La Lune Lunatique

mmemiya.exblog.jp
ブログトップ

<   2010年 11月 ( 6 )   > この月の画像一覧

幸せな夫婦ってどんなだ?

「儒教と負け犬」読んでて、確かに「(日本の)結婚生活が幸せそうに思えない」ことは晩婚化に影響してる、とは思ったものの、そんでもって、「でも、夫婦の<幸せ>って、少なくとも恋愛真っ只中の、高揚感溢れる<幸せ>とは違うでしょ」と思ったものの、んじゃ、夫婦の幸せって、具体的にはどんななんだ?

親の夫婦仲が結婚観に与える影響ってのは大きいと私も思ってるし、そーいえば、ずいぶん前にもこのブログでそんなことを書いた。
うちの夫の両親は、始終口げんかばっかりしてるので、夫はそういうのは嫌だなと思って大きくなったそうだが、その結果なのかなんなのか、我々夫婦はまず滅多に喧嘩ってしない(というか、結婚してもうじき丸10年だが、「喧嘩」と呼べるようなものをした記憶がない)んだが、そんでも、夫の両親は、二人で海外旅行とか、行きまくってるんだよね。(まだ私が「ヨメ」になる前、まぁ婚約者状態のとき、フランスに義両親が二人だけで来て、私、案内したことがあるのだが、目の前で言い争いが始まって、どうしようかと思ったんだけどな~。)

私の両親は、二人で旅行など、まーったく、したことがない。口げんかも見たことないけど、喧嘩するほどの交流がそもそもなかったように見えた。冷え切ってる、っつーほどじゃなかったと思うけど、それぞれ勝手にやってる、って感じ。

まぁ、どっちも日本の夫婦としては、よくあるパターン?ありふれてるけど、「幸せそう」には見えないよね、少なくとも。
(ちなみに、夫の両親は見合い結婚、うちの両親は恋愛結婚・・・の筈だ。)

で、夫に、「夫婦の幸せってなんだと思う」などと聞いてみたりもしたのだが、うーん、言葉で表すのは難しいよねぇ。二人でいるときの居心地の良さ…というのは、例えば、他者には伝わりにくいもののように思うし。(夫の両親や私の両親も、二人でいるときの居心地は、あれで悪くないのかもしれんしな。ううむ。)

私にとっては、色んな話をするとか、美味しいもの一緒に食べるとか、綺麗な景色を一緒に見るとか、色々な時間と感動みたいなものを共有したい相手が夫であることは間違いなくて、そんでもって、そんなことで充分、自分達としては幸せだと思うけれど、それはあまりにささやかすぎて目に見えにくいものなのか、あるいは、そんな幸せすら共有できてない夫婦が多いように「負け犬」酒井氏の目には映るのか、どうなんだろう。(まぁ、「亭主元気で留守がいい」なんて言ってりゃ、そりゃ、二人でいることが幸福であるようには見えないだろうけどなー。)

目に見えるようにベタベタしろってもんではないだろうけど、少なくとも自分の子ども達が親を思い返したときに「二人でいるのが幸せそうには思えなかったなー」なんて思われると、ちと悲しい。
かといって、口下手、表現下手であることに開き直って、「夫婦のことなんか、子どもに何が分かる!」「男は妻への感謝など、口に出さないものだ!」みたいなこと言ってちゃ始まらないしね。

・・・そうか、とりあえず、感謝の言葉を口に出すところから、かなぁ。うち、会話はかなり多い方だとは思うんだけど。(子どもがいると、夫婦の会話に首突っ込んできて、すぐ話の腰を折られるのがちょっとイヤ。)
ま、うちは、40代を迎えようという日本人夫婦としては、多分、平均以上にスキンシップも多いと思うんだけど。(帰宅すると、毎日ではないが、かなりの頻度でハグ!という夫婦は、多分、珍しく…ない?ちなみにこれやると、いっつも娘が「ダメー!」とやってきて、夫と私を引き離しにかかる(笑)。夫を取られたくないんじゃなくて、私を取られたくないらしいんだけど。)
[PR]
by mmemiya | 2010-11-24 22:32 | 日々雑感 | Trackback | Comments(7)

「儒教と負け犬」あるいは日本の女は甘ったれか?

金曜、久しぶりに飲みました。
このところ、年に一度程度、ワインつきお食事をする他は、飲み会といえば職場の歓送迎会ぐらいで、ホテル宴会場で出される日本酒など美味しいと思ったこともないし、元からビールはそんなに好きじゃないし(いや、黒ビールとか、エール系はけっこう好きなんだけど…)そんな場では、注がれたときに飲む程度なんで、ちゃんと飲むのも久々、まして泡盛なんて本当に久々。

そういや、昔は妹と、ロックで泡盛飲みながら、カラカラ(泡盛の入れ物ね)をいくつか空けたこともあったような気もしたけれど、もうすっかり夜は寒いし、今回は泡盛も焼酎もお湯割り。
実は、夫の風邪がうつったのか、出かける直前に「この体調は拙いかも…」と思っていたのだが、酒飲んでるときは快調でした(爆)。ま、あまり食が進まなかったのは体調が整ってなかったせいかもだけど、お酒が美味しくいただけたのでまぁそれで良し。飲みながらずいぶん愚痴らせていただきました。おかげさまで、色々と元気になれた気がしますが、よく考えると、目上の人相手になんという厚かましいことをやってるのかしら、私、と、後で反省した(笑)。こんな風に愚痴を聞いてくれる人に恵まれていて、私はきっと、幸せ者です、はい。

往復の電車の中で、新書一冊読了。今井むつみ「ことばと思考」。同じく今井むつみさんの「レキシコンの構築」に前から興味があったのだけれど、素人が4,000円近い専門書を買うことにちょっと躊躇していたら、先日、新書コーナーで「今井むつみ」の名を見つけ、迷わず購入したもの。と言いながら、行きの電車の中ではやや体調が悪く流し読み、帰りは…お湯割り4杯ぐらいで別に酔ってはいなかったものの、まぁやっぱり、じっくり読む環境ではなくて流し読み。
言葉が思考を規定する…と、まぁ、碌な知識もない私でも、粗雑なサピア・ウォーフ仮説もどきみたいなものを漠然と信じてはいたのだけれど、本当に言語が思考の方法を限定するのか、これまで科学的な検証はあまりなされてこなかった、と言われると、なるほど、そうなのかも。非常に楽しい本です。またじっくり読み返そう。

土曜。なんとなく、熱もないのに体調がすっきりしない一日。やっぱり夫の風邪をうつされていたのか…。前日から葛根湯飲み続けてたんだけどねー。必要最低限の家事しかせず(息子は朝から子ども会行事で出かけていった)ゴロゴロと本など読んだり昼寝したりして過ごす。
「儒教と負け犬」酒井順子、出てからもうずいぶん経つ本なんだけど、東京、ソウル、上海、それぞれの東アジア都市での30代未婚女性の生態を、インタビューなどして、共通点と相違点を探っていく本。これが、予想よりかなり面白い。
私は、日本の晩婚化の一因には、絶対に「恋愛は素晴らしい」という雑誌漫画ドラマその他諸々からの刷り込みと、「結婚とは当然、恋愛の結果によるもの」みたいな価値観が絡んでる、と思っていたのですが、酒井さんは、晩婚化の原因の一つは「儒教」にあるかも?と考えるんですね。
男女は平等、という教育を受けて、一生懸命頑張ってきた女性達。でも、男性は結婚相手には「自分よりちょっと下の学歴」「自分よりちょっと下のキャリア」(ついでに年齢も「ちょっと下」か?)を求めたがる。一方で、女の側にも「自分より<ちょっと上>の頼れる男がいい」みたいな意識が、どこかに根強くあるんじゃないか、と。で、まず、なかなか結婚相手を見つけにくい。更に、「女はどれだけ働いても、家では家事を一手に引き受け、男を立てないと」と言われりゃ、そんなきついことを求められたら、そりゃ逃げる女もいるよね、子どもなんか産んでられないよね、ということにもなる。
で、3都市の未婚女性を比べると、日本の「負け犬」が、一番、「男性と対等である」という意識が弱いのだそうです。でもって(これは「だから」とつないでいいのかどうか)セックス経験が一番豊富なのは日本の負け犬。不倫率もダントツで高い(まぁ、当事者アンケートに基づく数字、とはいえ)。これでいいのか、と酒井氏が不安になったのもむべなるかな。(これも、雑誌とかが「恋愛してないと負け」「セックスしてないと負け」みたいに煽っている結果ではないか、と著者は書く。)
あと、日本においては、結婚と幸福との結びつきがあまりにも希薄である、とも彼女は書いています。
まー、色々な話が出てくるので、とてもここで全貌は紹介できませんが、結婚願望など全然なかったけど、たまたま30で結婚した私としては、けっこう、「負け犬」の話はひとごとじゃないと思えちゃうんですわ。ただ、「同棲なんて当たり前」的な日本負け犬の価値観は、都会限定のような気も…。ま、私の身近でも「婚約中」で一緒に住んでる人とか、知ってることは知ってるけど、この田舎では「当たり前」じゃない気はする。というか、私なんて、たまたま二人とも実家住まいだったので、色々メンドクサイし一緒に住むかぁ→正式な(法律上の)「結婚」という形にこだわるわけじゃないけど、親もいる地元で同棲ってのも(相手の親に)何言われるか分からんなぁ→ならまぁ、結婚するかぁ、というのが結婚した経緯だったので、同棲への心理的ハードルはけっこう高かったのよね。

「結婚と幸福の結びつき」については、恋愛真っ只中の状況だけを「愛し愛される幸福な姿」だと思ってしまうと、結婚生活乗り切るのはきついだろうなぁ、と思う。日本の結婚が幸福でないのか、「幸福」の定義が問題なのか、その辺は微妙かも。
そこらの「少子化対策」の担当の方がこれを読んで、なんかの政策が打ち出せる、とはあまり思えませんが、「負け犬」の人に限らず、日本人全体が、もっと、「幸せなくに」(政治的スローガンみたいでヤだけど)ってどんなもんか、考えなきゃいけないんじゃないの、という気は、すごくする。

あー、あと、この本読みながら、もう一つ思い出だしたこと。金曜、飲んだ後に、なんというか、男の人の家庭に対する責任感というものと比べると、自分の考えってかなり甘いかなー、と、ふと思ったのですよ。いや、毎日、実際のご飯を作って食べさせることに関しては、それなりに手を抜かずにやってるつもりなのだけれど、精神的な意味で家族を養っていく、という責任感ね。共働きの私と一家の大黒柱を比べるのはおこがましいかもしれないけど、一家の稼ぎの半分強は自分が担ってても、なんとなく、最終的に支えるのは夫、みたいな意識が、私の中にも、どっかにあるかなー、という。
自分の方がどうしても、家事の負担が多い気がして、なーんか不公平、という感覚が、結婚10年経っても微妙にぬぐえないのが正直なところなんだけど、メンタルな意味での責任感だけ夫に押し付けて「私ばっかり大変!」って言ってるのって、ずれてるよな、と、ちょっと考えさせられた。(別に金曜日、そういう会話を直接したわけではなくて、なんとなく、私がそう感じた、ってだけのことなんだけど。)
別に、日頃「いざとなったらいつ辞めてもいいし」と思いながら仕事してるわけじゃないつもりなんだけど、どっかで、女だから、と、逃げを考えてる自分がいるかな、と。
そう気づいたところで、自分が一朝一夕に変わるわけではないけれど、ちょっと、もう少し、考えてみようと思う。

さて、これを書いている今日は、夫の実家で、いつもの通り午前中から夜8時まで過ごして来ました。夫の実家では、いつも、ものすごい量の食事を出されるので(っていうか、それを作るのは主に義姉と私であるわけですが)そんでもって、揚げ物とかのことが多いので(今日はイカのリングフライを大量に揚げ続けた私・・・)このときだけは、いつも、自分が「逆流性食道炎(胃食道逆流症)」であったことを実感できます(笑)。したくない。
なるべく自分の分は少なめによそったつもりだけど、今もちょっと胸焼けが…うう。
夫も、実家へ帰ると、いくつになっても義母の中では高校生並に食べることになっていて(笑)、食べろ食べろと言われ続けるので、夫も食べすぎで帰ってくる。やれやれ。
そして今日は、夫の実家へ出かけようとしたらいきなり車のバッテリーが上がってるとか、散々な一日でした。(結局、夫の実家まで歩いていって、ブースターケーブル借りて、で、バッテリーを交換した…。最近、たまにエンジンかかりにくいかな、とは思っていたけど、そんなにバッテリーが弱っているとは思っていなくて、他にどこか悪いところがあるのかと焦っちゃったよ。結局、バッテリー以外はチェックしてもらったけど問題ないそうですが・・・。)
[PR]
by mmemiya | 2010-11-21 22:10 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

しばらくの間

ページのスキンを「秋草」なるものに変えてみた。

なんかもう、秋は終わりつつあるような気もするけれど。

毎日、一つ峠を越えて通勤してるけど、今、ちょうど、イチョウやモミジが、日々、目に鮮やかです。(仕事行きたくなくなる、とも言うわね・笑)

この季節、すすきなど目にすると、ふと、「秋くさの さびしききはみ・・・」と、若山牧水の歌を口ずさみたくなる。

なんと、ちょうど百年前の歌なんですねぇ。

もっとも、なぜ、さびしさを恋しい人に送るのか、その辺が昔から、分かったような、分からないような、なんだけど。

そういや、牧水の秋の歌といえば、「酒は静かに飲むべかりけり」ってのもあったな。
(と、教科書に載ってた歌ぐらいしか知らんのに、エラソーなことを書いてみる。)

過ぎ行く秋の気配を惜しみながら、静かに飲みたい…確かに、そんな季節かもしれない。


追記:ちょびっと調べてみたら、「秋くさの…」を贈ったお相手は、なんか色々複雑な人だったようで(一つ年上の人妻だったが、人妻だとは最初、牧水は知らなかったとか、なんやかや。)ううむ、という感じである。
そして、その人との5年の間に、ものすごい数の歌を作ってるんだなぁ。こんなしっとりした歌だけでなく、熱情的な歌もたくさん。
思わず、アマゾンで、若山牧水歌集をぽちってしまったよ。
[PR]
by mmemiya | 2010-11-17 21:04 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

四十九日をすませました

本日、無事、父の四十九日法要を終えました。

まぁ終わってみると、色々行き届かないところばかりでごめんなさい、という感じなのだけれど、なんとか、天候にも恵まれて、一日終わりました。

食事の場所がね…なかなか、これ、という場所がなくて、私としてはあまり気乗りのしない店を選んだのだけれど(一応、母と妹が下見で食事に行った)まぁこれが、味も全然大したことないけど、仲居さん(というか、単なるおばちゃんたち)の皿を置く様子とか、まぁ雑なこと雑なこと。これは今回の一番の心残りだった気がする。ううむ。
(帰宅してからネット見てたら「二度と行かない」という感想をいくつか見つけて苦笑…でもなんでか、いっつも混んでる店なんだよなー、ここ。少人数でランチコースとかならまだマシなんだろうか・・・)
気が早いですが、しかし、この店がダメなら、一周忌はどこでやるよ、という感じ。一応、目茶苦茶小さい町ではないはずなのに、どーしてこう、まともな料理屋がないのだろう・・・。

とまれ、懸案だった納骨についても、この忌明けまでに一応、結論が出たので、とりあえずほっとしています。
「墓は要らん、俺の骨は川へ流して魚のえさにしろ」とか、いくら本人が言っていたからといって(父は渓流釣りが趣味だったので・・・もう、天然鮎もイワナも、食べる機会なくなっちゃったな・・・)さすがに川には流せんわな、という状況だったのだけれど、今回、葬儀場の紹介でお世話になったお寺のご住職に、七日毎の法要の際にそんなことをお話したら、「よければ、うちでも、永代供養もやってるんですよ」とお話をいただき、とんとん拍子で(?)そこへお願いすることに。
実のところ、後継者がいなくなったお墓の問題というのは、今、けっこうどこのお寺でも、頭の痛い問題らしいです。

お寺の墓地の一角に、観音様の像があって、そこに納骨堂があるそうです。(写真をいただいて、多少のイメージは掴めています。)お花を飾るところもたくさんあるし、いつお参りしていただいてもいい、とのことで、まぁなにしろ、子どもは私と妹(未婚)の二人だし、母もゆくゆくはそこにお願いする、ということで、父母に縁のつながるものが生きている間は、精々、折々にお参りしていこうかな、と思います。
百か日が、1月の3日にあたるのですが、お寺の都合で、12月の末に百日法要をすることになったので、そのときに、併せて納骨もすることになりました。
夫と私も、いずれ、そういう永代供養にしてもらえば、充分だよなぁ・・・と思う私。自分の子ども達がずっとこの土地にいるかどうかだって、分かんないしねぇ。

母が、一週間かけて、ごみための様だった父の部屋を掃除したので(前の惨状を知ってるだけに、ホント、よくやったと思う)、家へ戻ってから、形見分け、ということで、父の遺品を、けっこう皆さんに貰っていただいた。
まぁさあ、カフスボタンとかもいっぱいあったんだけど、さすがにカフスって、今時、する人いないよねぇ・・・。
父の最も可愛がっていた姪っ子であるSちゃんは、山のような服を見て(ちなみに吊るしのスーツは絶対買わなかった人なので、全部オーダーだぜ、全く)「おじちゃん、まだこんなに色々着て、元気にあちこち出かけるつもりだったのにねぇ・・・」と涙ぐむ。ところで本日、私は初めて、Sちゃんの正確な年齢を知った。53歳、だそうだが(2歳の孫がいる)、前回、父の葬儀の後、うちの子ども達は二人とも、Sちゃんのことを「お母さん(=私)より年下だと思う」と断言した。子どもの、人の年齢を見る目って、まぁ全然あてにならないモノだけど、それにしてもさすがSちゃん、恐るべし。(少なくとも、40代前半で絶対に通せると思う・・・。)

うちの夫も、コートを2枚、あと、シングルの礼服と、なんかも一つ、スーツを欲しい、と言って貰ってきた。ほとんど傷んでない靴もいっぱいあったんだけど、それはサイズが合わず、断念。あー、あと、ネクタイピンって一つももってないから、と、タイピンと、ネクタイも2本ぐらいもらってきたか。
もっとも、我が家にとって、もっとも大きな形見分けは、実は、父の乗っていた車である。私は、夫がそんなことを考えているなどとは思いもよらなかったのだが、葬儀の後、しばらくして、夫に「お義父さんの車、欲しいって言ったらどう思う」と聞かれ、「どう思うって・・・」と吃驚した。父も中古で買った、登録からまもなく10年になるベンツなのですが、「だって、ベンツに乗る機会なんて、もうこれを逃したらきっと一生ないと思う」と言われますと、ねぇ…。ベンツで通勤するのかよ!とは思ったのですが、そんでもって、今までの車とは、維持費、格段に違うんですが、母も「○さん(うちの夫)がもらってくれるんだったら、そりゃ喜んであげる」というし、どうせ、売り飛ばしたって二束三文の中古ではあるし…。最大の問題は、今のままでは、我が家の車庫には入らない(笑)ということだけ。(大問題だよ!)

・・・ということで、近日中に、車庫の拡張をする予定の我が家なのです…。
[PR]
by mmemiya | 2010-11-13 22:47 | 日々雑感 | Trackback | Comments(4)

年甲斐もない、は死語か

娘が、年末のとある書道展で賞をいただくことになった。私自身、昔は賞をもらったこともあるなつかしい展覧会だ。
出品者数は昔のことを思えばずいぶん少なくなったようだが、5000人ほどの中で100人あまりに選ばれたので、ともあれめでたい。
実は、去年の展覧会の時から、先生(わが妹)は、今年の入賞を狙っていたのだが(幼稚園児の出品者はやはり少ないので、年長児ってのはけっこう狙い目なのだ)、見事ねらいどおりになった、というわけだ。

その一報を聞いて息子、「あの、Cちゃんの字のことを言った先生に聞かせてやりたいよ」とコメント。
実は、先日の就学時検診の時、知能検査で娘の書いた字(自分の名前を書かせるのである)を見た先生が、「もうちょっと丁寧に書いてね」と発言したそうで(親は別室にいるので知らない)、娘はけっこう落ち込んでいたのだ。
私もよっぽど抗議のメールでも出してやろうかと思ったぐらいなのだが、これまたうちの妹曰く、「教員なのに利き腕で書いた字かどうかが見て分からないなんて、そっちの方が問題でしょう」だそうな。

実際のところ、書字は右、と言ってきかせていることに、私自身、まだ迷いがないわけじゃないんだけど・・・。
(字以外のものは、私自身が左のままなので、当然、やりたいようにやればいいと思っている。今のところ、絵も右でしか描けなくなった私と違い、絵は完全に左で描いている娘である。)


話全然変わって、この間ネットを彷徨っていて、久々に槇原敬之の歌を聞いた。昔はカラオケに行くと、けっこう誰かが歌っていたもんだが、最近は、カラオケなんてものに行かないしね。

「In Love again?」というタイトルで、40男の恋、がテーマなんだそうだ。
若い子?の相談に乗ったりしてるうちにその子に恋してしまった中年男、が主人公なのね。
この年になってみると、けっこう、来るものがある歌詞だ。

この年になってまさか自分がまた恋に落ちるなんて、みたいな驚きと、鏡を見ると、自分は思ったよりずっと老け込んでいて・・・というショックがないまぜになって、で、誰にも言わないけど、君に恋してるんだ…という内容なんだけど。

私も気づけばあと二ヶ月足らずで40なんだけど、正直言って、「まいったなー、この年で…」というほど、40という年と恋というのが無縁だとは、あんまり思えないんだよね。
実際のところ、中味そのものは、あんまり30の頃とも、下手すりゃ20代の頃とも変わってないような気分でいるときもあるんだけど、そんなことでいいんだろうか、と、ふと思う。

世の中、やれアンチエイジングだの美容整形だの、もっと若く、もっと若く、みたいな情報とか誘惑に満ち溢れているように思うんだけれど、そりゃ、自意識はまだ若い、そんなに昔と変わっていない、が正直なところかもしれないけど、外側をその自意識にあわせてく、って方向性ばかりなのって、なんだか、どうなのよ、とも思うのだ。
中身の方を外側に合わせてく、ってあり方だって、あるべきなんじゃないの?というか。習い事に「形から入る」というやり方があるように、人間の生き方にも「形から」があっていいんじゃないのか、という。

健康のために運動するとかはいいことだし、「若々しい」ってのが悪いことだとは思わないけど、一方で「年甲斐もなく」とか「年相応」ってなことも、もっと考えてもいいのかな・・・などとふと思う39の秋だったりする。
というか、自分で自分をそういう意識に持ってかないと、いつまで経ってもちゃんとしたオトナになれないような・・・。(一体、いくつになったら、自分で自分をちゃんとオトナだと思えるんだろう・・・。)
[PR]
by mmemiya | 2010-11-08 21:23 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

干柿のない秋

気がつけば、近所のあちこちから剪定ばさみの音が聞こえるシーズンになり、遅ればせながら、我が家も先々週あたりから、やっと少しずつ木の手入れに取りかかった。

といっても、やっと外に出たと思ったら直に雨が降ってきたり、夫も私も休日出勤があったりで(今日は私は午前中出勤)なかなかはかどっておりませぬ。

本日は、夫が大きな木の枝を何本か落とし、あと、この間の週末、息子がやった柿の収穫の続き(息子の手が届かなかったところね。)、私が生垣の剪定。子ども達には松の古葉を取らせてみたが、ま、思ったとおり、すぐに飽きて別のことをやっていた。

生垣は、ホントはもっともっと刈り込まなきゃいかんのは分かっているのだが、後始末と日没の時間を考えると、もう、とりあえず見苦しく伸びたところをただ刈った、という程度にしか出来なかった。それでも、刈り込むより後片付けの方がずっと時間がかかる。見た目、ほとんど変わってないのに、なんでこんなにゴミが出るの!?と叫びたくなりますわ。

私はね、宝くじ当たったら、絶対、生垣ぜんぶ引っこ抜いて、アルミフェンスに変えたいですよ、ええ。
毎年伸びる木なんてもので、垣根を作るもんじゃない、ほんと。(うちの場合、引っ越してきた時点で生垣だったわけなので、どうしようもなかったのだけど。)


今年は、柿が不作です。特に、渋柿。
去年は、食べきれないほどの干柿を作ったというのに、今年はなんと、一ダースしか採れなかったよ!
かといって、この秋は、わざわざネットとかで渋柿買ってまで干柿を作ろう、というまでの気力が自分にないんだよなぁ…。

富有柿の方も、2本あわせて90個ぐらいしか収穫できませんでした。まぁ、柿は採れる量にむらのあるものですけど…。5年前になるのか、引っ越してきた年も、ほとんど収穫できなかったもんな、思えば。


さて、あとは大物は松だなぁ・・・あとどれだけ時間かかるだろう。
[PR]
by mmemiya | 2010-11-03 22:31 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)