La Lune Lunatique

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男性にとっての結婚ってなんなんだろうな。

最近、とりとめもなく色々考えてたことなんだけど(どーも、布団入ってもすぐ寝れないしねー)言い尽くされてることかもしれんが、ホント、女って、世間様に『オンナとしての価値』を認めてもらえないと一人前扱いしてもらえないですねえー。少しずつは良くなってきてる、と信じたいけれども。

仕事人としての評価とか、なんでもいいけど、男女関係ないはずの評価に、オンナだと『でも、ブスでしょ』とか、全く関係ないことがリンクされちゃうんだよねー。『可愛くない』とかさ。
言われた方がいくら気にしなくたって、それを言った方は、それで相手を一刀両断したつもりになってる、ってのは非常に不快な話ではある。

じゃ、『女としての価値』って何か、と言えば、まぁ結局は、身も蓋もないけど、男が欲情するかどうか、ってなことでしょう、結局。
同等のキャリアを積んだ女性が二人いて、片方が未婚で片方が既婚なら、既婚の方が勝ち、って扱いを世間からされるのは、要は女にとっての結婚って、『私に欲情した男がいる』の証明だからなのかなー、とか。(私含めて、一人ひとりがそんなこと考えて結婚を選んでる、って意味では全くないんだけどね。)

私は、現在は既婚の身の上ですが、ずーっと結婚願望なくって、どっちかというとそれを公言してきた方なんだけど、それって要するに『私はオンナを降りてるので、私を勝手に値踏みしないで』って言いたかったのかなぁ、という気が、今になって、する。

結婚すればそれで上がりってもんじゃなく、いかに結婚してても、そのうち、否応なく世間からオンナではなくオバサン扱いされるようになっていくわけだけれど、そこで今度は自分の『母としての価値』を世間様に認めさせようとすると、教育ママ化せざるをえないのかなー、なんて気もする。

若いうちってのは、若いというそれ一点だけで、なんとか相手してくれる男を見つけやすいのでいいけど、いざ、この年になってきてみると、一人身でいたとしても相手してくれる男を探すのは年々難しくなってきてただろうし、よほど、自分自身で自分の価値をきちんと認めてないと、世間の中で生きてく上で、傷つけられることが多かったんじゃないかなー、と思えてしまう。職場のオトコどもが声高に若い女の子の容姿を云々してると、苦笑しつつも薄ら寒いものがあるんだけど、薄ら寒い程度で済んでるだけマシというか。
しかしねー、若いうちは若いだけでちやほやされて、あるところで突然オバハン扱いされて貶められるようになるので、女が一人の職業人としてそれなりのポジションを確保してくのって、ホント、楽じゃないわさ、と、オバサンになってまた一段としみじみ。私は元々、子どもがいわゆるオベンキョーができるかどうかってことにあまり関心はないのだが、娘については特に、どーせ女の子が勉強できたってさー、などという屈折した思いをときに抱いてしまうのも、やっぱりまだまだ、オンナの職業人生が、未婚既婚に関わらず、色々きついものだからなのかもしれん。(かといって私、主婦科目は更にニガテなので、主婦で生きてく道を選びたいとは思えず、結局、今のように悪あがきするしかない、ってことになるんだが。)

もちろん、結婚には、自分より先に死んでいく可能性が高い親ではなく、別の、もっと長い時間を自分と生きていってくれる筈の新しい家族を作る、という大きな側面もあるんだけど、それは恐らく男女共通の結婚による恩恵?であって、ここで考えてたのは、女に特有の、結婚の意味っつーか、機能というか、そういうことね。(「結婚する目的」じゃなく、「結婚してるという状態がはらむ意味」っつーか。)

そうすると、男性にとって固有の結婚の意味ってナンだろうなー、とちらっと考えてもみたが、これは、私オンナだし、よく分からん。強いて言うなら経済力の証明、ってあたりだろうか?妻子を養える、っていうかさ。
となると、この低成長時代、胸張って一生妻子を養える、と言える男性は少なかろうし、男は男できっと、色々なコンプレックスに苛まれているのではあろう。

生きてくのって、楽じゃないわよね、全く。
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by mmemiya | 2011-10-23 21:54 | 日々雑感 | Trackback | Comments(6)

ニュースに乗り遅れる日々。

もう、この週末は休日出勤をやめたい…なにしろ体力が…ということで、まぁ、一番大変なところは乗り切った・・・かな、という感じになってきたので、とりあえず、土日は家にいることにしました。もっとも、次の週末は、行かなきゃならんのは確定済みだぁ。
明日晴れたら、庭仕事もいっぱい溜まってるし、ま、せめて今夜は早く寝よう…。

先週はついに午前様の日もあったんですが、遅くまで仕事してると、神経が高ぶってるのか、それとも眠気覚ましに9時過ぎとかにコーヒー飲んでるのがいかんのか、帰宅して、次の日に備えて早く寝なきゃ、と思っても、なんか、なかなか寝付かれないんですよね。困ったもんだ。(金曜は、夕方以降、カフェイン摂取を控えてみたけど、12時ごろ家について、なんだかんだで寝たのは2時ぐらいだったと思うんで、やっぱカフェインは関係なさそう・・・)

こんな生活をしていると、世間のニュースに乗り遅れてばっかりです。一応、職場で新聞ぐらいは目を通してるのに。
ドラゴンズの優勝は出勤して初めて知った。その前の週末、買い物に行ったら『優勝セール期間中は下記の割引券は使えません』とか張り紙が出ていて、あーそういえば職場でも、熱心なドラゴンズファンが何人か騒いでるなぁ、優勝近いんだなぁ、とは知ってはいたのだけど。今年は優勝セールも関係なし・・・。あとはクライマックスシリーズ勝って、もう一度、セールやってください。(CS出られなければ、それはそれで残念セールがあるのか??)って、まぁ、そう、欲しいものがあるわけでもないんだけどね・・・。(でも、忙しいとなんか買い物したくなる、ってのもあるわね。)

例年ならとっくに子どものインフルエンザの予防接種予約を済ませ、下手すりゃ第一回を打ってる時期だってのに、そんなことすっかり頭から抜け落ちてて、そしたら上司から今年はワクチンが少ない、と聞き、慌てて電話かけたら、例年打ってるところはもう予約終わってました・・・。他も、かかりつけの方優先、とか、やっぱり難しそうで…。あと、どこ当たろうかしらん。最悪、今年は見送りかな…。息子にそんな話をしたら、『俺はいいから、なるべくCを優先してやって』と言われたけど、いやー、一人分ならなんとかなるとか、そういう問題ではなさそう。

そして今日、買い物に行って、バター切れてるんだよね、と、バター売り場に行ったら、バターが一つもない…。なんか一つだけそれっぽいパッケージが、と思ったら、それは『バターそっくりのマーガリン』とかいうような商品でした。そーいや、過去にもこんなことあったなー、またバター品薄かー、と、さっきネット検索したら、やっぱりそうなのですね。見出しに『震災と昨夏の猛暑の影響』ってあって、震災は分かるけど猛暑って何のことかと思ったら、昨夏、暑くて種付けがうまく進まなかったと・・・。まぁ、人間でもあんまり暑いとねー、気持ちは分かる、って違うか。

そんな毎日ではありますが、あと少し、あと少し、と念じて頑張ります。家族のみんな、ごめんね、そしてありがとう、という感じ。

この間、帰宅したら、娘からの手紙がありました。

おかあさんへ
おいわいがだいたいきまったので よていひょうをつくりました。みてね!(注:息子と娘は、最近、私たち夫婦の結婚10周年お祝いパーティなるものを企画中です。でももうすぐ11年になっちゃうよ笑)
プログラムもだいだいきまったしいろいろかいたよ!!
つかれたよね!?はやくねてあしたもがんばってね。おやすみ。
いいゆめみてね。
    Cより


まぁなんと、こんないい加減な親の元で、よくもまぁこんないい子たちが育っていることよ、と夫に言ったら、そりゃ親じゃなく先生とかのおかげかもしれんて、と言われました。確かにねー、親らしいことあんまりしてないしねー。保育所の先生方、学校の先生方、親戚一同その他色々とお世話になっている皆様、本当にありがとうございます、としみじみとした夜でした。
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by mmemiya | 2011-10-22 21:18 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

老体に鞭打つ日々

ってのは、ちと大げさかもしれんが、今月に入ってから、子どもの迎えをすべて夫に任せ、帰宅も子供が寝入った後、って日々が続いております。

白目が充血してるなぁ、ってのと、あと、覿面に肌には出ますね~。肌のかさつきがひどい。化粧やめたいぐらいだけど、そうもいかないお年頃なのが辛いトコロ。

今年は震災の影響がこんな形で出てくるとは思わなかった、という状況ですが、こんなことは今年限り・・・の筈・・・。出産後、基本的には残業しない仕事でなんとかやらせていただいてたので、22時ぐらいまで残ってるだけでもけっこう堪えます・・・。

家族にもいろいろ負担をかけてて申し訳ないことですが、もうあとひとふんばり、頑張ろう・・・。

娘の、父の突然の逝去で去年やれなかった七五三とか、日にちは決めたけど、全然、何もしてないよ~。

そうそう、この間、母が「夢にお父さんが出てきて『おい、甘いものばかりじゃなくて、たまには飲ませろ』って言ったもんで、あわててビール買ってきてお供えしたわ。(で、私が飲んだわ。)」と言ってて、その言い方があんまり父の口調そっくりだったので、笑いながら、つい、目頭が熱くなった私でした。
両親のこと、あんまり仲のいい夫婦じゃない、と勝手に思ってたんだけど、まぁ、あれはあれで、やっぱり、お似合いの夫婦だったのかもしれない、などとふと思う秋。
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by mmemiya | 2011-10-13 23:31 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

便法と真理と

アクセス解析をたどっていましたら、3×5と5×3の問題について、再びちょっと考えるところがありました。

「5枚の皿にりんごが3つずつ載っています。りんごの数は全部でいくつでしょう」という問題で、これは3×5と考えるんだよ、と教えることを否定するつもりは、私には毛頭ありません。その方が子どもが掛け算を理解しやすいとか、色々な理由があるのでしょう。

私が言いたいことは唯一つ、テストでこういう問題を出されて「5×3」って答えた子にバツをつけるなよ、ってことだけです。

掛ける数と掛けられる数(ってものが本当に存在するのか、数学に弱い私には実は分からんのですが)は、こういう順序で書くんだよ、と教えることは、便法であって真理ではないでしょう。真理だとしたら、世界中の「掛ける数と掛けられる数の順序」が世界共通になってないのがおかしい。

便法から外れると×、ってのは、勘弁して欲しいな、ということです。掛け算が理解できているかどうかを確認したいなら、確認する方法は、他にも色々あるでしょう。

この問題に熱くなっている人のうちには、実際に子どものころにバツをつけられた(この問題そのものでなくても、類似の場面でね)という経験がある人もいらっしゃるのかもしれません。便法から外れていたがゆえに自分は×とされたのだ、と気づけば、教師に対して、怒りか、憎しみか、軽蔑か、なんかそんな気持ちがわいても不思議ではなく。

私自身の立ち位置を振り返ってみるに、私の中にはどうも、一定の教師への軽蔑のまなざし、というか、正しくは軽侮の気持ちがあります。それがなんらかの実体験に基づくものなのか、ってのは、私、子どものころの記憶が余りなくて、全然思い出せないのですが、多分、なんかあるんでしょう。大人になってからも、なんという世間知らずなんだろう、と思える先生に出会ったこともありますし、それによって教師という属性全体を「世間知らず」と決め付けてはいけないことは重々承知で、しかし、なんか、侮ってしまうところは、正直、なきにしもあらずです。

自分自身の子どもに対しては、先生を尊敬していて欲しいのです。以前、息子が小1の英語授業で、I like apples.という間違った英語を教わっているのを授業参観で見たときも、息子に対して、先生の英語は間違ってた、とは言いたくありませんでしたし言わなかった。教育委員会に対して、教科書すらない小学校英語の授業をどう組み立てているのか、少なくとも間違った英語表現は教えないで欲しい(ホント言うと小学校では英語の授業なんかやらないで欲しい)と、意見は申し上げました。
ただ、自分の子どもは先生を尊敬していて欲しい、と思うことも、そうしたいのにそうできなかった、という自分の苦い記憶が思わせているのかもしれない、などと思ったりもしてみます。まぁ、そんなに先生達が嫌いだったわけじゃないけど、そう好きな先生なんてのも思い出せない。

今回、改めて自分の一連の文章を見直すと、なるほど、そこかしこに先生への軽侮の念ってのが見え隠れしてるなー、と実感できました。今さら文章を直したところでどうしようもないことですけど。

学校教育ってのは、大勢の子どもに対して行うもので、一対一の家庭教師なんかとは、やり方は全然違って当然なんです。そんでもって、私は、教育技法に関する教育なんて微塵も受けてませんので、先生方の教育技法に対してなんか言えるような立場には全くない。「掛け算の教え方は、どうも指導書に書いてあるからそう教えてるんじゃないのか」みたいなことは、一連のネット上でのあちこちの話(現役の小学校教師とおっしゃる方のコメントなんかも含めて)を見ての、単なる印象に過ぎません。まぁ、我が家の小学校教員免許を持ってる夫(教員採用試験は落ちた)とか、小学校教育ではないけど同じく教育学部にいた妹とかを見る限りでは、大学4年間で教わることなんて限界があるでしょうから、実際に教員として教壇に立つ現場で、個々の先生方はそれぞれ一生懸命勉強なさって、それで初めて授業が成り立ってるんだろうな、と想像します。そんななかで、指導書ってのにそれなりの影響力があっても不思議はなかろう、とも、同時に思います。

なるべく多くの子に理解してもらうための教育技法、は、一方で、理解の早い子どもにとって退屈だったりすることもまた事実でしょう。「5×3と書いてバツにされた」(これはあくまでも比喩です)と語っている人の多くは、平均より理解が早い子どもだったのでしょう。私自身、少なくとも中学卒業までは、中間・期末テストだの実力テストだので5教科計450点を下回ることはなかった子どもだったので、そういう人に共感する側なんです。(もっとも、高校に入って数学オチこぼれまくって、共通一次では数学は140何点かしか取れてないんで、根本的には数学は苦手のバリバリ文系です。)ただ、先生方の教え方それ自体に異を唱えるつもりは、全くない。私ならもっと上手く教えられる、とは、全然思わないからね。

だから、教育の専門家の方々が、一生懸命、掛け算の効率よい教え方を考えておられるのは、結構なことだと思うんです。「5枚の皿にりんごが3つ 合わせていくつ」を、「3×5」って教えていただいて、全然構わない。

でもさ、掛け算が理解できてるかどうかを確認するときに、「5枚の皿にりんごが3つ」は、使わないで欲しい。でもって、一生懸命、「なぜ5×3ではダメなのか」を、長々と解説してくれなくていい。読む気にもなれない。15個という答えが正解なのは自明なんだもん。そんでもって、「たまたま3×5と5×3の答えが一緒」ってわけじゃないんだもん。そして、「3つのりんごが載った皿が1枚、2枚・・・」という考え方だけが、この問題に答える正しいやり方ってわけじゃないんだもん。

もうこれについては、これで書き尽くした、気分なんだけど、書き尽くせたんだろうか。

一個だけ追記。自分の子どもに掛け算の交換法則の話をしていたとき、

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と書いた紙を一度見せて、そんでそれを90度まわして見せたんだけど
(つまり、くるっとまわして見る角度を変えると、下のようになる、って、この画面ではちょっと間隔が違っちゃってて、ただ90度まわしたようには見えないんだけど。)
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どっちを先に書いても正解ってのは、これに尽きるんじゃないのかな。違うのかな。
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by mmemiya | 2011-10-02 22:03 | 日々雑感 | Trackback | Comments(3)