La Lune Lunatique

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勇気がないという決めつけと上から目線

美味しんぼ最終話、プラス、編集部の見解と識者の意見だっけ、まぁ、世の中をひと通り騒がせつつも、結局、小学館としてはアレを撤回する意向はさらさらないようで、あれが被災地差別だと思う人と思わない人の断絶は深い。なにしろ第二話あたりの小学館広報室談話は、「単行本化するときには注釈をつけるかも」とかいう内容で、あれを単行本化するつもりなんだ!とこっちは衝撃を受けた。離乳食に蜂蜜の回みたいに、単行本未収録にするかと思ったよ。

各種の「根拠を示せ」の声に全く応答しないまま、この騒動は収束できる、というのが発行者の見解なのかね。実在の登場人物、実在の地名を出しておいてそれはひどいだろ、と思うけど。

「除染して住めるようになんてできない」発言も問題だが、作中、海原雄山に言わせている「福島の人たちには危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」という台詞は、本当に腹立たしい。190万福島県人が、勇気がないからそこにいるとでも?いや、危なければ逃げなければならないのはもちろんなんだけれど、逃げなければならないほど危ないというのは作者の主観であって、客観的に証明された事実ではない。

というか、この台詞、「あなたたちは愚かで、自分たちの危険性を知らないんだよ」と、福島に住む人をどう考えたって見下しているのがなにより厭だ。そもそも、タイトルの「福島の真実」からして、「真実」って、限られた人だけが知っている本当のこと、みたいなニュアンスを含んでますわな。

福島在住者の「どうしたら普通に福島に住むことを尊重してもらえるのか」というつぶやきが胸に痛かった。

リスクがゼロじゃない以上は危険だ、と思う人もいるのかもしれないが、うちの県なんか自然放射線量がもともと全国一高いとかいう話だし(花崗岩が多いせいだそうです)、そもそもリスクって言えば、車(他人が運転するバスとかも含む。電車だって同じか)に乗ると自動車事故に遭うリスクがゼロじゃないから通勤通学買い物やめるのか、いやそもそも自転車や徒歩だって危険運転の車に轢かれる可能性がゼロじゃないから家から出ないようにすべきなのか、家は地震で壊れるかもしれないし寝てる間に火災に遭う可能性だってゼロじゃないし、って話で、我々の人生、どこにもリスクゼロなんてものはない。(まぁそもそも誰もがいつかは死ぬ、ということはここではさておいて。)毎日、「出かけるリスクと収入を失うリスクのどっちが高いかな」なんてことを意識するわけではないけれども、結局、我々は自分のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)とリスクを天秤にかけて、何かを選び取ってるわけでしょ?(地震のない国の人から見れば、日本に住んでる事自体が信じられないことかもしれない。)福島に住んでいる人だけがリスクを無視して生活しているわけでは、全くないわけで。

いつまでリンクが残るか分かりませんが、福島県内の反応を伝えるNHK福島のページ。これが多くの人の反応なのだろうな、と思う。
http://www.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6054396761.html
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by mmemiya | 2014-05-19 23:58 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

福島差別

例の「福島の真実」(!!)の一話目にこんなことが…というのを、最初に見たのはどこでだったか。
もう忘れてしまったが、第二話は、早売りキャプチャの情報をTwitterで公式発売日前に見ていたぐらいで、(Twitter アカウント持ってないんだけどね)この問題に関心を持って眺めていた。

この問題、ロジックとして、「カリヤ某が福島県に取材に行ったあと鼻血が出た」を「放射線の影響で鼻血が出る」に結びつけるのは、「とある犯罪の犯人が発達障害者だった」を「発達障害者は犯罪者になりやすい傾向がある」に結びつけるのとなんら変わりはない。(きちんとした疫学的なデータも科学的根拠も挙げられないであろう、という意味でね。)

そう考えると、こうした言説にどんなに反論したって、「じゃあ発達障害者が犯罪者になりにくいという証拠があるのか」とか言われて話が平行線(鼻血問題の場合は「低線量被曝で鼻血が出ないという証拠があるのか」)、という憂鬱な結末も想像がつき、更に、福島県がいかに抗議声明を出したとて、「人権問題(発達障害者の例の場合はね)とかが煩いから行政は真実を隠蔽してるだけ」と言われてしまうのがオチ、という流れも想像できて更に憂鬱だけど。「現実に知人が発達障害者の被害にあっている、それを口に出すことのどこが差別だ」「被害者よりも人権が大事なのか」とか言われるとか。

と、5月12日にフェイスブックで呟いていたのだが、やはり当然のように、Twitter上で流れている反論は陰謀論一色だ。つまり、政府や県は、この問題について真実を暴かれるとまずいので、あんなに美味しんぼを叩いているのだ、という陰謀論。(別に環境省や福島県は、美味しんぼを叩いているわけではなく、現在の知見を述べているだけだと思うのだけどね、実際は。記者会見でコメント求められた知事や大臣の発言は別として、Web上の文章は、作品への非難にならないよう、かなり気を配った文章だと思うよ。時系列を考えると、あの文章創るために、何人の人がGW中に休日出勤したのかしら、と思ってしまう。文章1枚だけじゃなく、取材への想定問答とか作る手間を考えるとクラクラするわ。)

まぁ、多分、発達障害者についての、どこかの団体なりの表明に、表立って異議を唱えることは、原発問題よりはずっとはばかられることだろうと予想する。それに引き換え、政府や県の対応を批判することは全て「巨悪と戦う」と同義であると思っている人もいるので、こっちの問題のほうが、陰謀論をずっと唱えやすいのは確かだろう。

で、発達障害者についての、親の会とかの表明に異論を唱えにくいのは、おそらく、「そうは言ったってやっぱり発達障害者は犯罪者になりやすいんでしょ」って発言が、障害者差別と言われるかも、ということを、当事者が薄々自覚しているから、だと思う。
と、ここまで考えて気づいたのは、つまり、今回の事件で美味しんぼ擁護にまわり、政府や福島県の陰謀を唱えている人たちは、この問題が福島差別の問題だとはちっとも思っていないのだろうな、ということだ。
だけど、Twitter上で、数多くの福島県在住者たちがこの問題に怒りの声を挙げているのは、彼らがこの件を、福島差別、と受け止めているからだ。なにしろ「福島に人は住めない」と言われてるんだもの。そこに住んでいる人は汚染されてる、って言ってるわけでしょ、この漫画。「福島えんがちょ」って言ってるんでしょ。それが差別の問題でなくてなんだというのだろう。

人間が差別的感情から自由になれないのは、誰だって自分自身を振り返れば簡単にわかることのはずです。ただ、それを内心にとどめておくのか言動にうつすのかは違うと思いたいし、ものが発行部数激減の出版物であろうと、出版物上で垂れ流すのは更に違うと思う。発達障害者の例で言えば親の会とかが抗議声明を出してもちっとも不思議じゃないので、今回の場合、福島県が抗議をしてもおかしいとは思わない。というか、県民感情を考えれば、当然、県としての見解を発表すべきだろう。

ただ、環境省が一般論で話をとどめたのに、大臣とか片山さつき氏とかがなんか言い出してるので、それはまたなんか方向性がな~。
そんで、どんな形でこの話が収束しようと、「真実を隠ぺいするための圧力が」とか、変な感じでくすぶり続けるのは端から目に見えてるのが、更になんとも…。やっぱどう考えても、これを発行しちゃった編集の責任は重いと思うよ。

これで、モノが発達障害者問題だと、更に見えない形でくすぶり続けるであろうから、そういう見えないものと戦うのは大変なんだけど、しかし、差別だとは全く思わずに「福島の農産物は怖い」「福島への旅行は怖い」って言っちゃう人に、どんな言葉をかければ届くのか、も、これまた難しい。低線量被曝の健康への影響は、「あるかないか詳しいことが分かってなくって、はっきりしたことが言えない」わけではなくって、「影響が小さすぎて、その他もろもろの、我々が日々受けている影響(本人や家族が喫煙者だとか、食習慣だとか、遺伝の問題とかね)と切り離して、低線量の放射線だけの影響を語ることが出来ない」ものなのだ、ということを粘り強く伝えていくしかないのだろうけれど、怖い、という気持ちが先に立てば、「宇宙飛行士は鼻血出してない」も、「1960年代から90年代までの方が日本の空間線量はよっぽど高かった(あの頃の方が被曝量がずっと多い)」とかいう言葉も、なかなか届くものではないのだろうな、と思う。
けれども、放射線怖い、が、福島怖い、になったら、それは差別に加担することだ、とは自覚しなければならないだろう。

で、差別的感情から少しでも自由になるためには、迂遠なようだけど、なるべく現場に行ってみるとか、物事に関わる、ということしかないんだろうなぁ、と思う。たとえば、福島の人はこの3年でものすごく放射線に詳しくなってると思うんだけど、ホントはみんながそうならなきゃダメだよね、みたいなこと。
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by mmemiya | 2014-05-14 21:18 | 日々雑感 | Trackback | Comments(3)