La Lune Lunatique

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ありがとうって言ったら永遠にさよならになる

むかぁし、少女マンガだかテレビアニメだかで、いつのまにか覚えた言葉の一つに「アデュー」ってのがあった。
その頃は、多分、ちょっと気障な別れのあいさつ、みたいに覚えていたんだと思う。

で、フランス語を習ってから、これが A dieu だと知った。

一般的に、フランス語の別れの挨拶は Au revoir である。(もちろん、くだけた挨拶だと、他にも色々ありますが。)これは、訳すなら「また会う時にね」みたいな意味合いとなる。ということは、次に会うときがいつなのかはっきりしていれば、Revoir(再び見る)の部分を「来週」とか「月曜日」とか「数時間後」とかに入れ替え可能であり、現に、人々はそうやって別れの挨拶を交わす。
Auは「Aと後ろの定冠詞がくっついた」形なので、まぁAとおんなじだと思ってもらえばいいが、前置詞の一つで、場所とかを指す(英語で言ったらAtみたいな?)時もあり、時間的な経過の終わりの時点を指す時(「いつからいつまで」の「まで」の方)もあり。ちなみに、このAの上には、本当は点がつきます。大文字の時は不要だけど。

じゃあ、Dieuって何よ、と辞書を引けば「神」とある筈だ。A Dieu というのは、要するに「次に会うときは神様の前」という意味合いを持った別れの言葉なのである。神様の前である。生きてない。今生の別れ、みたいなもんだ。まぁ外国人の私に細かいニュアンスは分からないので、「また生きて会えるかもしれないけどしばらく会えそうにない」なんて時にも使うのかどうかまでは知らないが、とにかく、おいそれと日常生活に頻出するあいさつじゃないことは確かだ。(ところが、スペイン語だと、同じ意味の言葉が日常の「さようなら」になる。なんでだろう?で、スペインに近い南仏でも、A dieuは特別ではなく普通のさようならになるとかいう話も見た。)

日本語には、永の別れにの際に使うよう限定されている語ってあっただろうか?
うーん、とっさに思いつかない。

んだけど、「さようなら」というのが、要するに「じゃあ」ってコトバでしかないだけに(しかも、とりたてて「それじゃあ」って意味だとも感じず、特に意味を持たない記号としての別れの挨拶と受け止めている人もけっこういるだろうし)逆に、そこには色々なニュアンスをこめることが出来るような気もする。
なにしろ、フランス語で Au revoir と言い合えば、理屈っぽくいえば、例えば一方がフランス滞在を終えて日本に帰る、もしかしてもう二度と会わないかも、というようなシチュエーションでも、一応、お互い、私たちはまた会う(会えたら会いたいね、でもいい)ということを、同時に確認しあっているのだが、「さようなら」には「再び会う」の意味が全くないだけに、逆に、日本語のさようならは様々な場面で使うことが出来るわけだから。

もうあなたには二度と会いたくないわ、という意思をこめて発する「さようなら」もあるだろうし、「また是非お会いしたい」ということを滲ませながらの「さようなら」もありえるわけだ。

で、更には、記事タイトル(松たか子の「桜の雨、いつか」より)のようなことさえある。通常「ありがとう」はもちろん、辞書的には、感謝の言葉であって別れの言葉ではない。
しかし、別れのシチュエーションにおいて、それまでの関係に感謝をこめて、改まって「ありがとう」というコトバを発すれば、これがまた、確かに別れの言葉にもなるという不思議。これって、日本では割と、毎日付き合う親しい間柄で、そう改まって「ありがとう」なんて言わない、という状況があってこそ、なんだろうかね?うがちすぎ?
まぁともあれ、場面によっては、本来、感謝を表すだけのはずの「ありがとう」が、言外に「さようなら」を込めた言葉にも変わるわけだ。殊更に「さようなら」とは言わずとも、互いに、これが別れだ、と分かっている、というような。

そういや、私、なぜか1985年の第31回の時だけ、江戸川乱歩賞受賞作を買って読んでいるのだが、この時の受賞作の一つ、「モーツァルトは子守唄を歌わない」の森雅裕氏の著作は、その後、入手可能なものを全て揃えたし(「サーキット・メモリー」と、私家版で配布された作品は持ってない)、もう一つの受賞作「放課後」の著者・東野圭吾氏の作品も、次作の「卒業―雪月花殺人ゲーム―」を割とすぐ買ったと思う。

で、この「卒業」(これはその後、東野作品に何回か登場する「加賀刑事」の大学生時代のお話でもあります)のラストで、その加賀君が冒頭で告白した(しかも、つきあってもいないのに「結婚したい」が告白の台詞ってああた)女友達に、「今でも、あたしと結婚したいと思ってる?」と聞かれるシーンがあるのです。「思ってるよ」と彼が答えると、
「そう……ありがとう」「残念だな」「残念だわ」
というやりとりで、この作品は終わるわけですが、えーっと、文庫じゃない方で読んだ筈で、初版が1986年5月かぁ。私、この作品を中3で読んだの、高1で読んだの?どうだろう。ともかく、私、実はそのとき、このやり取りの意味が分かんなかったんですわ。
ありがとう、っていう言葉の真意をはかりかねて、なんだ、何言ってるのこれ?って思ったことを強烈に覚えています。トリックがややこしすぎたこともあって、ほとんどここしか覚えてない、と言っても言い過ぎではない。
「ありがとう」に、字義通りの<感謝>以外の様々なニュアンスが込められるんだ、ってこと、その頃は分かってなかったんだなぁ、私。

今の私なら、ここで沙都子の立場なら、やっぱ、「ありがとう」しか言いようがないよね、と思わなくもないのだが。ああ、言葉を使うって難しい。
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by mmemiya | 2008-02-29 23:43 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい

一昨日、息子の保育園からの連絡帳に「今日はごほうびシールを5枚もらえました。詳しくは本人まで」と、担任からの書き込みが。

どうしてご褒美がもらえたの?と聞くと、さっさと片付けてお利口に待てたというのが2回、あとは、般若心経が暗唱できたから、だったのだそうな。

去年も今頃は、保育園で般若心経を唱えていたのだが、今年も、年が明けてしばらくして、ふと気づくと、教室の前面に、全て平仮名(あたりまえ)で書かれた般若心経の全文が貼りだしてあった。(それまでは、「今月の歌」みたいな、季節の歌の歌詞なんかが貼ってあった場所である。)

それが、都合3枚の紙に渡っているので、息子は「1番、2番、3番」というのだが、「僕は3番まで全部覚えた」ということらしい。

試みに、いつもは100ぐらいまで数を数えてお風呂を出るところ、般若心経を暗唱させてみたところ、ほとんどつっかえずに最後まで唱えていた。というか、私はそれこそ、息子言うところの「1番」ぐらいまでしか覚えていないので、あってるかどうかが分からなかったりするのだが。

しかし、文字通り、唐人の寝言だと思うが、よくまぁ覚えられるもんだ。娘も「かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー」と、冒頭の方は一緒に唱えているし。
ただ、それこそ意味も分からず覚えているから、ある意味当然なのかもしれないが、そこで区切れないだろ、というところで息継ぎをしたりするので、息子の唐人の寝言を聞きつつ、ところどころ「ああ、そうだ、遠離一切顛倒夢想…」などと、なんとかついていこうとする身には、突然、頭の中で追おうとしていた意味が途切れてがく、ってなところもある。
まぁ、私自身、全部の意味を把握しきっているわけではないので(把握できてたらそもそも全文覚えてるだろ、ってのもある)そう偉そうなことは言えないのだが「なんでそこで区切るのよ」といったって、当たりまえだが息子はどこ吹く風である。

しかしホント、意味も分からずよく覚えるものよ、と思うけれど、小学校に入ったら多分もうこんなものを唱える機会もないだろうし、きっと忘れていくんでしょうなぁ。何歳ぐらいに覚えれば、一生覚えていられるものか、ということが私には分からないけれど、なんとなく、年長児の段階で覚えたものを一生保持、というのは難しそうな気がする。

さて、圧力鍋で、昨日は牛肉の赤ワイン煮、本日は牛すじの味噌煮込み。どちらも夫からはなかなかの評価。なにしろ今まで食卓に上ったことのないタイプの料理だしね。
内鍋を入れる、という方法を教えていただいて、ちょっと検索したところ、「桃の蔵」というところの「玄器」なる商品が、カムカム鍋と同じく玄米炊き用の商品だが、直火OKと分かる。

ただ、「水・食物をマイナスイオン化」とかあるもので、あちゃー、というか、ちょっと躊躇いを感じることも事実ですが・・・。カムカム鍋もマクロビオティックで推奨されてるようだし、「玄米を炊く」となると、どうしたってこういう疑似科学系とお友達になりやすいってことなのかしら…。
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by mmemiya | 2008-02-28 22:48 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(2)

読むのも好き、食べるのも好き

しばらく前に、近くの神社で餅まきがあった。初午の日というと、昔は確かに餅撒きに出かけたなぁ、と思うけれど、実に久しぶり。
雪の日の翌日で、義母や夫はずいぶん泥ハネがひどいことになっていたが(ゴム長履いている人を見た時には、なるほど、と感心した。あ、もちは一個一個、ビニール袋に包んでありました)私と娘は「泥だらけの中で突き飛ばされちゃかなわないから、後ろにいましょー」と、もちを投げる櫓(というのかしらん)の後ろにいたんだけれど、そちらはぬかるんでいなかったこともあり、そこそこ人もいて、壇上の人も、後ろへも投げてくれたので、あまり労せずして、娘と私もそこそこの数の餅が拾えたのだった。
櫓の真下にいた息子も、自力で一つだけは拾えたようで、けっこう嬉しそうだった。

子どもたちはお餅好きなので、放っておいても、焼いて、しょうゆつけて、海苔を巻くだけで、餅はどんどん消費できてしまうのだが、たまたま、少し前のオレンジページに、あまりモノのお餅を使うお菓子作りが紹介されていた。胃の精密検査の帰りだったか、喫茶店で遅い朝食を摂りながらそれを読み、欲しくなって本屋に走って久々にオレンジページ買っちゃったので、日曜、後二つ残っていたお餅(切り餅にしたら4個分ぐらいの重量)を使って、やっと、きな粉もちを作ってみた。
ものすごく餅がのびて、丸めにくくて驚いたが、なかなか美味しかった、と思う。残念ながら、今年はもう、他のお菓子(大福とか)はチャレンジできないと思うけれど。

林弘子さんの文章がとても面白くて、ついつい、他の著書まで気になってくる。ちょっと季節はずれだが「梅づくし」とか(梅の本は藤巻あつこさんの本を持ってるってのに!)「果物たっぷり旬のお菓子」(枇杷とかスモモとか、今だと柚子とかがものすごくたくさん貰える我が家にふさわしいかも)とかねー。

本日は電気圧力なべで「たこのやわらか煮」を作った。牛肉が現在、漬け込んであるので、明日は牛肉の赤ワイン煮の予定。果たして美味しいのだろうか?

この電気圧力なべ、ナショナルの製品なんだけど、主力?はマイコン制御のSR-P32Aという商品らしい。これは確かに、店頭でも見たことがある。
ただ、満水容量3.2Lというのは、ちょっと小さいよねぇ、と、悩んだ挙句、うちが買ったのはNF-205というもので、こちらは満水容量5.0L。見た目は、昔の炊飯器そっくり。

悩んだ挙句、というのは、少なくともNF-205については情報が非常に少なく、SR-P32Aとどの辺りがどう違うのか、が、よく分からなかったからだ。
両者を使ったわけではないが、NF-205を少しずつ使い始め、SR-P32Aの方の使用レポートなどをネットで読む限りは、まぁ、玄米専用コースがあることはともかく、「強・中・弱」の切り替えが出来る煮込みボタンがある、というのが、SR-P32Aの方の一番の特徴なのかなぁ。

前にもちょっと書いたけど、うちのNF-205の場合、保温機能しかないので、「事前に煮込んでアクを掬ってから圧力調理」などというのはちょっと難しいと思う。圧力をかけた後は、鍋全体が熱くなっていて、余熱で少しは「煮詰める」みたいな調理が可能なようだが。
で、事前に加熱をしようと思うと、もう一つ、別の鍋を使うことになるんだけれど、SR-P32Aは、鍋をかえずに調理が出来る、というのがウリなのかも。

ただ、オール電化で電気料金が安いのならともかく、そうでなければ、電気式の鍋で加熱というのは、コスト的にどうなんだろうか。まぁ、洗い物は増えるけど、将来(子どもがもっともっと食べるようになる!)を見越して、大きい鍋にしておいて正解なんじゃないかなー、と、自分を納得させてみる私。実際、店頭でSR-P32Aを見たら、内鍋が「え、こんなに小さいの」って感じだったもんなぁ。

加圧したい時間に合わせてタイマーをまわすと、加熱が始まり、しばらくして加圧が始まり、セットした時間を経過すると加圧が終わって保温に切り替わる仕組み。10分ほどでピンが下がるので蓋を開けることができる。(蓋をしたまま、鍋を冷水につけて急冷すれば、もっと早く蓋が開けられる。)ただ、長時間保温するのは良くないので(焦げついちゃうんじゃなかろうか、水分量にもよるんだろうけど)でかける前にセットしていく、ということが出来ないのはとても残念。(どうしても保温になってしまい、単純にスイッチが切れることはないのだ。)ただ、これはどうも、SR-P32Aも同様のようで、それならどっちを買っても一緒か、と、最終的にはNF-205の方に決めた。(違うんだったらちょっと早まったかも?)

とりあえず、台所で大変、場所を取っているので、使い倒さないとー。
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by mmemiya | 2008-02-26 22:41 | 料理のこと | Trackback | Comments(2)

やっぱり買っちゃった~

圧力鍋(電気ですが)の料理が、鍋についてきたレシピ本(なんか歴史を感じる写真の…)だけではモノ足らず、ついつい、やっぱり買ってしまった料理の本。

「圧力鍋の絶品おかず―手早くできて、ホントにおいしい!」という本を購入。
枝元なほみさんの本を買うのって、そういえば初めてだわ。教育テレビの子ども料理番組でお見かけはしていたので、つい”エダモン”と呼びたくはなるのだけど。

土曜日は夫に子どもたちをまかせ、久々に友人と飲みに出かけたりしたので、罪滅ぼし?もかねて、日曜の夜は、この本から新メニューに挑戦してみた。
鶏肉のスパイシーカレー。スパイシー、と言っても、そんなに色々の香辛料を使ったりするわけではないのだが、なかなか美味。でも子どもにはちょっと本格的過ぎたらしく、あわてて蜂蜜など入れて誤魔化してみた。
先に、火にかけて煮込んでアクをすくって…ってあたりが、うちの電気式なべだと直火にかけるわけにはいかないため、一度、他の鍋でやるほうが効率的(圧力調理の後の保温モードでは、余熱もあってそこそこ料理が出来そうだが、圧力かける前の保温モードでは、どれだけ時間がかかることやら…)ではあるが、そこさえ面倒に思わなければ、充分、普通の圧力鍋料理の本を参考にした料理が出来るかな。

あと、「スローな手づくり調味料」By林 弘子なる本を購入。麹まで自家製(といっても既存の麹を増やすんだけど)の味噌作りやら、ものすごく色々な材料が必要なウスターソース作りやら、ちょっとハードルが高いものも載っているけれど、生姜の保存方法(瓶に入れて酢に漬けておくと、酢もしみこまず長持ち!)とか、あれこれ参考になる。そしてなにより、文章が面白い。こりゃ買ってよかった本だわ。

土曜は、久々にアルコールがまわったわ~。いや、ちゃんと電車で一人で帰ってきたけどさ。友人と2人で赤ワインフルボトル一本をあけたのだけれど、アルコールを飲むことがほとんどなくなっているせいか、私、かなり弱くなった気が…。妊娠、授乳、妊娠、授乳で、アルコール断ちしてた期間が長かったし、夫が飲まないから、家で飲まないしな~。
彼女とは、小学校の1年の時もクラスが一緒だったので、それで言うなら最早30年以上の付き合い、ということになるのだが、実際のところ、小学校の頃、そう親しかったわけでもなく(1年生の時のことなんかなんにも覚えてないし(笑))、正確に言うなら「中学3年の時の仲良しグループの一人」である。と言ったって、もう、20年以上前のことになるわけかぁ。吃驚。
ワインとフィンガーフードの店、という奴だったのだけど、フィンガーフードって、すぐ食べちゃうから、結局、次から次へと追加注文するはめに。まぁ支払ってみれば「ワイン、フルボトルあけたらこんなもんか」というお値段ではあったけど、一皿一皿の価格設定とか考えると、うーん、素直にコースにしておいたほうが良かったかな?
いやぁでも、たまにはアルコールつきディナーもいいわ、やっぱり~。
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by mmemiya | 2008-02-24 23:12 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

現実と向き合う?秒速5センチメートル続き

昨日書いたアニメーション「秒速5センチメートル」は、夫と一緒に鑑賞したのだが、夫の意見は明快で、

「過去に忘れられない相手がいるなら、それは会いに行くべき」なんだそうだ。

そういや、このアニメを見る前にも、初恋がどうしたとかいう会話を二人でしてたとき、おんなじことを言ってたな。

「会いに行ったら、いいおっさんだったりおばさんだったりするから熱も冷めるだろう。で、もし、会いに行って、やっぱりどうしても好きだ、ってことになったら、今の家族を捨てて一緒になるしかしょうがないやろ」というのが夫の見解。
いやー、配偶者や子どもの立場からしたら、それはちょいと過激すぎる意見のような気も…。
(ただし夫としては、自分が出て行く側、と念頭にあっての発言じゃなく、私が出て行く側らしい。とは言ったって、配偶者としてそう心穏やかに聞ける類の喩えじゃないよね(笑)。)

だけどね、このアニメに関して言えば、ま、会いに行って、お互いやっぱりこの人しかいない!となって、それぞれが現在の家族やら社会的な位置やらを捨てると合意するならまだともかく(一方がその気になったって、双方がそう簡単に現在を捨てられるかよ、と私は思うけど)、会いに行って彼女がすっかり昔の面影をなくしてたとしたら、更に、過去の美化された思い出に浸るだけなんじゃないの?それをきっかけに現実と向き合うようになるとは、あんまり思えないんだけどなぁ、私には。

ま、なにしろ、あれこれ夫と語り合うネタを提供してくれるだけの作品ではありましたわ。そういう意味では全くの駄作じゃあないんだろうね。
ネットでの批評も賛否両論で面白かったです。
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by mmemiya | 2008-02-21 20:54 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

今頃ですが「秒速5センチメートル」

秒速5センチメートルなるアニメを見た。

ネタバレになっちゃうかもしれないけど、ちょっとあれこれ書いてみたくなるアニメだった。
ストーリーとしては3話オムニバス形式で、第1話は、主人公の男の子と、ある女の子が、小学生から中学生にかけて、お互いを共通項のある特別な存在だと思うようになるが離れ離れになってしまう話。第2話は、高校生になった主人公の男の子を、彼に片想いする女の子の視点から描いた話。第3話は、大人になった主人公の話。

あんまり、物事を「男はこうだよね、女はこうだけど」みたいな男女論で断言しちゃうのは乱暴だ、とは思うんだけれど、ま、少なくとも、このストーリーの中では、女のほうがとっとと振り切ってるよね、過去を。
よく、男の方がいつまでも過去を引きずってるものだ、などと言われますわね。それが事実かどうかは私は知らないですが。
某巨大掲示板には、このアニメに関連して「思い出は美化できるが、行動は現実的なのが女」という書き込みが。図星、というか、思わず苦笑しちゃうな。

更に言うと、記憶の美化も、自分のためになされてるものでしょうね。自己愛ですよ。
本当に相手が懐かしいとか、今でも好き、ってんじゃなく、懐かしむ私(昔の私)が好きなだけなの。

ただまぁこのストーリーを見る限りでは、主人公の男の子の側も、相当なナルシシズムの塊なんで、お互い様、って言えばお互い様でしょう。
男の方だって、引きずってるのは実際の彼女じゃなく、思い出の中で美化された、自己の反映であるところの彼女、って点では一緒ですからね、きっと。

そこまで考えると、果たして人が、自分の都合のいいようにではなく、本当に相手のことを思ったり、相手に向き合えるのかどうか、言い換えれば、自己愛の道具としてではなく人を愛するということがそもそも可能なのか不可能なのか、みたいな、哲学の領域?に入っていっちゃう気もしますが。
幻想ではない愛なんつーものが、やっぱ、無理かな、虚構かな、という。

それでも、せめて離れ離れにならなければ、そのうちに、フツーに(ってどんなか知らんけど)お付き合いして普通に過去の人になって終わり、で済んだだろうにね。
なまじ、距離があるから、勝手に相手を美化しちゃうし、更には、うまくいかなかった理由すら美化というか責任転嫁されちゃってね。

もっとも、この話自体が、全て美化された妄想だったのかもしれんしな。
小学生同士で、「下の名前+くん」呼びとか、女の子の下の名前呼び捨てとか、もう、それからして私には妄想の世界。
小学生の頃から知っている男子(ここは「ダンシ」だな、どうしても)なんて、多分、今どこかで会っても、相当無理しないと、苗字呼び捨てでしか呼べないぞ、私。「○○・・」と言いかけて「・・くん」と、無理やり「君」をくっつける感じ。
小学生のお互いの呼び方の基本は、あだ名か苗字呼び捨てでしょう。
はっ、10年違うと時代が違うのかしらん。

それと、多分、小学生・中学生は(特に男子は)あんなに筆まめではない。中学1年生があんな端正な文章で文通するのもあんまりリアリティ感じられない。
映画にリアリティというものが要るのかどうかは別問題だけど。

あとね、第1話のクライマックスは、鹿児島へ引っ越すことになった彼が、東京から、栃木に居る彼女に会いに行く、でも雪が降って電車が遅れて到着が夜中近くになって…でも彼女は待っていた!ってあたりなんですけど、夜11時を過ぎて子どもが帰宅してなかったら、親は必死に探しますよ、通常。
まして、片方は中学1年の女の子。駅なんて、家からそんなに遠くないし、多分、11時前に見つけられてる。
男の子のほうは、手がかりがなさ過ぎて探しようがないかもしれないが。
駅員がいる駅なのに駅員が何もしないのも不自然だし。
あまつさえ、小屋で一夜を明かすってのはどうよ。その辺(キスシーンまで含めて)やっぱり第1話全編が妄想かも、って印象を抱かせる。

あー、あとね、電話かかってきたり、手紙来たりしてるでしょう?
小学生から中学生ぐらいだと特に、親はこっそりそれを読んでる可能性も否定できない。
となれば、彼の行き先が栃木かも知れん、というのは男の子の親も思いつくかも。

第2話、高校生になると、携帯メールが登場します。
ねー、もう数年早く携帯が出てればよかったね。
私、字が汚いので、頭の中で文章考えても、「書く」という行為に、一つのハードルがあるけど、それでも手紙を書くところまでは書いたりする。でも、切手買いに行って貼ってポストに出して、ってのがもう、けっこう高いハードルで、出さない手紙がたまったりするタイプの筆不精なのね。
そういう意味では、携帯のほうが少し、私にはハードルが低い。
ま、携帯メールがあったって、いずれ疎遠にはなってくのかもしれないけど。
既に携帯が標準装備になっている今時の中高生恋愛模様が、全然想像つかない年寄りなので、「携帯とかがあれば」ってのも、実態を知らない人間の幻想である可能性も大いにある。

第3話は山崎まさよしの「One more time, one more chance」という歌が半分以上バックに流れている。でも私、この歌、昔流行った歌らしいのですが知らなかった。(知らないと言ったら夫が驚いていた。)聴いてみると聞き覚えはあるかなー、とは思ったけど。

このアニメ、背景の映像はきれいなんですけどね、映像は。

第3話がどうなるか、とか知らないままに第1話を見ながら、「いやー、そんな中学1年とかで、あんまり<運命!>なんて思い入れる恋愛をしない方が幸せよ~」と呟いていたのですが、なので、まぁ、私には第3話の展開そのものは違和感はなし。
(まぁ、別に私、そんな運命的な恋愛とやらを経験したことないので、経験者は<いや、どんな結果になろうとあの体験はかけがえのない幸せなものだ!>とおっしゃるのかもしれませんがね。)

この映画に共感できるかどうか、というのは、過去の(自分で勝手に甘酸っぱくした)記憶、というものを自分でどう位置づけるのか、によって変わってくるのかも。

仮に、ずっと近くにいたって、何かの行動に移す勇気がなくって親密にならなかった関係(?)なんて「あの時行動に移していたら・・・」とか思っちゃいがちなものだとは思うけど、恐らく、本当は、行動に移していて、仮にいったん親密になってたって、そのうち、別の要因でうまくいかなくなっちゃったりするもの。
なのに、なまじっか距離が生まれたせいで、うまくいかなかったことを距離のせいに出来ちゃうからね。距離がなかったらもしかして、とか思っちゃうわけだ。
しかもそれが、かすりもしなかった片思いじゃなく、ものすごく特別な「冒険」で強化されちゃうわけだからね。
女の子の側はあの「冒険」を一つの終わりとして自分を整理した感なきにしもあらずですが。
Wikipediaで、あの二人がお互いに渡さ(せ)なかった手紙の文面を読めるんですが、それを見ると、あの「冒険」前には男の子は「好きでした」と過去形にしようとして、女の子は「好きです」なんだけどね。あの出来事が反対方向に作用しちゃったというのも面白くはある。

遠距離にいる相手を美化するうちに、「私は自分で勝手に作り上げた美化された虚像に惚れてるだけで、真実の相手が好きなわけじゃないんじゃないか」みたいな煩悶もまた、始まるのかとも思うけど、彼にそういう煩悶があったかどうかは、このストーリーでは読み取れないな。でも多分、勝手に美化したことで尚更、現実の相手とうまくいかなくなったということはありえそう。

作った人としては自分の過去への惜別の情を持ちつつ、決別の意味でこういうものを作った・・・んでしょうかね?
もっとも、だとしたらもーちょっとナルシシズムを排除すべきだと思うけどね。ここまでナルシシズムどっぷりじゃ、決別できてるとは思えんな。

過去に「もしシチュエーションが違ってたら、もっとあれはこうなってたのかなー」などという思い出がある人は、もしかしたら、はまる場合もある、かもしれない。
私も、理性としてはこのストーリーに共感したくはないんだけど、これだけ長文書き連ねる時点で、どっかを刺激されたことは疑いないし。

何もしないで自分の妄想の殻に閉じこもってばかりいたって、まぁ生きてはいけるやね。
いけるけど、それで満足な一生を送れた、と言えるのかは、自分で考えるしかない。

結論としては、こんな話に共感するよりは、大人になりましょうか、そろそろ、ってことかも。
一人妄想でもんもんとしてただけでなく、具体的な誰かが、過去のどっかの時点で、確かに自分に幸せをくれたんなら、それでいいじゃん。そこに感謝して、済んだことは済んだこととして、生きてる以上は、また、踏み出すべきでしょう、どこかへ。
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by mmemiya | 2008-02-20 23:14 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

誕生日おめでとう

まだ一度も会ったことのないあなたへ。

誕生日おめでとう。

初めてあなたのことを聞いてから、もう一年近く経ったのですね。
あの時は、本当のことを言えば、あなたに誕生日おめでとうなどと言える日が来るとは思っていませんでした。
9割以上の子が、1歳まで生きられない、と、あなたの誕生を知るのと同時に知らされたから。

「様々なハンディキャップを背負っていても、いやだからなお、その子どもたちは無垢だから」とか、「生きていることの意味を教えてくれたから」とか、そんな理由で、人は生きているわけでも、誰かに生きることを許されるわけでもない。

生まれ落ちたその瞬間から、ひとつのいのちが、出来るだけ長く生きていこうとすることに、何か理由など、必要な筈がない。

そんな当たり前のことを、恥ずかしながら、今、改めて反芻しています。

そして一つ一つの生命が、生き続けようとするときに、誰かのなんらかの手助けが必要ならば、どうか、誰もがその助けが得られますように。

多分、実際に会うことは、これからもないかもしれないあなたと、あなたのご家族に。

1歳のお誕生日、おめでとう。
これからも、あなたの毎日が、一つでも多くの喜びに出会えるものでありますように。
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by mmemiya | 2008-02-19 22:59 | 日々雑感

圧力鍋使用のコツ

電気圧力なべを入手して、これで3日連続、稼動させてみた。

で、最初の二日間、蓋を開けてみると水分がほとんどなくなっており、焦げ付き気味。

あわててネットをさまよえば、色々なサイトに「圧力鍋は最初は、付属の料理本等の指定より短い時間で調理してみることがポイント」と書いてある。
そうか、そうなのか…。まぁ、考えてみれば、煮詰めるとか、足りない加熱はいくらでも後から出来るけど、行き過ぎた加熱を取り戻す術はないもんなぁ。

ということで、本日は、料理本の半分の時間でやってみた「鯖の味噌煮」(レシピ本より材料が少なかった、という理由もあります)。20分の高圧で、一応、骨まで食べられるようになりました。
味の面では、時間が許せばもう少しきっちり仕上げをすべきだったかと思いますが、とりあえず、子どもが骨だ骨だと騒ぐことがなくなるだけ、いいかも。

アマゾンで、圧力鍋料理の本を買おうかと検討中…。
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by mmemiya | 2008-02-18 23:41 | 料理のこと | Trackback | Comments(2)

永住目的ではない人を移民と呼ぶか

遅ればせながら、バレンタインデーということで、ブラウニーを焼いた。
フードプロセッサーで生地を全て作ってしまうタイプ。子どもが争ってフープロのスイッチを押したがって大変。レシピよりだいぶ甘さ控えめで作ってしまったけれど、子どもは喜んで食べていたし、まぁ良いとしよう。

昨日、お雛様を出したと書いたが、相変わらずお雛様好きの息子がはりきって手伝ってくれた。まず、お雛様の箱を前にすると「手袋しなきゃ!」と手袋をはめ、いそいそと働いていた。
その息子、昨夜、風呂から出てきて「…どうして僕のお雛様はないの?」と聞くので、「あんたには兜もこいのぼりもあるじゃない」とか、「二人のお雛様ってことでいいじゃない」と宥めようとしたのだが、ついには泣き出してしまった。
実家に、土鈴の小さな親王飾りが居間のサイドボードの中にずっとあるので、息子も知っているのだが、実はそれは、私が中学生だったか高校生だったかの時、友達に貰った誕生日プレゼントなのだった。で、それを話すと「じゃあ、今度おばあちゃんちから貰ってきて」と言われ、それを息子にやる約束をした。
一体どうしてこの子は、こんなにお雛様が好きなのだろう。いつもなら、夜のトイレも怖がるくせに、真っ暗な廊下を通って、夜、お雛様をもう一度見に行ったりしていたし。

ところで、先日、髪を切った。どうも、どういう髪型にして欲しい、とかいうのが自分でもよく分からず、美容院という場所は苦手だ。そして今回は、2,3センチ切ってくれといったにも関わらず、かなり短くされてしまい、中学生かよ、みたいな頭になってちょっと憂鬱。大体、短いと、きちんと乾かさずに子どもと寝ちゃったときとか、翌朝、はねて大変なんだよ~。今度から「手入れの楽な頭にしてくれ」とちゃんと言わないとな~。
で、ああいう場所で話しかけられるのも好きではないので、女性週刊誌など読んでいたりするのだが、中の一冊で、辻仁成と中山美穂が夫婦対談なるものをしていた。
私は、辻氏の本って一冊も読んだことがないのだが、そういや、昔、ラジオか何かでエコーズの歌は聞いたことあるな。
まぁ、辻氏がどんな人間であるかとか、別に興味はないのだが、その対談の中で、パリでの滞在許可証更新手続きの話が出ていて、シテ島(パリの警察署があるところだ)の行列にずらりと並んだことを述べ「私たちって移民みたい」とかいう台詞が紹介されていた。それを読んで、ちょっとした違和感を覚えた。
え?あんたたち、移民じゃないの?移民じゃなかったらなんなの?ということである。大体、滞在許可を取ってるってことは、<移民局>で健康診断受けてるでしょ?

大辞林(ネット辞書だが)によると、移民とは「労働に従事する目的で外国に移り住むこと。また、その人。」だそうである。そうか、辻・中山夫妻は労働に従事してないから移民じゃないのか。もっとも、それより、「移民」というのは、なんだか、生まれた国以外の国に、永住目的で移り住む人のような語感がある気もする。とすれば、とりあえずしばらく外国に住んでみるか(骨をうずめるつもりまではない)という人は、自分で自分のことを「移民」とは思っていないのかもしれない。私にしたところで、滞在許可の行列に並び、移民局で健康診断を受けても、自分を「移民」とは思ってなかったもんなぁ。2年で帰るし、みたいな。でも、辻・中山両氏を移民、と感じるのであれば、自分自身のことだって、移民だったと思わなきゃ矛盾しているな。

あの人たちがそもそもどういう滞在資格を持っているのか、という話もあるんだが、どうかなー、私はVisiteur(住む所がはっきりしていて、医療保険に加入していて、一定以上の財産があったり送金があったりすることが証明できる人が取れる滞在許可。フランス国内で勤め人として給料を貰うことは禁止されている。自営は可。)かと思っていたんだけど。Profession liberale(自由業)での滞在許可とかは、何年か在仏の実績(納税の実績とかも)がないと、確か、いきなり取れるもんではなかったような気がするしな。よく知らないけど。

最近、身近でも色々な外国の人が増えた。非合法の滞在者も、もちろん増えていると思う。大人の非合法はともかくも、その子どもたちとか、学校へも行かず、親の国の言葉もそれほど出来ず…みたいな事例を聞くにつけ、一体、親は、そういう子どもの将来をどう考えているのだろう、と思う。 思春期ぐらいになって、自分の内面をろくろく言葉で表現も出来ないとなれば荒れるほかないだろうし、日本で仕事に就ける可能性も低いし(安定しない職なら見つかりはするのかもしれないが)かといって、ある程度大きくなってしまってからは、親の国へ親と戻って、そこで安らげるともあまり思えない。
生まれた国にい続けなければならないとは思わないし、異国でしかやれないことがあるとか、母国では仕事がないとか、もちろん、皆、色々な事情を背負っているのだろう。
ただ、数年で帰るのではなく、しばらく日本に居続け、子どもも日本で育てていくつもりなら、教育問題を避けて通ることはできない筈なのだが…。(ちなみに、文部科学省は、不法滞在者の子どもであっても就学を認める立場を取っているが、実際の運用は各市町村によって多分、異なるんだろうと思う。)
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by mmemiya | 2008-02-17 20:05 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

やったぁ!

今日、息子をプール教室に連れて行ったら、来期の案内チラシが出来上がっていて、それによると、来期から、幼児教室の対象年齢が、今までの「年中児~」から、「年少児~」に引き下げられると書いてあった。

やったね、これで、娘も入れてあげられるわ!

娘に、プールやりたい?と聞いたら、「今日入るの?」(今日は珍しく、入らないというので、外で息子の教室を見ていただけ)と、なかなか話が伝わらなかったが(4月から、なんて分からないわなぁ、3歳児には)これまでの様子を見るに、間違いなくプールは好きなので、これは4月から、二人まとめて幼児教室で決まりだな。

今日は、朝のうち、保育園で個人懇談があり、その後、やっとお雛様を出した。相変わらず、どれがどの場所か、何を持たせるか、で大騒ぎ。また、「飾り方ビデオ」見直しちゃったよ…。

来年のために覚書。
三人官女は、向かって右が長柄を持つ。
五人囃子は、左から太鼓、大鼓、小鼓、笛、謡。
仕丁は熊手(怒)、ちりとり(泣)、箒(笑)(とビデオではなっていたな。ネットで見ると違う情報も・・・)

今年、女の子を産んだ同僚に、「段飾りは止めた方が楽よ~」と言ってしまったほど、お雛様は大変だ。これでも「七段はやめて~」とスポンサーに抵抗し、五段なのですが、人形は15人飾りなので全員いるわけで、小道具が少し楽かも、という程度でねぇ…。やっぱり頑張って三段にすればよかったよ、と、贅沢なことを言ってみたり。(でも、七段飾りよりお値段の高い親王飾りもいくらでもあるわけですが。)
職場の人が「今年を最後にしようかな~」(娘さん大学4年生)と言ってたけど、いやー私、そんなに長い間、毎年飾る自信はないわ…。自分のお雛様もいつぐらいまで飾ってたかなぁ。小学校高学年頃から自分で段(スチールの段に緋毛氈の、昔ながらのものでした)を組み立てていた記憶はあるんだけど。

個人懇談では、娘が、左手ではさみを使いにくそうにしている(刃がついてる方で切れないから、多分)ので、このまま使いにくそうなら左利き用を買ってあげた方がいいかも、という話と、息子の方が、いつも一緒にいるグループの中で、リーダー格の子の言いなりで、表情もそんなに楽しそうではないのがちょっと気になる、との担任の談。別にいじめられているわけではないが、他の子にはちゃんと言いたいことが言えるのに、そのグループでは何も言わないんですよね…とのこと。うーん。
リーダー格の子、というのが誰なのか、普段の話に出てくる男の子のうちの誰かなんだろうけど、今ひとつ分からない。5歳児ぐらいになってくると、人間関係も子どもなりに中々難しいなぁ、と、夫と話し合う。(本人がトイレに行っている短い間にしか、まだ話せてないんだけど。)

豚ばら肉を買ってあったので、電気圧力なべで角煮に初挑戦。しかし、長時間鍋で茹でて茹でこぼすのに比べると、脂が全然抜けない(考えてみりゃ当然だわな)。ちょっと研究が必要だわ。というか、この鍋で料理するには向かないメニューなのか?短時間で柔らかくなることは確かなんだけどねぇ…。
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by mmemiya | 2008-02-16 19:47 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(4)