La Lune Lunatique

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悲しみに浸る時間って、ホント、ないんですねぇ。

お悔やみのコメントを下さった方、通夜・葬儀に参列くださった方、本当に、ありがとうございます。

父の容態が危なくなってきてから、あるいは「これはもう駄目だ」と覚悟した時から、あれやこれやと忙しくなることだけは、充分、予想できていました。
急に仕事休む段取りも要る。葬儀の諸々を決めなきゃいかん。どこかの寺の檀家でもない。世帯主が亡くなれば、ホントあちこちに届け出だの変更だの…。
とはいえ、漠然と、あれがあってこれがあって、後、何を決めなきゃいけないの…?という程度でしたが。

母は、この何年かの間に、自分の父と母を送ったので、多少はこういうことに慣れているだろう、と思ってましたが、そんでも、親と夫じゃ違うし…。

最期には、間に合うことはできました。計器の数値がどんどん下がっていって、とうとう全部ゼロになって、次第に指先から冷たくなっていっても、医師が来るまでは「ご臨終です」にはならない、というのは、知識として分かってはいても、なんとも言えない時間でした。看護師さんと家族で、10分ぐらい、医師を待ったでしょうか。日曜日でしたから。

それから、しばらく病室を出されて、死後の処置が行われる間に、病院にあった電話帳で、葬儀屋を探す。日曜のことで、主治医が来るまで1時間半ぐらいかかるので、病院を出られるのは2時間後ぐらい、という話で、それまでに葬儀屋を決めて、自宅まで遺体を運ぶ手配をしてもらうわけです。妹が先に帰宅して、父を寝かせる布団を敷いたりの準備。
葬儀屋をどこにするかはすんなり決まりましたが、いざ、自宅へ着いてみると、運転手さん一人じゃ父を運び込めない、男手はないか、と言われやや困惑。この頃、私の夫は、うちの子ども達を寝かしつけていました。義理の姉から、預かってもいい、という申し出もあったのですが、子どもたちが眠れないと困るので、翌朝までは何も伝えない、と夫と決めたので、いつもどおりで、ただ、私がちょっとまだ病院から帰らない、という設定で子どもは就寝。

結局、父は、運転手さんと、その後に駆けつけた葬儀屋の事務の方、妹、私で運ぶことができました。

父は、かねがね、散骨にしてくれだの、骨は川に流してくれだのいい、墓も要らない、という主張でしたので、家族葬、ということも母は考えたようですが、まぁ、その後、バラバラと弔問客を相手にするよりは、世間並みにやっておこう、という結論になりました。結果として、既に仕事は退いていましたが、通夜には100人余り、葬儀には200人ほどの方が来てくださったので、やはり、やっておいて良かったのでは、と思います。

近所の方々が本当に色々手伝ってくださって、ありがたいことでした。私など、もう10年以上お目にかかってない小父さん小母さんたちですが、子どもの頃からのお付き合いなので、ちゃんと顔と名前はお互い分かっている、というのは、こううときにはやっぱり心強いものです。22時近いというのに、皆さんが続々と集まってくださいました。

この段階で、頼むお寺は一応決まり、翌朝までに家紋とかをはっきりさせておけ、とのこと。え、家紋って言われても…という家なので(というか、母なんか、宗派も「禅宗だけじゃダメなんだよね」というレベル。「確か曹洞宗だって」と言ってたのは娘二人。)父の亡長兄の長男に電話して家紋などを確認。(そして本家の長男も、即答できない家紋。庶民ですから…。)

もう夜遅かったので、この段階では、連絡は親族のみ。信州の父方の親族のために、ホテル手配。ホテル側の対応が非常にスムーズで、これは簡単にすみました。

翌朝一番で枕経に来ていただき、葬儀社の人が来て、祭壇をどれにするの、通夜や香典のお返しはいくらのをいくつの、供花や供物をどうするのこうするの…。この数がねぇ、悩みどころなんですが、ま、返品可、っつーことで、多めに見込むに越したことはないようです。(結果的に、通夜は80ぐらい、香典返しは200ぐらい返品した。)

並行して、関係方面への連絡。これも、悩むところです。いやね、故人の知人はいいの。最後のお別れにきてやってください、と申し上げられるのですが、自分の知人はねぇ…。連絡=来いと言ってるみたいじゃないですか。でも、まぁ私自身の場合は、ほとんど、知らせる先が職場内だけなので、悩んで、古い友人ひとりだけ、連絡しました。

どたばたの話はまだまだこれからが本番なのですが、とりあえず、今日現在、あと行かなきゃならないのは法務局かな…。市役所関係は全て終わり、公共料金の連絡も済み、年金事務所と税務署と各金融機関からは様式は貰ってきました。
あとは、本人が最後まで信州に本籍を置いておきたがったので、まだ死亡届が届いていないらしい。死亡の証明が取れるのが最短であと一週間先とか。そんでもって、一部金融機関と、法務局(相続登記)からは、当人の出生から死亡までの一連の戸籍を求められているのですが、信州に電話で確認したところ、現本籍地にある戸籍は3つ、でもって「お電話なので細かいことは申し上げられませんが、当市だけではないです」と言われちゃったので、信州から戸籍が届いたら、また別のを取り寄せないと(多分、新潟から)いけない…。はああ。
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by mmemiya | 2010-09-30 22:52 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

父が逝きました

検査のために、自分で車を運転して、病院へ行って、そのまま入院を告げられて、3週間足らず。

父が逝きました。

ひとの命とは、なんとあっけないものか、と、あきれるほどの思いでいます。

父と一緒に家に帰ると、集まってきてくれた近所の方々が「いつからそんなことに」と異口同音におっしゃったほど、急な話でした。

明日から、バタバタします。何をしなきゃならないのか、実は全然分からないんだけど、子どもといえば私と妹だけだし、父方の親戚はみな遠方だしで、私がやらなきゃいかんこと、きっと色々あるのだろうなぁ。

なんとなく眠れないのですが、眠っておかないと…。

明日の朝、子ども達に、なんて切り出そうかなぁ・・・。
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by mmemiya | 2010-09-27 00:31 | 日々雑感 | Trackback | Comments(5)

息子運動会終了

天気を心配していたのですが、しっかりと青空の下、(暑すぎる…)無事、運動会開催。
まぁ、息子が出る種目は2つしかないし、豆粒のようにしか見えなかったりするんですが。おまけに、珍しくカメラを持っていったら電池切れ(ははは…)という有様。まぁ、相変わらずです。

数日前に、足の親指(爪の横)が化膿し、毎日、夕方に消毒に通わなければならなくなった息子。走れるのかよ、という感じでしたが、ひとまず痛みは感じなくなったらしい。徒競走では一番遅くはなかったので、息子としては十分なのでは。

弁当のメニューをあれこれ悩んでいたのですが、23日に夫の家に呼ばれていったらば、一緒に弁当食べればいい、私は唐揚げだけ(11人分)作ってきてくれればいい、というような提案があり…。

元々、私はどうも、集団でわいわい、ってのは積極的にやりたい方ではないのです。とはいえ、なにしろ甥姪3人も同じ小学校ですから、一緒に見るのは自然な流れではあります。でも、弁当作りって、確かにめんどくさいけど、一面、メニューに悩むのも楽しみのうちってことはないですか?折角の息子の運動会で、自分が作るのはから揚げだけ、ってのはちょっとイヤ、と思う私は心が狭いのか。

私の母が来る予定、ということもあって、その弁当分担はなくなったのですが、今年こそは来るつもりだった母(去年は都合で息子の運動会には来られなかった)、父の状態が思わしくないこともあって、今年も来ることができず。

最終的に、弁当のメニューは、稲荷寿司、にんじんとアスパラの肉巻き、卵焼き、ピーマンのきんぴら、さつまいもの甘露煮、あと、巨峰、ということになりました。本当は、餃子の皮でチーズを包んで揚げる、というのを作りたかったんだけど、そこまでやる時間がなかった…。もっと、5時起きとか、早起きしないとダメですね。お重に詰めても、詰め方が美しくないっつーか、見栄えがイマイチだし。来年はもうちょっと頑張らねば…。

運動会の後、水泳教室の新シーズンの始まり。とはいえ、足が化膿している息子はもちろん欠席。娘は、軽い風邪をひいていたのですが、ほぼ治ってきたので、行きたいということで、連れて行きました。
その間、息子は、生まれて初めて、一人でお友達の家に遊びに行きました。「来年の運動会の打ち合わせをする」だって。なんじゃそら。日頃、学童を夜6時近くに出るわけで、お友達と遊ぶ、という経験がないため、相当嬉しかったようです。ただ、今は個人情報保護で、クラスメートの名簿だの、まして電話番号だのは何も親の手元にないので、こういうとき、親同士の交流が日頃ないに等しい私はけっこう困る。学校の学級懇談会には顔を出すけど年2回だし、まして息子は、一人だけ遠い地区の保育所から入学したので、保育園から付き合いのあるお母さん、ってのもいないんだなー、私。学童のお母さん達とは顔なじみだけど、それも、同じ時間帯にお迎えの人だけだし。たまたま、今回息子が遊びに行く、といったおうちは、かつて育児休業中に一緒に公園で遊んでいた子の家で、お互い顔見知りなのでまだ良かったんですが・・・。保護者づきあいって難しい・・・と思うのは私だけか。

で、娘の水泳教室は、初回だったのでグループ分けだったのですが、幼児用プールで順番に泳いでいったら、4つあるグループのうち、最上位のグループに入れられて吃驚。いや、娘本人は、今回「Cちゃんは青(一番上)に行く」と言ったので、「えー、さすがに無理でしょー」と言ってたんだけど。いくら、今期の目標が「25メートル泳げるようになる」だとはいえ。

もっとも、25メートルプールで泳ぎ始めてみると、息継ぎとか、ちょっと他の子に比べて見劣りするのも事実。
私が見る限り、娘のほかにもう一人、ちょーっとまだまだかな、という男の子がいたんだけど、後で聞いたら、娘とその男の子と、あともう一人が、先生に「もう一つ下のグループでもいいけど、どうする」と声をかけられたらしい。一番上と、その次のグループは、練習メニューもそう大きく違わないし、実は、分けてみたら2番目グループの方が人数少なかったので、そっちへ行く方がいいんじゃないかなぁ、と私は思ったのだが、娘いわく「今日は、グループ分けで、練習時間が少なかったら、次のとき、練習してみて、無理そうだと思ったら変える」そうです。
25メートル泳げたら、兄ちゃんもそうだったように、お祝いで何か食べに行く、という約束が出来てるので、まぁ、頑張ってくれ。

お祝いといえば、実はこの秋は、数えで七五三の祝いをするつもりだったのだが、父のことがあってから目処が立たず、実年齢でやるか…などと悩み中。抗がん剤が効けば、うまくいけば11月ぐらいには一時退院も出来るかと思っていたのだが、思った以上に抗がん剤のダメージが来ているらしく、今は、熱が出るは血圧が測定不能なほど低くなるは、主治医によれば、この1,2週間を乗り切ることが出来れば抗がん剤の効果が現れるけど、ひょっとすると乗り切れないかも…という状況らしい。意識だけはしっかりしてるけど、何も食べないどころか、水まで飲まなくなっちゃったし、ホント、当人の気力がねぇ…。
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by mmemiya | 2010-09-26 08:39 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(2)

涼しくなったらよく眠れます…

特に何をしているわけでもないのですが、涼しくなったからか、夜、22時前に寝ても、休日ともなれば朝はいくらでも眠れてしまいます。(まぁ、10代の頃のように夕方まで眠れるわけじゃないですが、さすがに。)

父の病院には一晩は付き添いましたが、その後は私は普通に仕事に行ってるし、休みの日にしか顔を出しておりません。

主治医(消化器内科)と腎臓内科の医師の言うことが微妙に違って、一体何がなんだか、だったのですが、入院翌日にとった腹水からがん細胞がみつかりまして、呼吸器内科の先生に、「肺の小細胞癌」という診断を受けました。ステージは私は聞いてないんだけど、肝臓に転移してるというのはもうかなり末期でしょう。
ネット検索しても、非常に進行の早い癌だそうで、ただ、治らないけど化学療法が比較的よく効く(即ち、一時的に進行は抑えられる)らしい。

呼吸器内科の先生によれば、このまま何もしなければ、もって一月、抗がん剤治療をすれば半年から一年、ということで、本人が抗がん剤治療をする、と選択したので、まぁ、私に出来ることはそう多くないと思いますが、母まで倒れることのないよう、できるだけのサポートはしたいと思います。

まぁ、自分で運転して病院行っていきなり入院になって余命宣告されて…と、あれよあれよの日々で、本人も、「抗がん剤治療をする」とは決めたものの、事態をちゃんと受け止められているかといえば、どうもそうは思えない。なにしろ無気力化して、何も食べたくない、テレビも見たくない(自宅ではテレビ漬けだった人なんですが)、ほとんどうつらうつら寝てばかり。

昨日は、はるばる長野県から、父の姉と、その息子&娘、あと、亡き父の長兄の息子がお見舞いに来てくれたのですが、なかでも父が一番可愛がっていた姪のSちゃん(と呼んでいるが、いとことはいえ、私が小学校低学年の時に結婚し、今では2歳の孫さえいる。でも、私が会うのは私の結婚式以来、約10年ぶりだったんだけど、ちっとも変わってない…昔から思ってたけど、やっぱSちゃん化け物…)の効果は絶大で、みんなが山のように果物を持ってきてくれたところ、ぶどうを4粒ほど口にし、洋ナシにかぶりついたので、おお、と思っていたら、今日行ったら、まだ何も食べない状態に逆戻りしていた…。
Sちゃんたちが来た時には、けっこう色々しゃべってたのに、今日、うちの子たちを連れて行っても、手を振るぐらいで発声も全然なし。まぁ、あんまり孫を可愛がる人じゃないのは分かってたので驚きませんが。
Sちゃんについては、前日から、「そんでS子はいつくるんや」と楽しみにしていたようなのだが、最終兵器Sちゃんの投入時期を誤ったかもしれん…。「おじちゃん、元気になって遊びに来なきゃダメだよ。そんなんじゃデートも出来ないからね」とSちゃんに言われて、ちっとやる気を出すかと思ったんだけどねぇ…。

実の娘2人も、孫2人も大して影響を及ぼさないようで、おまけに元があんまり趣味のない人なので、「○○のためにもう一度元気になる」という気力を出させるものを見つけるのも難しい…。正直、余命がかなり厳しい、と告げられたとき、緩和ケア病棟とかの選択肢も私の頭には思い浮かんだのですが(今の病院の付添ベッドったら、ベッドと呼ぶのもおこがましいシロモノで…。緩和ケアはその点、前に見学させてもらったことがあるんだけど、さすがに付添のための設備が充実している)ちょっとうちから遠くて、車運転できない母には行くのが大変なのと、なにより、ホームページによれば概ね一ヶ月待ちだそうで…。まぁ色々、難しいですねぇ・・・。
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by mmemiya | 2010-09-19 15:37 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

人はみな、いつかは、とは言うものの

至極、当たり前のことですが、人はみな、いずれ死んでいく存在です。

8月というのは、広島、長崎原爆の日、終戦記念日など、色々と、生と死について、考えさせられる日が多い気がします。いや、本当は、いつだって考えるべき問題なんでしょうけれど。
この夏は、もうあの事故からそんなに経ったのか、と思いつつ、今さらながらに日航機123便についての本などを読んだりもしました。そして、ぼんやりと考えていました。

突然の事故で、不意に命を絶たれたら、死んでゆく当人は無論のこと、残された人たちも、みな、心残りなことばかりなのは当然のことでしょう。
しかし、遅かれ早かれ、いつか、我々は誰しもが死ぬ存在です。そんなこと、理屈では誰だって分かっている筈だけれど、じゃあ、本当に「もう、今死んでも、悔いは特にない」なんて思える瞬間が、来ることって、あるのでしょうか。あるいは、家族の死を、死の直後から、「これが寿命だったんだね」と淡々と受け止めることが出来る、ということはあるのでしょうか。

いつかは、と分かってはいても、日常、「明日死ぬかも」なんてことを毎日考えていたら、生活は中々まわっていきません。まして、平均寿命の数字もまだ遠いもの、と思う年頃ならば、どっちかといえば「縁起でもない、考えたくもない」という事柄かもしれません。
それでも、この平凡な日々の積み重ねの先に待つものが「死」である以上、では、その平凡な毎日をどう送っていれば、自分の死と正面から向き合えるようになるのでしょう。

一昨日、急に、父が入院しました。(定期通院している検査に、自分で車運転して行って、その場で入院になっちゃったので、車を家に戻すとかが面倒なことに。)今回の入院自体は、おそらく1ヶ月程度で済むらしいのですが、同時に、おそらくガンである、それも、数箇所に転移している、という可能性が高くなってきました。
まぁ、今は色々結果待ちですが、本人もけっこう気弱になって「もう駄目かもしれん」と言ってみたり、「まだ後、5,6年は生きたい」と言ってみたりしているようです。
72歳(注:父の現在の年齢)と77歳では、当人にとってどこがどう違うのでしょうね。あるいは、別の言い方をすれば、あと5,6年でやりたいことはなんなのでしょうかねぇ。
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by mmemiya | 2010-09-09 21:42 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

日本脳炎、結局自費で打ちました。

前から何度か書いている、日本脳炎予防接種。
うちの息子が、標準的な接種年齢と言われる三歳になった直後、いわゆる「積極的勧奨差し控え」は起こりました。

その当時の報道では、既に新しい日本脳炎ワクチンが実用化秒読みという触れ込み?で、1年後ぐらいには新しいワクチンに切り替わるのでは…という観測だったように思います。「じゃあ、まあ、1年待てばいいのね」ぐらいの感覚で、私は接種を先送りし、そして、その後、ほとんど日本脳炎のことは忘れていました。

その後、幾度か夏が来て、厚生労働省の「蚊に刺されないようにしましょう」ポスター(どうしろっちゅーんじゃ、という、実に噴飯モノのポスターだと思う。)を見たり、熊本だったかで幼児の日本脳炎患者が、などというニュースに触れたりするたび、ちらりと「どうしよう」とは思ったものの、残り少なくなっているらしいワクチンをどこで接種できるか調べて打とう、という心境にまでは至らず。
ふと気づけば、もう公費で打てる年齢ギリギリ、になったところで、新ワクチンがようやっと、公費で打てる予防接種の仲間入り。で、一期初回の接種(2回)をやったところで年齢オーバー。1年後に打つ一期3回目の接種は自費か…と思っていたところへ、「経過措置(救済措置)」があるらしい、とのニュース。
パブリックコメントを経て、7月末には予防接種規則改正、という話だったのに、8月に入ってずいぶん経っても、いっこうに改正の情報は見つけられない。8月中旬、思わず私、厚生労働省まで電話かけちゃいましたよ。そしたら「改正が遅れており、8月下旬になる」との回答。
8月下旬から、私は毎日、インターネット官報をチェックしましたですよ。(一番速報性があるのは官報だから。今日現在でも、まだ、厚生労働省のサイトの日本脳炎関連部分は更新されてないです。)

そうしたら、8月27日、やっと、官報に載りました、改正。(ちなみに、厚生労働省サイトの、「法令等データベースサービス」の「登載準備中の新着法令」にこれが載ったのは8月30日ね。8月初旬は私、こっちの「新着法令」を毎日チェックしてたのだが、途中で官報の方が早いと気づいたのだった。)

が・・・。

非常に読み取りにくい内容で、横にいくつも別ウィンドウ立ち上げて、別の法令眺めながら読まなきゃならなかったんですが、「7歳半までの子」と、「9歳から13歳までの子」には救済措置がある、と読める。
ってことはなにか、うちの子はあと1年待たないと、救済措置がない・・・?

自分の解釈に自信がなくって、結局は市役所の予防接種担当課にも電話確認しましたが、やっぱ「7歳半以上9歳未満」は、すこーん、と、この救済措置から抜け落ちたのです。なんということだ。
標準接種年齢で差し控えたうちの子なんか、まさにここにあてはまるってのに。

うがった見方をすれば、あと1年ほど経てば、市場へのワクチン供給量が増えるので、全く接種してないと思われる年代(うちの上の息子がその年代の中で一番年齢が上)はそれまで待て、ってことなのかもしれん。
やれやれ、まったく、偉い方の考えることってのは分かりませんわ。
(※ここまで書いた後、ネット検索で「年齢条件を従来と変えるには法改正が必要なので、法律を変えずに対応するにはこれしかなかった」という話を見つけました。
「新小児科医のつぶやき」さんの
「日本脳炎ワクチン情報 2010年9月」のコメント欄。
あー、なんで従来の二期の年齢なのかなー、と思ってたんだけど、そうか、年齢は、法施行規則や施行令の方じゃなくって、法律本体の別表でしたね、言われてみれば・・・。)

ということで、救済措置があることに賭けて?3回目の接種予約を既に入れていたわけですが、結局、息子の方は自費で打ってまいりました。
既に2回打っていて、不完全ながらも免疫はあるし、という意味では、供給量少ないワクチンは別の人に打ってもらう方がいいのかもしれないけど、なにしろ、うちの蚊の量って尋常じゃないし…。


9月に入ったというのに暑いです。蚊も元気です。毎日、エアコンもないところで勉強する子ども達も大変だ。
明日はやっと?息子のピアノのグレードテストです。大丈夫なのかしらん。
先日も、ピアノの練習をやらないとか、弾けなくて拗ねるとかで、もうピアノは止めたらどうだと大騒ぎしたばかりなのに、息子もコンクールに出るんですと。本気か。「Cちゃんも出るからやってみたかった」って、お前、練習するんだろうな!!
実は、2年前、娘がピアノ習い始めたばっかりのときに、「うたのコンクール」に出場を勧められ、始めたばっかりで海のものとも山のものともつかないし、お金だってかかるし、先生方にも(失礼な言い方だが)出場者集めるノルマがあるのかもしれんが、ちょーっとそれは・・・とお断りした経緯があるのですが、今回は、私にではなく、先生は、子どもにしか「出たいか」と聞かれませんでしたので、「出たい?」と言われ「うん!」と答えられては拒む術もなく…。
まぁね、発表会を2年見て分かりましたよ。うちも一応毎日練習するとはいえ、全然熱心な家じゃないけど、「これ、ぜーんぜん家で練習してないでしょ」っておうちがたくさんあるってことは。去年の発表会と、弾いてる曲のレベル、ほとんど変わんないじゃん、ってお子さん、何人かいましたもの。
そんな中では一応多少は進んで行ってるからねぇ…全然、上手いわけじゃないんだけど、また尻たたかにゃならんです。親の心境としては、ああ、やれやれ、というのが本音でございます。

※その後、日本脳炎の救済措置は拡大されてます。ここにちらっと書きました。最初からそうしといてくれよ…と思わなくはありません。
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by mmemiya | 2010-09-04 22:48 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)