La Lune Lunatique

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テレビが見れなくても別に構いはしないんだけど…

テレビをつけると、片隅にずっと「アナログ」という目障りな文字が出る。
まぁ、それはいいんだけど、2011年つったって、まだもう少し時間はあるし、なんて、私は至って悠長に考えていた。

ところが、もしかしたらうちは、このままだと、たとえ地デジ対応チューナーを買っても、2011年が来たらテレビが見られなくなるかもしれない、ということに、最近、やっと気がついた。

我が家のすぐ近くには、10年ほど前に建ったマンションがある。
この建物の陰にあるお陰で、我が家(を含む何軒か、だろうが、正確にどの家とどの家が…なのか、私は知らない。これまで、屋根にアンテナのない家をわざわざ数えたりしたことなかったし)は屋根にアンテナをつけてもテレビが映らない。で、いわゆる共同アンテナでテレビを視聴している。

まだ、地デジチューナーやら地デジ対応テレビなどを入手していないので、100%断言は出来ないが、多分、この共同アンテナ、地デジには対応していない。
となると、共同アンテナをなんとかしないと、いくらテレビかチューナー買いこんだって、地デジは見れないわけだ。
なんとかするのにいくらかかるか分からないが、これをマンション(建設会社)に負担を求めることが出来るかっていうと、出来ない気がする。今の共同アンテナは「これまで見れていたテレビ放送が見れなくなった」から、建設会社が負担してつけたのだろうと想像するが(当時のこと知らないので)、今度は「今まで見れていた地デジが、マンションが建って見れなくなった」じゃないんだもの。
地デジに関しては、現に各家庭がそれぞれ(テレビ見たいなら、だけど)出費を迫られていて、うちの地域だけ、マンションに負担してもらう、ってな理屈は成り立たないだろう。(それとも、アンテナ更新費用が、一般家庭に必要な出費より相当高額、となれば話は別だろうか?)となると、隣近所で話をまとめて業者決めて費用分担して、場合によってはマンション側にも一部負担を求めて…って話は誰が仕切るんだ?班長?班の全員に関係ある話ではないかもしれないのにそれも違うような。
(ちなみに、マンション側の住民も含め、この共同アンテナの問題に誰かが気づいているかどうかもまだよく分からない。)

大体、うちの近所の過半数は、我々の親ぐらいの年代の人が世帯主で、この状況を説明して理解してもらうだけでも、すんごい苦労しそうな気がする。大体、私だってちゃんと理解できてるわけじゃないんだから。

私自身は、テレビが見れなくなってもあんまり困らないとは思うんだけど、子ども達は納得しないだろうなぁ、やはり。
ま、いざとなれば、現在、インターネットとIP電話だけ契約しているケーブルテレビ会社との契約を変更して、ケーブルでテレビ見ればいいんだけどね。毎月、新たな費用が発生しちゃうけど…。
(あと、一応、これまでアナログ派が見れなかった場所でも、デジタルなら見れる、という可能性が、あることはあるらしい。電波が受信できてるのかどうか、電器屋さんとかに頼んで調べてみなきゃ分からないわけだけど。)

なーんか、いよいよアナログ波停波、さて地デジ対応テレビをやっと買ったぞ、みたいな土壇場になって「なんだ?ちゃんとテレビ買ったのに映らないぞ!」みたいな騒動が近所で巻き起こりそうな気が…。3月の班の総会でちらっと聞いて見たほうがいいのかしらん…。
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by mmemiya | 2009-01-31 09:17 | 日々雑感 | Trackback | Comments(5)

着るものがない…

先日、久々に夫と二人だけでお昼を食べてデパートなんかうろついたりした。
もともと、うちは二人とも1月生まれということもあり、誕生月の1月か、結婚した3月のどちらかあたりで、母が子ども達を見ていてくれて二人で出かける、というのが、子持ちになってから、なんとなく恒例になっている。ありがたいことです。
(考えてみたら結婚1周年の記念日は、私は既に出産を一ヵ月後に控えた妊婦だったのでした。その時はまだ二人だけでどこかで夕飯食べた気がするけど、それより後の年は、年に一度は母に時間をもらっている気が。おかーさん、ありがとう。)

久々に、美々卯のうどんすきを食べた。おっと、夫は「はじめて」だった。なんか、長いこと食べてないので記憶を美化しているかしらん、とも思ったけど、久々のうどんすきはやっぱり美味しかった。夫も気に入ったようでした。正月に、母が「退職して家の整理をしていたらデパートの商品券がすごくたくさん出てきたから、誕生日祝いに少し分けてあげる」と、夫と私に商品券をくれたのですが(実家はおせち料理もその商品券で買ったらしい)問い合わせたら、松坂屋はレストランも全て商品券で支払可能、とのことで、おかげでリッチな昼食を楽しんでしまいました。

あと、自分への誕生日祝いで、やっと財布を新調。これまでのは、もう、この財布を買うときの支払でお店のヒトに見られたのが恥ずかしいほど、すんごいボロボロで…。私、買い物は割と即断即決なのだけれど、これは、見た目だけで決めちゃうと、左手でお札も小銭も出す私にはものすごく使いにくかったりするので、私にしてはものすごく長時間、吟味してしまった。でもおかげで、かなり使いやすい財布を見つけて満足。お店の人がこの財布を扱う手つきがややぎこちなかったのですが、これ、逆に、右利きの人には使いにくくないんだろうか。

もう一点、欲を言えば、入学式に着る服を参考までに見ようかなー、と思ってたのだけれど、時間がなく断念。ま、そもそもデパートだと、お値段もそれなりにするので、見る時間があっても買おうと思えたかどうかは分かんないけど…。
グレーのワンピースに光沢のある黒いジャケット、という組み合わせを一着持ってはいるけど、入学式の色合いとしてはやや暗いかなぁ…。でもパステルカラーのスーツなんて、買っても結局、入学式以外の場で着ることがなさそうだし。スーパー系の「入学式スーツ」みたいなのもネットでチラッと見てみたけど、「着まわしのきくワンピースとジャケットとスカート3点で10000円」みたいな服は、ネットで見えさえ、なんかさすがに安っぽくも見える。現物はどんなだろう…。

実は3月に友人の結婚披露宴があるので、入学式と結婚式、両方で着られるような服を探すか?ともちょっと思ったりした。でも、兼用はやっぱりちょっと無理があるかなぁ…。結婚式の方は、自分の年齢を考えると着物が無難なのかもしれないが(10年前に別の友人の披露宴で着たきりの訪問着なんてのが眠ってるし…)電車を4時間近く乗り継いでいくので、着物持っていくの面倒なんだよなー。着付けの時間を考えるともっと早く出なきゃいけなくなるし。

で、たんすを開けていたら、ああ、そういえば私、こんなの持ってたんだわ、なんていう服が出てきた。フランスにいた頃、ショウウィンドウのワンピース(ドレス、と言ってもいいかもしれないが、どっちみちフランス語では同じ単語だ)に一目ぼれして、悩んだ挙句にとうとう買ってしまった、というシロモノで(しかも、住んでたパリで、じゃなく、旅先のナンシーで、である)ローラアシュレイの、光沢のある黒のワンピース(ノースリーブ、長さはくるぶしぐらいまで)で、膝から下あたりに一面、赤いバラ、というもの。
しかし、なんで数年前の別の披露宴の時、これを着なかったか、と思い返してみれば、これ、微妙にサイズが大きいのだ。いや、38(大体、日本の9号ぐらいと思っていいんじゃないか)なんだから、そう目茶苦茶大きい筈はないんだけれど、特に、上半身のボリュームが足りなくて、スカスカ、って感じなんだよねー、ううむ。
これ、海外のレストランで2回ぐらい着ただけで、だから結局、ほとんど着ていないのですわ。買った当初はなにしろ今より15キロぐらい体重が多かったもので、そこまでぶかぶかとは思わなかったんだけどなー。

いずれにせよ、こんな時でもなきゃそうそう着れやしないし、どこかで寸法直しを頼むかなぁ。実は一度、夫がジャケットの袖丈直しを、スーパーの中のリフォームショップに頼んで、なんか返ってみっともない出来にされた、なんて経験もあり、サイズ直しに出して、服が台無しにならないか、という一抹の不安もあるのですが。
リフォームといえば、私は実は、ウエディングドレスも持っています。買うつもりなかったのに、母がフランスに遊びに来たとき、ちらっとデパートを覗いて、母と妹の方が盛り上がってしまい、その場でデザインを選んで(本当はウェディングドレス売り場はランデブー、つまり予約が要る、と断わられそうになったんだけど、明日には母は日本へ帰っちゃうの!と、無理を言って試着させてもらった)採寸してもらって、自分のサイズにあわせて作ってもらった、ってものなのだけど(一時、東京の伊勢丹が取り扱っていたらしいcymbelineというブランドで作った。採寸、仮縫いまでやっても、日本円で10万円程度だったと思う)結婚式が終わってしまえば、こんなの、ホントに無用の長物なんだよね~。一時、カラードレスにリメイクとかの情報も探したのですが、でもリメイクしたってそもそも着る機会がないかー、などと思って結局、実家にぶら下がったまま。娘用に子どもサイズにリメイクってのも考えてみたけど、それまたあんまり着る機会もなさそうだし。このまま娘に譲るぐらいしか、手がないかもしれない。

あー、ホント、何を着ようかなぁ、結婚式も入学式も…。
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by mmemiya | 2009-01-29 22:07 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

寸暇を惜しんで本を積む

週末は、夫の誕生日祝いにチーズケーキを焼き、ピザを作り、近くのもちつきイベントに行った。
ピザは、発酵が心配だったが、湯煎しておいたらまぁまぁ膨らんだ、かな。とりあえず、昼食後、もちつきに行く予定だったのと、ケーキもあるし、ってんで、強力粉250g(参考にした本の4分の1の分量)で作ったが、これだけで昼食にするとなると、倍量はいるかも・・・。

もちつきは、つく方よりも食べる方に並ぶ人が多く、なかなか餅がつきあがらなかった(し、やや、つき足りないのもまぁご愛嬌)が、先に餅つきの列に並び、その後、すっかり長くなっていた食べる方の列に並んだ我々も、なんとかお餅をいただけた。クイズに答えてお菓子をもらったり、子どもはすっかりご機嫌。夫は、餅が全然足りなかった、というけど、まぁ、無料のイベントで文句を言っては罰が当たります。

土曜日に、また、魚屋で魚を買ったので、土曜はめばるの煮つけ、日曜は、檀流クッキングを参考に、あなご丼。特にあなごは子どもにも好評で、恒例の娘の「また作ってね」が出たのだが、それは、面倒云々(アナゴの照り焼きをご飯に挟み込んだあと、蒸す、という工程が入るのだが、我が家じゃ丼四つも一度に蒸す鍋がない…)よりも、アナゴが次にいつ手に入るか、だな。
それにしても現金なものだなぁ、と思うけど、この魚屋で魚買ってきて料理すると、4歳児でも、骨がどうとか文句も言わず、全部、自分でなんとかして食べます。身をほぐしてくれなどと言いません。子どもも好きそうな魚(うちの子らは青魚が苦手だ。食べさせるけど。)を割と選んでる、というのはあるにせよ、なんて分かりやすいんだ、と感心。息子のメバルの煮つけなんか、ほんとわずかな骨しか残らなかったよ。

ところで、うちの息子は、相変わらず、登園の車の中だの、風呂上りのパジャマを着る間だの、ホントにところ構わず本を読みます。(今日も、娘を連れて行った医者の待合室で、診察終わって帰りたいのに「あとちょっと」と本を読んでいた。インフルエンザの人もいたんだってばさ、早く帰りたいよ、私は…)と言うと、いいじゃない、本を読むなんて、と言われたりしますが、まったく同じような子ども時代を送り、「寸暇を惜しんで本を読むな」と叱られて育った私に言わせりゃ、それは単なる病気です。別に、本読むのが、他の何かをするより上って訳じゃないし。別に、直接、勉強とかに結びつくわけでもないよ、多分。雑学的知識は増えるかも、だけど。

私がこのところ読みかけている本(の一つ)は、「労働ダンピング」という本なのですが、ううむ、これは、読んでいるとどんどん暗い気持ちになってくる。この本が出版された時期というのは、景気が回復傾向にある、と言われてた時期で、「この機を逃さず労働事情を改善しないと」みたいなことが巻末に述べられているんですが、この機を逃すどころか、未曾有の大不況に突入しちゃってる感じだしなぁ…。でも確かに、「時間外労働をしまくり、家庭との両立なんてとんでもない正社員」か「時間的には家庭と両立できるかもしれないが明日をも知れない不安定雇用の、法定賃金すれすれかそれ以下の非正規社員」の二者択一しかない労働市場なんて、どちらも病的ですわな。そのどちらもが「ダンピング」であると言われれば、本当にその通りなのですが、かといって、じゃあ、この状況をどう打破できるのでしょう。
市場主義、改革派のブレーン的存在だった中谷巌(昔、入門マクロ経済学は読んだが、何一つ頭に残っていない…)が改心した、とかいう話は、明るい材料足りえるのでしょうかね。所詮は机上の話か。

っつーことで、最初、中谷氏の本を買おうかな~と思っていたが、どうも、書評を読む限り、まぁ、わざわざ買うほどのものでもないかも、と思い至り、今は「日本の「安心」はなぜ、消えたのか」という本が気になる。なるけど、まだ、買って読んでない本が山とあることを考えると、私は、寸暇を惜しんで積読の山を築いているだけかもしれませぬ…。やはり、手元に何か新しく読むものがないと落ち着かない(でも、新しいものを脇に置いておいて、古い本も繰り返し読む)というこの病は、一生治りそうにありません。
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by mmemiya | 2009-01-26 23:56 | 日々雑感 | Trackback | Comments(6)

何かでくくることで置き去りにされるモノ

下に書いた、思考を停止する…というのと同じようなことの繰り返しになってしまうけど。

「あ、こいつはウヨクだ」とか「うわ~、サヨクだ~」とか、「ニホンジンだー」などと、一人の人間をカテゴライズするという行為は、要は、その人を、いろいろと複雑な面のある個人から、単純な記号に変えてしまう、ということだ。
そして、大抵の場合、レッテル貼りをするってのは、「こいつは私とは相容れない」「理解不能」みたいな整理を、自分の中でしてるってことなんじゃないのかな。つまり、その人について、それ以上、考えるのを止めてしまうってことだ。

しかし、自分自身のことを振り返ってみれば、人間の考えって、そうそう単純でもない、って思えるんじゃないだろうか。
例えば、適切なたとえかどうかは分からないが、自民党員だって、自民党の政策の全部に心から賛成するか、って言われたら、「これは賛成するけど、あれはちょっと…」みたいな、総論賛成、各論反対、の部分をきっと持ってるだろうし。(議員だって、だから造反するわけよね。)考え方が何から何まで一緒、って人がいたら、それはそれでなんとなく気味悪い。

(あと、思想的にけっこう、共通するものを持っている人同士のほうが、一度食い違うと激しいセクト争いをするような気もするけど、まぁこれは別の話になるのでとりあえず置く。)

大状況を考えるとか、物事を鳥瞰する際には、そういう記号化が便利な時もあるかもしれないけど、お互い、生身の人間なんだから、そういつでも記号だと考えない方がいいような気がするけどなー。

しかし、そういう、単純な思考をする人が増えているのか、単に昔から大勢いるんだけど、そういう人の発言を、ネットというものが出来て見聞きすることが増えたのか、どっちなんだろうな。
もともと、日本の教育は、あんまり、自分の頭でモノを考えることを推奨してない感じだし。(なーんて、ほら、すぐ<ニホンジン>とカテゴライズしたりするわけだけど。やっぱ、これは楽は楽だね。)

他人と分かりあうためには、もちろん、その相手を色んな角度から知ろうとする方がいいだろう。分かりあうんじゃなくって敵視する場合だって、単純に記号化しちゃうと、うまいこと渡り合えないっていうか、色々戦略繰り出してるつもりで、全然相手に届いてない、ってことがあるような気がするけど(即ち対抗するにも効率が悪い)要は、本気で戦うつもりはない(戦っている自分の姿があればそれでいい)ってことなのかもしれないなー、と、論点がかみ合わないどころか交差もせずにすれ違ってるネット上の論争(って呼べるのか、そういうの)を見ると、時々思う。相手を倒すためじゃなくって、戦うために戦ってる、っていうか。
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by mmemiya | 2009-01-21 21:19 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

多分、どこにも正解はなく。

しばらく前に、「児童虐待」という理由で施設措置されていたわが子を、母親が待ち伏せして連れ戻した…というニュースがあった。それだけなら、未遂も含め、あちこちでけっこう起こっていそうな話だが、この母親がその後、オランダへ行って母子で生活を始めた、というのと、連れ戻しの際に協力したのが母親の実父のほか、「児童虐待を理由に施設や里親に措置された子どもと実の親をもう一度、一緒にさせるための活動をしている団体」のメンバーで、その人々が逮捕された、というのが耳目を集めたのだと思う。

オランダというのはちらっとネットで見る限り、割と、児童虐待においても施設入所措置をとらないまま、家族に関わっていくことが多いそうな。で、それが理由かどうかは分からないが、今回の母子も、オランダでは、一緒に暮らすことが認められたらしい。

赤の他人に暴力を振るわれた、なんて話とは違い、もとが、濃密な関係にある「親子」だ。単純に「もう絶対、顔も見たくない」とか「怖い」とか割り切れる間柄ではなかろうし、施設入所措置が是か非か、などというのも、簡単に結論付けられる問題ではない。そもそも、結論など出るときがあるのだろうか。ただ、「児童相談所が虐待を把握していたのに、子どもが死亡した」といったケースが現にある以上、いったん、親子を引き離す、という措置そのものは、現実的な選択肢の一つとしてありうるのが当然だ、とは思う。(家族再統合が不要だ、という気はない。)
ところで、今回、上記のような活動をしている団体は複数ある、と、ニュースに出ていたので、ちょっと検索してみたら、「児童相談所に虐待を捏造され、わが子を奪われた」とか、あるいは児童虐待ではなく、DVで、同じように、「ありもしないDVをでっち上げられ、夫婦が引き離された」とかいう<事態>(当事者の言い分としてはそのようであって、他者が見てどうなのかはここでは置く)に抗議する、子どもを奪い返そう、といったページが、なるほどヒットした。
それで吃驚したのが、これらの団体の言い分によると、そういう、<児童虐待の捏造>だの<DVのでっち上げ>だのが起こっているのは「フェミニストによる家族解体の陰謀に、児童相談所(DVの場合は配偶者暴力相談支援センターが、っつーことか)が染まりきっているから」なんだそうだ。児童相談所の職員も吃驚だろう。
バックラッシュがどうこう言われ始めたころから、「フェミニストは日本のよき家族を、ひいては社会を壊そうとしている」みたいな言説はよく見かけたが、まさか、こんな場所でリンクしてくるとは思わなかったよ。まぁ、DV防止法を所管しているのは(なぜか)内閣府男女共同参画局ではあるわけだが、なんつーか、現場の判断の苦悩を省みず(DVだって、結局、連れ添った情だの共依存だので、傍から見りゃひどい目にあってる人が、暴力を振るう相手のところへ戻っていってしまう、なんてのはよく聞く話)、フェミニストの陰謀のせいにしてりゃ、深く物事考えずに済んで楽でいいよな、というか、世の中の複雑さを、なんでもかんでも誰かの思想的陰謀のせいにしてしまうことで思考回路を止めちゃってる人が最近多すぎないか、みたいな脱力感がある。

「よき家族」とはなんであるか、は、人によって微妙に異なり、恐らく、正解はない。ある人にとって居心地のいい家族が、傍から見りゃ文句付けたくなるような形態である、ってことだってあるだろう。思想的に右の人も左の人も、他人の生活をとやかく非難すべきではない、と、私は思うけどな。
子育て、っつーのも、恐らく、どんな育て方でも、子はそれなりに育つのだと思う。「それなり」にどの程度を求めるのか、はともかく。
例えば、電化製品なんてなくって炊事に時間がかかって、着る服は全部、自前で縫わなきゃならなくて、で、農作業では男も女も働き手で大忙し、ってな時代には、多分、「私の子育てはこれでいいのだろうか」なんて思い悩む暇もなかった筈で、子育て論だのなんだのがこれだけ売れているのは、日本がそれだけ豊かになってゆとりが出てきたってことだもんな。
そうそう手をかける暇がなくても、年上の子どもやら近所の人やら色んな人のお陰で子どもはそれなりに一人前になっていった時代があった以上(ついでに言うなら、女は無知で愚かなんで、子どもの身の回りの世話はしていいけど子育てなんかすべきでないって時代もあったわな)、今の時代にそれを真似したって(近所の人はあんまり育ててくれないだろうけど)まぁ、多分、それなりに大きくはなる。そういう意味で、子育てに正解なんてモノはない。
ただ、人間は誰しも、生きている時代状況と無縁ではいられないので、あまりにも、現在「かくあるべき」とされる子育てからかけ離れたことをやっていると、「うちの親は愛情がない」と思われたりする可能性は充分あるだろうが。

まぁ、「かくあるべき子育て」にあまり振り回されず、あまりに教条的になりすぎることなく、その時々に最善と思われること、やれるだけのことをやるしかない、という、ありきたりの結論にしか結びつかない訳ですが。とりあえず、日々、家族全員楽しくあることが一番です。
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by mmemiya | 2009-01-20 22:29 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(5)

肩を壊してまで勝負するのが正しくないことは強調したい。

土曜、朝ごはん食べて、洗濯掃除して、昼ごはん食べて、ピアノのレッスンに行って、映画を見に行った。
息子は、同じクラスの子が見に行った「ウォーリー」も見たかったらしいが、結局、「劇場版メジャー」である。ずっとテレビシリーズは見ているので、娘もそれなりに耐えられるかと思っていたのだが、やっぱり、途中はかなり退屈したらしい。まぁ、分かりやすいストーリー構成ではあったけど、2時間の映画は、多分、4歳児の理解できるところではないんじゃなかろうか、とは思う。
テレビシリーズも原作マンガも知らない人でもちゃんとついていけるであろう作りだったし、少なくとも前回子ども達と見たドラえもんよりなんぼか私としては良かったのだが、主人公はねー、故障してて、親に投球を止められてた肩で無理して投げきって、二度とピッチャーは出来ない、と宣告される小学生なんですよ。そんな、スポ根を正当化されるのはちょっとねー、と言いたくはある。
もっとも、原作では、小学校4年の終わりに突然、転校していった主人公の野球少年が、中学3年だったかになって、いつのまにやらサウスポーに転向して戻ってくる、どうも、引っ越した先のリトルリーグで無理をして肩を壊したらしい…となっていただけの、描かれていない部分をストーリー化したのが今回の映画なので、どうやったって主人公は肩を壊さないといけないわけですが(笑)。1月から始まったテレビの第5シリーズともリンクしつつ、原作の全く触れていない部分を物語にして、うまいことまとまってはおりました。
ただ、なんか私はよく知らないんだけど、お笑いタレントが2人、本人役で登場していて、あれは全く不要だと思った。あと、ヒロインがずいぶん素人臭いなぁ、と思っていたら、新人女優(声優に非ず)らしい。なるほど、道理で。許容できないほど下手ではなかったが、決して上手くはない。(宮崎アニメには時々、許せないほど下手な素人が起用されているが、まぁ、あのレベルよりはずいぶんマシだと思うけどね。)

ところで、半年ほど前から、近所に新しく魚屋が出来た。といっても、私が存在を知ったのはつい最近なのだが、ピアノ教室のそばということもあり、先週、今週と、続けてピアノの帰りに魚を買った。なかなか新鮮で、このあたりのスーパーよりいいな、という感じなのだが、唯一の欠点は、ちょっと特殊な店のため(本業が魚屋ではないのに軒先で魚屋をしているのだ)魚の下処理をしてくれないこと。おかげで、家でうろこ引いて鰓とって内臓とらないといけないのである。本日はイサキのうろこにずいぶん時間がかかってしまった。イサキってうろこ固いんだなぁ…。うろこ引きを買わないといけないな、こうなると。

魚といえば、この間、野崎洋光さんの圧力鍋料理の本を立ち読みしたのだが、鯖味噌は15分加圧で作れ、とあった。普通の圧力鍋料理本ではもっと長い時間加圧して、骨まで食べられるようにするものだが、15分以上加圧しても、味がしみこまないんだそうだ。それを読んだその日、ちょうど鯖味噌の予定だったので、早速15分でやってみた。確かに、身がパサパサしすぎないかも。骨は、それでも噛めば食べられるぐらいの状態だった。野崎さんといえば、パリにいた頃読んでいた朝日新聞(国際衛星版)には、野崎さんの料理連載があって、楽しみにしていたなぁ。とても手に入らない材料の和食なんかは読むだけでツライ(笑)ものではあったが、丁寧な和食ってこう作るんだー、と勉強になった。この人の本は2冊しか持ってないはずだけど、今、実は「お弁当の方程式」という本が気になっている。

料理の本は、もう一冊立ち読みした。ウー・ウェンさんのスープの本。まぁ、ウーさんの本は既に持ちすぎ、な感じの私なので、パラパラ見ただけなんだけど、かぶのポタージュが出ていて、蕪の葉も使う、というのが私としては新鮮だった。私はいつも、葉っぱは別の料理にして(厚揚げと煮るとかね)、実のほうだけで白いポタージュにしてしまうのだ。これもさっそく真似してみたが、葉っぱに多少、苦味がある(大根の葉ほどじゃないけどね)こともあって、子どもにはいつものポタージュの方が受けはいいようだ。残さず食べてたけどね。ちょうど牛乳を切らしていたので、牛乳抜きでつくったので、余計、マイルドさに欠けていたかも。

本日は、2回、娘の「また作ってね」が出た。朝作った、初挑戦のクイックブレッド(ご飯を炊くのを忘れていたのでヤミーさんの発酵させないベーグルを作ったのだ)と、夜の茶碗蒸し。改めて、自分の料理本コレクションを眺めると、うーむ、少しずつでも使っていかなきゃな、と反省。土日ぐらいは、せめて一品ずつでも、普段作らないものを作ってみるか。
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by mmemiya | 2009-01-17 23:42 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

雪道なんて大嫌い

この冬はじめての積雪。
年内に一度も降らない(いや、ちらついたことはあったのか?)なんてねー、珍しいよねー、と言いながら年を越したけれど、地球環境的にはどうだか知らないが、通勤のことだけ考えたら、積雪なんて一度もなくていい(泣)。

道路に雪が降り積もるのは年に数回、程度のエリアに住んでいるおかげで、私はいつまで経っても雪道の運転には慣れない。一昨年は、夫が家で専業主夫していたので、雪の日は電車で出勤した。昨年は、幸いなことに、積雪はいつも週末で、通勤時に苦労した覚えがない。

で、今日。なるべく早く起きようと目覚ましと戦い、子どもらを起こし、いつもより30分ほど前に家を出た。でも30分遅刻した(泣)。ちなみに、通常だと通勤所要時間は(保育所での子どもの乗り降りまで含めて)30分強である。通常の3倍ぐらいかかったわけね。
普段は裏道というか、ちょっと山に近い細い道を走ったりもしているのだが、今日は幹線道路に絞った、というのもあるが、どこを通るにせよ、最終的には、峠を一つ越えなきゃならず、でもって、その峠道が、予想通りというか、予想以上に動かなかった…。峠のはるか手前から、ノロノロノロノロとしか進まず、こんな日にノーマルで来る奴はいなかろう、と思っていたのに、峠じゃ何台もの車が脇に突っ込んで動かなくなっていた…。

そのうち、坂で発進する時に、なんだか変な音がしはじめ、一瞬タイヤが空回りしているってことか?という感じになってくるは、微妙にハンドルは取られるは、もう泣きたくなってきた。まぁ実際には、スタッドレスを履いていても雪道じゃそれぐらいが普通なんだろうけどさ…。そして後になって思えば、セカンドで発進すべきなのでしょうか、雪道では。(本日はサイドブレーキひいて、いわゆる「坂道発進」をきっちりやりましたとも。)けっこう急な坂なんだけど、とにかくブレーキが怖くて、下りは一度もフットブレーキ使わず降りてきた。

帰りには、大抵のところでは雪はすっかり融けて、道も乾いていましたが、問題の峠道は、陰になっているあたりは濡れたまま、こりゃ明日の朝の凍結が怖い…。
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by mmemiya | 2009-01-13 23:15 | 日々雑感 | Trackback | Comments(5)

必要なものがスグに!とり出せる整理術

整理整頓が苦手だ。大の苦手だ。職場の机まわりも物凄いが、そういえば、小学校のころから、私の机だけ、持ち上げると異様に重いと評判だった。

収納だの片付けだのの本はあれこれ買ってみたことがあるのだけれど、まぁ、確かに、捨てて物を減らせばいい、というのは多少は分かった。だがしかし、片付かない。でもって、性懲りもなく、こんな本を買ったのはなぜか。これまでの収納の本が、私レベルの人間にはものすごくハードルが高いものだったかもしれない、と、今頃気づいたからだ。

著者池田暁子(きょうこ)さんには、他に「片付けられない女のためのこんどこそ!片付ける技術」という本もある。というか、そっちが先ね。これも、私なんぞには思い当たることありまくりの本だった。なにしろ私、大学時代、アパートの隣の部屋に同じ大学の1年年下の子が越してきて、引越のご挨拶に来てくれたとき、部屋があまりにすごいので(ワンルームなんてドア開けたら全部見通せてしまう)何度も居留守を使ってしまったほどなのだ。地元の友人が大阪へ来るから…なんてときは前から分かっているので私なりに必死に掃除はするのだが、急に「miyaちゃん家へ行きたいな~」とか言われても、もう絶対駄目、であった。(そういや実際、ある男の子が来たがったのを必死で断わったことがあったなぁ…。なんつって断わったのかなんてもう忘れちゃったけど、この本の中で池田さんは、つきあいはじめたばかりの男性に突然家に来られて事実上ふられてしまう…って場面があって、身につまされるのなんのって。)

で、本題に戻って、この「スグに!とり出せる整理術」ですが、確かに、世にあまたある整理本の中では、これはかなりハードルの低い方の本だと思う。ってか、これがハードル高いとしたら、「こんどこそ!片付ける」の方から始めなきゃならないだろう。我が家なぞ、出入り口の靴箱の上とか出窓の上とか色々なところに細々したモノがどんどん積み重なっていってしまうので、ホント、なんとかしなきゃならん。大掃除で食卓の上はすっきりさせたはずなのに、いつのまにか大量の本と少量の郵便物(年賀状を見て住所録更新しないと…とか思ってパソコン脇に放置しているわけだ。あ、うちのノートパソコンは、実は食卓の上が定位置なんである。)が積み上がっている。これはもう、私が常に5~6冊の本を平行して読むという悪癖を持っていることからきているのは自明なんだけど…。(正月以来、今更、米原万里にはまって、また買い足した。そしてタイムリーなことに、2009年1月号のユリイカが米原万里特集号で、いったい何年ぶりだ、というぐらい久しぶりにユリイカなんて買っちゃったよ…。これって1300円もする月刊誌だったのね…。)

とりあえず、本を全てリビングから追放するのは土台無理なので、一時置き場をきちんと機能させ、週末には一時置き場を棚卸ししないと。その他、紙モノの整理についても、色々と本書中にヒントがあったので、やり方を考えなきゃな~。と、マンガなのですらすら読めるし、とりあえず読み終わればちょっとやる気は出るし、で、アマゾンでの好意的な書評が多いのもうなづける、整理ベタにはなかなかお薦めの本でありました。
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by mmemiya | 2009-01-10 22:30 | 読んだ本 | Trackback | Comments(4)

6歳児の計画

このところ、うちの息子は、再び、レゴブロック熱が再燃している。
おかげで、サンタさんに頼んだものも、私の母や妹(どちらもクリスマスプレゼントをくれるので)に頼んだのも、ぜーんぶレゴだった。
で、先日、「お母さん、僕、サンタさんに頼むもの決まった」。「え?来年のクリスマスの!?」と聞き返したら「違うよ、今年だよ」と言われた。確かに、「今年」が正しくはありますが、ほとんど一年後なんですから、感覚としては来年みたいなもんだよねぇ。それが数日前の会話だったのだが、本日の弁によると、その次のクリスマス、即ち「来年」のクリスマスに欲しいものも決まったらしい。どっちもレゴのシリーズらしい。自分の手帳になにやら欲しいものを書き付けていたのだが、来年欲しいものはまだ見せてもらっていないのでよく分からない。レゴの難点は、次から次へと新製品が出るのと引き換えに、割とすぐ廃盤になっちゃう(基本のシリーズを除いて)とこだと思うんだけどねー。欲しいもの、残ってるといいね、その時まで。

一方、ブロックと平行して、いよいよゲーム機も欲しいらしい。そんでもって、それはお年玉を貯めて買うのだそうだ。なにしろ、未就学児だというのに、夫の両親からは去年も今年も3000円もお年玉をもらっているのだ。幼児にそんなにお金をくれなくても…と思うのだが、小学校に入ると、これが更に5000円になるらしい。で、今年のお年玉をいただいて、すぐ、「これで僕のお金は6000円になったね」と、きっちり計算をしている息子。いやー、去年のお年玉なんて、とっくにどこかへ消えてしまってますが・・・とはとても言えない。で、これを貯めていけば、多分、2年生のお正月にはDSが買える、というのが計画らしく、それも手帳に書き付けてあった。「10000
8000円(18000円と書きたいらしい)ためます DSをかいます」とか書いてあった。(DもSも鏡文字でしたがね。)この間、法事の時に叔母に漢字ドリルをもらったので、「円」はそれを見て書いたようだ。

私自身は小学生の間のお年玉は、「貯金しておいてあげる」という言葉の元に親の財布に入っていき、そうしてそのお金は戻ってこなかった。(結局、よそへ行くお年玉と、トントンってことだったんだろうな。)子どものお年玉なんて、そんなもんと思っていたのだが、なにしろうちの息子は割と記憶がきっちりしているので、こりゃまぁ、観念してDSを買っていただくしかないか。

私の方の親からは、お年玉は1000円分の図書カードだった。こちらは、息子は「テレビマガジンの2月号」を買いたいらしい。その手の雑誌は、以前「これ一度だけだよ」と言って買ってやったことがあり、それを今でも息子は時々読み返している。私はその手のものを買うのにいい顔をしないのだが、今回は自分がもらった図書カードだからいいでしょ、とのこと。まぁ親の欲目というのもあるが、なかなかきっちりとした子どもなんである。私が6歳の頃、こんなにしっかり(ちゃっかり?)していただろうか。

ところで、このお正月、母が、「そういえばA子さんも、お年玉はいつも図書券だったねー」と呟いた。A子さんというのは、母の弟の元配偶者で、前に、私が英語というものに触れるきっかけになった人、と別記事に書いた人だ。そういえばそうだったなー、と、なつかしく思い出す。
で、ふと思い立ってインターネットを検索したら、このA子さんを見つけてしまった。15年ほど前に会社を立ち上げ(叔父との離婚は考えてみればもう20年も前のことなのだ)今も代表取締役としてあれこれ飛び回っているらしい。関係がなくなってしまった人など、近くに住んでいるのでもなければ、その後どうしているのかなどと知りようもない、というのがちょっと前までの当たり前だった筈だけど、ネット時代ってなんだか不思議。
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by mmemiya | 2009-01-10 00:14 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

本年もよろしくお願い申し上げます

例年より長い正月休みだったにも関わらず、振り返れば、結局、なんだかあっという間に終わってしまったお正月。おまけに大掃除も半端だし、「これが出来たわ!」なーんてこともなく。

前にも書いたけど、とりあえず肉まんにチャレンジしたことと、あともう一つ、初めて韓国風チゲを作ってみたぐらいでしょうか、やったことって。
子どもがまだ、辛いものは食べられないからなー、と思っていたのですが、なにしろ私はチゲが好きなので、子どもにはコチュジャン少なめでほとんどただの味噌味として味付けして、大人と子どもと鍋を分け、大人には私の失敗気味キムチを放り込んで。一応、子ども達も食べられたし、この程度ならなんとかチゲらしきものが食べられそう。

正月といえば、胃食道逆流による胸焼け胃もたれを恐れていたのですが(胃薬と整腸剤と、あとまた鼻水たらしてた娘のカロナールと、と、薬ばっかり持って行った)餅も何もかも、控えめに、控えめに、と食べたお陰か、全く胸焼けは起こらず。良かった良かった。(義母には、もっと食べろとか、なんか痩せたんじゃないか、とか色々言われましたが・・・はっはっは。)

今年の御節は、義母:黒豆、ニンジン・切り干し大根・細切り昆布の煮物
          義姉:伊達巻、栗きんとん、煮しめ、酢れんこん、手綱こんにゃく煮
          私:数の子、結び昆布、田作り、きんぴらごぼう

というような分担で作りました。そういえば今年は紅白膾がなかったなぁ。私、けっこう台所に立っていたつもりだったのに(夫の実家は二世帯なのでキッチンが2箇所にあり、義姉と私が義姉の方の台所で、義母が義母の台所で作るのでした)なんか、何もしてないわ、こーして見ると。
そして、昆布をもどして切って結んで煮たのですが、すぐ柔らかくなる昆布なんだけど、だからといってすぐ煮るんじゃなく、もう少し戻しておくべきだった…。ちょっと塩辛すぎました。来年への課題です。

料理といえば、現在、私が愛用中の圧力鍋料理本を書かれた枝元なほみさんの、圧力鍋料理本第二段が出ていて、ついつい、また、買ってしまいました・・・。(夫の許しは得た。)
近場のショッピングセンターの元旦初売りで、なかなか魅力的なコーヒー豆の福袋があったので、買いたかったけど日中は時間がなく、子どもが寝てから、他に大人がいるのを幸い、夫と二人で出かけてみたけど(元旦から23時まで営業なんて…昔は考えられなかったですねー、こんな正月。)とっくに売り切れてました・・・。まぁ当たり前です。で、代わりにこの本を買ってきた、と。

正月の間、以前に買ってあった米原万里さんの本を3冊ほど読みました。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、すんごく面白い本でした。プラハのソビエト学校で中学・高校生ぐらいの年頃をともに過ごした友人達を、共産体制が崩壊した後、探し当て(ほとんどみんな、チェコ以外の国の出身のため、あちこちに移り住んでいて探し当てるのも大変)その後、どんな人生を送っていたかを聞き・・・という、そこらの日本人にはなかなか出来ない体験を元に、共産主義の崩壊過程を背景に、個性豊かな旧友達を生き生きとした筆致で描き出した、読み出したら止まらない本です。歴史なんかが前面に押し出されているわけではないけど勉強にもなります。部分的核実験禁止条約って、共産党にとってものすごく大きな出来事だったんだな、とか。そういえば、この間読んだ「夏の栞」にもそんなことが書いてありましたっけ。中野重治が共産党を除名されたのも、この問題のせいだった筈。

まぁ、そんなわけで、一年の計の正月もダラダラと過ごしてしまいました。あ、恒例の歩いて初詣には行きましたよ。娘は近場の神社(って言っても片道4キロは歩いた)でリタイヤしましたが、息子の方は片道6キロ超の神社までお参りに行きました。
というわけで(どういうわけだ)本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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by mmemiya | 2009-01-06 23:33 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)