La Lune Lunatique

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読みかけも含め。

「子どもの絵の見方、育て方」をちょうど読み終わったあたりで、とある絵画コンクールの応募用紙が我が家に持ち込まれ、子どもに「未来」をテーマにした絵を描いてもらうことになった。

で、出来上がった絵を見ていると、ああ、なるほど、これが基底線、ああ、いかにも7歳児の発達段階の絵だなぁ、なるほどぉ、と、改めて本の内容に感心することしきり。たくさん、実例が掲載されていて、分かりやすい本でした。簡単に言えば、子ども(特に幼児)が絵を描いたら、何を描いたのか聞く(話を引き出してやる)こと、決して見本は描いてみせないこと、と言ったことが書かれています。あとは発達段階において絵はこのように変わっていきますよ…という豊富な実例とか。
娘の絵はやや伸び伸びしたところが足りないような気もしますが、今回の「みらい」は、楽しんで描いたようなのでまぁ良かった。たくさんの四角をいろんな色で描いて、その中にお父さんと自分が座っている絵だそうな。
息子の方は、今住んでいる家の絵(7歳児なりにけっこう細部を良く見ていて驚く点もあった)を描いて、庭に、水の循環するプールとかロボットとか描いて、未来。家はこのままがいいんだって。

本当の意味で写実的な絵が描けるようになるのは9歳ぐらいからだそうで、そう言われてみればそんなもんですよね。二次元から三次元に徐々に移り変わっていくあたりとか、9歳でのかなり劇的な変化とか、実作は説得力があります。そんな本を読んで息子の発言を聞くとちょっとひっかかったりも。そういや、図工の絵って、やたら「物語の一場面を描く」ってありましたよねぇ。それが悪いとは言わないけど、体験から絵を描く方がいいよなぁ、やっぱ。うちの息子は、楽しいことがあると、忘れないように日記を書く、と言って、絵日記かいてますが、そういう、体験というか感動というか、そういうものを絵に残しておきたいと思えるって、この子って絵が好きなんだなぁ、というか、絵というものといいつきあいをしてきたのかもしれない、と、改めて思ってみたりして。(親は何もしてませんので、保育所の指導に感謝、ってことですね。)


あと読みかけの本。
「日本の小学校英語を考える アジアの視点からの検証と提言」最初、面白そうな視点の本だと思ったのだけれど、長いだけで読みにくい。っていうか、けっこう分厚い本の割に、あんまり情報量がない。そんなこんなでなかなか読み進められない。

「バイリンガルはどのように言語を習得するのか」面白そうな本だと思ったんだけど、こう、やっぱ、雲を掴むようなというか、この世界、まだまだ分かんないことだらけなんだろうなー、というのが途中まで読んでの感想。正直、n=18とかの調査で(しかも、諸条件が全然コントロールされてない、っていうかコントロールが無理なんだけど)物事を語られても、それって結局分からないってことじゃん、としか思えないしなー。

「欲ばり過ぎるニッポンの教育」読み始めたばっかりだけど面白い!そうなんだよね、所詮リソースだってなんだって限りがある中で、「理想としては学校教育であれもやってほしい、これもやってほしい」って言ったって、全部やれるわけないじゃん、じゃあ、どんな子どもを育てるのを目標にして具体的にどれを優先するのさ、って論議がなんで見えてこないんだろう?教育改革の話って。
まぁ、教育に限らず、優先順位をつけるってのは、どうも身近なところでもないがしろにされているような気がするんだけど・・・。夫も私も、子どもに「優先順位を考えろ」ばっかり言ってるのですが、我が家では。何歳ぐらいになったらちゃんと理解できるのかは分かんないんだけど、「時間も金も有限なんだから何を先にすべきか考えなきゃ」ってことは分かる人間になってほしいもんですね。
この本では、他に、やれスウェーデンの教育がとか、フィンランドの教育がとかいうけど、そもそも、高等教育の位置づけとかが日本社会とは大きく異なる国であって、そう簡単に比較は出来ない、ってあたりも説得力があって興味深いです。大学進学率というのは、国立だけとってみれば欧州も日本もあんまり変わらないんだけど、日本では私学を増やすことで大学進学者が社会に占める割合をものすごく増やした、といった、興味深い数値もありました。まぁ、対談集なので、ちょっと散漫な印象は受けますが。

番外:カバリエの椿姫(ただしハイライト。全曲盤が見つからん。輸入盤しかないのかな)のCDを購入。「戦争の法」を読んで、このオペラを聴きたくならない人なんているだろうか、というぐらい、印象的に取り上げられているので。まだ落ち着いては聞いてないけど。私が生まれて初めて買ったオペラ関係のCDは「魅惑のオペラ・アリア(女声篇)」というものでしたが、今、手元になくて、えーと、あのアリア集で「そはかの人か~花から花へ」歌ってるの誰だったっけ。 (ネット検索でレナータ・スコットと判明。)このアリア自体は、他の人のも含めていくつか聴いている筈だけど、そんでもって椿姫って舞台では見たことあるんだけど、ハイライトとはいえ椿姫のCD買うのって初めてだな。
どーでもいいけど、数日前に車の中で「歌に生き、愛に生き」の出だしのあたりを適当に歌っていたら(イタリア語がそもそも分からん。でも、「恋とはどんなものかしら」は、テキトーなイタリア語発音で全部歌えるのだ、そういえば。)子どもが二人とも「それ何!?」って反応したのは面白かった。オペラの楽しみは、まだまだお前らにゃ早すぎるぞ。

ピアノの発表会が近いのでいよいよ練習しろと毎日尻をたたかにゃならんは、一方で、ついに習字をはじめることになったので(まぁ、息子のあまりにも雑な字の書き方を見ていたら、本人が体験レッスン後やりたい、って言ったんだからやらせた方がいいような気になってきました、私も。娘の方は娘の方で、右での書字を定着させたいってのもあるし。)色々、気持ちの上でも慌しいです。まぁ、習字は、うちの親が学童や保育所に迎えにいって、実家で妹に習って(身内なので、と、ホンの少し月謝をまけてくれるそうな。そりゃ申し訳ない。)私がいつもどおりに仕事終わって、保育所に着くような時間に、保育所じゃなく実家に迎えに行く、という段取りなので、帰宅時間とかに変わりはないんだけどね。
まぁ、これ以上やりたいものがあるっていうなら何か諦めてもらわなきゃだし、学年が上がるにつれて、どこまでやれるか、ってのが正直なところではありますが、ま、やりたいと言い出した以上は親もやれるところまでは付き合うつもりではあります。帰宅から就寝まで3時間弱しかない我が家では、ピアノの練習時間をひねりだすのが、親にとってもなかなか大変ではありますが…。これもまた、優先順位の問題ではあります。

それにしても、イマドキの小学校の夏休みって、どれぐらい宿題とかあるんだろうな。
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by mmemiya | 2009-06-30 23:50 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

なんと、「戦争の法」文庫化。

子どもの行事が続いている。
先週は娘の保育参観、今週は娘の個人懇談、来週は息子の授業参観。保育所と小学校と両方あるってのがかくも面倒なものだとは。というか、どうしてそんなに時期が似通ってるのか。

保育参観は、正味、参観は20分程度だけ、園庭で踊る子ら(体操だそうな)を見ていただけで、あとは、脳科学の講演会とやらだったのだけれど、とはいえ、入所して初めての参観に親が来ないじゃちょっと娘をがっかりさせるかな、と、出向いて娘に手を振ってみた。それにしても、音楽がかかって踊ってる間に、隣の人と、子どもの様子の感想を述べ合うぐらいならともかく(離れてるから子どもの邪魔はしてない)、園長先生のあいさつなんていう、ほんのちょっとの間も、黙ってられない保護者がどうしてあんなに多いのか。あと、みんな、ビデオカメラ片手でこれまた吃驚。前の保育園って禁止だったっけ?あ、違う。保育参観って、いつも、親も工作とかおやつ作りに参加、だったから、ビデオまわすヒマがあんまりないように出来てたんだよ、そういえば。

娘は転園して日が浅い割には、よく馴染んでいるし、個人懇談で特に聞いておきたい心配事ってのもなかったんだけど、担任によると、特定の女の子と、とにかくなんでも一緒にしたがるようで、給食でも、自分の方が先に食べ終わりそうになると、露骨にスピードを落としたりするんですと。あと、嫌われたくない?のか、多少きついこと言われても厭だと言わない、とか。女の子特有の人間関係なので、あまり関係が固定的にならないよう、担任も気をつけているが…との話。やっぱ、女の子の関係は難しいらしい。って、自分もかつて女の子であったはずの女性保育士と女親が、ひとごとのようにそう語り合うのも、なんか変な感じではあるんだけど。

息子の方は、来週は参観だけなんだけど、たまたまこの保育所個人懇談の日に、学童帰りに担任と少し話をした。生活態度は相変わらずで、気が散りやすく、そしてまた、忘れ物が多い。学力的には今のところ問題ない、というか、「簡単なので余計、聞いてないんでしょうね。で、肝心なところを聞き漏らしたりする」との担任談。それでも、入学当初に比べれば多少は落ち着いてきたそうですが、当分は最前列から動かせないそうです。すみませんすみません。家からの忘れ物は私が気をつけていればなんとかなるのだが、学校から持って帰ってくるのを忘れた日にゃ,なんともなりません。あと、図書室から本を借りられるようになって、やはり、学校でも時と場所をわきまえずに本を読んでいるらしい。「本が好きなことはいいことなんですが」と言われたが、断言しますが、本好きは別にいいことじゃないです。金食うし。(ま、どんな趣味もそれなりに金を食いますがね。化粧水つけるだけですら、モノによっては肌荒れする私なんか、化粧品代ゼロに等しいから、書籍費も人様の化粧品代ぐらいのもんかもしれないし。)

で、懇談から降園時間まで、微妙に時間があったので、久々にリアルの書店などに行ってみて、最後、もう帰ろうかと思いつつ、文庫コーナーで驚いた。大蟻食様の「戦争の法」が、文庫になっているではないの。これ、私が佐藤亜紀に嵌まった時には既に絶版で、私は古本の文庫で手に入れて読んだのだが。(いっとき、ブッキングで再販もされたようですね。「鏡の影」の方はブッキング版で持ってるんだけど、私、なんでこれは古書で買ったんだっけ。)いつもの通り、解説からパラパラやると、今回の文庫は、ご亭主が解説を書いておられた。(前回の新潮文庫では小林恭二。ただ、前回の文章はいかにも古くなってしまったし、そこにある「次回作」も、ちょっとずれちゃったしな~。)ちなみに、今回の文庫も購入しましたが、ちょっと前の文庫とページ組が違うのね。

私は、若干のエッセイ本除けば、佐藤亜紀の本はほとんど全部持っているはずなのだけれど(ちなみに、もってなくて一番悔しいのは「掠奪美術館」←というか、調べてみたら、多分、持ってないのは、これと「陽気な黙示録」の2冊だけみたい)、今回の文庫について検索していたら、今月には待望の新刊も出るんですと。「激しく、速やかな死」って、長く、「金の象眼のある白檀の小箱」ってタイトルで新刊予告にあった奴だよね。短編集なので、表題変わっても「金の象眼…」も入ってるみたいだけど。ところで、これ、価格が、アマゾンでは微妙に送料無料にならない。うう、近所の書店にちゃんと入荷するかしら。っていうか、書店に行くヒマあるかしら。

新刊予告といえば、それにしても、橋本治の「院政の日本人」は、ホント、どーなってんですかねぇ。何度も何度も出版年月日が変わった情報を見かけるが、この間の「4月30日」に続いて、今度は「7月30日」になっているのを見た。さてはて、どんなもんでしょ。
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by mmemiya | 2009-06-23 22:53 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

エコキャップ?の謎。

うちの子どもの通う小学校では、以前から、アルミ缶のリサイクルをやっているようだ。

アルミ缶って、そういや、町内のゴミ当番(資源ゴミの日、収集場所に1時間ぐらい立っていて、持ってきた人の仕分けを手伝ったりする)の時も、アルミ缶だけ、業者が来てもってっちゃうのを見たことがある。あと、粗大ゴミも、次から次へと業者(というか下請けというか。日本語カタコトの人もけっこういた)がやってきては、めぼしいものを持っていってたな。

まぁとにかく、持って行く人がいるぐらいで、リサイクルとしては金になるというか、価値の高いものなんでしょうね、アルミ。ただ、うち、アルミ缶の飲料なんてものを何一つ買わないので、学校に持たせようにも持たせられない。晩酌しないから、アルコールなんてほぼ調味料としてしか用なし。そして、牛乳以外の飲料を金出して購入することがそもそもあまりない。ところで、どうして、同じ缶飲料でもアルミを使うものとスチールを使うものがあるんだろう。出張なんかで車にちょっと長めに乗るときなんか、コーヒー缶はたまに買ったりするんだけどな。

で、今度は、ペットボトルのキャップ集めが始まった。ペットボトルねぇ…。これもあんまりないんだよねぇ…。醤油はペットボトル入りのを買うことが多いけど、後は、水筒持って出るのを忘れた出先でお茶とか買うこともあるけど、そういや、去年の町内運動会とかで貰ったペットボトルのお茶が、まだあと6本ぐらいあるけど(未開封)、いずれにしても、ペットボトルキャップも、そうたくさんは集まりそうにない。

で、そんな運動があるんだ、ポリオワクチン?ほお、と思って最初に疑問だったのは、どうせなら、どうしてもっと大きいプラスチックも集めないの?ってことだった。ペットボトルの蓋に限定する意味がよく分からない。プラスチックって言っても色々種類があって、混在しているのはリサイクルしにくい、とか、なんか言い分があるのかもしれないけど、その昔に流行ったプルトップで車椅子、みたいなのと同じ違和感を拭い去ることは出来ない。気の遠くなるほどの数のプルトップ集めて車椅子一台にするより、車椅子一台分の寄付した方が早いでしょ、みたいな。

構造的にも、多分、似通ったところがあるんだよね、その昔のプルトップと。

プルトップ→ゴミとしてあちこちに落ちているから拾い集めることで街の美化にもなる、
        海岸なんかに落ちていたら怪我の元にもなって危険、集めることが
        ボランティアにもなるなら一石二鳥じゃないか。

ペットボトルキャップ→ペットボトル本体は資源ごみとして集めるのに、キャップは
              一般ごみに混じっていたりする(うちの自治体の場合ね)。
              リサイクルできていない後ろめたさ(?)、これがリサイクル
              できるなら一石二鳥じゃないか。

もともとは善意に基づく発想なのかもしれない(参加している人は紛れもなく善意だろう)が、行為が効率のよい善行足りえているか、というのは、話がまったく別だ。そんな気の遠くなるような善行をするより、ワクチンを送りたかったら、一本、ペットボトル飲料代を節約して寄付をしたほうが、よっぽど話は早い。あと、ワクチン寄付とかの話とエコの話は一応別だと思うけれど、環境問題的には、まず、ペットボトルをなくす運動をした方がいいでしょう、よっぽど。
でもさ、保育所時代も、ヒヤシンスの水栽培するから2リットルのペットボトル空き容器を持たせてくれ、というのがあったし、小学校でも、朝顔の水遣りに使うので500ミリリットルのを、ついで、朝顔が大きくなってきたので900ミリリットルのを持たせてくれなんて連絡があった。ペットボトル飲料を買うことは、そもそもが、私にとっては、幾分後ろめたいことなんだけど、世の中、各家庭には空き容器がある、という前提になっちゃってること自体、どうなんでしょう。

この、小さなものをちまちま集める非効率さ、については、それを送るコストと、送られるものの値段の話とか、なるほど、と思う話が色々とネット上にもありました。

たとえば「道草、より道、まち歩き」さんの「ボトルキャップ集めはエコじゃない」

善意でやっていることを批判するのは多少の勇気が必要なことだと思いますが、子ども達には、善意を教え込めばいい、ってもんじゃあない気がするんですよね。もう少し論理的に考えさせなきゃ。うちの小1にも、この週末にでも分かるように説明してやれたら、と思うのですが。
ただねー、学校って所は、多分、現金を持ってこさせたくはないところなんですよ。(だって、紛失したとかになったら、たとえ小額だって問題になるでしょ?)で、各個人が寄付すればいい、じゃなくって、「学校として」まとまって何か行動したい。バザーもいいけど、あれは子どもじゃなくって親が主体にならざるを得ないところがある、とりわけ小学校では。となると、こういう運動に飛びついちゃうのも、それ自体では分かるんですけどね…。
私が子どものころは、古切手集めとかやってたなぁ、中学のJRC(青少年赤十字)で。ユニセフに送っていた気がします。あ、あと、1円玉募金ってのもやってたぞ、そういえば。まぁ、最小限のお金は学校に持ってくることを許されている(購買でパンを買うとかあったからね)中学生だったから、かもしれないけど。

…更にどうでもいい重箱の隅なんだけど、なんでポリオなのかなぁ…。はしか(MRでもいいけど)の方が致死率も高いと思うし、ポリオが世界的にもかなり制圧されかかっているのに比べると、麻疹はまだまだなのにねぇ。(日本の予防接種率自体、もーちょっと上がらないと、日本ははしかの輸出国とか言われ続けちゃうんであれだけど。)
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by mmemiya | 2009-06-19 23:34 | 日々雑感 | Trackback(1) | Comments(9)

子どもの絵とか。

うちの娘はお絵描き大好きだ。今日も時間を見つけては帰宅後、せっせと3枚も絵を描いていた。
親馬鹿なんであるが、教室にずらっと同じクラスの子ども達の絵が飾ってあると、なかなかうちの娘の絵は目を引く。というのは、これぐらいの年齢、まだまだ発達の開きが大きいので、ようやく顔と判別できる絵(顔だけ)を描く子も多い中で、体全部描いて、服にあれこれ模様つけたり色を塗り分けたり、とやってるうちの一人がうちの娘だからだ。

まぁ、絵を描くのが好きなのはいいことだ。上は小学校に入ったとき、鉛筆の扱い方とか筆圧が今ひとつなので、お絵描きでもいいので、もっとさせてほしい、と先生に言われたぐらいだし。いや、上の子も、スケッチブックいっぱいに色々描いていたが、そういや、あの子はペンで描くことが多かったな、今にして思えば。

TOSSつながりで、絵画指導にも実に噴飯モノの指導法が大手を振ってまかり通っていることを知り、その関係のブログなどを読んでいたら、「子どもの絵の見方、育て方」なんて本があるのを知り、つい、注文。ああ、親馬鹿。首がなくって、頭から三角が伸びてるね~(体)みたいな絵も、「それは違うんじゃない」とコメントすることだけは避けて、とにかく何を描いたのか聞き、褒めて、とやっている(特に根拠があるわけじゃなく、なんとなく)私だが、もう少し、子どもの絵について勉強してみたかったので、TOSSから牡丹餅っつーか、ちょっとした拾い物。

小学校英語についても、まだしょーこりもなく本を買い足すよ。本日、「英語が使える日本人」は育つのか?―小学校英語から大学英語までを検証する (岩波ブックレット) を読み終えたところ、専門家が良いと考える英語活動って、私の漠然としたイメージとは違うのかも、と思い、あわせて、TOSS的取り組み以外に、既に積み重ねられた実践例の具体的なところをもーちょっと知りたいな、と思えてきたので。効果を挙げている、は言い過ぎにしても(その「効果」がいつの時点で何をもってして測るのかを決めないと、小学校英語の効果なんて測れまい)児童に好評だった実践例っていうかね。

っていうか、私の住むのは実は、小学校英語推進派の著名人の一人、松川禮子氏(元大学教授)が教育長を務める県なんである。っていうか、小学校英語に関心を寄せるまで、自分の住む県の教育長がそういう人とは知らなかったんだが。松川さんは小学校英語活動の具体的取り組みみたいな本を何冊も出している人で、そういう人がごく身近にありながら、TOSSの実践例にいってるらしい理由がよく分かんないよなー、うちの学校。
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by mmemiya | 2009-06-16 23:45 | 日々雑感 | Trackback | Comments(3)

もう寝なきゃ、なんだけど…

ふと、さっきの記事を書いた後、うちの子が英語活動のとき、最初に歌っているという歌ってどういう歌詞なんだ?と検索しようとしたら(Hello,how are you? I'm fine…までは、発音が無茶苦茶でも流れで把握できたが、その後が何度歌ってもらってもさっぱり…)、すごいものを見つけてしまった。

…もしかして、これと同じことやってる?

TOSSか?TOSSなのか???

…おいおい。そのうち、道徳で<水伝>とか、やってこないだろうな…。

とまれ。

日本語では、色の名前は名詞で、それを形容詞化するときは「・・・い」が、多くの場合についています。<赤>に対して<赤い>。子どもは、そんなこと、感覚的に(意識化されてなくても)知っています。成長の一過程で、しばしば「みどりい」なんて言葉が聞かれるはずです。
What color is it? It's red.ってやりとりの中で、子どもの中に残る印象って、「赤=RED」なのか「赤い=RED」なのか、どっちなんだろう?前者のような気がするんだけどなぁ…。それは、この次の第二時、 What color do you like ? I like red .でも同じような。その後、It's a green melon.なんてのも書いてあるけど。

ああ、知りたかった歌詞も、TOSSで見つけちゃったよ・・・。I hope that you are, too. だと。こりゃ、何回聞いても分からん筈だ。

TOSS、TOSS・・・小学校英語対策とTOSS対策はまた別だ。こんなに浸透してるのか、TOSSってばさ…。
(それともこの地域だけ?あるいは、みんなが試行錯誤の分野だけに入り込みやすいのか??)TOSSについてももうちょっと情報収集しなきゃならんのか、とほほ…。

(水伝、食育あたり以外でTOSSの変なところをそう知ってるわけじゃないので、TOSSだからって即否定するのはどうよ、かもしれないけど、「TOSS 小学校英語 トンデモ」で検索したら、やっぱすごい話を読んでしまった…。仮に教え方の技術として優れてるとしたって、こんなのが根底にあっちゃダメダメでしょ…。
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by mmemiya | 2009-06-16 00:52 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)

喉もと過ぎれば、にならぬよう…

またしても腰を痛めた。

いつも、腰痛を起こしては、「この痛みが収まったらちゃんと体操とかしよう」と誓うのだが、結局、喉もと過ぎれば…でおざなりのまま、またしても。(前に、このブログのコメント欄で、具体的な腰痛克服のアドバイスなんかもいただいたというに…。)
職場で座ってて、立ち上がるとき、なーんか腰が伸びきらない感じがする、まずい…と思っていたのだが、結局、翌日は大事をとって安静にするために一日休みを取るような自体に陥ってしまった。あああ。

で、一日中、布団の中に転がっているしかなかったので、多少は本が読めた。とはいえ、まだ、大量に買い込んだ小学校英語に関する本は、全然消化しきれていない。(全然別口で、「シモネッタのデカメロン」は面白く読んだ。文庫の割に読了にけっこう時間がかかったんだけど、それだけ内容が詰まってるってことかしらん。シモネタだというに。)

とりあえず、買い込んだ本を羅列。今後、感想を追記していく予定。

私の当面の目標は、現在、うちの子が通っている小学校でやっている「英語活動」の具体的な内容等を出来るだけ把握すること、そして、それが「役に立ちそう」なのか「毒にも薬にもならない」のか「害がありそう」なのか親の立場として判断すること、最後に、仮に害がありそうなら対処法を考えること。で、判断の根拠をはっきり持つために、目下付け焼刃で勉強中なんである。

小学校学習指導要領解説 外国語活動編
…一番中味がなさそうだけど、一応、基本として。

・21年度から取り組む小学校英語―全面実施までにこれだけは (「新学習指導要領」実践の手引き (4))
未読。敵を知り己を知れば、百戦…違うか。

・日本の小学校英語を考える―アジアの視点からの検証と提言
まだパラパラ見ただけだけど、かなり興味深そう。

日本の英語教育に必要なこと―小学校英語と英語教育政策
前書きと目次と一番面白そうなところだけパラパラ見た。落ち着いて読みたい。

・「英語が使える日本人」は育つのか?―小学校英語から大学英語までを検証する (岩波ブックレット)
未読。 6.16読了。この薄いブックレットにこれだけの金を出す価値があるのかやや疑問。なんか、小学校の英語導入は文章じゃなく単語にすべきみたいなことが当然の考え方のように語られていて、その根拠を知りたいんだがそこまで触れてない。広島市の具体的な英語指導計画はネットにあがっているだろうか。

・外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か
読了。直接、小学校英語とは関係ない内容が多いかもしれないけど、すっきりと整理されていて、自分が漠然と思っていたことが、けっこう、学問的にも裏付けられてることなんだ、と、少し自信を持ってみたり、新たな発見があったり。「外国語を身につけるためには、正しい文を一定量読んだりする経験が必要」という私の兼ねてからの思いは「インプット」という言葉で表現されるらしい。なるほど。私にはフランス語のインプットが足りないのね。英語は、例えば「<Open me a beer/Open me the door>のどちらが英文としておかしいか、ネイティブはすぐ分かるけど、その理由を言葉ではっきり説明できる人ばかりではない」みたいな部分を読んで、一応、どっちが変かはピンと来る程度には、私には英語のインプットはあるらしい。文法は学習上大事だが、そもそも、どんな言葉の文法も完成されてはいない(文法ってのは、要は、生きた言葉に対する後付の説明で、ぜったい説明し切れないところがあるんだよね)ってのは日本語文法を見てる限りでも深く納得。


・アメリカの小学校ではこうやって英語を教えている―英語が話せない子どものための英語習得プログラム
読了。興味深かったが、日本の小学校英語でこれを全面的にやるべきとは思わない。これはやっぱり、英語を第一言語にしていく子ども(たとえ英語が母語じゃなくても。つまり、アメリカで暮らしていく移民の子どもとか)向けのプログラムであって、第二言語への取り組みがこれとそっくり同じである必要性はないと思う。英語を第一言語にしたい人(一部の、子どもへの語りかけを全部英語でやってる親御さんなんてのは、日本に住んでても、子どもの第一言語を英語にしたいのかも、と、私には思える)はどうか知らないけど。
音韻体系については改めて考えさせられた。そういえば、印欧語で、散文ではない定型詩というのは恐らく韻を踏んで当然のものだろうし、中国語だって、漢詩ってそうだ。日本では短歌も俳句も韻を踏まなくてもいいし、韻を踏むなんて子どもの言葉遊びみたいなイメージがあるが、日本語の音韻が少ないからなんだろうなー、と思う。子音と母音が分離できるという意識は我々にはなく、「石」と「足」は韻を踏んでる、と思えても、「石」と「秋」が韻を踏んでいるとはあんまり思えない。I/SH/I A/K/Iって分解したらどっちもIで終わるんだけどさ。
あ、あと、私はこの本に出てくる英語の童謡(PAT A CAKEみたいな言葉遊び歌)のかなりの部分が歌えるので、割と読み進めやすかったが、メロディとか知らないと、CD抜きのこの本はちょっと分かりづらいところもあるかも。

・アメリカの小学校教科書で英語を学ぶ―アメリカの小学生と同じテキストで愉しみながら英語を学ぶ
パラパラ見た。これも、日本の小学校英語とは直接関係がないんだけど、これは単に、面白そう、と思って買った。いきなり、最初に出てきたアメリカの教科書の文章(ちなみに科目は社会科)に吃驚。アメリカ人とは何か?という標題がついているんだけど、始まりが「次の4段落は、間違った順序に並んでいる。これらを読んで、もっとも論理的な順序に置き換えよ」なんですよ。日本の社会科の教科書に、こんなのきっと出てこないでしょう。なんつーか、英語というより日本で言えば国語のあり方、というか、小学校における言語教育のあり方について考えさせられる本になるのかもしれない。
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by mmemiya | 2009-06-16 00:20 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

日本脳炎、一部自費…(見込み)

前にも書いたのだが、うちの子らは二人とも、日本脳炎の予防接種を一度も受けることのないまま、今日まで来てしまった。
で、この間、たまにかかる小児科(ありがたいことに、そもそも、小児科に滅多にお世話にならないので、口幅ったくてかかりつけなどとは呼べない)のサイトを見ていたら、ようやく新ワクチンが認可されたことを知り、で、予約が始まったので、やっと本日、接種を予約した。

ふう、これで、息子も定期で打てるわ…と思っていたところ、電話口で受付の方が「一年後に追加接種があるんですが、そちらは自費扱いになってしまうので、それをどうされるかはまた今後、ご検討ください」と。えええ?

厚生労働省の最新Q&Aを見直してみた。

A8   予防接種法にもとづく現行の定期予防接種スケジュールは以下のようになっています。

1期(3回)
初回接種(2回):生後6か月以上90か月未満(標準として3歳)
追加接種(1回):初回接種後おおむね1年後(標準として4歳)

2期(1回):9歳以上13歳未満の者(標準として9歳)


これを読んで、私は、初回さえ90ヶ月未満で打てば、追加も定期で打てるとばかり思っていたのだ。しかし、今回、予防接種規則を読んでみたら、一期全体が90ヶ月未満を対象としている、とはっきり書かれていた。がーん…。やっぱ、こういうものは、ポスターとかQ&Aとかじゃなく、原点に返って、法律だの施行規則だの施行令だの実施要領だのを地道に読まなきゃダメね…。もんのすごくめんどくさいけど。

ただ、一期の追加接種が任意扱いになっても、二期はまた定期で打てるらしい。
厚生労働省の「積極的勧奨差し控え」で日本脳炎予防接種を見合わせていた人に、なんらかの救済措置はあるのか…なんだけど、「平成22年度以降、ある一定の期間、経過措置として実施していくことについて、今後、検討していくこととしています。」という、どうとでも逃げられるような口上があるのみ。

麻疹のように大流行が起これば、過去、MMRの時代に接種率が低くなった世代等を対象に近年行われた(あれ?行われている?)経過措置みたいな奴もありうるのかもしれないけど、日本脳炎という病気の性質上、そもそも、大流行自体が考えにくく、日本全体の接種率を上げないとまずい、みたいなコンセンサスが出来上がるかっていうと見通しはちょっと暗いような…。
それにしても、新ワクチンが出来ても、まだ「積極的勧奨差し控え」なんだ。その理由がふるっている。今年はまだ、対象年齢全員に打てるほどワクチンが生産できないので積極的には勧めないんだって。なんじゃそら。
とってつけたように(と見える)「(供給量の問題に加えて)安全性の確認等における観点から(積極的に勧めない)」などと書かれているのが、これまた、「じゃあ、新ワクチンの安全性に問題があるのか?」と余計な不安を煽るし。
しょーがないので、毒を喰らわば皿までとばかり、厚生労働省サイトから、今回の新ワクチンについての予防接種に関する審議会の議事録を読み、ついでに、医薬品認可の方の審議会議事録まで読んじゃったよ。
(そもそも、医薬品と認可されてはじめて、それからそのワクチンを、定期予防接種のワクチンとして認めるか、っつー話になるのね。)

医薬品認可の方の流れを見る限り、なにしろ、臨床試験の対象者が123例、そりゃ、数万人に一度とか数百万人に一度とかいう稀な未知の副作用が起こるかどうかは、この状況では分からない以上、承認条件として「本剤は、製造販売後、可及的速やかに重篤な副反応に関するデータを収集し、段階的に評価を行うとともに、その結果を踏まえ、本剤の適正使用に必要な措置を講じること。」と付記されたのは、当然といえば当然。医薬品として認可はされているわけだから、最低限の安全性は当然、確認されている、と思うしかない。(副反応が以前のワクチンより多いみたいだけど、審議会の議論の流れでも、安全性そのものを問うという感じには思えなかった。)
(この承認条件とか、ワクチンの注意書きみたいなものは、「医薬品医療機器総合機構」のホームページで「医療用医薬品の添付文書情報」というところから検索可能です。)

そもそも安全性ということでいうなら、旧ワクチンの積極的勧奨差し控えの原因となったADEM例自体が、相当、稀なもののようで、長年、多数の人に打ってきたという意味では旧ワクチンの方がデータの蓄積があり、安全性の面では信頼度が高いかもしれない。(ってことをきちんと調べて気づくのが遅すぎた、なんとなく流れで接種しないまま来てしまった自分が情けない。)
これが他の病気の予防接種なら、日本では未認可のワクチン、新しい製造方法のワクチンでも、「外国では既に使用され云々」みたいなワクチンの比較も出来るかもしれないが、なにせモノがアジア限定の風土病(って古いか)の日本脳炎、開発してる国が日本しかないに等しいようだ。(国立感染症研究所のサイトを見ると、中国では生ワクチンもあるそうなので、中国開発のワクチンも一応あるのだろうが。)

とはいえ、今さら旧型ワクチンの接種、というのも非現実的であろう、というのは、さっきも触れた、予防接種に関する審議会の議事録を見ても予想できる。

「予防接種に関する検討会」の議事録が、第18回(昨年12月26日開催)分までしか載ってなくって、第19回
(今年2月26日)、第20回(今年3月19日)については開催案内と資料しか載ってないのは、おいおい厚労省、仕事遅すぎ、なんだけど(しかし、この審議会関係のページは総じて更新が遅い。以前にもリハビリ関係の改正の流れを追っていてイライラしたことがある。)まぁともかく、この第18回の議事録によれば、「現在、流通上にある現行ワクチンが大体30万から40万の間と予測しております。これプラス、まだ原液で製剤化されていないものが、数十万人分残っているというのが現状でございます。」だそうで、こんな数、日本全国で見たらもんのすごく少ない。しかも、現在のところでは、何回か旧ワクチン(今の引用文で言う現行ワクチン)で接種した人は、残りを新ワクチンで打つことは認められていないので(MRの時みたいに、そういう<混在型>が、割とすぐ認められるもんなのかどうなのか、私にはさっぱり予測つかない)、旧ワクチンは、既に何回か接種した人で、今後も接種を希望する人に優先的に打つべきだろう。うちみたいなケースで、今から旧ワクチンで4回打ちたいです、ってのは、まぁ無理。

そもそもが、以前のワクチンは、果たしてこんな「事実上の中止」状態にしなければならないほどまずいもんだったのか、というと、どうも、そうではなかったんではないかな、というのが、3年経ってみての感想だが、3年経って今さらそんな感想を持っても遅いわけで…。しかも、実態としては中止に近い状況にあった(上記検討会議事録に寄れば、接種率は約80%から約20%に下がったそうな。ただ、ある知人に聞いた話だが、この接種率、都道府県によってもかなり数値に開きがあるらしい。まぁ、もともと日本脳炎自体、地域性があって、北海道じゃ予防接種してこなかったわけだし、ある意味、接種率が違うのも当然なのかもしれないけど・・・。)にも関わらず、厚労省は「希望者は希望すれば打てた」を理由に、どうも、うちみたいに、この間、接種を見送ってしまった(で、定期、すなわち、公費負担で無料で予防接種できる年齢を逃してしまった)層に対して、接種年齢を例外的に拡大するとかそういうことには消極的な感じ。希望すれば打てたのか?ホントか?さっき書いた数字じゃ、対象年齢者がもしほんとに全員接種を希望してたら、旧ワクチン、既に全然足りてなかったんだけど??

別に一回の任意接種(費用は恐らく8000円前後でしょう)の費用を惜しむわけではないけれど、なんか救済措置を考えんかい!みたいな話は、どこへもって行くと効果的なんですかねぇ…。

その後の経過1
その後の経過2
我が家の結果
現制度の状況
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by mmemiya | 2009-06-15 23:40 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)

最近読んだ本とか、諸々。

小学校の英語については、5年生からこういう風に進めるらしい、というアウトラインをちょっと読んでみた。それ読む限りでは、割とそう、害になりそう(失礼!)な感じではないんだけれど…小学生全部、始めるって決まったんだから、小1なんてやらずに待ってりゃいいじゃん、ってのが今の正直な心境。
なんつっても「教育」課程の中で行われるものですからね、小1での今の取り組みも、明確な学習目的とか到達目標があるはずで(それがなきゃシラバス作れないじゃん。学習指導計画って言うの、なんて言うの?)いったい、どこにどんな目標をおくと「なにいろがすき?」になるのかなぁ。
しょーがないので、アマゾンでもう少し本を仕入れて、対抗上、こちらも勉強するつもりではある。息子には、とりあえず、構造の話は後回しにして、「英語の音は日本語とは全然別物」と言い聞かせているが理解できるかどうか。(私自身がそこまで説得力のある別物の音を多分出せてないので、なんにしろ実感に乏しかろう。そういや、マザーグースの朗読CDぐらいならとりあえず手元にあるな。たまに聞かせてみてもいいかもしんない。)

前に読んだ「アフリカ・レポート」以降、同著者の「カラシニコフ」、そして「アフリカを食べる/アフリカで寝る」を読んだ。カラシニコフはホント、救いようのないルポルタージュなんだけど、食べる・寝るの方は、深刻な状況とはまた別の、和む話も中にはあったりして(もちろん、そういう話ばっかりではない)面白く読めるエッセイ集だ。アフリカを食べる、と言っても、アフリカで誰も見向きしないようなものを食べる話(蕨を見つけて食べるとか)もあって、必ずしも、アフリカの人々の食べているものを食べるって話ばかりじゃないんだけど、まぁそれはそれで、アフリカって色んなものがあるんだなぁ、と分かる。
通してみると、現代アフリカを語る上で外せないと思うHIVに触れている部分がほとんどないのはなんでだろうな、とは思うものの、総じて、私のほとんどなかったアフリカに関する知識が多少は増えたのは確か。そんでもって、今のアフリカの行き詰まり感ってのは、この松本さんは、独立を勝ち取ってきた指導者層はなぜこんな風に腐敗してしまったのか、みたいなことを再三書いているけど、つまるところ、この状況を引き起こしているのは、人の資質どうこうより、もうとにかく、本来なら国家として一塊になるはずもなかったところに無理やり線を引いて近代国家に仕立て上げてしまった無理がたたってひずみまくってるから、としか思えないな。民族とか言語集団とか、ホント、お構い無しだもんね。その点は「カラシニコフ」に出てくる、アフリカ以外のパキスタンやアフガニスタンも同様なんだけど。

あと、ずーっと前に買って積んであった「戦略の本質」を最近、ようやく読み始めた。(こうして積んである本が、いーっぱいあるんですがね、ええ。)この著者達の前著「失敗の本質 日本軍の組織論敵研究」は、大学時代、多分、文庫が出版されてすぐに買って、けっこう何度も読んだ本だったのですが。ま、読み始めたとはいえやっぱりつまみ読みなんですが、第四次中東戦争ってそういうものだったんだ、ふーん、と、今までぜーんぜん分かってなかったことが少し判った気になった。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」なんつー台詞も思わず頭に浮かびます。(実はクラウゼヴィッツの戦争論も読もうとしたことはあるが読み続けられませんでした…。えーっと、学生時代に、文庫で、クラウゼヴィッツの解説書みたいなものも持ってたはずなのだが、どんな本だったっけ…。多分「クラウゼヴィッツ 「戦争論」の誕生」だな、中公の。)

とはいえ、朝鮮戦争もヴェトナム戦争も、この本ではそれらのごく一部のところを取り上げているだけなので(「戦略」っつったらそうなるんでしょうけど)こう、全体を概観したくなりますね。そしてまたきっと、本が増えていく…。

長らく「積極的勧奨差し控え」だった日本脳炎の予防接種に、ようやく、新ワクチンが登場するらしい。うちの子が、ちょうど、当市の標準接種年齢に差し掛かる直前にこの「差し控え」が始まったんだけど、そのときは、1年後ぐらいには新しいワクチンが認可される、ってな見通しだったのですよ。それで、「じゃあ、まあ、新ワクチンを待つか」なんて思ってたのに、その後、新ワクチン、ずれ込むずれ込む。はたと気づいてみれば、既に旧ワクチンは製造中止で品薄になってるは、うちの子は今年の秋には定期の年齢を外れちゃうはで、しまった、と思っても後の祭り。なんとか、接種が始まったら早急に予約取らないと・・・!(定期を外れると、当然、無料では接種できないし、万が一、予防接種によると思われる健康被害が起きた時にも、補償制度が別物になっちゃうんだよね…。)やっぱ、せめて去年のうちには打っておくんだったか・・・。

本日、義母に会ったら、夏の旅行に誘われた。去年で(私個人としては)懲りたバス旅行、またも。
(去年の話はこちら。)しかも、今年は発着場所が地元じゃなく名古屋。名古屋20時30分て…電車の接続が悪かったら、そこから帰宅まで更に1時間近くかかる…。しかも2日目は平日。その次の日も休みたいやろ、って言われたけど、休みたいけど多分そんなに休めないよ~。(なんと今年は、恒例の家族貸し別荘旅行を思い切って3泊で予約したので、そうそう休んでばかりもいられないのですよ…日程は1ヶ月離れてるけど…。)そんでもって夫は繁忙期でとても休めないという。夫の兄は今年から東京単身赴任ゆえ、多分、不参加。義父母と義兄嫁と私で子ども5人を連れて、またあのハードな日程のバス旅行…。これから私は、ネットをさまよい、もう少し楽そうなツアーを逆提案する、予定だが、そんな都合のいいツアー、見つかるかな?なにしろ、義母の選択で最優先されるのは「価格」なので、今回の「1泊2日朝夕食つき大人10000円」に対抗するのは至難の業かもしれない…。
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by mmemiya | 2009-06-04 23:24 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

「小学校英語」にどう対応するか

どーうしようかなー、という感じである。

日本の学校における英語教育を語る際に、まず、私の前提となっているのは

・<日本では多くの人が6年以上英語を学習するのにちっともしゃべれない>と言われるが、英語の時間数等を考えると、そもそも十分勉強した、とは言いがたいのではないか。

・同じく、<しゃべれない>というが、それは、日本の多くの人が、英語をが出来なくても生活に支障がない、ということ。大学教育も日本語で受けられるし、日本語で読める専門書もいっぱいある。ある意味、恵まれてるんだからしょうがない。

というような理解です。更に、10歳ぐらいまでの子どもに対する英語教育については、このブログで何回も書いていますが、必要性に対して極めて懐疑的です。母語の基礎、母語を用いた思考をやっと整理し始めたところに、全然別の体系の言語を入れる必要性が理解できない。(追記:日本で、学校で週数時間とかやる程度で、英語をやると日本語がおかしくなる、とは全く思わないが、小さな子どもに、全然別の思考体系に基づく言語があるなんてことを教えるなんて、教えられる子どもが大変だろう、ということです。ちなみに、「全然別の思考体系に基づく言語なんだ」なーんてことが全く伝わらない英語教育なんてものは、仮にそんなものが存在するとして、願いさげっていうか、そもそも絶対やめてくれそんなもの。)

…という前提の上で書くのですが、息子の小学校、小1から週に一回程度の割合で「英語」の授業がある。(たまに、ない週もあるけど、おおむねあるみたい。)で、何やってるかは息子から聞くしかないんだけど、これが、なんというかねー、なのだ。
どこかにマニュアルとか、先行した取り組みを検証した上での教材があるのか、まるっきりこの学校の中だけで手探りでやっているのかは不明なのだが、息子に聞いたところ、このところは、色の名前をやってるんだそうだ。時間割には「なにいろがすき?」とか書いてある。

よりによって、名詞からいくかー。青はブルーで赤はレッドだと。そんなの、日本のたいていの成人が知ってるぞ。知ってて、英語しゃべれない(と、本人は言ってる/思ってる)んだぞ。そんな、日本語のある単語と英語のある単語が置き換え可能みたいなイメージを、よりによって導入部で植えつけてどうするんだ?青はBlueじゃないんだってばさ。(日本語のあらゆる場面で出てくる「青」が、全て「Blue」で置き換えられる筈がない、って意味ですよ、念のため。)例えば、「あの人、顔が青いよ」って時の青は、Blueじゃない、なんてあたりが分かりやすい例かと思うんだけど、同じことは他のあらゆる色に言えるわけで。そもそも、どこからどこまでを一つの同じ色として切り取るか、ってこと自体、言語集団によって違うのは当然予想されるところで、日本の色鉛筆なんか、色概念まで輸入してカタカナで名づけられた色、いっぱい入ってるじゃん。(平安時代の日本語でなら、日本独自の言い回しもあるかも、ってな話はここでは置いて。)

大体、英語の授業で「なにいろがすき?」ですと。主語、どこにありますか。そっからやり直してほしい。
元にある骨格、考え方が根本から違うってことが飲み込めなきゃ、いくら単語覚えたってしょーがないじゃん。っていうか、新しい学習指導要領での小学校英語がどんな教科書になるか、皆目知らないのですが、この導入からどうやって5年生につなげていくつもりなのだ。
発音については、担任がどんな音でやっているのかは全然分からないので保留だが、赤を「れっど」とやってくる時点で見通しは暗い。私は、小学校1年生が英語を発音できなくても構わないのだ。ただ、できることなら、日本語の音を並べて英語の音は作れない、ということだけを実感させてやってほしいだけ。

そもそも、入学説明会で、1年生の授業を見学した時から不安はあった。なにしろ、あるクラスで、先生がタンブリンを叩きながら、「つーつー、すりーすりーすりー!(以下同様)」って唱和させてたのだ。
あのですね、日本語で「8」を数える時、「はちはちはちはちはちはちはちはち」って数えますでしょうか。それで正しく数えられるでしょうか。絶望的に日本語の音とあいまって、「こんな<英語>の授業にプラスの意味がどっかにあるのか?」と、失礼ながら愕然としましたですよ、わたくしは。
ま、あれですね、小学校を終える頃には、算数嫌いになった子の数と同じ程度に、英語嫌いになった子もいるっていう、当たり前の状況になるだけでしょうね。中学から始めるよりマイナスの状況になってるかも。
「ゆとり教育」の見直しがあったように、こんな状況じゃ、そのうち「小学校英語教育」の見直しもありうる、かもしれないけど…そんな頃、うちの子は、小学校卒業してるなぁ。
週に一回、<英語>をやるより、週に一回、自分の考えを理路整然と述べる練習でもしてくれた方がなんぼかマシなのだが、うーむ・・・どーしようなぁ…。

(と悩むのは、日本経済の長期的な凋落傾向やら、インターネットの普及やら、その他諸々を見ていると、いよいよ日本でも、「英語ができなくても十分生きていける」という恵まれた状況が失われつつあるんじゃないか、という危惧があるからで、つまり、これからの子ども達はもうちょっと使えるレベルの英語を身につけた方が、旅行とか趣味のレベルでなく、実用として役に立つんじゃないか、と思うからなんだけど、だからこそ、導入の教育方法がいい加減じゃ困るんだよー・・・。)

小1の週1回の英語なんて、英語の絵本読んでもらうとか、英語の歌を聴くとかじゃダメなのか?
昔、中津りょうこさんの「なんで英語やるの」か、「続・なんで英語やるの」かのどっちかにあったんだけど、小学生が英語で桃太郎の劇をやることになって、「あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」ってナレーターの子がしゃべったら、見学に来ていたアメリカ人が「このおじいさんとおばあさんは夫婦?夫婦なら<老人とその妻が>って言わないとおかしい」と指摘するシーンがあったんですよ。読みながら、あーそりゃそうだよなー、とは思ったんだけど、そこで「そうだな」と思えたのは、私が英語で昔話なんかの類を多少なりと読んだことがあったから、ということでもあって。理屈で英文法を覚えるのも大事なんだが、文法にはどうせ例外もあるし、とりあえず、ある程度以上の量の文章を聞いたり読んだりしたことがないと、ただでさえ難しい「作文」がホント難しいと思う。a big red carって言うのはいいけど、a red big carって違うよな…と、私には感覚的にしか言えないけど、そんでもって、もっと形容詞が増えるとどういう順番が正しいのか分かんなくなるけど、そういうのも、ある程度文章読んで聞いて身につくもののような気がするし。
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by mmemiya | 2009-06-03 22:06 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(5)