La Lune Lunatique

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しばらくブログ断ちいたします

楽しみに見に来てくださっている、という方が、もしもいらっしゃったら大変恐縮なのですが、12月から2ヶ月ほど、基本的に、ブログへの投稿を自粛したいと思います。

さすがに、国家試験まであと2ヶ月と迫り、ただでさえ貴重な学習時間を、あれやこれやの言葉の推敲に費やすべきではないな、と観念いたしました。

数日に一度ぐらいはチェックはしますので、コメントには出来る限りレスはいたします。
また、何かあれば、つぶろぐの方で、ちょびっとつぶやくぐらいはするかもしれません。

それでは、寒い毎日が続きますが、皆様、どうぞ、お体には気をつけて。

なお、喪中につき、年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます。あらかじめ、本年中に賜りましたご厚情を深謝いたしますとともに、明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます。


平成20年1月27日(日)が社会福祉士国家試験日です。よろしければ合格を祈ってやってくださいませ。
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by mmemiya | 2007-11-30 23:08 | 日々雑感 | Trackback | Comments(12)

ロマンティック・ラブ・イデオロギーを離れて

受験勉強をしなければならない。

それは分かっているのだが、そういうときにここぞとばかり、別の本が読みたくなるのは何故~。

気になっているのは、「子どもの社会力」という本と、もうかなり古い本なんだけど、山田「パラサイト・シングル」昌弘氏の「近代家族のゆくえ」。
あ、松浦理恵子が新作出してるの、ちっとも知らなかったしなぁ。しかし、ハードカバー、高いしな…。それにしても、親指P(女の子の片足の親指が、男性の性器になってしまう、というお話)からもう14年も経っているなんて。

近代家族…の方は、要するに、私がずーっと気になっていることって、「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」の呪縛と崩壊と、そしてその後、ってことなのかなぁ、と頭の中が整理されてきたから。
ロマンティック・・・とは、簡単に言ってしまえば「恋愛と性愛と結婚の三位一体」などとも言われるけど、要は、「誰か(この場合、後で生殖が出てくるので必ず)異性を好きになり、その人と(その人だけと、がより正しいか)肉体関係を持って、そんで結婚する(+子どもを産む、かな)のが至上の幸せ」という考え方のことね。

分解していくと、互いに激しく好きあって結婚を決意する。結婚するまで誰とも性体験がない。婚姻後、もちろん、配偶者以外の相手と性的関係を持たない。配偶者以外の相手に恋愛感情も抱かない。もしも違う相手に恋愛感情を持ったら離婚する、って感じ?
(ちなみに、これらのどれ一つとして、人間にとって「当たり前」というものはなく、全ては社会的・文化的に規定されるのみである。ちょっと前までは日本でだって、経済力さえあれば男は複数の女性と公認の性的・あるいは恋愛関係を持てたんだからさ~。)

結婚というのが個人の意志に基づくようになって、また、性の乱れがどうの、とか言われるようになって、それに対する解決策?として強調されてきたと思われるこのイデオロギー。私なんかは主に少女マンガからの刷り込みによって、これに影響されてきたことは否定できない。

多分、色んな方面から、このイデオロギーは崩れかかっているとは思う。しかしながら、じゃあ、それに変わるスタンダードは、といえば、まだ見出されているとは思えない。
とりわけ、恋愛と結婚を分離できないあたりに、晩婚化・未婚化の一因もまた、あると思う。いや、恋愛と結婚自体は分離されているのかもしれないので、結婚の理由として、「恋愛」以外の強力な解を我々が持ち合わせていない、と言い換えるべきか。この先、見合いが非常な隆盛を誇る、というパターンも考えにくいし。じゃあ、結婚・家族形成・再生産という営みを、恋愛を経ることなしにどうやって始めたらいいのか?というようなことだ。

もちろん、遠い昔から各種の恋愛小説やら伝説やらがあるとおり、そこから結婚に進む、という人は、常に一定数いると思う。が、それは結婚理由の100%にはなりえないものだろう、というか、多数派になることがそもそもありえることなのか、というか。
<レンアイ>を煽ることで不要な悩みを抱え込ませるのは健全とは思えないが、じゃあ、レンアイなんて全て禁止してしまえ!と言うこともできない。どうせ禁止されればなお盛り上がる、って層もあるだろうし。

まぁ、したい人が恋愛するのはご自由に、として、結婚を恋愛の果てにおかず、んじゃ、結婚ってどこから始めるか、なんだろうなぁ、少子化対策の根本って、っていうような気がしている。
あるいは、ある程度の恋愛を経て、それとは全く無関係に結婚へ至る道がどこにあるか、というかねぇ…。昔はそれが「親の決めた道」だったんだろうけどさ。そんな時代に戻りたいわけでもないし、戻れないし。

とりあえず、近代家族のゆくえ、は、マーケットプレイスで注文してしまったわ。

ところで、話変わりますが、やっぱり、竹内まりやって人は、基本的に自信のある人なんでしょうなぁ。純愛ラプソディー歌ってて思った。「恋の舞台に上がっても 脇役しかもらえなくて♪」なーんて主人公の歌だというのに、「さよならが 永遠の絆に変わることもある」だもんな。
相手が永遠に自分を思ってくれるという確信があるというのは(だからこその「絆」って単語でしょ。自分の中だけで相手の記憶が永遠になるのでは、こうは歌えない。)すごいわ。
永遠ってのを、ま、死ぬまで、と言い換えたとしても、まず、人の心の中なんて絶対に分からない。「永遠に忘れない」と、たとえ言われたとしても、それが本気か知る術はないし、「死ぬまで忘れなかったか」なんて、死ぬ間際のその人本人しか、確かめようがないことですから。

・・・あー、ワタシってつくづくマイナス思考なのね。イヤだわ。

ついでに言うなら、男という生き物から、自分の欲しい言葉をもらおうなどという空しい望みも、そろそろいーかげん、諦めるべき年なのかもしれんなぁ。(これは、自分が年食ってるから最早そういうやり取りが不似合いだ、ってことじゃなくって、いい加減にいい年になれば学習しろよ、って意味ね。まぁ例えば、少女マンガのオトコってのは、所詮オンナが描いたオトコにすぎない、っていうような意味。)

とりあえず、元同僚と、諸々のストレス発散のためにカラオケ忘年会を企画した。カラオケなんて何年ぶり?もっとも今のところ、確定してる参加者は2人だけ。2人でカラオケって、一人が熱唱して、もう一人はそれ聞かずに自分の次歌う歌探すだけよね(笑)。しかも、30代後半女二人で!ちょっとさすがにそれはね・・・。うーん、ちゃんと人が集まって実現するのか?
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by mmemiya | 2007-11-29 22:59 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

追記:こっちの方が問題?

もしかして、恋と結婚の結び目をほどくには、先に、性と恋の結びつきをなんとかしなきゃいけないのかもしれない。

ひょっとして、「恋していない(愛のない)相手と肌を合わせるのはイヤ」みたいなのが、恋愛結婚以外の結婚への忌避感とつながっていないかしら、みたいな思いつきなのですが。

性と結婚を切り離すのはとても無理なので(「結婚=唯一絶対の性関係」ではない、結婚していても他の相手と性関係を持っていい、という文化圏はあるかもしれないけど、最初っから、一回も性的関係を持たない前提で結婚する、って人はまずめったにいないだろう。結婚の目的には生殖がありますからね。)そうすると、恋と性を切り離すしかないような。

なにしろ、恋と性があまり強固に結びつくと、逆に「愛しているからいいじゃない」という理由で若年層が性交渉に走ったりするわけだし、「嫌われたくない」とかいう理由で避妊してと言えなくなったりするわけだし。

性と、ある種の「情」とは切り離せないような気がするが、恋と性なら、もうちょっと、「絶対にイコール」ではない関係に出来るのではないか。(かといって、別に、むやみやたらと誰彼構わず寝ろって言ってんじゃないのよ、念のため。)

一度も手を握ることのない恋、なんつーのも、それはそれで、忘れられなくていいような気がするけどね。
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by mmemiya | 2007-11-29 22:42 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

キムチ1回目

やっと漬け終わりました~。

娘の手のあかぎれが、このところちょっとひどいのですが(手を洗った後、きちんと拭いてないのか??)キムチ漬けるのって、あかぎれの手では絶対厳しいと思う。

どこも荒れていない私の手(食洗機使うようになってから、冬場の手荒れともおさらばです)でも、唐辛子が染みてちょっと痛い。唐辛子、恐るべし。

昨シーズンは、結局、白菜丸ごとを3玉漬けましたが、はて、今年は何回漬けることになるのやら。

まだまだ寒さが本番ではないとはいえ、もう12月も間近。なんか最近、週に一度はおでんだし、ポトフ、ロールキャベツ、シチュー、等々、鍋物ばかりになってしまった気が。ちょっと食卓がマンネリ化しすぎているか。いかんなぁ。

…と思いつつ、面倒で、新しいレシピの開拓にはなかなか手が回りません。
ウー・ウェンさんの、ねぎ料理だけの本を買っちゃったので、この冬はねぎの襲来には負けない!とか思ってはいるんだけど、まだ一つも作ってないや…。

半年ぐらい前に、妹に、「ヤミーさんの3STEP COOKING」という本を紹介したら、えらく興味を持って、その後、妹も同じ本を買い、あれこれ作っているらしい。
この間、久しぶりに会ったときに「あれは作った?あれは?」と聞かれ「・・・作ってない」と答えると、「お姉ちゃんが教えてくれた本なのに、どうしてお姉ちゃんは作ってないの?」と言われてしまいました。
うん、美味しそうとは思うんだけどね。平日は、とりあえず何も考えずに作りたいのよね、ご飯は。
休日は休日で、庭の手入れやらなにやら、忙しいのよ(言い訳。第一、私は庭の手入れはほとんどしていないのであった。)。

山のような料理本の料理をあれこれ試してみるのは、子どもが手を離れてからのお楽しみ、などと開き直ったりもするのだが、そんな先のこと、どうなるか分からんしなぁ…。

ひとまずこの週末は、何か新しい料理に挑戦してみるか…。
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by mmemiya | 2007-11-29 00:12 | 料理のこと | Trackback | Comments(2)

やっとキムチに取りかかる

白菜の季節です。

先週、実は一度、白菜の下漬けはやったんだけど、なんだかんだで取り紛れて、結局、ただの白菜の浅漬けとして処理してしまった…。

本日、今度こそ、キムチのための白菜下漬け、をしたところで、また夫実家から白菜一玉…。

ああ、冬がきたなぁ、と感じます。こんなことであんまり感じたくないけど(涙)。

大量の渋柿も、最初に干したほうのものは、白い粉を吹かせるために取り込みました。第二陣の方もほぼ干しあがったかな、と思えるので、今週末ぐらいには取り込んでもいいかも。

しっかし、今年は、干し柿が大量すぎる…。実は干し柿というのは、けっこうカロリーが高いので、毎日、夕食後に食べていたりすると恐ろしいことに…。

あ、来週、人間ドックなんだった(汗)。最近、運動サボってるし・・・。やっぱなぁ、1年後の人間ドックが目標ってのは遠すぎたよね。(健康教育は、期間的に3ヶ月ぐらいが多分、一番、効果があるのでは、と言われますが、そのとおりではないかしら。)

あー、大根の葉っぱが大量なので、これをみじん切りして炒めなきゃいけませんが、子ども寝かしつけてから起きられるかしら。
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by mmemiya | 2007-11-27 20:30 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

学内模擬試験を受けてきました。

ぼーっとしているうちに、各種模擬試験の申し込みがいつまでやらよく分からなくなった、というのはいかにも私らしいが、今日は無料で、特に手続きもせず申し込めた、社会福祉士国家試験学内模試でした。結局、これが唯一の模試の機会、ということになってしまったわ。

自己採点の結果は、今回の場合はギリギリ合格ライン。この辺は、思いもよらぬ問題が多めに出たりなんかすると、即、危うくなるラインともいえる。あと2ヶ月で、これをどこまで、安定感のあるレベルへもっていけるか、が勝負ってことですな。
ひとまず、老人福祉論だの障害者福祉論だの、すんごいベーシックなところが弱いということが改めて分かった。特に、介護保険とか、障害者自立支援、という、もんのすごいメインのあたりが…。
あと、地域福祉論が10問中4問しか取れてない、っつーのも問題だわな。通常は、得点源、と言われる分野なのに…。(4割しかできなかったのはこれだけ。)

さあ、あと2ヶ月、頑張らなければ。ば。

実は、4月から医療ソーシャルワーカーに、というのがほぼ絶望的となり、ちょーっとだけモチベーションが下がっているワタシ。
しかし、2年も勉強してきたことが、試験に受からなきゃ全く無駄になってしまうわけで、なんとか頑張らなくっちゃ。
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by mmemiya | 2007-11-25 19:55 | 医療ソーシャルワーク | Trackback | Comments(0)

過ぎ去った日々を

思春期の頃に書いた、あるいはもらった、気恥ずかしい手紙とか、その他諸々のことを思い返していて思ったこと。

幼かった頃の、幼さゆえの諸々を、気恥ずかしさとか苦しさとかではなく、愛おしさだけを感じながら振り返ることが出来るようになるのは、一体いつのことだろう。

ま、100%愛おしさだけを、というのはちょっと無理としても、他の諸々、苦しみ、哀しみ、痛み、消してしまいたい気持ち、そんなものを圧倒的に凌駕する愛おしさでもって胸に抱くことができるようになるといいな。
切なさとか、甘酸っぱさが入り混じるぐらいは良いとして。

そして、過ぎ去った日の自分と、その自分を支えてくれた、関わってくれた、あらゆる人たちを心の底から愛おしむことができるようになりたい。

…少なくとも、死ぬ前までにはね。
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by mmemiya | 2007-11-25 19:47 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

「母子家庭創生譚」なるもの

ピアニシモの第二楽章を読んで、100%肯定はできなかった私だが、最後に朱が双子を産む、というくだりで、ああ、子ども産みたかったのね、と勝手に得心した部分はある。

斉藤美奈子の「妊娠小説」でいうところの「母子家庭創生譚」即ち、<望まない妊娠>を扱う小説では、通常、出産は選ばれないが、まれに出産を選ぶと、男の方が消えてなくなる、という、アレにもちょっと似ている。一意、いなくなってないらしいけど。大体、望まない妊娠じゃないし。
でもラストシーン、朱と子どもたちだけで、一意、出てこないし。少なくともずーっと同居してるってんじゃなさそうだし。

※ちなみに、斉藤美奈子の「妊娠小説」という本は抱腹絶倒請け合いの、読んで損は絶対ない本です。これを読んだら、私も妊娠小説書いたことがある(それこそ母子家庭創生譚だ)と気づいて赤面したが。

女の生殖年齢は、男のそれより短い。34になった朱が、とりあえずこの男の子どもを産んでおきたい、というのはうなずけはするわね。(一意って朱よりいくつ年上なんだっけ…。)

ちなみに、前作「ピアニシモでささやいて」では、ラスト近く、別れるための二人だけの逃避行?で、朱は「ピルを飲んでるから何もしなくていい」という台詞を吐いてます。ピアニシモの連載時期って1980年代か。低用量ピルの解禁っていつだったっけ、と調べたら1999年。それ以前だと、もちろん中用量ピルしかないが、それを避妊目的で処方してもらうってのは広くあったと思うんだけど、1980年代では、それもかなり特殊なことだっただろうか?そんなことはともかく、この時点で「ひっそりと子どもだけ産もう」でないところは潔い。(単に現実的なだけかもしれないが。)でもその時点では朱はハタチ。そんな年頃だと子ども産むなんてことが、あんまり切羽詰った現実ではないわな。

実を言うと、この作品が、わざわざラストで子どももってきた必然って、ない気がするのよ。だって、血のつながらない者が、自分より後に生まれた者たちが、自分を継いでくれて…みたいな物語に収まりかけてる中で、わざわざこの二人の子どもが出なきゃならない必然は、ストーリー的にはどうなのか。

あと、これはピアニシモと関係ないけど、母子家庭創生譚というのは、その前提に、「子どもは母親たる私のモノ」みたいな意識が、どうしたってあるような気がする。
それこそ私もたまに、相手が誰であろうと、自分のこの子は自分の下に生まれてたような気がすることってありますが、いやいやそれは、遺伝子の半分の提供者に対してあまりに失礼だわ。
子どもはもちろん、父のものでも母のものでもない。庇護して一人前にしなきゃならない義務はあるが、所有権はないのよね。時折自戒せねば、と思う。
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by mmemiya | 2007-11-24 01:02 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

今更ですがピアニシモ第二楽章

前にチラッと、気になる、と書いていた「ピアニシモでささやいて 第二楽章」(石塚夢見)の最終巻だけを、出てすぐに買った。で、読んだのだが、だいぶ経った今、また、読み返してみたり。
途中を読まずにどうよ、とも思うが、まぁ、最終的に一意と朱がどうなったのかだけ知りたかったのだ。

前作は高校生の頃読んでいた。あれから14年、という設定だそうで…えーと、ラストの朱ってハタチぐらい?とすれば第二楽章の朱は私よりも年下ってことか。
高校生の頃は、これと、あと、「麒麟館グラフィティー」(同じくプチコミック連載)を、とってもオトナな感じのマンガだと思っていた。麒麟館なぞ、DVのDの字も聞かなかった(と思う、少なくとも私は)当時の私に、すんごい強烈な印象を残した。おかげで今でもDVというと、「ああ、秀次がやってたアレだ」と思ってしまう。

そんで、ピアニシモ。ラストで、別れるためだけに二人だけで別荘に篭り、別れるために初めて結ばれる。で、「二度と 会わない」という決断をした…のではなかったか。あそこで紅涙を絞った立場としては、「え、今更なんで、一意と朱がくっつくのよ」みたいな感じもあったわけだが(大体、ラストじゃ朱には恋人もいたじゃん。「きっと、最後の人になる」って言ってたのは誰だ!)、しかし、前作で解せなかったのは、実はなんで、一意が貴子を選んだか、ではあった。
一意が音楽の道に進みそうなことに不安を持って、恋人である彼に傷を負わせてまでそれを妨害した女である。しかも、それを頼んだ男に体を要求されて一夜を共にまでしている女だ。朱を散々妨害しておいて、最後に、突然、アフリカにボランティアしに旅立っていってしまった唐突さ。なんで、一意が朱より彼女を選んだのか、あの頃も分からなかったが、今も分からん。
(更に言うなら、そもそも、一意のどこがいいのか、朱の気持ちも実は分かんないんだが、結局、色恋沙汰って理屈じゃないのかも。)

その貴子が死ぬことで、第二楽章が始まる。前作では貴子の存在を思って身を引いた朱が(あるいは一意に選ばれなかった朱が)色々あったが最後は一意と結ばれる…というわけだ。

なんというかなー、まぁ、「ありえたかもしれないバリエーションの一つ」として、許容はできる。「もしも、貴子が早く亡くなったなら、今度こそ二人が結ばれることもあっただろう」みたいな。
でも一方で、前作のラストのまま、二人は、時折、ラジオやテレビから流れてくる、お互いの作った音楽を耳にして、お互いの存在を確かめながら、二度と顔自体をあわせることはない…というのもまた、ありえたかもしれない未来ではなかったか、とも思う。

もっと言葉を変えて言うなら、第一部の終わり方のまま、二人は結局結ばれなかった、という方がよりリアルで(このマンガそれ自体がリアルかどうかは置いておいてだな。芸能界モノだし。)、二人が結ばれるにあたって障害であった女が若死にしてしまい、あまつさえ、今際の際に、二人の今後の関係を容認するような台詞を吐く、というのは、ちょっとご都合主義に過ぎるんじゃないか、ということだ。

しかし、朱が、「もうすっかり大人だから 若い頃のように 恋だの愛だの言わなくなった (中略) それだけに捉われるでなく (中略) それでも 小さく密かに 恋心は息をしている (中略) 一意 今 あなたに憧れてやまない この想いを (中略) 恋 と呼んだら違う?」とつぶやけば、ついつい朱の十数年越しの思いを応援したくはなるし、「私はもう やめてもいいか 疑うことを やめてもいいか あり得ない をやめてもいいか 私はもう 信じていいか あり得ること と信じていいか あなたと私の 胸と胸とに 奇跡のように運命はつながっている と その運命を 肯定 していいのだ と―」と、シルクロードへ旅立つ朱を見れば、それなりに胸は熱くなる。
絵柄も決して上手とはいえないマンガなのだが、なんというか、こう、ドラマティックな有無を言わさぬ力はあるよね。(って、もちろん、そんなもの感じない、という人もありましょうが。)

とはいえ(私は貴子さんという女性が決して好きではなかったが)「別の幸せがあったはずだもの、あなたには」「あなたと朱ちゃんは魂の深いところでつながってるのよ」という最期の言葉を残して死んでゆく、というのは、ちょーっと貴子さんもいい面の皮、って感じで気の毒なことではあった。しかも、死んでなお、娘の口を通して<母さんも、「行きなさい、朱ちゃん」って言ったと思う>と、一意を追いかける後押しの一言まで言わされてしまうのだ。立場ないよなー。
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by mmemiya | 2007-11-23 21:04 | 読んだ本 | Trackback | Comments(2)

人はそうそう一般論など語れやしない

ということでもありますねぇ。竹内まりやの話からどんどん横へそれていきますが。

この間、膝を打ったのが、<「男女間に友情は成立するか」といった議論をしても意味がない。「成立する」という人も「成立しない」という人も、自分の個人的体験を述べてるだけだから>みたいなブログ記事。

つまり、あなたが「男女間の友情は成立する、しない」と考える時、あなたは自分の相手として、誰を思い浮かべているか?ということだ、と書かれてました。

Aさんが「自分の場合は、あの人と成立してる。だから男女間の友情はありえるんだ」と結論付けたとしても、Bさんは「私は、あの人と気まずくなった。だから男女間の友情は成立しない」と考える限り、AさんはBさんを説得できない、というのです。

そうねー、人は一般論を語るフリをして、結局、自分の狭い体験を語るしかできないよね。
ただ、あからさまに「私と◎◎さんは、こうこうこうで、結局、友情は続かなかったのよ」みたいに語ることも憚られるので一般論を装ってしゃべるだけだ。

自分をさらけ出す、というのは、もちろん、勇気のいる行為ですからね。私もけっこうあけすけなことを書いているようでいて、これでそれなりにガードはしているつもり、なのだ。でも、読む力があればきっと、「あら、この人ってこういう人なのね、過去にこういう経験があるのね」みたいに読み取れちゃうんだろうなぁ。

男女間の友情、というのは、ま、友情、の定義が明らかではないな。友人と知人の境目って曖昧だし。(このへん、昔、小学校とかで、「あなたの友達の名前を書きなさい」とか言われて、自分が挙げた相手が自分の名前を書いてるか恐怖した、みたいな体験もトラウマになってはいる気が。)
それ言ったら、「友達以上恋人未満」ではないが、友情と色恋の境目も曖昧か。そこでそもそも、みんな少しずつ違うものを思い浮かべている上に、更に、具体的に自分の個人的な知り合いを思い浮かべながら語るとすりゃ、それはどこまでいっても話はすれ違いだわな。

いったんは成立したと思っていた友情が続かない、ということも、もちろん男女問わずあることだからねぇ。その成立しなかった理由は、「異性だから」ということもある、かもしれないし、ない、かもしれない。

で、私の個人的な見解は?と問われれば。
まだ、そんな結論がほいほい出せるほど、年食ってないかも。
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by mmemiya | 2007-11-23 00:32 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)