La Lune Lunatique

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ちょいとネットを控えなければ。

仕事の関係で受けておいた方がいい、某資格試験が、ほとんど勉強しないうち、いつしか試験日まで一週間あまりとなってしまった。さすがに、ちょっと真面目にならないと。

最初、テキストを開いて、化学式なんぞを見ただけで脳が拒絶反応を起こしていたのだが、読み進めようとしてもテキストの文字面が頭の中を素通りしていくばかりなので、練習問題からとりかかって、分かっていないところだけをテキストに戻ってみよう、と、練習問題をはじめてみたら、化学式なんか、実際の問題には出てこないでやんの(笑)。基本的な物理と化学、という分野は、中学生の理科程度の知識で解けるようで、ざっとやってみたら、テキスト一度読んでおけば、まぁ、常識の範囲で、合格ラインの6割には到達できそうかな、と。

となるとやっぱり問題は、法令知識とかそっちの方の規定やらを暗記する方だな。

この試験、危険物取扱者、というのですが、私の受けようとしているのは、甲乙丙ある中の乙種。消防法の規定による危険物は、第1類から第6類まで6つに分類されていて、甲種の免許を持っていれば、全ての危険物を扱える。乙種の免許には6種類あって、乙1種なら、第1類の危険物を扱える。私が受けるのは、乙4といって、第4類の危険物を扱えるようになる資格。第4類ってのは、ガソリンとか灯油とか軽油とか、比較的、身の回りによくある危険物ってこともあり、受験者も一番多い。
受かれば、ガソリンスタンドで働けるし、タンクローリーに乗れるな。(運転するには勿論、普通免許じゃ駄目なわけだが。)って、どっちも多分、求人なんかあまりなさそうですが。
ということで、ガソリンの引火点は何度で、発火点は何度で…ってな丸暗記をこれからやらねばなりませぬ。

というわけで、とりあえず、この一週間あまりはちょっとネットを控えて勉強することにします…。
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by mmemiya | 2008-10-30 20:40 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

高知へ行ってきました

母の退職祝いで、母が何度か仕事で出張した高知の魚を孫達に食べさせたい、というので、1泊2日で高知旅行。夕方の便で飛んで、ホテルへ荷物置いて、夕食食べに行って、ホテル戻って寝て、翌日、日曜市や高知城を見て、また夕方の便で帰ってくる、という、短い旅行。

折から、出発日の名古屋空港は、元国際線ターミナル(確か、私がパリから帰ってくる頃、つまり7年前ぐらいか、新しくなったばかりで、なんで中部国際空港が出来ると決まってるのにこんな新しいターミナルを作るかな、と謎だった。)がショッピングモールに生まれ変わってのオープン日で、空港周辺、大混雑。それを見込んで少々早めに出発したとはいえ、いやー、参った。我々は空港に行きたいんであって、別にショッピングモールに行きたいわけじゃないの~、道を分けてくれ~、って感じでした。

飛行機は怖いと言っていた娘(娘の想像の中では、飛行機とは、遊園地でぐるぐる回ってる屋根のないアレだったらしい)も、別に騒ぐこともなく、息子はおもちゃをもらってご機嫌で高知龍馬空港到着。バスで駅前に移動し、駅近くのホテルにチェックイン。

食事は、皿鉢料理のほか、単品で、鰹のたたきに加え、「のれそれ」とか「どろめ」とか「ちゃんばら貝」なんかをいただいた。あ、すっごい久しぶりに鯨も食べたなぁ。この中で一番気に入ったのは「のれそれ」かな。子ども達も、息子はまぁまぁ、娘はものすごくよく食べた。

翌日は、なんと雨。天気予報では雨じゃなかったのにぃ~。ともあれ、朝食後、チェックアウトして、息子が乗りたがった路面電車に(歩いたってすぐだってのに)乗り、日曜市へ。高知といえば四万十川とか、断片的なイメージしかなかったんだけど、日曜市を初めとして、色んな曜日に市が立つんだそうだ。日曜市は最大規模だそうで、端から端まで歩くと、ほんとものすごい時間がかかった。普通の道路を通行止めにして、テントで出店が出るさまは、パリの市場なんかを思い出して懐かしい。パリも雑貨屋とか、服売ってる店もありますしね。もっとも、高知では圧倒的に多いのは野菜の店で、パリとの最大の違いは、「肉屋」とか「魚屋」なんてのがないことか。干し魚は売ってましたけど。
パリの秋の市場といえば、この季節だけの「キノコの専門店」なんてのも出たりして、とりわけ、セップ(日本ではきっと、イタリア語でポルチーニと言ったほうが通りがいいだろうが)なんかは、見る側の気分としては、ちょうど、マツタケを見るような感じ…とはいえ、国産高級マツタケほどに手が出ない値段でもないわけで、うー、思い切ってシーズンに一回ぐらいは買っちゃうか、買っちゃったー、みたいな浮き浮き感も、今は懐かしい。今回、高知の市場には、マツタケもちらほらありましたが、あとは原木シイタケかな。キノコ類としては珍しいものにはお目にかかれず残念。

私が見慣れないものとしては、「四方竹」という、春ではなく秋が旬の筍があちこちの店に。あと、いたどりがやたら並んでいましたが、子どものころ、生で齧ったことはあるが、いたどりを塩漬けにしたものはここらでは見ないなぁ。どう使うんだろう?あと、「ぶしゅ柑」という果物。どんな字?と思ったら、漢字で「仏手柑」と書いてある店もあり、なるほど。息子はサトウキビを欲しがったが、あんなもの、飛行機で持って帰れるかい!ということで、断念させる。

その後、高知城を見て、もう一度、市のほうに戻り、「ひろめ市場」なる屋内市場で昼食。色々な店が並んでいて、途中にいくつか広場があり、椅子が並べてある。好きな店で購入したものをその広場で食べる、フードコートのような感じ。(飲食店以外の店もあるが。)子どもは高知に来てまで、うどんだのラーメンだのを食べるというので、さぬきうどんとラーメンを一軒で、別の餃子専門店で餃子を調達。大人は鯛茶漬けとか、また鰹のたたきとか。「明神丸」という、ガラスの向こうで、藁で鰹を焼き上げるパフォーマンスをしている店があって、かなりの繁盛振り。

昼食後は、ゆっくりと駅に戻ってみやげ物を見た後、早めに空港行きバスに乗る。高知はアンパンマンの生みの親、やなせたかしさんの故郷ということもあり、中心街のアーケードにあった店でも、駅でも空港でも、アンパンマングッズが充実。うちの子たちも土産に一つずつアンパンマングッズを買ってもらった。
空港で、最後にもう一度土産物を見て、飛行機に乗って、名古屋空港に着くころにはもう真っ暗。娘は、飛行機からの夜景に見とれていた。息子は、往復でもらった二つのブロックを組み合わせて遊ぶのに夢中だし、娘はどんな乗り物でも、乗り物に乗るとたいそう静かなので、行き帰りの飛行機の中では、遅まきながら再来週の資格試験に向けて勉強にいそしんだ私…。

で、遅くなったので、空港からの帰り道、夕食をとって帰ったわけだが、我々夫婦に楽しかったか聞かれた息子「亀を見たのが楽しかった」って…。ホテルのロビーの池に、亀が泳いでたんですが、高知まで行って亀か…。私の母に聞かれたときには「路面電車が楽しかった」。まぁいい、いいでしょう。

というわけで、短いながらもなかなか楽しい旅行でありました。
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by mmemiya | 2008-10-28 22:34 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

就学時健康診断にいってきた

仕事を早退し、息子を迎えに行って、帰宅し、小学校まで歩く。

保育園に着き、車を停めると、2階から、息子の担任の声が。「◎◎さーん、こっちがわに駐車してくださーい!」。え?こんな、がらがらの時間に何か?と思ったら、娘たちのクラスは1階で昼食を摂っているので(教室は2階)、息子だけが帰るところを見られないよう、建物の陰に停めろ、ということだった。
そして息子は非常階段から降りてきたのでした。一週間ほど前に、息子が早退して健診に行くと聞いて娘が、ちょうど息子の担任の目の前で「Cちゃんも行きたいの!!」と泣き叫んで騒いだので、ご配慮いただいたんでしょうなぁ。申し訳なし。
しかし、息子によると、昼食後、靴をとりに1階へ行った時に娘にその姿を見られてしまい、「あとのまつりだと思ったよ」とのこと。あとのまつり??なんかそれちょっと違うけど…まぁいいや。

小学校で受付へ向かう途中、学童保育の部屋らしきところの脇を通った。大勢の子どもがいるなぁ。ちらっと息子に、多分、あそこが学童保育だよ、と話す。

事前にもらった通知が60番台で、うちはアイウエオ順だとかなり後の方。今の1年生は3クラスだけど、あれー、2クラスぐらいしかないのかなー、などと思っていた私の間抜け、当然のように名簿は男女別で(ガッコウを離れてずいぶんになると「男女別名簿」とも久しくお目にかかっていないのだ)、入学予定者は130人ほど、4クラスになるのだそうだ。

校長先生の挨拶を聞き、日程説明の後、内科やら耳鼻科やらの健診で、校舎内をぐるぐる。絵が飾ってあったりピアニカが置いてあったり、低学年の部屋を主に使っていたこともあり、息子には「色々と楽しそうなところ」に見えたらしい。健康診断の後は、6年生に連れられて、順次、知能検査へ。その間、親は体育館で待機。
自宅と保育園が離れていることもあり、息子には、この学校で1年生になる知り合いは一人もいない。親の私も同様…なのだが、育児休業中に公園で一緒に子どもを遊ばせていた「ママ友」が3人ほどいて、たまたまその一人がすぐ隣の席に座っていたので、久しぶりー、としばらく話した。子どもたちの方は…年少になる前の年までしか一緒に遊んでいなかったし、覚えているわけはないのだが。(サークルでもなんでもないけど、みんなで公民館を借りてクリスマスパーティなんてのもやったりしたんだよなー、懐かしい。)

知能検査は、感想を聞くと、楽しかったらしい。テストの内容も少し教えてくれた。で、「英語をしゃべる先生もいて、何言ってるか全然分からなかった」と。いや、それ、多分、ポルトガル語通訳だと思う。確実に外国籍の親子が4組はいたからな。

南米からの日系の人が多いのは地域性なので驚くことではないが、なんでも、この小学校、「国際理解教育」に力を入れているんだそうで、いたるところに英語が貼ってあってびっくりしたよ。
保健室には「ねんざ ××  きりきず ▲▲」みたいな一覧表があるし(すんません、全部、みたこともない英単語ばかりで覚えられませんでした…)、手洗い場には、手の洗い方を写真で図解した説明書に、日英併記…。それはいいんだけど、Where is here? とか貼ってあるのをみると、えー?Where are we?って書いた方がいいんじゃないのかなぁ、とか、なんとなく気になる。big voiceってのもどーなんだろ?(通じる表現ではあるのかもしれないけど、実は言いたいことはLoudとかBigとかじゃなくって、相手にとって聞き取りやすい、ってことだよね?それは単純に「大きな」なんだろうか?怒鳴ることを推奨してるわけじゃ勿論ないんでしょ?そんじゃ Say it clearとかじゃどうだろう、とかさ。)

と、英語の感覚が怪しい私でさえ???となるような「国際理解教育」よりは、ブラジル文化の理解に取り組んだりする方がよっぽどいいと思うけどなぁ。英単語だの覚えるより、自己の所属する文化圏を相対化する手がかりみたいなのを掴んでくれる方が、よほど後々の英語学習に好影響なんじゃないかと思うが…。英単語にカタカナの振り仮名がなかった点だけは評価する(ってエラソーね、私)。どんな感じで英語の時間を進めてるのかは知らないが、なんか教室を見ただけの印象だと「ヘンにずれた感覚を教え込まれるとしたらヤだなー」って感想になってしまって、親としては少し微妙な気分。

で、終わって帰宅し、車に乗って保育園に娘を迎えに行くと、息子の担任が「どうだった~?」と声をかけてくれた。息子はここでも「楽しかった」と。で、先生、続けて「名前かけた?」そうなんですかー、知能検査って、最初に自分で名前を答案用紙に書くんだね。息子に聞くと、一文字だけ今ひとつ自信がなく「■が思い出せないなー」と言っていたら、先生が見本を書いてくれたそうだ。へええ。名前を書く練習は入学までにしておけばいいかと思ってたよ。
会場でもらった、某雑誌のタイアップパンフレットによると、小学校入学前にひらがなを全部読み書きできる子は、その某社調べでは50%を超えているそうですが、ホントに?「ぬ」とか「む」とか「を」とか全部書いちゃうわけ?学校で習うからいいかー、じゃないわけですか。
最近、娘がキティちゃんのアイウエオの本を欲しがったので買ってやったのだけれど(文字を押すと音が出て、しりとりあそびなんかが入っている)息子はともかく、娘なんか、入学までにひらがな全部読めるかどうかもあやしい気がするんだけどなぁ。

さて、次は2月の入学説明会だ。今日の段階では、まだ、何を買い揃えたりしなきゃいかんのかは皆目分からん。
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by mmemiya | 2008-10-22 23:27 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(2)

結局、あまり働かなかった週末

富有柿の方は、いくつか、すっかり柔らかくなって鳥につつかれまくっている実もある一方、全体にはまだまだ青く、とりあえず、ここ数日食べる程度の分しか収穫せず。これから寒暖の差がもう少し激しくなると、まだもう少し甘くなるんじゃないのか?と、この週末、食べてみて思った。

渋柿は、今年は摘果(いや、正確には摘蕾)したので数はあまり…と思っていたが、それでも、収穫してみたら、50個は超えていた。しかしながら、本日は、先週、夫の実家でもらってきた柿を剥いて干すだけで精一杯で、まだ、とりあえず収穫しただけ。この柿は毎年そうなんだけど、ものすごくオレンジ色に染まって、これは…!と触ってみると、意外にまだ固かったりするのだ。ただ、来週末は泊りがけで出かける予定なので、柿に時間を割けそうにないため、今週、少しずつ、剥いて干していく・・・つもり。
一週間、追熟させていた蜂屋柿は、熟しすぎたものも数個ある一方、まだ多少、青みの残るものもあったが、今日、全部、干してしまった。非常に大きな柿なのだが、その割に枝が細いというのもあってか、先週、干した分が、一週間の間に、二組、墜落した。枝が根元から取れてしまったのだ。二つ一組で干しているので、反対側の柿も、当然、帰宅して発見した時には手遅れ状態。あーあ。柿全体が重過ぎるんだろうなー、ということで、本当はこの柿は、柿クリップとかを使った方がいいのかもしれない。全体に、ひどく頼りない。義母によると、柿が熟してしまうと枝も弱くなるので、熟す前に干すんだそうだ。干柿は柿が熟してから干すものと思い込んでいた私には意外な話だった。

土曜はやっと、かかりつけの婦人科にいって来た。ついでにPMSの話をすると、じゃあ、ホルモン検査をしてみましょう、ということで、採血された。これで治療が必要と認められるほどなら投薬なりしてもらえるらしい。イライラは市販薬「命の母」のおかげなのかなんなのか、おかげさまですっかりと言っていいほど収まっているのだが、眠気だけがどうしようもない。子どもの寝かしつけと一緒に寝てしまう…このごろは子どもを二段ベッドに寝かせた横で、子ども部屋で二人が寝付くのを待っているわけだが、なーんにもないフローリングの上で眠ってしまっていたりする。やれやれ。ネット検索をしても、PMSの眠気対策というのはなんか決め手がないっぽい。カフェインはそもそも、取ること自体がPMS症状を悪化させるというので、このところ控えているし(あと、胃食道逆流のせいか、時に、コーヒーが非常にもたれるようになってしまった私…)、第一、PMSの眠気には効かないらしい。まぁ、私の場合、仕事中は眠気と言ってもちょっと立ち上がってトイレまで歩いたりする程度で対処できる眠気なので、日常生活に大きな支障が出るほどではないんだけど…。(ブログ更新は、できませぬ。)

職場の上司(兼業農家)から玄米を30キロ購入いたしました。コイン精米に持ち込まなきゃなんだけど、その前に、そういえば、一度、圧力鍋で玄米を炊いてみましょう、と、玄米で食べてみました。これがなかなか美味しくて、夫など、たいそう気に入った様子。息子も気に入っていたが、娘だけは「美味しくない」と。いやー、でも、お通じにもいいそうですよ?娘よ。
ダノンヨーグルトの効果かどうか、最近は娘も私もあまりお通じに大きな問題は抱えていませんが、ヨーグルトもさることながら、どうも私は、水分摂取量が少なすぎるのではないか、と、遅まきながら反省。最近は、努めて水分摂取を図るよう努力中。これが週末、家にいると、つい忘れちゃいがちなんだけど…。

さて、本日も夕方過ぎになって、夫の友人から電話。サンドイッチや調理パンを配達販売している人なのだけれど、その人からの電話というのは、大体、「たくさん売れ残りがあるけどパンを買わないか」なんですね。本日もそういう電話。急遽、夕食にもパンが登場、どころか明日の朝も食べ、冷凍しても食べきれないほどの量のパンを夫が持ち帰ってきて、夫の実家にも半分ほど届け。あんぱんとかクリームパンとかの類で、食事にはやや甘すぎますが…。それまで用意していた夕食が、秋刀魚の塩焼き、蕪の葉と厚揚げの煮物、オクラのゆでたもの、なんてメニューだったもので、パンと合わない合わない(笑)。蕪の味噌汁ではなく蕪のポタージュに切り替えたメニューだけが、かろうじてパン食向き?それにしても生ものを扱うのって、大変だよなぁ、と、しみじみ思った夕食でした。
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by mmemiya | 2008-10-19 22:35 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

赤紫蘇青紫蘇…味はあんまり変わらない?

赤紫蘇の実と青紫蘇の実、どちらの塩漬けも食べ比べてみたが、香りは確かに、青紫蘇の方が上。でも、味というか風味自体は、思った以上に似ているかも。色は青紫蘇の方が綺麗に仕上がりますが、赤紫蘇の実で作ったって、特段、悪くない感じ。

さて、やっとのことで週末です。今週末は、いよいよ干柿をなんとか仕上げなければ…と思っているので、なかなか忙しくなりそう。まぁ、200個近く干柿にした去年に比べれば、あと100個もない今年は楽勝、でしょうが。

実は、来月頭に、とある資格試験を受けなければいけないのだけれど、社会福祉士のときと違って、なにしろ自分が取りたくって受けるわけではないということと、久々に化学式とか見て、頭がそれだけで拒否反応を起こしている(笑)ってのもあって、ちーっとも勉強がはかどっておりません。仕事上は取った方がいいんだけれど、絶対取らなきゃまずい、って訳でもないし…微妙なところ。

で、あいも変わらず、きちんと一冊の本を読むというよりはあれやこれやを乱読中の日々。そんなことより試験の参考書を読まなきゃ、と、分かってはいるものの。

最近、読んで面白かった本:
1.家庭料理に愛をこめて―私の料理自伝  河野貞子

 NHKテレビで「きょうの料理」が始まった頃に講師をなさっていた方だとか。大正時代にニューヨークで駐在員妻として生活していた話や、そのテレビ黎明期の頃の話など、1章1章が、もっともっと膨らませて、それぞれ一冊の本になりそうなほど興味深い。本当は、この方のレシピ本も欲しかったんだけど、絶版ゆえにかなりのプレミアがついていて、正直、手が出ません…。
 結婚する直前にご飯を炊くことだけを特訓した、という方が、やがてはお料理の先生におなりだったのですから、やはり料理も天性のものというか、舌の記憶というか、「ずっと料理をしてきた」以外の部分がものを言うんでしょうねー。ちなみに、結婚してお姑さんに教えてもらおうと思ったら、お姑さんも料理はなさらなかったとか。お手伝いさんが当たり前にいた時代の主婦像はこれまた興味深いところ。

2.日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代

 とりあえず、世間的によくある「イマドキの若者は…」みたいな捉え方を、もうちょっと踏み込んで考えてみよう、というスタンスに共感を覚える。まぁそれでも、論が雑駁に過ぎる部分はあるのかもしれないけど、色々考えるヒントにはなるな、という。お客様が神様になっている、というか、商品化のゆきつく先として、個人の欲望が<犯すべからざる神聖なもの>になっていることとか、色々な局面において、当事者性が薄れてお客様的立場で臨む人が増えている(そりゃ、客も広い意味では当事者なんだろうが)、そして期待値が高いあまりに、期待を下回る対応が非常に許せないことと感じられるようになっている、といったあたりは、もっともっと掘り下げて欲しかった部分だけれど、一番、読んでいて共感を覚えた部分だった。


3.世界のインスタント食品

 インスタント食品を通して垣間見える他国の食文化の面白さ。「ラーメン」という食べ物はないのに、なぜかインスタントラーメンは定着したという韓国の話も、「インスタントの方が高級」扱いの(だって値段が高いから)中国の話も、あるいは、ドイツにはインスタント食品がいっぱいあるのにイタリアやスペインではあまり見かけない、って話もそれぞれ興味深い。ただし、1993年、即ち15年も前の本だ、ってところは割り引かないといけないだろうな。

4. “教育力”をみがく
 
 残念ながら、親がわが子にする「教育」には直接は関係なさそう(学級、ってものをいかにひっぱるか、というのは、一対一の親子関係とはちょっと違いますね)な部分が多いけれど、そうかー、先生の「指導」って、こういうものなんだー、と、興味深く拝見しました。

これから読む本:わが子に「お金」をどう教えるか
            ←帯の「エリートの品格」ってな惹句はちょいと余計な感じもするが。


これから読みたいもの:音楽理論の基礎を少し真面目に勉強したくなった。とりあえず本を物色中。
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by mmemiya | 2008-10-17 23:59 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

そういえば、打楽器というのもありました

ピアノについて書いていて、「自分で調弦しなくても、とりあえず触るだけで正しい音階の音が出る楽器はピアノ・オルガンぐらい」と思っていましたが、そういえば、打楽器というのもありました。
小学校の同級生で、マリンバを習ってた子が、そういえば、いたなぁ、と。学校の発表会での木琴演奏なんてのは、そりゃ、なんかもう、他の子と全然違ってましたね。当たり前か。なにしろ、ピアノの先生は身近にいても、マリンバの先生ってどこにいるの?って感じでしたから、「マリンバを習っている子」ってのはインパクトあったなぁ。
日曜に久々に会った古い友達としゃべってたら、バイオリンを習っていた子もいたそうで。そっちの方は、ああ、そう言われてみれば、そうだっけ…レベルの印象しか残っていなかったのだけれど。

ピアノを習っていた子はいっぱいいたと思うんだけど、具体的に名前が思い出せる子は一人しかいない。彼は、お母さんがピアノの先生をしていらして、そりゃもう、彼と同じクラスになれば、合唱の時の伴奏とか、もちろん、彼以外にいないでしょう、と、全員一致で伴奏者に選ばれるような子でしたが…今頃、どうしているのかなぁ。

私自身はエレクトーンを習って、何が残ったかといえば、多少は楽譜が読めることと、多少の音感ぐらい?まぁ、どちらにせよ、特に楽器を習っていなかった人と、多分、大差ないレベルなんですが。ただまぁ、娘がとりあえず、宿題で「ド」の位置を探す、なんてのをやってると、台所に立って夕飯の支度しながら「違うよ、そこ、ドじゃないよ」と言えるという程度のレベル。(もちろん、正確には「ド」じゃなくって「C」のことです、ハイ。ちなみに私のレベルでは、Fからドレミファソラシドって弾かれても、あれ?なんとなくCからのドレミファじゃないかもー?程度にしか分かんないと思います。)

基本的に、私は、自宅に先生がレッスンに来てくださる形で習ったのですが、月に一回だけ、先生のおうちに行くことになっていて、そこではピアノを弾いたり(こどものハノンなるものをやっていた)簡単な聴音とかをやっていました。
箏の調弦をするにも、全く楽器経験がないよりは良かったのか?とも思うけど、しかし、考えてみりゃ、平均律のピアノをみっちりやってた人には、返って調弦が難しい、なんてことも、ある?のかな?とネット検索してみたらば、なんと、箏でも全部の音をチューナーで調弦していく、なんて調弦方法もあるんだそうで、ちょっとびっくりだわ。私たちのクラブを指導してくださった先生は、発表会のときなど、基音はもちろんチューナーであわせてたけど、後はそこから掻き合わせて調弦してらした、と記憶してるんだけどなぁ…。(あー、でも、十七弦と合わせる場合、十七弦は何で調弦するんだ。あれこそ平均律でやってるとしたら、それと合ってない、ってのもヘンかー。って考えると、素人には調弦の世界は訳が分かりません。)

楽譜読むほうも、もうすっかり忘れましたね。娘の教材で、歌の本があって、レッスンの時、先生の伴奏で歌うんですね。で、中に、娘の知らない歌で、私も出だし部分しか知らない歌があったので、メロディをひろっていこうとしたら…ハ長調ではないという時点で、もう大変。いや、ハ長調でも、一番良く使う一オクターブぐらいはともかく、そこから上に行っても下に行っても、えーっと、ここがドだから、シ、ラ、ソ、ファ…って数えていかないと読めないし(笑)。

ま、ただ、大人になってから改めて、何かの楽器をやってみたい、と思ったときには、子どもの頃に何か楽器をやっていた、という経験は、なんらかの助けになるんじゃないかなー、と思ってみるのだけれど、どうなんでしょうねぇ。
少なくとも、今、エレクトーンを弾けと言われても何一つ弾ける曲が思い浮かばない(あ、「禁じられた遊び」だけは今でも弾ける!左手はコードをアルペジオでやってるだけね)レベルの私であっても、なんか、12年やった習字より、4年弱のエレクトーンの方が、役に立ったと言うと言いすぎかもしれないけど、自分の中に残ったものがあったような気もするんですねぇ。
まぁ、とりあえず、娘は喜んで2回目のレッスンを終わりました。自分がどうやって楽譜読めるようになっていったかなんて、もちろん覚えてないんだけど、娘の教材の、長い尻尾のついた流れ星みたいな音符(?)とか、なかなか面白いです。今のところ、宿題も積極的に「やる~!」と鍵盤の前に座っている。さて、この状態は、いつまで続くのでしょう。

急に冷え込んで、柿の葉がいっきに色づき、葉を落とし始めました。渋柿もすっかりいい色になったので、さて、いつ干し柿に取りかかるべきか…と思っていたら、夫の実家から渋柿をもらったので(うちに生えてるのとは品種が違う。うちのってなんていう種類なのか分からないんだけど、貰った方は蜂屋柿だ。)本日、皮を剥いた。といっても、まだ青みが残るものもけっこうあって、一方、すっかり熟して既に柔らかくなっていて、こりゃもう、干し柿は無理、というのも3個ほど。
その3個を除き、皮を剥いたのが26個。これで、もらった量の3分の1ぐらい。ってことは、あと、50個ぐらいあるな・・・。今年は、我が家の渋柿が剪定の結果、あまりたくさん実をつけてはいないので(その代わり、摘果したこともあっていつもよりはちょっと実が大きいかな)ありがたいことではあります。しかし、また、干す場所の確保という難題が…。

富有柿の方も色づいてきたけれど、今日、二つほど収穫して食べてみたら、なんか全然甘くない。なぜだ…。
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by mmemiya | 2008-10-13 22:57 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)

ちらっと気になった >学校教育における習字の目的は?

そもそも、学校教育の中で、習字ってどんな位置づけなんだろー、何を目的にやるんだろー、と、現在の学習指導要領を読んでみました。

<以下、小学校の学習指導要領より>

毛筆を使用する書写の指導は,第3学年以上の各学年で行い,硬筆による書写の能力の基礎を養うよう指導し,文字を正しく整えて書くことができるようにすること。また,毛筆を使用する書写の指導に配当する授業時数は,各学年年間30単位時間程度とすること。なお,硬筆についても,毛筆との関連を図りながら,特に取り上げて指導するよう配慮すること。


…というのはあるんだけど、何を目的にやるのかは、分かんないなぁ。各学年の国語の目標には、文字の書写は直接的には入ってないし。

音楽なんかだと、「表現及び鑑賞の活動を通して,音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育てるとともに,音楽活動の基礎的な能力を培い,豊かな情操を養う。」ってのが目的だそうですが、習字はあくまで国語科の一部なので、目標の中には、国語に関する部分しか出てこないんですよね。

戦後、いったん廃止された「学校における書道教育」を、豊道春海先生がGHQにかけあって復活させた…、と、私は師匠に聞かされてまいりましたが、まぁ、まだ当時は、普通の人が手書き以外の手段を用いるようになるなんてとても予想できなかったでしょうし、今とは状況が違いますわね。毛筆を使うこと自体は、それはそれで面白いことで、多くの子どもが触れることは意義のあることだとは、個人的には思いますけど、かといって書道の実用性が薄れた今、芸術科目として生き残れ、ってのも、なーんかちょっと違う気もするんだよなー。

ちなみに、日展に5科(書道部門)が出来たのも、主として豊道春海先生の尽力による…というのは、実は今回、ネット検索で初めて知ったんですが、今じゃあ星の数ほど(は、言い過ぎか)書道団体があって、みんなバラバラ、つながりなど皆無、って感じなのですが、大正時代、当時のほとんどの書家を集めた「日本書道作振会」という会を創立したのも豊道先生だそうで。(割とすぐ分裂しちゃったようですが。)はぁー。
「先生」をつけているのは、私の師匠がこの豊道春海の孫弟子にあたるので、お名前が挙がるときは当然「先生」つきだった、という、単なる習慣によるものです。もちろん、師匠は孫弟子で、直接教えを受けたわけではないが、お目にかかったことはあるそうで、私たち小学生中心のじゃりどもがお習字を習ってた教室には、時に、春海先生の直筆がかかっていたことを思い出します。(日本近代書道史に燦然と名を残す方ですから、お弟子さんの数もそりゃ多かったでしょうし、孫弟子となればいったい、日本全国に何人いらっしゃるやら、想像もつきませんが。)

実は母が最近、小学校に上がったらうちの子も習字を習わないと(もちろん、我が妹のところで)と、時々言うんですが、うーん、どうだろうなぁ…。楽しいのかなぁ…。ある程度の年齢まではひたすら模写みたいなモノで、やっぱ、ちょーっと情操教育とも違う感じだし、なにしろ「道」がついちゃうと、何事も精神修養みたいな香りがつきまといますが、わが子にやらせたいか、となると、実は???の私。果たして本人はどう感じるのでしょうか。
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by mmemiya | 2008-10-09 23:46 | 日々雑感 | Trackback | Comments(4)

自分のしてきたお稽古事を振り返る

ピアノに関してネットをさまよっていたら、けっこう、「習字」と対比している例があった。
どういう場面で対比しているか、というと、ピアノっていうのは毎日家で練習しないと意味がない、習字とは違う…みたいな対比なんですわ。

いやさ、習字だって、本当に上手くなろうと思ったら、家で練習した方がいいのは当然だと思いますよ。やってる人あんまりいないと思うけど。
ワタシが習ってたところでは、中学生からは、基本的に家で書いてきて、何枚か、比較的良くかけたと思うものを師匠の家へ持って行ってみていただく、という形になってました。
高校へ上がった時、同い年でその書道塾を続けているのは4人(男の子2人、女の子2人)でした。私ともう一人の女の子は、高校は違ったけど、電車通学で、ときどき電車や駅で顔を合わせましたが、会うたびに「書いた?」「書いてない!」が挨拶代わりでしたっけ(苦笑)。彼女は高校が美術科だったから、絵の方の課題もあったし、大変だったと思う。
私は高校3年生に上がる時に、「受験があるのでちょっとお休みをいただきたい」と休止して、で、家から通えない大学に入ったので、結局、それっきり。他の子はどうだったかな…大体みんな、同じような時期に止めちゃった気がする。

ま、小学生の頃、家では書いてなかったのは確かだな。ただ、席上揮毫大会ってのがありましてね、それが近くなると、小学校が終わってすぐに書道塾へ直行して、23時ぐらいまで書いてた。夕食は、母が弁当を持ってきたのだと思う。席上揮毫も色々やり方があると思いますが、そこのは、当日書くべき課題(文章というか文字というか)は、あらかじめ示されていて、当日、会場で、紙を2枚渡され、その2枚に課題を書いて、どちらか、出来がいいと思う方を提出して、で、上手くかけた人が表彰される、ってものでした。

思うに、例えばピアノを習っている人の中からは、一握りとはいえ、音大に進んだり、プロの音楽家を目指したり、って人が出てくるので、そのような道に進むと決めた人は、人よりなおいっそう練習もし、よりいっそうの取り組みをするんだろうと思うんですよね。
対して、書道で、プロの書家を目指すってのは…もっとレアな道です。うちの妹は、大学で書道専攻ですが、そんな専攻、たくさんはないし、それに大体、それは、高校の書道教師を養成するところであって、芸術家的意味での書家を養成するところじゃない気がする。そもそも書家ってどうやったらなれるんだ、ってもんですしね。
子どもがピアノを習い始めた時、ちらっと「この子にすごい才能があって、将来はピアニストになっちゃったり?」みたいな可能性を考える人はいると思うけど、習字を習わせ始めて「将来は書家?」って考える親って、あまりいなかろーな、と。

ですが、私の師匠は、どうも、自分の教えている子どもは全員、プロの書家を目指すべき(なれるかどうかは別として)みたいにお考えだったんじゃないか、と思える節があります。練習には本来親が付いてくるべきで、付いてこない親が多いこの地域はなっとらん、とかね。(私がここで習字を習い始めるちょっと前に、師匠は我が家の近くに引っ越してこられたのですが、以前の住所地での教室も引き続き持っていて、そこの生徒・親と比べると、ものすごく程度が低い、と、色々不満を述べておられた。)
「この硯の石は素晴らしい、もうこんな石は手に入らない」「こんな紙はこれから入手できなくなる」「この筆は…」と、一つ一つの金額は、楽器を買うことに比べりゃ微々たるものでしょうが、うちの親がつぎ込んでくれた費用は、トータルすると本当に馬鹿にならないものがありました。
「お姉ちゃんがやってるから私も習う」と、私の2年後に同じ師匠に就いた私の妹は、現在、書道塾をやってますので、彼女に関しては、まぁ、ある程度、師匠の理想とする?道を歩いたような気がしますが、12年やって私に何が残ったか。
・・・何も残ってない気がしますねぇ。あえて言えば挫折感が残ってるか?(笑)。

自分にそう大した才能がないってことは、やってりゃ自分が一番よく分かってくるものです。大体、私、師匠に褒められた記憶ないし。(妹に言わせると、要領が悪いってのもあるらしい。)前にも書いたけど、高3の春に県展で県知事賞をとったのが、入賞歴としては一番華々しい奴だったかと思いますけど(所属してた書道会の方の展覧会入賞歴は、まぁある意味内輪の話で、外の人には訳わかんないと思う。)で、同じものに出品して私より下の賞だった人は勿論いっぱいいるわけですが、まぁ、大抵の人と比べりゃ、書いてる量が違うはずで(そもそも高校生になっても書道塾を続けている人ってものすごく珍しかったと思う)、逆に言うと「これだけやってもこの程度」とも言えるんですな。書いたものとしては、その前の年の秋の市展で銀賞をもらった楽毅論<光明皇后の方の>の臨書の方が、自分としては気に入ってたけど、ま、大体、会心の出来映えなんて字が書けた記憶もないし。

書道の難点は、「自己流で楽しむ」ってのがちょっと難しい点にあるかと思います。楽器なら、例えばポピュラーソングの楽譜買ってきて好きな曲が弾けるようになる楽しみ、とか、あるかもしれないけど、そもそも、書道の楽しみ方なんて教わってないし、12年間、別に書くことは楽しいことではなかったから、今更、自己流で、あるいは一人で臨書をして、楽しいとはとても感じられないと思うなぁ。それは書道の難点ではなく、私の難点なのか。

大学でも、書道の授業がありまして、それもとってましたが、その先生はけっこう、「楽しもう」と、書を教えておられる方でした。学校の授業以外で筆なんか握ったこともない、という学生がほとんどの授業なんだし、やれオーギシがオーヨージュンが(変換面倒で、すみません。)って臨書なんかやってもしょーがないですしね。この先生も、けっこう大きな書道団体の代表だったり、その界隈では知られた方だったろうと思うのですが(書道は流派が細かいので、自分の属してた団体と同系列の方以外は、ホント私はわかんないのですが)こういう先生もいるんだなー、と、軽くオドロキではありました。

12年が全くの時間の無駄だったとはさすがに思わないし思いたくないんですが、求道者みたいなお稽古事への取り組み姿勢にどうも苦手意識があるのは、この経験がきっと尾を曳いてるんでしょうなー・・・。ちなみに、なぜ高3まで辞めなかったかといえば、師匠が怖くて辞めるなんてとても言い出せなかった、というのが一番近いような。
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by mmemiya | 2008-10-06 23:30 | 日々雑感 | Trackback | Comments(4)

筆ペンで書道を習うのか、ペン習字がしたいのか。

娘がピアノを習い始めるにあたって、自分の中で、あれこれ考えてしまうことが2点あった。
そのどちらも、完全に自分の答えを見つけたわけではないが、思考の整理も兼ねて書いてみる。

1.練習を嫌がったり、「もう止める」と言い出したとき、どう対処すべきなのか。

これは、ピアノに限らず、全ての「お稽古事」共通の悩みというか、どういうスタンスで臨むべきなのか、ってことなんですが。
「止めたい」なんてこと、言うのは簡単です。そう言われて「ああそう」と単純に止めさせてしまっては、大抵の習い事は続かないだろうし、一度、子どもがそう言ったらそれで「じゃあおしまいにしましょう」と言う、というのには抵抗を感じます。
しかしだからといって、本人にどうにもやる気がないものを、いつまでもやらせ続けるってのもどうか、とは思うわけです。
「止めたい」「ああそう、止めれば」では、何事も続かない、特に子どもなんてのは自発性にまかせておけばいいってものじゃない、辛抱も必要だ、という意見も、理解は出来るつもりです。ですが、「粘り強く取り組む力が付く」なんてのは、お稽古事の副産物であって、主目的ではない筈で。
世の中、気が乗らなくてもやらなきゃいけないことは、山のようにあります。毎日仕事に行くとか、毎日ご飯を作るとか、なんでもすぐに「やーめた」なんて言ってては、大抵の場合、生活というのは成り立たないもので、逆に言うと、少々気乗りがしなくても最低限やらなきゃならないことをやる、という力をつけてやることこそが教育の目的なんじゃないかなー、なんてことも、思ってみたりする私です。ですが、そんなこと、日常の他のことでもいくらでも身につける機会はあるわけで、殊更に習い事だけを通して身につけるってもんでもないでしょう。学校へ行く、宿題をする、なんてことが、そもそも、そういうある種の「忍耐力」をつけるための手段なわけですから。
経済的に、あるいは時間的に余裕がないと取り組めない習い事、お稽古事の類は、子どもに「お願いだからやって頂戴」なんて言ってやらせるものではないはずですし(いや、宿題だってお願いしてやらせるもんじゃないけど。)それどころか、子ども自身が「やりたい」とせがんでも、やらせてやれない場合だってある訳で、本人のやる気が欠けている場合や、経済その他の条件が整わない場合は、続ける必要はないように思えます。それだけ、ある種の「贅沢品」ですから。
最終的に<本人が「止めたい」と言い出したら止めさせる>場合は、前提として、「止めたい」発言というのがそう軽々にしていいものではない、ということを、まずもって本人に理解させる必要がありそうですね。逆に言えば、軽い気持ちで言っているのでなければ、親としても止めることに同意するしかないのでは、という感じです。


2.ピアノを習う場合に、ピアノ(デジタルピアノに非ず)は、いつ用意すべきものなのか。

これについては、ネット上を見ていると、「デジタルピアノしかないお子さんはお断りする」と言った意見を始め、教える立場の方からは、ピアノを家に持つことの必要性を説く意見をたくさん拝見します。
その理由は、読ませていただくと一々もっともなことばかり、ではあるのですが、しかし、それでもなお、私自身は、今すぐ、娘のためにピアノを買う、ということに、いまだ消極的です。プロのご意見に反論するなどできようはずもないのに「でも…」と言いたくなってしまう。
いつまで続くか分からない、などという考え方で習い事を始めること自体が正しくないのかもしれませんが、自分の中にある消極性を掘り下げていくうちに、見えてきたことがあります。

ピアノの先生方は、おそらく、というか、勿論、子どもに(大人にでもいいけど)ピアノを教えようとなさっていると思います。ピアノの素晴らしさとか奥深さとか、そういうもの。
対して、「習いたい」と言い出した娘の思いがどの程度のものかはとても分かりませんが、習わせることにした私は、必ずしも、娘に「ピアノを」習わせたいわけではない、んですね、どうも。どっちかというと「音楽を」習うといいんじゃない、って感じで、ピアノはその一手段なんです。
管楽器は肺活量も足りないし、幼児がすぐ出来るもんじゃないでしょう。弦楽器(まぁピアノも広い意味では弦楽器かもしれないが、ピアノを除く弦楽器ね)は、楽器の大きさも調弦の問題もある。ピアノ(まぁ電子オルガンでもいいが)ってのは、とりあえず、触ればそれだけで正しい音が出る(それが、いい音なのかどうなのかは別問題です)という意味で、楽器としては、けっこう、例外的なものだと思うんですよ。だから、幼いうちから音楽に触れるにあたって、比較的容易に始められるんですね。
ピアノをとば口にして、他の楽器に興味が移ってもいいし、楽器演奏以外の音楽に興味を持ったっていい。はっきりと自分の中で言語化されていたわけではないのですが、どうも、考えてみるとこういうことらしい。そういう考え方の私にとってみれば、デジタルピアノと本当のピアノが全くの別物であること自体は理解できても、すぐにピアノを買う、ってのが、選択肢にないんですね。
逆に言うと、娘がこの先、どうしてもピアノじゃなきゃいやだ、と主張するようになれば、購入を真剣に考えたいとは思うのですが。
・・・という考え方は、おそらく、真剣に「ピアノを」教えたい先生にとっては失礼な話なんだろうなぁ、と思いつつ。ヤマハの幼児向けグループレッスン(ピアノをやるというわけではないらしい)に行く方がいいのかもしれないです、ごめんなさい。

デジタルピアノを使用しつつピアノを習う、ってのは、習字に喩えると、筆ペンで書道を習うようなもんなんでしょうね。そりゃとんでもない、のは確かではあります。もっと正確に言うと、家では筆ペンで練習して、先生のところでだけ、先生の筆を借りるようなもの、ってことですか。家で使っている道具と全然違う感触に戸惑うであろうことは、容易に想像がつきます。
ところで、習字を習わせてる人って、何を目的にしていらっしゃるんでしょうね。「字がきれいになる」?。はっきり言って、習字を習って、鉛筆や筆ペンで書く字がきれいになる、ってもんじゃないです。きれいになる人もいるかもしれないけど、一直線にはつながらない、と、断言してしまう。
まぁ、自分を例に出すと、お前が例外なだけ、と言われりゃお仕舞いですが、私、12年書道をやったけど、普段書く文字、ものすごく汚いです。バランスも良くない。そりゃ、12年やった書道が大した腕ではないことも事実です。が、高校生の時、県美術展の高校生の部で、県知事賞(一番上の賞)をいただいた程度には書けたのです。(この時、確か知事賞は全部で3人いて、うち、一人だけが全国高校総合文化祭の出品作に選ばれたのですが、それは私じゃなかった。)
自分のお稽古事に関しては、また別の記事を書いて振り返ってみたいのですが、例えば、香典袋にさらさらときれいな字を書く、とか、年賀状を筆ですらすら書く、なんてのは、習字の中でも細字をやらないと駄目で、私は細字は2年ぐらいしかやってないし、おまけに細字をやってたときも、メインはいわゆる「習字」な、太い筆で大きな字を書く方だったもんですから、細字をメインでやってると、もしかして、鉛筆・ペンの字も、ちょっとはきれいになるのかな?
しかし、私思うに、ペンできれいな字を書けるようになりたければ、書道じゃなくって、最初っからペン習字を習うべきなんですよ。
となると、ピアノ(音楽)における、ペン習字にあたるものって…なんなんだろうなぁ。
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by mmemiya | 2008-10-06 20:10 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(13)

青紫蘇と赤紫蘇の食べ比べ(予定)

この週末は、地区の運動会だったのだが、見事に雨にたたられ、午前中だけで終了。
夫と私が出るはずだった種目は午後だったのだが、年少児までのかけっこが午前の後半だったので、夫と娘が先発、私は息子とお弁当を仕上げて後を追ったら、ちょうどグラウンドに着いたところで、これで打ち切り、のアナウンス。
弁当持って引き返して、家でお弁当を食べました。確か一昨年は、お稲荷さんを、料理本より甘さ控えめに作って、今ひとつ受けが悪かったのだが、今年は本の通りに作ったら、息子がものすごく良く食べた。

この運動会、昨年は雨で最初から中止だったし、確かおととしも昼近くから雨で、各種種目を繰り上げてバタバタと早めに終わったしで、どうも毎年、天候に恵まれない気がする。3年前はちゃんと全部やったんだっけ。
で、毎年、運動会の翌週が近くの神社の秋祭りなのだが、これは4年間、暑い位いい天気の日が多かったような。少なくとも雨の年はなかったなぁ。

ということで、午後から時間が出来たので、買い物に行って、ついでにちょっと服やなにかを買って、髪を切りに行って、ガソリン入れに行って、で、夕方になったが、えーい、と、思い切って紫蘇の実を収穫。
今年は、去年ほとんど収穫できなかった青紫蘇の実がよく採れ、確か「私の保存食ノート」には、紫蘇の実の塩漬けは、できれば青紫蘇の実で作るように…とあったように思うが、赤紫蘇とどう違うんだろう?と思ったのと、赤紫蘇の実もいっぱいあったので、今年は2種類作って食べ比べてみる予定。指先が、すっかり、紫蘇のアクで染まってしまったわ・・・。たくさん、とはいえ、根性なしなので、ざるいっぱい穂をつんだところで、もういいや、と採るのをやめてしまったので、今年も出来上がり量は小瓶二つ程度だな。

ムスメがいよいよ本当にピアノを習い始めたので、週末、特に土曜は慌しくなってきた。プールへ行って、娘と私は、息子の教室を横目で眺めながら泳ぎ、息子の教室が終わると今度はピアノ。実は、息子もピアノをやりたくて仕方がないようなのだが、費用がけっこう馬鹿にならないんだよねぇ…。ひとまず、小学校へ上がって、生活のリズムをある程度見極めて、それでもどうしてもやりたいなら、小1の秋からやらせてあげる、ということで、息子を説得はしたのだが。娘の方だっていつまで続くか、あやしいもんだしねぇ。しかし、「お試しレッスン」の時から、ピアノ購入を勧められたのには参った。まぁ、楽器屋さんが音楽教室をやるのは、もちろん、販売のためだもんなぁ。しかし、いつまでやる気が続くか分からない4歳児にピアノ買ってただのインテリアと化す、ってのは、充分予想できる道だしなぁ。
とりあえず、昨日は、帰宅してすぐに「しゅくだいやらなきゃ!」と、テーブルに向かっていた娘でしたが。(お星様の絵を描く、という宿題だった。次回、きっと、そのイメージを弾いてみる、みたいなことになるのでは。)
私自身、4年間弱しかエレクトーンは続かなかったんだけど、その後、琴(正確には「箏」と書きます)を始めた時に、多少は過去の習い事が役に立ったかな?と思えたので、まぁ、音楽に親しむことは悪いことじゃないとは思うんだけど、自分の娘がピアニストに育つとは端から思えないので、とりあえず、デジタルピアノがあるしいいじゃん、という程度の考え方なんですが、ピアノをわが子に習わせてる方の話をネット上で読むと、住宅事情が許せばやっぱりピアノは買うべき、という意見が多くてちょっとびびります。私はあんまりにも練習しなかったので、父親が「そんなに練習しないのなら止めてしまえ!」と雷を落としてジ・エンドだったのですが、さて、我が娘はどうなりますことやら。
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by mmemiya | 2008-10-05 23:12 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)