ほど買いました。今にして思えば、もっと買っておけば、という感じなんですが、子どもなんてお小遣いないし。これの中で印象に残ってるのは、荒巻義雄の「大いなる正午」と、石原藤夫の「ハイウェイ惑星」。後者はハードSFの部類ですよね。
そんなにハードSF、たくさん読んでるわけでもないんですが(あと挙げてないのって、フォワードの「竜の卵」くらいか。)私にとってのセンス・オブ・ワンダー!は、なぜかハード系なのですね。

電車で30分以上かけて高校に通うようになって、ようやくまともな書店というものが行動範囲に入ってきます。同じ頃、自宅の傍にも、国道傍なんかにポツポツと郊外型書店が出来始めてたんですが。高校時代~大学時代といえば、ノンフィクションの類を除けば、買っていたものはほとんど早川、東京創元社の両文庫。SFとミステリの両方に嵌まっていた時代でした。

最近はほとんど小説を読まないので、SFもとんと御無沙汰なのですが、科学的なことやら物理やらがさっぱり分からないんだけど(なにしろモル計算でつまづいてそれっきり…)「科学的に考える」ということに、どうも、あこがれ続けてはいるらしいのですね、私。
でも、こればっかりは、育て方云々というより、持って生まれたサガ、みたいな気がしますからねぇ、何を面白いと思うのかって。うーむ…。

追記:今、検索したら、小学校にあったのはあかね書房の「少年少女世界SF文学全集」のようです。うわー、地底世界ペルシダーとか、もう、タイトル見ただけで懐かしいよ~。あれ、でも、オッドジョンはこのシリーズじゃなかったんだっけ?(この手のテーマでは、「アトムの子ら」の方が好きで、繰り返し繰り返し読みましたっけ…。)
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by mmemiya | 2007-06-28 21:14 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

科学的思考力を育てるには?

いわゆる「水伝」やらなにやらについてのブログなどをおそまきながら読んでまして、はあ~、大変だわ~、と考えさせられました。
「水からの伝言」という本が「水にきれいな言葉をかけると、綺麗な結晶ができる」と主張しており、それが小学校の道徳授業に使われたりしている…という話なのですが、マイナスイオンでも、あるいは血液型人間学でもいいんですが、そういう、似非科学というかなんというか、そういうものに嵌まらないように我が子を育てるには、どうしたらいいんだろう、と、うーんと考え込んじゃいまして。

大体、子どもって、オカルティックなものが好きですよね。いやー、かくいう私も、小学生の頃は「世界を驚かせた10の不思議」みたいな本をいっぱい図書室で読み漁ったし(まぁ単に、図書室にあった本はほとんどすべて読破した、ともいうのですが~本を借りようとしたら全部、すぐ上におねえちゃんの名前が書いてあって借りにくい、と、3つ下の、双子のようによく似た名前を持つ我が妹に苦情言われたことあります~それでも、そういうオカルトチックな本が特に好きだったのは確か)高校生の頃は天文暦見てホロスコープ作成できたし、大学生になってもタロットで人を占ってあげたこともあります。(まーあれやってると、占いって、大体もっともそうなことを言いながら相手を観察していくと、「当たってる!」って言われるもんだな、って分かってくるんですけどね。)

あ~、超古代文明だの、日ユ同祖説だの、青森県にキリストの墓だのといった類も一通り通ってきてます。もっともこっちは端から信じてなくて面白がってただけですが。

しかも、私は、何度も書きますが、ホントに理系が壊滅的に駄目な、バリバリ文系人間なのです。先日、息子に、「どうして雨に濡れると、石は黒い色に変わるの?」と聞かれたけど、全然返事できませんでした。

そんなこんなで、偉そうなことを言う資格は、私には全くないのは百も承知でありながら、しっかし、こんなに似非科学に引っかかる人が多いってのは、それはちょっとまずいんじゃないの、などと思ったりするわけです。波動だのトルマリンだの、代替医療だの。(最後の一つは、親が嵌まって子どもに適切な医療を受けさせない、という、非常に恐ろしい可能性もあるわけで。)

理科が苦手な親が、科学的思考力のある子どもを育てるには、どーしたらいいんでしょうなぁ…。最近の私の、中長期的な悩みの一つ、であります。
10年ぶりぐらいだと思うけど、ファインマンさんの本でも読み返すかなぁ…。あとはカールセーガンあたり?と学会の本は自分が読む分には面白かったが、子育てに生かせるかどうかは???

追記:水にかける言葉は日本語でも英語でも何語でもいいらしい。世界中の数千の言語を水は全て理解する!(文字もだぜ。)その仕組みを解明できたら、みんな翻訳に頭を悩ませなくてもいい世の中になると思うので、そんなすごいことが発見されたなら、綺麗な結晶を作るなんてある意味どーでもいいことより、ぜひ、その水の能力解明に力を注いでもらいたいものなんだが。
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by mmemiya | 2007-06-27 23:00 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(4)

心の奥の奥底に…

娘への誕生日プレゼントは、何にしようか考えた挙句、結局、絵本になった。
じいちゃんばあちゃんから玩具はたくさんもらうしね~。

たまたまアマゾンを見ていたら、「ゆうちゃんのみきさーしゃ」という絵本が目に留まり、うわぁ、懐かしい、大好きだったよこれ、と購入決定。食べることが好きな我が娘ならきっと喜ぶ、と思ったとおり、息子も娘も大変気に入った様子。

よく見ると、これも「こどものとも傑作選」の一冊のよう。このシリーズ、子どものころにけっこう買って貰っていたもんなぁ。

今、大人になって思い出す、子どものころの自分が読んでいた本といえば、シートン動物記だのメアリーポピンズだのクマのプーさんだの、ドリトル先生のシリーズだのということになってしまうが(ナルニアは小学校の図書室で借りただけなので今ひとつ記憶が曖昧。あ、別格で「国際版少年少女世界文学全集 全25巻」というのもあった。これもかなり繰り返し読んだなぁ。挿絵がすっごく素敵で。)それよりもっと前に読んでいた物は、普段は意識の表層からすっかり消えているくせに、絵を見たりするとひょいと心の奥底から浮かび上がってきて、おや、こんなものが自分の中に眠っていたんだ、と吃驚させられる。

先日、実家へ行ったときに、母が息子に「めぐちゃんの赤いかさ」という本を出してきた。「小学館の創作童話シリーズ」の1冊で、昭和51年初版、作者は落合恵子氏というところに、大人になった私はちょっと驚く。この人の書いたものを6歳かそこらで読んでいたのね、と。

で、その本の裏表紙に、シリーズの一覧が載っているのだが、これを見て、またも、ああ!この本、大好きだった!という記憶が蘇る。
「おいしいおにぎりをたべるには」「女王さまになるために」ストーリーを思い出せないのに、タイトルと表紙写真が、ともかく胸をしめつける。

ネットで検索してあらすじを発見し(「おいしいおにぎり…」の方は版元を変えて今も出ているようだ)ああ、そうだったそうだった、と思い出す。女王さまの方は、2ちゃんねるの過去ログにて発見。どなたか分からないけれど書いてくださった方に感謝。
(確か今でもある長寿スレッドなのだけれど、うろおぼえの絵本について書き込むと、分かる人がタイトルや作者その他を教えてくれる、というもので、私はこれまでにも何度かこのスレの恩恵にあずかってます。直接書き込んだことはまだないんですが。)
ああ、「かがみのなかのぼうや」そんなのもあったなぁ。

この「めぐちゃん」と、同じシリーズの「はんぶんちょうだい」が出てきたからには、他のものも実家の書庫に眠っているのでは、とも思うのだが、なにしろ、整理整頓の苦手な私を育てた家だけあって、書庫もちょっとやそっとで本を探し出せる状況ではないのである。(というか、10年前に家を建て替えたときに、作り付けの天井までの本棚が7つある書庫を造ったというのに、とてもそこには収まりきれないほど本が溢れかえっていて、ついでに他の物も置く物置になっていて、本棚の扉が開けられないのだ…。扉つきの本棚というのは、今となっては失敗だったような気がするわ…)なんか絶対お宝がありそうなんだけどなぁ…。(古い少女マンガもいっぱい眠ってます。)

さてはて、手当たり次第に図書館で絵本を借りてくる我が子たち。所有している絵本は実数としてはそんなに多くない気もするんだけれど(数えたことないけど半分ぐらい私のお古で、数十冊はあるか、それでも)果たして記憶の深い底に沈む本は、その中から生まれるのだろうか。
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by mmemiya | 2007-06-25 00:41 | 読んだ本 | Trackback | Comments(2)

今年もキティケーキ

早いもので、娘が3歳の誕生日を迎えます。
いやまぁ、未だに「赤ちゃん抱っこ」とか要求する(17キロの体重で!)んですけど、もう、いよいよ、うちには赤ちゃんがいなくなったなぁ、と、楽になってきてありがたい反面、ちょっぴり淋しいことも確か。

今年も、ケーキはキティちゃんだと言うので、土曜の夜、寝かしつけの後、スポンジを焼きました。

いや、その前に、夫の実家から1週間前に大量に到来した枇杷をコンポートに。
粒は大きいのですが、あんまり甘くないこともあり、最初のうちこそ食べていた子どもたちも、一週間経つ頃には「ビワ?いらな~い」と言い出す始末。
しかし、まだ2キロはあるんだってば…ということで、めんどくさがりなワタシでもなんとかできるコンポートづくり。
しかし、1.5キロ、およそ40個の皮を剥いたところで面倒になり、いいや、残りは親が生で食べよう、と、全量を処理するのを諦める。なにしろ、皮むきの後は種取りがまってますから…。

コンポートは早速、日曜朝の我が家の定番?ホットケーキにシロップごとかけて食べました。
そして、スポンジに塗るシロップにもなって一石二鳥。

日曜日、スポンジに生クリーム塗って、チョコペンで輪郭書いて、さくらんぼで目と鼻をつくり、ポッキーでひげを作って…うーむ、なんかキティの顔じゃない・・・。まぁ、娘が見て「キティちゃん」と言ったからよしとします、って、去年もそうだったわ…。

生クリームが残ってしまったので、びわシロップを混ぜてゼラチン入れてムースもどきに。
コンポートのびわを入れようと思っていたけど、待てよ、と、生枇杷の方をカットして投入。
1ダースあったので、多すぎ?と思ったけど、皮剥いてみるとけっこう傷んでいたので、結局、使い切ってしまった。
こーいういい加減な(そうそう厳密に計量しなくて済む)おやつ作りはさほど苦にならないけど、スポンジはやはり、どうもふんわりとはいかず・・・。昔っからお菓子作りを敬遠して生きてきたもんなぁ…。

枇杷に続いて、これからスモモがラッシュを迎えるはず。(もう1キロほどいただきましたが。)
これも食べきれなくなればコンポート。まぁそれぐらいはいいんだけど、実は一番処理が苦手なのは、秋の栗だったりする…。栗も5キロとか(もっとか?)もらうんだけど、あの皮むきがもう面倒で…。皮さえ誰かが剥いてくれれば、渋皮煮でもなんでもやるんですけどね、ふう。
(去年は一応、少しは渋皮煮にしたのだけど…根性なしなのでとても大量には処理できない。)

3歳になろうとする娘、ここ最近の変化といえば、ちょびっとひらがなに興味が出てきた模様。
息子は、2歳半で引っ越してきたらすぐ近所に銭湯があり、大きな「ゆ」という看板が立っていたので、最初に覚えた字は「ゆ」で、3歳半ぐらいまでにほぼ全部読めるようになっていたと思いますが、娘は全然関心ないんだな~と思っていたら、自分の名前の「し」を覚え、このところ急に、道路の看板やら、絵本の中やらに「し」を見つけては「し、Cちゃんのし!」と叫んでます。
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by mmemiya | 2007-06-24 23:27 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)

福祉の仕事 追記

ことばというのは、まとめてしまうと、いつも、何かしら意を尽くさないような、言い足りなかったような気がしてしまうものです。

これが話し言葉なら、まだ、話す都度、消えていってしまったことばのかすかな残像を、一生懸命修正したりなどということがそもそも望むべくもないわけですが(自分の中に残った残像と、他人の中に残った残像の違いを比べる術もないですし)書いて残したもので、自分なりに十分書けた、などと思うものって、なかなかないですね。

で、以下は、苦しい、と書いてしまったことに対する言い訳めいたものなんですが。

大抵の場合、そりゃもう、利用者さんの方が苦しい思いなり状況なりを抱えているものです。そりゃあ、福祉、というものの性質上、当然のことです。そこで援助者側が私だって苦しいんですなんて言うのはちょっと違うんではないか、とは、さすがの私も思います。

かといって、自分が苦しいなんてとんでもないってわけで、相手と自分を同一視しちゃって、相手の苦しみを自分のもののように錯覚して、ホントに苦しいですよね、どうしましょう、困りましたね、と言ってるのは、それはもう、プロではないですから。

福祉の仕事は、賃金が安いとか3Kとか言われたりすることもあります。そういう面も、実際あると思います。私はかなり恵まれた状況にあったので、当然ながら先に書いた苦しさとは精神的なもので、物質的な意味での(現実問題としての自分の生活の苦しさとか)苦しさとは別種のものです。

経済的なことで言えば、WinWinとか、福祉産業も利益の上がるものにならないと駄目だとか、色々なことも言われますが、福祉と言っても色々と幅が広いもので、どーやっても利益の出る構造にはならないものは残ると思います。(生活保護みたいなものなんて、利益の上げようがないですからね、極端な話。)
利益の上がらない中で、どこまでやっていけるのか、みたいな現実があり、困っている人はたくさんおり。

当事者じゃない人間が、横で苦しいなどとほざくというのは、それこそ苦しんでる当事者に失礼すぎるのでは、ということは、頭では理解できるのですが、難しいですなぁ…。

その苦しみの持って行き場がないからこそ、きつい、ということなんですけどね、結局は。
仕事時間が終わればすぱっと忘れられる、というものでもなかったりはするし、個人情報満載だから、うかつに愚痴れないですしね。

でもそういう仕事がしたいと思う、この自分の心の動きはなんなんだろうなぁ、と、我ながら不思議なのですが、実は、自分でも全然そのあたりが分かっていない、というか、言語化できないでいます。少し、ちゃんとことばにしてみないと、と思ってはいるのですが…。
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by mmemiya | 2007-06-20 22:41 | 医療ソーシャルワーク | Trackback | Comments(4)

福祉を仕事にする、ということ

社会福祉士スクーリングの演習で、25人ほどのクラスに分かれて、更に小グループ単位であれこれ話し合いなんかをやりました。
冒頭で、各自、自分を3つのキーワードで自己紹介、というのをやりまして、私は「福祉との出会い」、「ことば」、「保存食」という3語で自己紹介をいたしました(笑)。

自己紹介だけで午前中が終わってしまう、という恐ろしい展開の中、私の出番は最後の最後。で、なるべく短めにしゃべったつもりだったのですが、改めて、昔のことをちょっと振り返ってみたり。

大学で福祉を勉強したわけでもなんでもないのに、ひょんなことから、福祉の仕事をすることになった3年間。それは、10年以上経った今振り返っても、なかなか苦しい日々でした。思い出もたくさんあることは確かなんだけれど、思い出、というのが必ずしも良い思い出というわけでもなく。

3年目が一番苦しかった。最後の方は、もうとにかく、福祉は当分いい、というのが正直なところでした。じゃあなぜまたそんな頃に戻りたいのか、と言われると言葉につまりもするのですが、実はその頃から、「当分はもう勘弁」と思いつつ、もう少し大人になって、人間が出来たら(?)もう一度やってやる、みたいな思いはあったのです。まぁ、今があの頃と比べて、成長したのかどうかは不明ですが…。

充電とか、仕事とプライベートの気持ちの切換とか、色んなことが必要だったということですね。もちろん、どんな仕事でもそういう面があるのでしょうが。

福祉を仕事にすることの特殊性というものがあるとすれば、福祉というのはそもそも営利になじまない、相反する面がある、ということと、それから、ともすればなにやら高潔な志が必要なもののように思われること、というのがあるような気がします。

私のように、特段の理想を掲げるわけでもなく、いわば成り行きでその世界に飛び込んだ人間でも、いくらかは苦しかった。福祉に理想を持って、高い志を持っている人ほど、苦しみかねないという構造はあるように思います。理想と現実の板ばさみ、というのはどこにでもあることですが、もちろん、福祉の世界にだってありますから。そして、そうした「現実」は、多くの場合、一人の人間の情熱だけで超えられるようなものではないのです。

もちろん、プロフェッショナリズムとは、諦めをつける、ということとはまた違うでしょう。社会福祉士の倫理綱領にも、適切な社会資源がないときには、それを自ら作り出していかなければならない、といったような(うろ覚えでごめんなさい)くだりがあったと記憶しています。
しかし、現状を打破していく、というのは、一朝一夕で出来ることではなく、その間、「今、この人に、こういうサービスがあればどれだけ助かるか」と思いながら、十分な手を差し伸べることが出来ないままになっていく人、というのが確実に出てくるのです。

福祉に関して熱意がある、思い入れがある人は、あまりそれを職業とはせず、ボランティアぐらいにしておくのがいいんじゃないかな、などと、ふと、思ってみたりする瞬間もあります。仕事として熱意を注いでいる人にはどやされそうですけれど。
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by mmemiya | 2007-06-19 23:04 | 医療ソーシャルワーク | Trackback | Comments(0)

スクーリング開始

2年次前半スクーリングの開始。

国家試験の模擬試験の案内やら受験対策集中講座の案内やらがたくさん配られ、ああ、2年次だなぁ、という感じ。

独力で勉強、というのは基本的に苦手な私ゆえ、本当なら、受験対策集中講座も申し込みたいところなんだけど、さすがに、これ以上の日数、夫に子どもを任せきりにして週末を潰すのは申し訳なさすぎ。
かといって、開講式で校長先生も言ってたが、この専門学校を修了した、というだけではなんにもならんわけで、夫にも多くの負担を強いてやってきている以上、国家試験に受からなきゃ意味ないわけで。

半年振りに学校へ行ったついでに、求人票なんかもぱらぱら見てきたけど、私の志望であるところのMSW(医療ソーシャルワーカー)の求人はわずか、しかも私なんか全部年齢制限引っかかってるし・・・。
時々、ネットでも求人見るんだけど、たまに年齢制限がセーフだと、「経験者」探してるし…。

まぁ、当然といえば当然だが、甘くはない。そりゃ私が経営者側ならやっぱり、新卒よりも高い月給出して即戦力じゃない人間を雇おうとは思わないもんな。

ま、そんなこと、最初から分かっていたことだし、転職したいがためだけに、資格取ろうとしてるんじゃないし。

とはいえ、そもそもあたしって、なんでこの資格取ろうと思ったんだっけ、などと今更迷ったりもしながら、しかしとりあえずは、1月末の国家試験に向けて、ぼちぼち進んでいかなければ。

「今年のクリスマスと正月はないものと思え」ったって、それは一応「ヨメ」でもある身にはムズカシイ・・・。ブログなんかやってる場合じゃない、ってことにはなるんでしょうけれど。

木曜日の夕食:蒸し鶏ときょうりの梅しょうゆかけ、小松菜とにんじんの白和え、ご飯、キャベツの味噌汁。
当初、バンバンジーのつもりが、考えてみりゃ白和えとゴマ味がかぶるよな、と、ふと、梅しょうゆをぶっかけるだけの料理(とも言えないモノ)に変更してみた。おお、これはいい!便利だあ、梅しょうゆ。
金曜日はスクーリングにつき、夫が夕食を作ってくれましたが、私は遅くなったので、家では食べられず。
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by mmemiya | 2007-06-16 07:04 | 医療ソーシャルワーク | Trackback | Comments(2)

梅仕事中間報告

報告って、誰に報告すんだよ、というつっこみはさておき。

社会福祉士の第2回レポート締め切りがあったりして、どーも疲れがたまり(でも今週末はスクーリング!)このところ、毎晩、子どもと一緒に寝ちゃってたのですが(だから全然ブログ書けなかった…)梅も気づけば漬けてから10日ほど。

カリカリ梅は、やはりというか、未熟果ではなかったためでしょうなぁ、全然カリカリになりませんでした。しわはよってないんだけど、すごく柔らかい。まぁ、これはこれであり、か、と、置いておいても仕方がないので、出来上がりとし、ビンにつめて冷蔵庫へ。去年の半分以下なので、わずか2瓶。

梅サワー、青梅のすがすがしさはないものの、これはこれで結構美味しい飲み物だわ。米酢を使ったのですが、飲むりんご酢あたりを使ったらもっと美味だったかも。でも、これでも、子どもも酸っぱいとは全く言わず、「甘いよ!」と大喜び。来年も要作成。

梅しょうゆ、なんというか、ポン酢のように酸っぱいのだけれど、どうも、そういうものなんですね。ホントに、ポン酢を使うような場面で使うといいのかも。うち、ポン酢の買い置きがないので(湯豆腐とかするときは、レモン果汁なんかを使って<ポン酢もどき>をその都度でっち上げていた)重宝するだろうか?ただ、けっこう分量作ってしまったので、梅サワーと逆の量にすべきだったか(梅サワーはごく少量なので)と、ちと後悔。ま、そうめんつゆとかに使えば、すぐなくなるかな…。梅本体の味はまだ試していません。

梅はちみつ、すっかり、はちみつとは別物のさらさらの液体に。梅がまだ、沈まず浮かんでいるけれど、完成間近。

梅シロップ、傷を切り落とした梅を使ったので、あっという間に砂糖は溶けて水が上がったけれど、シロップの味は、うーん、今ひとつかな。やはり、完熟果では青梅の爽やかさがない。惜しい。こっちもサワーにしておけば良かった。

梅干用の小梅、10日経ったので、あわてて白梅酢をとる。もっとも、小梅のせいか、そんなに大量に梅酢があがっておらず、瓶にさほどたくさんは移せなかった。私は紫蘇は使わない(赤い梅干は作らない)ので、土用干しの頃には、もう少し白梅酢がとれるわけですけどね、もちろん。
今のところかびも出ていないけれど、土用干しの頃の天気が今から心配ではあります。小梅は、干すのも楽なようで(日にちも短くて済むし)働いてる身にはありがたい。

それにしても、義兄の奥さんは、なんと、15キロの小梅を漬けたそうです。梅酒がほとんどで、あとはシロップと聞きましたが、15キロ…想像しただけでくらくらする…。っていうか、一体、義父は何本、小梅の木を持っているんでしょう…。
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by mmemiya | 2007-06-14 00:50 | 料理のこと | Trackback | Comments(2)

和製仏語?

父の呼称を読んで、ちょっと興味を持ってあれこれネット検索してみたのですが、どうも、英語圏でも「PAPA」という単語が使われていたようです。昔、ってことなのかな?
イギリスの上流階級で、おそらく、フランス流にきどって使っていた言葉、ということのようで。

ごくごく日常的な単語を除けば、英語とフランス語には、実に多くの共通する単語がありますが(Information みたいなね。「いんふぉめーしょん」じゃなく「あんふぉるますぃおん」と読むだけで。)これが、英語からフランス語に入ったもの、フランス語(もしくはラテン語)から英語に入ったものが入り乱れてまして、その入った時代も、ノルマン・コンクェストあり、20世紀ありと、バラバラ。
ちょびっと語源論をかじると、ホント奥が深くて、あ~、イギリスとフランスの関係って、本当に密なんだな、複雑なんだな、という気分を少し味わえます。もう忘れちゃいましたけどね。

ところで、フランスでは、「パパ、ママ」ではなく、「パパ、ママン(むしろ「マモン」と聞こえるが)」なわけですが、最近、けっこう「パパン」という表記を、日本語サイトで見かける気がします。
ふざけてるのかと思えばさにあらず、どうも「ママがママンなんだから、パパは当然パパンだろう」って感じで普及?してる言い方のようなんですね~。うーむ。和製仏語、とどこかに書いてあり、まぁ、確かに、と思ってしまいました。

和製英語はともかく、和製仏語なんて珍しいよね、と思ったけど、「和製仏語」でネット検索してみると、一番多くヒットするのは「シュークリーム」でした。
「英語じゃ靴クリームだよ!」ってあれね。フランス語では正しくは「シュー・ア・ラ・クレーム」なんだろうけど(クリームの入ったキャベツ、という意味で、あの形がキャベツに似てるから、でしょうね)そんな言い方、見た記憶ないや。あれは「プロフィテロール」でしょう、普通。

あと、「プリン・ア・ラ・モード」も「パフェ」も和製仏語、と言われればこれも成程。「ア・ラ・モード」は「流行の」で良いとしても、「プリン」が仏語でも英語でもない(英語のプディングから作られた和製英語?)もんねー。
食べ物関係のほか、カップル、とか、アベック(いまどきはもう使わないけど)も和製仏語か。
カップル、というのは単に「一組」という意味であって、別に男女一組を指すわけではないし、アベックに至っては、名詞じゃなくて前置詞ですぜ。英語で言ったらWITH。これが何故に男女一組を指す言葉になってしまったのやら。

なんかこう、日本におけるフランスのイメージ(色恋、食べ物)を象徴する単語たちではあるな、と思いましたが、そーいや「レジュメ」「アンケート」などという学問?方面の和製仏語もありますなぁ。

それにしても「パパン」、ママンだからパパン、というあたりが、マミィとパピィ、みたいで、なつかしの異色少女マンガ「お父さんは心配症」を思い出してしまったわ…。
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by mmemiya | 2007-06-13 22:41 | 日々雑感 | Trackback | Comments(3)

小梅と戦う

日曜昼過ぎ、貰ってきました、小梅。結局、5キロ。

去年はもうちょっと早い時期に貰ったような?と思ってましたら、やはりと言うべきか、かなり熟していた今年の小梅。

モノの本には「傷があったり、斑点のある梅は使わない」とあるわけですが、一般家庭の庭木になった梅の実を「斑点のないもの」なーんて選別してた日にゃあ、5キロから500グラムも取れやしない。
ということで、昼食作って食べさせてから、最初は小一時間かけて、傷物とそうでないもの(まぁ許せるかな?のもの)の選別。しかし、去年はもう少し、斑点も少なかったような…?やはり、熟してくると増えてしまうものかしら。
確固たる基準があってやってるわけでもないので、後で見直すと、自分でも「あれ?何故これは傷物に入ってるのかしら?」あるいはその逆、ということもしばしば。
それにしても選別だけでぜいぜい。しかし、この段階で、もうちょっと丁寧に何度も洗うべきでしたね。(後から夫に、洗い方が足りないと言われ、一生懸命洗いなおされた。)来年のために覚書。

そんでもって、2時間水につけてアク抜き。「傷物ではない」としたもののうち、青いものとそうでないものを更に分け、ヘタを取っている内に夕方になってきて、私が夕食準備(といっても、梅に手がとられるわ、と、手抜きでかつおのたたきを買ってきた)をする間、残りのヘタ取りを夫に頼む。この間、青梅の蜂蜜づけを作った時は、息子にヘタ取りを頼んだんだけど、さすがに小梅は小さくて、5歳児には難しかろう。
夕食作りつつ、青い600gをカリカリ漬けにするべく塩をもみこむ。残りの1200gは、夕食の後片付けの後、小梅の梅干にするため、別に漬け込む。

…傷物として残ったものが3キロ少々。子どもたちをお風呂に入れた後、寝かしつけを夫に頼み(ここで寝かしつけを始めたら、きっと一緒に寝てしまう!)ひたすら傷を切り落とす。
傷物の梅の扱いについてはあんまりたくさん情報が得られないため、半分ぐらい実験みたいな感じになってしまうのだが、ともかく、正味600gほどを砂糖をかけてシロップに出来ないか試みる。同じく正味500gほどは、しょうゆに漬け込む。しょうゆ漬けになった梅よりは、しょうゆの方が目当て。そうめんつゆ作りに重宝しそうだ、うまくいけば。
あー、実はまだ、傷物が1キロ程度あるのだが、さすがに今日はギブアップ。これからまた一週間が始まるというのに(そして、今週末は通信教育今年度2回目のレポート締め切りだと言うのに!)これ以上夜更かしは出来ません…。

ああ、来年への最大の教訓、それは、「梅は土曜日に貰いに行け!」だわ…。
ちなみに昨日は、息子とミョウガ饅頭作るぐらいのゆとりがあったんだけど…。(餡が皮からはみだしまくってましたが、葉っぱで包んでまとめてしまえるので、多少飛び出したって平気なところが子ども向けかも。そんなにミョウガの香りはしないのですが、って、そもそも葉っぱは匂わないか?ともかく、なかなか美味しくできました。)
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by mmemiya | 2007-06-04 01:03 | 日々雑感 | Trackback | Comments(8)