La Lune Lunatique

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会おうとすること

全然更新しない間に、もう、一年が終わろうとしています。
相変わらず、facebookにちょっとした呟きは割にマメに載せてるのですが、ブログがちょっと敷居高くなってるというか、自分にゆとりがない一年でしたかねぇ。

昇進でそんなに仕事内容が大きく変わったわけでもないのですが、例えば、自分で計画的に仕事を進めておけば授業参観のために休める、とか、そういうことが、以前は8割休めたとしたらそれが6割ぐらいになったみたいな。って、数字にどこにも根拠ないけど、感覚的にね。
やっぱり、ほかの部署との調整業務みたいなものが増えたし、人から返ってくるものを待たないと自分の仕事にかかれないとか、そういう場面も増えた気がする。これまでが比較的恵まれていたというだけかもしれませんが。

そして土日は息子の少年野球で時間にゆとりがない。5年生になると、基本、学校のグラウンドでは練習しないので(学校は4年生以下が使う)練習場所への送迎が絶対必要だし(車で15分ぐらいかかる…)、一日練習で昼食持参の回数も増えた。これが6年になったら、もう、ほぼ毎週末試合(練習試合も含む)だそうで、相変わらずほとんど試合に出してもらえるわけでもない、っていうか、そんなことより、どうしても真面目に練習してるようにはあまり見えない息子のために、なぜここまで忙しい思いをしなきゃならないんだが、と思わず言いたくなりますが、本人、辞めるのは嫌だというし、ここまできたらもうあと一年、なんとか付き合うしかなく。

今年は娘がピアノコンクール参加を見送ったので、クリスマス前の3連休も少しは余裕があるかと思いましたが、結局、初日、野球が雨で中止になった日、息子がまたしてもドリルを大量に溜め込んでいたことが分かり宿題をさせるのに追われ、中日は野球で終わり、最終日は娘の書道の表彰式のため名古屋へ。今回はかなり大きな賞をもらったので(実は私も同じ賞を中学2年の時に取っていますが、それが、私が十何年その展覧会に出品し続けた中でもらった最高の賞でした)、せっかくだからと名古屋でお祝いを兼ねて食事して帰ってきて、連休はあっという間に終了。
しかし、リサーチ不足で名古屋での食事がイマイチだった(お目当ての店が滅茶苦茶混んでて、近くの別の店に入ったら、ぜったい冷凍品ばっかだろ、みたいな味で…)こともあり、その日の夜、ロールケーキの台焼いて、次の日は、それを娘がビュッシュ・ド・ノエル風にデコレーションして、私はツリーサラダと、アボカドとトマトのサラダと、生ハムのアスパラ巻と蕪のポタージュ作ってスモークサーモン切って、夫がステーキ焼いて、平日に頑張って、クリスマスパーティらしいことをしました。前日と当日朝の仕込みのおかげで、平日でもこの程度は出来るのだな、ということが分かりましたが、ホントはもう少しゆったりした気分でやりたいものです。

そういや、連休最終日の朝、年賀状印刷しようとしたら、10年以上使ってきたプリンタが、こりゃいよいよダメか状態になっており(宛名の字が読めない…)慌てて開店直後のヤマダ電機に飛び込んでプリンタ買い換えて。しかし、我が家にとっては奇跡といっていいですが、仕事納めより前に賀状投函できたよ!あー、スポ少関係含む子どもの書く分だけまだだが。

って、標題と何の関係もないことを書いてきましたが、実は最近、ものすごく久しぶりに会う約束をした人がいるのです。最後にちゃんと会ったのいつだっけ、なんかこのブログに書いたぞ、と検索したら、2006年の2月、このブログを始めたばかりの頃でした。きっかけは、ちょっと妙なことで最近連絡を取る必要があったからなのですが、その時は、またゆっくり会えるといいですね、なんて社交辞令みたいなこと言って電話は終えたのですよ。仕事がけっこう忙しい人なのと、同じ県内とはいえ、少し離れたところに住んでらっしゃるので、なかなか飲み会なんてのもねぇ、などと思っていたのです。
その後、その人と私の共通の知人から、近いうちに一杯やらないか、という話が出て、じゃあ、ダメもとで声かけてみよう、と思いついたのですね。そのうちに、って言ってるだけじゃ、そのうちなんていつまで経ってもこないよなぁと。

賀状書いてると、やっぱり、そのうち会えるといいね、なんて台詞を何回か、書いちゃったりするわけです。まぁ、日帰りでは会うのが難しいような相手は、やっぱしょうがない面もある。結婚式とか同窓会とか、なにか大きなきっかけでもないと、子ども夫に頼んで泊りがけで出かけるってのは、いくら子どもの手が離れてきたとはいえ、やっぱりけっこう大きな話になっちゃうので。
でもさあ、その気になれば十分会えるような距離に住んでる相手に、会いたいですね、とか、会えるといいですね、なんて書いたって空々しいというか、要は、本当に会おうなんて気がないだけだよね、と改めて思い直したわけです。
低い確率の話ではあるけど、明日、自分が死んでる可能性だって、ゼロじゃない。いつか~なんて、どれだけ口にしてみたって、いつまで経っても「いつか」はこない。会いましょうよ!と思い立ったら、行動に移さないとダメじゃん、と、いい年して今更、考えを改めまして。まぁ、いい年してっていうか、人生半分過ぎたんだよね、と思えばこそなのかもしれないけど。

一応、日にちの約束は取り付けましたが、お仕事で緊急の話が入れば、当日、流れる可能性だってあります。それでも、そのうち会いましょうね、なんていってるだけとは全然違う進歩?だし。流れたらまた、諦めずに企画しましょう!
ということで、それを年明けの楽しみの一つにしながら、さて、とりあえず、あすは仕事納め、そして、雪の予報も出てはいるが、なんとかもう少し、掃除頑張らなきゃ、きゃ…。
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by mmemiya | 2013-12-26 22:07 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

器用・不器用

本日は、高校の同窓会に出席していました。

クラス会でも、学年会でもなく、「高校全体の」同窓会総会。そんなもん、これまで一度も出たことがなかったのですが(同窓会事務局に、結婚も転居も連絡などしていない)なんでも今年は私たちの年が幹事年にあたるとかで、去年の秋に職場に電話かかってきたり、あれやこれやがあって、まぁ、準備はお手伝いできませんが、まぁせめて当日は行きますわ・・・ということで、非社交的な私としては、出席したって碌に知り合いもいないんじゃないか、と思いつつも、浮世の義理で参加。

出てみてわかったんだけど、要するに、総会の参加費(と、広告費)がかなり余剰金を出し、これが同窓会の各種運営経費(母校への寄付とか。)に充てられていくわけですわ。ということで、幹事年には「動員部」なるものがあって、とにかく一人でも多い参加者を募る、と。

我々平成元年卒のほか、10歳上の昭和54年卒、20歳上の昭和44年卒が幹事年なんですが、昭和44年は百人以上が参加していて、まぁ、61歳だとそろそろお暇もありますわよね、という感じ。54年卒は100人にちょっと届かないくらい。で、我々はと言えば、去年のS63年卒は150人ぐらい!来たらしいが、我が学年は50人を切ってました、参加者。まぁ地元に残ってる人も多いとは言えないだろうしね・・・。

一学年450人、うち、女子は確か120人ぐらいだった筈で、男子はともかく、女子は在校中は大体全員顔と名前が一致してたつもりなんだけど、いやー、出席者名簿を見れば「ああ、そんな名前の人、いたいた」と思うけど、全然どんな人だったか思い出せない人、多数。男子はまして分からん。(中には3年間男クラ、つまり男子しかいないクラスだった、なんて人もいるわけで・・・。)正直、「やっぱ来るんじゃなかった」という気にもなったのですが、まぁ、あれから20年以上も経つと、さすがにオトナですから、隣の席に座った、高校時代、一言も言葉を交わしたことのないであろう男性とも、接点とか探りながら、まぁなんとか、当たり障りのない会話をすることができた。こんなところで竹内銃一郎の話をするとは思わなかったよ、とか。
帰り、会場から駅までのシャトルバスでは、なぜか恩師(クラス担任ではなかったが、教科担任ではあった)の隣に座ることになってしまったが、そんでもまぁ、30分弱の間、途切れることなく、現在はある高校の教頭であるというその先生と四方山話を続けることができたのも、これもある種の年の功ではあるか。
それにしても、なんかやたらみんなに「ちっとも変わってない」と言われた私。それって喜んでいいの?いやー、見違えるほどオトナっぽくなったとか女らしくなったとか言われたかったわ(笑)。ちょびっとだけ複雑な心境。

なにしろ社交的でもないし、20年以上音信普通だった人とは、やっぱりそう滅茶苦茶盛り上がるほど親しかったわけでもないしで、メールアドレスだの携帯番号だの交換するわけでもなく(男性相手だと何人か名刺交換はしたけど)、じゃあまたね、なんつって(その「また」はいつあるんだ?みたいな・笑)帰ってきたのだが、一人、高校時代にそれなりに親しくしてた人に会った。(ここで書いた「男友達」の一人。)
1年ほど前、彼のお父さんの訃報記事が新聞に出ていて(地元大学の先生だったので)、喪主が彼になっていたので、こっちに戻ってきているんだろうか?と思ってたのだが、聞いてみたらずっと他県にいるらしい。とはいえ、滅茶苦茶遠いわけでもないので、同窓会のためにわざわざこっちへ来たらしい。

高校時代、私は3年間、体育祭や球技大会の準備をする「体育委員」というのをやっていて、その委員会活動の中心メンバーとは、学校帰りにマック行ったりラーメン食べに行ったり、休みの日にも集まってボーリング行ったりビリヤード行ったり、みたいなことをしていたのだが、彼もそのメンバーの一人で、一応、彼らがどこの大学行ったかまでは知っていたのだが、その後は誰の消息も知らなかった私。今の子達だったら、メールアドレスだのなんだのを知ってて、なんとなくつながりが続くのかもしれないけど。

今回、聞いてみると、彼は某大の物理学科を出た後、東大の院へ行き、そこで、どうも研究者は自分に向いていないと思い、人に何かを還元できる仕事がしたい、と思って医学部へ入りなおし、今は医者をやってるんだそうだ。最初、貰った名刺が赤十字病院の名刺だったんで、「え?医学部じゃなかったよね?」と吃驚してしまった。
高校時代から、背が高くて顔立ち整ってて、スポーツ得意で、社交的で、っつー子だったが、今回も、出席してる女性ほぼ全員と「なつかしーねー」みたいに親しくしゃべってる感じで、いやー相変わらず、っつーか、そーか、あの頃は気づいてなかったけど、でも、頭もよかったんだね、みたいに見直した私(笑)。会話してたら「ほら、あの時代に携帯とかあったらさ、その後も連絡取れてて、今頃、僕たち結婚したりしてたかもしれないし」とか言われて「は?」って感じでしたが(勿論、当時、付き合ってたとかそういう関係では全然ない。あ、でも、メンバー中電車通学だったのが私だけで、彼は駅のそばに住んでたので、けっこう自転車の後ろに乗せてもらって駅まで送ってもらったことがあった。そのせいか、彼のことを好きな後輩から、「miya先輩って○○先輩と付き合ってるんですか!」と詰め寄られたことがあったな・・・)、後で別の女性にも全く同じ台詞を言っていた(笑)。ホント相変わらずだわ、と感心。これで3児の父で小児科のドクターか・・・。さぞかしお母さんたちに人気があるに違いないわ。彼は3年次、男クラだったのだが、そんな暗さ(?)は微塵も漂ってない。
なんというか、世の中には、器用な人っているもんだよなー、と思う。当時から、彼に引き比べて自分の不器用さってのが、結構、内心で自己嫌悪の素になってたりしてたのをふと思い出したんだけど、まぁ、人間、やっぱ持って生まれた性質ってのがありまして、なかなか、器用なふりして生きることもできません。と言いつつ、息子には、せめて今よりもう少し、器用になってもらいたいもんではあるのだけど・・・(苦笑。)

器用と言えば、全員進学が当たり前、短大進学者は数人いたかどうか、ほぼ全員が四大へ進み、400人以上は共通一次を受験、みたいなこの高校を卒業して、今回参加してた女性の多くが、聞いてみるとけっこう専業主婦だったのはちょっぴり意外だった。旧帝出てたりする子も多くて、何かもったいないような気もした。で、働いてて凄いねー、みたいなことを複数の子から言われたんだけど、どっちかって言うと、私は不器用だからなんか働き続けている、ような気もしないでもない。ま、でも、なんにしろ、40過ぎてそう大きく自分を変えられるもんでもなかろうし、今となってはこんな自分がけっこう気に入っているので、ま、これはこれでいいのよね、うん。
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by mmemiya | 2012-06-10 23:36 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

未知の世界

っつーことで、酒井順子の本を読んでて思った、女同士でシモネタって何話すんだろ?でございます。

経産婦がカマトト(死語)ぶってもしゃーないのだが、いまだかつてそんな話をする友人なんて持ったことがないので、私にゃー未知の世界よ。

そもそも、セックスというのは、ある程度の年齢を過ぎれば、未経験者の方が少なくなってくるはずで、つまり、ごく普通の経験になってくるにも関わらず、しかし、表立って普通の話題にするのは憚られること、となっている。(ある程度が何歳なのかはこれまたよく分からんのだが・・・。集団によってけっこう違う気はする。そういや、遠い昔、女性週刊誌のインタビューかなんかで、藤井フミヤが19歳でまだ処女なんて子がいるとは信じられない、みたいな発言をしていたのを読み、うわあ、この人と私って、住む世界が全く違うのだなぁと思った記憶があるなぁ・・・。)

私はそういう話をするの平気です、とか、いやー、昼日中からそういう話題になるよ、って人も、世の中にはいるのかもしれんが、そんでもさすがに、「今日の晩御飯に何作る?」というような話題と同レベルの気軽さで話題にできるもんではないと思うのだがどうか。

珍しいことではないのに、基本、人に見せるものではなく、しているかどうかも気軽に口に出せるとは限らない、っつーのは、なんというか、他に例えるものがないような。(ま、同じく「シモネタ」と呼ばれる排泄関係の話とかもあるんだけど、「私、便秘気味でさー」ぐらいの話題は、場所さえ選べば普通に出来そうだしなー。)

プライベートなこと過ぎて、自分のことを語るのはちょっと、ということで、一般論で語ろうとしたって、これもなかなか簡単じゃない。っていうのは、自分が「普通」と思ってることが、本当に他の人々にとって「普通」なのか、容易に確かめられるもんじゃないからですわな。(家庭内の、たとえばバスタオルをどんな頻度で洗濯するか、なんて話は、これはそうわざわざする話でもないからか、聞いてみると家庭によって全然違ったりする、という、ああいう話にもちょっと似てはいるな。)
「そう大したもんでもないんじゃないの」と言おうとすれば「それはお前がグレートなセックス(すんません、佐藤亜紀氏の表現をお借りしました)をしたことがないからだ」と言われるかも知れず、「やってることなんて、そう誰でも大差ないでしょ」と言えば「いったい何人と経験してそんなことが言えるのだ」と反論されかねず、つまりは、どう一般論として語ろうとしてみたって、そこからは個人の経験と、そこから来た、もしかして個人的見解に過ぎないのかもしれない、常識とその人が思っていることが透けて見えるわけで。
橋本治の「ぼくらのSEX」だっけ、あの本みたいに、もうなんでも断言してしまう、個人的体験など入り込む余地もなさそうなほど断言してしまう(なにしろ橋本は、女性心理についても男性心理についても、おんなじように断言しちゃう)って手もないではないんだが、実際には、そう簡単に真似できる芸ではないと思う。少なくとも私、男性心理なんて「こうです!」と断言できないもん。自分の思いを「女一般のもの」にしちゃえるほど自分を女代表だとも思ってないし。

もうひとつ、この話題が語りにくいのは、なにしろ「一人でするもんじゃないから」ってのがある。2人じゃなくて3人以上でする、というパターンもあるにせよ、とにかく「一人じゃない」のは確かだ。つまり、この手の話題を持ち出すと、それはうっかり、自分のパートナーの秘事を人にばらしかねないんですな。女友達同士でこの手の話題を語る人って、相手の彼氏のことをまったく知らないのか、それともうっかり脳裏に相手の彼氏の顔を思い浮かべちゃうのか、いったいどっちなんだ。立場を変えてみれば、自分の彼氏が友人に自分のそんな話をしてるなんて、ちょっとどころでなくぞっとしない。
そういや遠い昔、職場のオトコどもが飲み会ともなるとそういう話ばかりする、という職場にいたことがあるのだが、あれは「俺はこんな女にあたったことがある」みたいな話中心だったような。さすがに今現在のパートナーの話をしてる男はいなかった・・・ような?

最大の謎は、私にとってそういう話を人とすることは「楽しいこと」とは特に思えない、ということだ。こうしてブログに書いてる程度のことは、別に実際に口に出すことにも抵抗はそうないのだが、話題としてどこが楽しいのかがよく分からん。少しでも「世の中のフツー」を知りたいからそういう話になるんだろうか?それともやっぱあれか、表向きは口に出すのはちょっと・・・とされる話題だけに、その秘密っぽいところがいいってことなんだろうか?ませた小学生が「こんなオトナの秘密知ってる?」ってこっそり語り合って喜ぶみたいな感じ?って言ったらそういう話題が好きな人を馬鹿にしすぎてるのかしら。うーむ分からん。分かったからどうってもんでも全然ないのだが。
(おじさんが若い女の子にそういう話題を振って喜ぶ、みたいな方がまだしも理解できるような・・・。女同士での話題として、これ、楽しいんだろうか。あーでも、打ち明け話をすることで親密になるってのは理解はできるかな。)
まぁ世の中には、ごく当たり前にそういうのは話題のひとつです、って人もいっぱいいるのだろうし、これはまぁなんつーか、慎みがどうこうってことじゃなく、類は友を呼ぶってことかな、と勝手に思ってはおりますが、40年生きてきても、まだまだいろんな未知の世界があるものです。

ちなみに、酒井エッセイに出てきた具体例っつーと、「(独身者が)最近は避妊してない。もし妊娠したら産むと思うから一応相手は選んでる」とか、「(独身者が)最後のセックスっていつか来るのよねー、っていうかもう来てたりして」とか、「(セックスレスの既婚者が)真綿で首を絞められるような感じ」とか、そんな話だったような。
あ、歴史上の人物のうち、誰とだったらできるか、なんつーのもあったな。
こんなのシモネタって呼ばない、といやあ、ま、そうかもしれん。
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by mmemiya | 2012-03-05 22:12 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

結婚を決意するとき。

そういえば、コーヒーを切らしている今日この頃。(実は、妹のところに来たお歳暮のコーヒーが、コーヒーを飲まない妹からまもなくまわってくる予定で、買い控えているのだ。)クリスマスパーティ?の後、夫が「締めにコーヒーが欲しかったな」と言い出し、アルコールが多少入っているので、歩いて近所のコンビニで、最近良くある、機械で抽出するコーヒーを二つ、買ってきました。それにしてもこれから正月までコーヒーなし。ちょっと寂しい、かな。

さて、3連休の前は職場の忘年会でした。そうそう、この間の人間ドックのとき、問診表に、アルコールを飲むか飲まないか、って項目があって、これ、毎回、書き方に悩むのよね。家で飲むのはクリスマスぐらい(正月に義姉と少し飲むか)、あと、職場の飲み会が数回と、友達との外食・・・年に10回も飲まないか。ただ、飲むとなるとそれなりには飲むので、「ときどき飲む」になるのかなぁ、とか。でも、医師の診察のときに、どれぐらい飲むのか、と聞かれて家では飲まないんだけど、と説明したら「ほとんど飲まない」に修正されました。やっぱ、そうですよね、年に10回程度じゃ。

で、その数少ない機会のうちの1回、えーと瓶ビールで乾杯してグラス2杯ぐらい飲んで、あと、梅酒のロック1杯、芋焼酎お湯割り1杯、日本酒をおちょこに注がれてどの程度かなぁ、返杯で飲んでたくらいなんで半合もいってない?あとカクテル1杯。ふつーに電車乗って帰ってきたし、足取りも変になってはいなかったつもりだが、それなりにやっぱ酔ってはいたのか、若い子に「なんで結婚しないの?」とか絡んでしまい、あとから反省。いやー、だって、本人が「彼女はいるんだけど」とか言い出すからさぁ。若い子、っつったって30過ぎてるし、つい。基本的に他人事なんで、別に人様が結婚しようがしまいがどうだっていい筈なんだけど、人の心理にはちょっと興味があって、などと言い訳。

まぁ、それなりに独身の間に納得できるまで遊んでおかないと、中年以降でいきなり浮気とかに走ってもあれだし、って話もあるか(笑)。ただ、どこまでいけば、人間、「まぁそろそろ結婚してもいいか」って納得するか、といえば、そんな納得ってずっと来ないかも。お前はじゃあ十分遊んで結婚したのかと言われると、そーですねぇ、まぁあの辺で結婚して正解だったとは思ってますが、でも今でも、若くてかわいいツバメ(死語か)が出来るのは、いつでも大歓迎です(爆)。

で、それぐらいの年になって、これ、ってきっかけがないと、いわゆる「できちゃった」ぐらいしか結婚のきっかけってないかもねぇ・・・などと言ったら、これは、同じく30歳前後の既婚者二人(男1人女1人)に反論?されました。「私のまわりのできちゃった結婚した人、ほとんど離婚してる」とか「だから離婚率が高くなってるんだ」とか。でもねぇ、なんか後押しがないと、長く付き合ってても、結婚に踏み切るのって、案外きっかけが難しいかも?まぁ、件の彼は、まだそれほど付き合いは長くないようなことは言ってましたが、先に弟さんも結婚してるので、親御さんのプレッシャーとかありそうだけど。(これは彼女の側も30過ぎてるそうなんでありそうだけどねー。)私の場合、海を超えた遠距離交際期間が2年あるものの、近距離にいたのが2ヶ月ぐらいで、そこで一気に結婚を決めてしまったので、最初のラリ期?というタイミングを逃した?二人にとっての結婚話、って、正直、想像がつかん。

とはいえ、もう少しまじめな話をすると、私も、独りでいる時間が苦痛じゃないというか、今でもけっこう一人でいたいときもあるし、そういう意味ではあんまり結婚に向いてないというか、昔から結婚したい、したい、という思いを持っていた人間では全然ないので、むしろ、結婚しない人の気持ちの方が分かるようにも思う。

そんでもって、結婚と恋愛というのは、けっこう性質が違うものなので、結婚相手と恋愛相手って違う基準で選んだほうがいいようにも思うし。って、私は夫を、決して結婚相手としてどうだ、という基準で選んで付き合い始めたわけではないのだが、結果としてたまたましっくり行っている(と思う。)ので、私の場合は単に結果オーライだっただけですが、振り返ってみると、怠け者度が似ていたり(笑)するところが、うまくいっている秘訣なのかも。私が掃除とかいい加減でも、まぁ夫がそれを許容してくれたり、休日は二人とも家でごろごろ(更にいえば布団でごろごろ)していたがる出不精である、とかさ。
金銭感覚についても、割と両家の親の金銭感覚は違う(うちがどっちかっていうと浪費型で、夫の親はしまりやさんだ)のに、我々はまぁまぁ一致する。(時に食べ物関係では贅沢してもいい、という辺りが特に。私の上司はお子さんいなくて夫婦二人共働きなんだけど、年に1回ぐらい高いレストランへ行ってみたいと思っても、奥さんがもったいないと同意してくれない、と嘆いてた。)

恋愛相手ってのは、一緒にいるときだけ楽しく過ごせればいいので、いろんな違いがあっても「へー!?」ってびっくりして笑ってればすむところも多いだろうし、その違いが不快でなければ十分。むしろ、人間、自分と違うところにこそ惹かれるのかもしれないし。そんでもって、後は強いて言えば性的な面での相性が良ければそれで十分なんじゃないか、って気がする。お金バンバン使ってもらえるほうが、女としては楽しい思いもできるかも、となれば、金銭感覚も(特に浪費傾向は)そう気にはならないだろうし。

ところがこれが結婚相手となると、相手のお金は二人のお金ともなり、度が過ぎる浪費傾向は大変困る。生活上の習慣があんまり違うと、生活を作り上げていくのは大変で、違いを笑ってばかりもいられなくなる。まぁなにより、一緒にいるのが楽な相手が一番、であって、恋愛中のように自分を良く見せようなどと思ってては疲れるばかり。

ということで?まぁ、彼にも、結婚しようとしまいと、人生に幸多かれと祈っておきます。いやー、年の差は10ぐらいなんだけど、すんごいイイコなもんで、つい、親御さんは上手に育てたよなー、どうやったらこんないい子が育つのかしらー、とか、母親目線になってしまう私。年食ったよなー、全く。
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by mmemiya | 2011-12-25 21:49 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

男性にとっての結婚ってなんなんだろうな。

最近、とりとめもなく色々考えてたことなんだけど(どーも、布団入ってもすぐ寝れないしねー)言い尽くされてることかもしれんが、ホント、女って、世間様に『オンナとしての価値』を認めてもらえないと一人前扱いしてもらえないですねえー。少しずつは良くなってきてる、と信じたいけれども。

仕事人としての評価とか、なんでもいいけど、男女関係ないはずの評価に、オンナだと『でも、ブスでしょ』とか、全く関係ないことがリンクされちゃうんだよねー。『可愛くない』とかさ。
言われた方がいくら気にしなくたって、それを言った方は、それで相手を一刀両断したつもりになってる、ってのは非常に不快な話ではある。

じゃ、『女としての価値』って何か、と言えば、まぁ結局は、身も蓋もないけど、男が欲情するかどうか、ってなことでしょう、結局。
同等のキャリアを積んだ女性が二人いて、片方が未婚で片方が既婚なら、既婚の方が勝ち、って扱いを世間からされるのは、要は女にとっての結婚って、『私に欲情した男がいる』の証明だからなのかなー、とか。(私含めて、一人ひとりがそんなこと考えて結婚を選んでる、って意味では全くないんだけどね。)

私は、現在は既婚の身の上ですが、ずーっと結婚願望なくって、どっちかというとそれを公言してきた方なんだけど、それって要するに『私はオンナを降りてるので、私を勝手に値踏みしないで』って言いたかったのかなぁ、という気が、今になって、する。

結婚すればそれで上がりってもんじゃなく、いかに結婚してても、そのうち、否応なく世間からオンナではなくオバサン扱いされるようになっていくわけだけれど、そこで今度は自分の『母としての価値』を世間様に認めさせようとすると、教育ママ化せざるをえないのかなー、なんて気もする。

若いうちってのは、若いというそれ一点だけで、なんとか相手してくれる男を見つけやすいのでいいけど、いざ、この年になってきてみると、一人身でいたとしても相手してくれる男を探すのは年々難しくなってきてただろうし、よほど、自分自身で自分の価値をきちんと認めてないと、世間の中で生きてく上で、傷つけられることが多かったんじゃないかなー、と思えてしまう。職場のオトコどもが声高に若い女の子の容姿を云々してると、苦笑しつつも薄ら寒いものがあるんだけど、薄ら寒い程度で済んでるだけマシというか。
しかしねー、若いうちは若いだけでちやほやされて、あるところで突然オバハン扱いされて貶められるようになるので、女が一人の職業人としてそれなりのポジションを確保してくのって、ホント、楽じゃないわさ、と、オバサンになってまた一段としみじみ。私は元々、子どもがいわゆるオベンキョーができるかどうかってことにあまり関心はないのだが、娘については特に、どーせ女の子が勉強できたってさー、などという屈折した思いをときに抱いてしまうのも、やっぱりまだまだ、オンナの職業人生が、未婚既婚に関わらず、色々きついものだからなのかもしれん。(かといって私、主婦科目は更にニガテなので、主婦で生きてく道を選びたいとは思えず、結局、今のように悪あがきするしかない、ってことになるんだが。)

もちろん、結婚には、自分より先に死んでいく可能性が高い親ではなく、別の、もっと長い時間を自分と生きていってくれる筈の新しい家族を作る、という大きな側面もあるんだけど、それは恐らく男女共通の結婚による恩恵?であって、ここで考えてたのは、女に特有の、結婚の意味っつーか、機能というか、そういうことね。(「結婚する目的」じゃなく、「結婚してるという状態がはらむ意味」っつーか。)

そうすると、男性にとって固有の結婚の意味ってナンだろうなー、とちらっと考えてもみたが、これは、私オンナだし、よく分からん。強いて言うなら経済力の証明、ってあたりだろうか?妻子を養える、っていうかさ。
となると、この低成長時代、胸張って一生妻子を養える、と言える男性は少なかろうし、男は男できっと、色々なコンプレックスに苛まれているのではあろう。

生きてくのって、楽じゃないわよね、全く。
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by mmemiya | 2011-10-23 21:54 | 日々雑感 | Trackback | Comments(6)

幸せな夫婦ってどんなだ?

「儒教と負け犬」読んでて、確かに「(日本の)結婚生活が幸せそうに思えない」ことは晩婚化に影響してる、とは思ったものの、そんでもって、「でも、夫婦の<幸せ>って、少なくとも恋愛真っ只中の、高揚感溢れる<幸せ>とは違うでしょ」と思ったものの、んじゃ、夫婦の幸せって、具体的にはどんななんだ?

親の夫婦仲が結婚観に与える影響ってのは大きいと私も思ってるし、そーいえば、ずいぶん前にもこのブログでそんなことを書いた。
うちの夫の両親は、始終口げんかばっかりしてるので、夫はそういうのは嫌だなと思って大きくなったそうだが、その結果なのかなんなのか、我々夫婦はまず滅多に喧嘩ってしない(というか、結婚してもうじき丸10年だが、「喧嘩」と呼べるようなものをした記憶がない)んだが、そんでも、夫の両親は、二人で海外旅行とか、行きまくってるんだよね。(まだ私が「ヨメ」になる前、まぁ婚約者状態のとき、フランスに義両親が二人だけで来て、私、案内したことがあるのだが、目の前で言い争いが始まって、どうしようかと思ったんだけどな~。)

私の両親は、二人で旅行など、まーったく、したことがない。口げんかも見たことないけど、喧嘩するほどの交流がそもそもなかったように見えた。冷え切ってる、っつーほどじゃなかったと思うけど、それぞれ勝手にやってる、って感じ。

まぁ、どっちも日本の夫婦としては、よくあるパターン?ありふれてるけど、「幸せそう」には見えないよね、少なくとも。
(ちなみに、夫の両親は見合い結婚、うちの両親は恋愛結婚・・・の筈だ。)

で、夫に、「夫婦の幸せってなんだと思う」などと聞いてみたりもしたのだが、うーん、言葉で表すのは難しいよねぇ。二人でいるときの居心地の良さ…というのは、例えば、他者には伝わりにくいもののように思うし。(夫の両親や私の両親も、二人でいるときの居心地は、あれで悪くないのかもしれんしな。ううむ。)

私にとっては、色んな話をするとか、美味しいもの一緒に食べるとか、綺麗な景色を一緒に見るとか、色々な時間と感動みたいなものを共有したい相手が夫であることは間違いなくて、そんでもって、そんなことで充分、自分達としては幸せだと思うけれど、それはあまりにささやかすぎて目に見えにくいものなのか、あるいは、そんな幸せすら共有できてない夫婦が多いように「負け犬」酒井氏の目には映るのか、どうなんだろう。(まぁ、「亭主元気で留守がいい」なんて言ってりゃ、そりゃ、二人でいることが幸福であるようには見えないだろうけどなー。)

目に見えるようにベタベタしろってもんではないだろうけど、少なくとも自分の子ども達が親を思い返したときに「二人でいるのが幸せそうには思えなかったなー」なんて思われると、ちと悲しい。
かといって、口下手、表現下手であることに開き直って、「夫婦のことなんか、子どもに何が分かる!」「男は妻への感謝など、口に出さないものだ!」みたいなこと言ってちゃ始まらないしね。

・・・そうか、とりあえず、感謝の言葉を口に出すところから、かなぁ。うち、会話はかなり多い方だとは思うんだけど。(子どもがいると、夫婦の会話に首突っ込んできて、すぐ話の腰を折られるのがちょっとイヤ。)
ま、うちは、40代を迎えようという日本人夫婦としては、多分、平均以上にスキンシップも多いと思うんだけど。(帰宅すると、毎日ではないが、かなりの頻度でハグ!という夫婦は、多分、珍しく…ない?ちなみにこれやると、いっつも娘が「ダメー!」とやってきて、夫と私を引き離しにかかる(笑)。夫を取られたくないんじゃなくて、私を取られたくないらしいんだけど。)
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by mmemiya | 2010-11-24 22:32 | 日々雑感 | Trackback | Comments(7)

「儒教と負け犬」あるいは日本の女は甘ったれか?

金曜、久しぶりに飲みました。
このところ、年に一度程度、ワインつきお食事をする他は、飲み会といえば職場の歓送迎会ぐらいで、ホテル宴会場で出される日本酒など美味しいと思ったこともないし、元からビールはそんなに好きじゃないし(いや、黒ビールとか、エール系はけっこう好きなんだけど…)そんな場では、注がれたときに飲む程度なんで、ちゃんと飲むのも久々、まして泡盛なんて本当に久々。

そういや、昔は妹と、ロックで泡盛飲みながら、カラカラ(泡盛の入れ物ね)をいくつか空けたこともあったような気もしたけれど、もうすっかり夜は寒いし、今回は泡盛も焼酎もお湯割り。
実は、夫の風邪がうつったのか、出かける直前に「この体調は拙いかも…」と思っていたのだが、酒飲んでるときは快調でした(爆)。ま、あまり食が進まなかったのは体調が整ってなかったせいかもだけど、お酒が美味しくいただけたのでまぁそれで良し。飲みながらずいぶん愚痴らせていただきました。おかげさまで、色々と元気になれた気がしますが、よく考えると、目上の人相手になんという厚かましいことをやってるのかしら、私、と、後で反省した(笑)。こんな風に愚痴を聞いてくれる人に恵まれていて、私はきっと、幸せ者です、はい。

往復の電車の中で、新書一冊読了。今井むつみ「ことばと思考」。同じく今井むつみさんの「レキシコンの構築」に前から興味があったのだけれど、素人が4,000円近い専門書を買うことにちょっと躊躇していたら、先日、新書コーナーで「今井むつみ」の名を見つけ、迷わず購入したもの。と言いながら、行きの電車の中ではやや体調が悪く流し読み、帰りは…お湯割り4杯ぐらいで別に酔ってはいなかったものの、まぁやっぱり、じっくり読む環境ではなくて流し読み。
言葉が思考を規定する…と、まぁ、碌な知識もない私でも、粗雑なサピア・ウォーフ仮説もどきみたいなものを漠然と信じてはいたのだけれど、本当に言語が思考の方法を限定するのか、これまで科学的な検証はあまりなされてこなかった、と言われると、なるほど、そうなのかも。非常に楽しい本です。またじっくり読み返そう。

土曜。なんとなく、熱もないのに体調がすっきりしない一日。やっぱり夫の風邪をうつされていたのか…。前日から葛根湯飲み続けてたんだけどねー。必要最低限の家事しかせず(息子は朝から子ども会行事で出かけていった)ゴロゴロと本など読んだり昼寝したりして過ごす。
「儒教と負け犬」酒井順子、出てからもうずいぶん経つ本なんだけど、東京、ソウル、上海、それぞれの東アジア都市での30代未婚女性の生態を、インタビューなどして、共通点と相違点を探っていく本。これが、予想よりかなり面白い。
私は、日本の晩婚化の一因には、絶対に「恋愛は素晴らしい」という雑誌漫画ドラマその他諸々からの刷り込みと、「結婚とは当然、恋愛の結果によるもの」みたいな価値観が絡んでる、と思っていたのですが、酒井さんは、晩婚化の原因の一つは「儒教」にあるかも?と考えるんですね。
男女は平等、という教育を受けて、一生懸命頑張ってきた女性達。でも、男性は結婚相手には「自分よりちょっと下の学歴」「自分よりちょっと下のキャリア」(ついでに年齢も「ちょっと下」か?)を求めたがる。一方で、女の側にも「自分より<ちょっと上>の頼れる男がいい」みたいな意識が、どこかに根強くあるんじゃないか、と。で、まず、なかなか結婚相手を見つけにくい。更に、「女はどれだけ働いても、家では家事を一手に引き受け、男を立てないと」と言われりゃ、そんなきついことを求められたら、そりゃ逃げる女もいるよね、子どもなんか産んでられないよね、ということにもなる。
で、3都市の未婚女性を比べると、日本の「負け犬」が、一番、「男性と対等である」という意識が弱いのだそうです。でもって(これは「だから」とつないでいいのかどうか)セックス経験が一番豊富なのは日本の負け犬。不倫率もダントツで高い(まぁ、当事者アンケートに基づく数字、とはいえ)。これでいいのか、と酒井氏が不安になったのもむべなるかな。(これも、雑誌とかが「恋愛してないと負け」「セックスしてないと負け」みたいに煽っている結果ではないか、と著者は書く。)
あと、日本においては、結婚と幸福との結びつきがあまりにも希薄である、とも彼女は書いています。
まー、色々な話が出てくるので、とてもここで全貌は紹介できませんが、結婚願望など全然なかったけど、たまたま30で結婚した私としては、けっこう、「負け犬」の話はひとごとじゃないと思えちゃうんですわ。ただ、「同棲なんて当たり前」的な日本負け犬の価値観は、都会限定のような気も…。ま、私の身近でも「婚約中」で一緒に住んでる人とか、知ってることは知ってるけど、この田舎では「当たり前」じゃない気はする。というか、私なんて、たまたま二人とも実家住まいだったので、色々メンドクサイし一緒に住むかぁ→正式な(法律上の)「結婚」という形にこだわるわけじゃないけど、親もいる地元で同棲ってのも(相手の親に)何言われるか分からんなぁ→ならまぁ、結婚するかぁ、というのが結婚した経緯だったので、同棲への心理的ハードルはけっこう高かったのよね。

「結婚と幸福の結びつき」については、恋愛真っ只中の状況だけを「愛し愛される幸福な姿」だと思ってしまうと、結婚生活乗り切るのはきついだろうなぁ、と思う。日本の結婚が幸福でないのか、「幸福」の定義が問題なのか、その辺は微妙かも。
そこらの「少子化対策」の担当の方がこれを読んで、なんかの政策が打ち出せる、とはあまり思えませんが、「負け犬」の人に限らず、日本人全体が、もっと、「幸せなくに」(政治的スローガンみたいでヤだけど)ってどんなもんか、考えなきゃいけないんじゃないの、という気は、すごくする。

あー、あと、この本読みながら、もう一つ思い出だしたこと。金曜、飲んだ後に、なんというか、男の人の家庭に対する責任感というものと比べると、自分の考えってかなり甘いかなー、と、ふと思ったのですよ。いや、毎日、実際のご飯を作って食べさせることに関しては、それなりに手を抜かずにやってるつもりなのだけれど、精神的な意味で家族を養っていく、という責任感ね。共働きの私と一家の大黒柱を比べるのはおこがましいかもしれないけど、一家の稼ぎの半分強は自分が担ってても、なんとなく、最終的に支えるのは夫、みたいな意識が、私の中にも、どっかにあるかなー、という。
自分の方がどうしても、家事の負担が多い気がして、なーんか不公平、という感覚が、結婚10年経っても微妙にぬぐえないのが正直なところなんだけど、メンタルな意味での責任感だけ夫に押し付けて「私ばっかり大変!」って言ってるのって、ずれてるよな、と、ちょっと考えさせられた。(別に金曜日、そういう会話を直接したわけではなくて、なんとなく、私がそう感じた、ってだけのことなんだけど。)
別に、日頃「いざとなったらいつ辞めてもいいし」と思いながら仕事してるわけじゃないつもりなんだけど、どっかで、女だから、と、逃げを考えてる自分がいるかな、と。
そう気づいたところで、自分が一朝一夕に変わるわけではないけれど、ちょっと、もう少し、考えてみようと思う。

さて、これを書いている今日は、夫の実家で、いつもの通り午前中から夜8時まで過ごして来ました。夫の実家では、いつも、ものすごい量の食事を出されるので(っていうか、それを作るのは主に義姉と私であるわけですが)そんでもって、揚げ物とかのことが多いので(今日はイカのリングフライを大量に揚げ続けた私・・・)このときだけは、いつも、自分が「逆流性食道炎(胃食道逆流症)」であったことを実感できます(笑)。したくない。
なるべく自分の分は少なめによそったつもりだけど、今もちょっと胸焼けが…うう。
夫も、実家へ帰ると、いくつになっても義母の中では高校生並に食べることになっていて(笑)、食べろ食べろと言われ続けるので、夫も食べすぎで帰ってくる。やれやれ。
そして今日は、夫の実家へ出かけようとしたらいきなり車のバッテリーが上がってるとか、散々な一日でした。(結局、夫の実家まで歩いていって、ブースターケーブル借りて、で、バッテリーを交換した…。最近、たまにエンジンかかりにくいかな、とは思っていたけど、そんなにバッテリーが弱っているとは思っていなくて、他にどこか悪いところがあるのかと焦っちゃったよ。結局、バッテリー以外はチェックしてもらったけど問題ないそうですが・・・。)
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by mmemiya | 2010-11-21 22:10 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

年甲斐もない、は死語か

娘が、年末のとある書道展で賞をいただくことになった。私自身、昔は賞をもらったこともあるなつかしい展覧会だ。
出品者数は昔のことを思えばずいぶん少なくなったようだが、5000人ほどの中で100人あまりに選ばれたので、ともあれめでたい。
実は、去年の展覧会の時から、先生(わが妹)は、今年の入賞を狙っていたのだが(幼稚園児の出品者はやはり少ないので、年長児ってのはけっこう狙い目なのだ)、見事ねらいどおりになった、というわけだ。

その一報を聞いて息子、「あの、Cちゃんの字のことを言った先生に聞かせてやりたいよ」とコメント。
実は、先日の就学時検診の時、知能検査で娘の書いた字(自分の名前を書かせるのである)を見た先生が、「もうちょっと丁寧に書いてね」と発言したそうで(親は別室にいるので知らない)、娘はけっこう落ち込んでいたのだ。
私もよっぽど抗議のメールでも出してやろうかと思ったぐらいなのだが、これまたうちの妹曰く、「教員なのに利き腕で書いた字かどうかが見て分からないなんて、そっちの方が問題でしょう」だそうな。

実際のところ、書字は右、と言ってきかせていることに、私自身、まだ迷いがないわけじゃないんだけど・・・。
(字以外のものは、私自身が左のままなので、当然、やりたいようにやればいいと思っている。今のところ、絵も右でしか描けなくなった私と違い、絵は完全に左で描いている娘である。)


話全然変わって、この間ネットを彷徨っていて、久々に槇原敬之の歌を聞いた。昔はカラオケに行くと、けっこう誰かが歌っていたもんだが、最近は、カラオケなんてものに行かないしね。

「In Love again?」というタイトルで、40男の恋、がテーマなんだそうだ。
若い子?の相談に乗ったりしてるうちにその子に恋してしまった中年男、が主人公なのね。
この年になってみると、けっこう、来るものがある歌詞だ。

この年になってまさか自分がまた恋に落ちるなんて、みたいな驚きと、鏡を見ると、自分は思ったよりずっと老け込んでいて・・・というショックがないまぜになって、で、誰にも言わないけど、君に恋してるんだ…という内容なんだけど。

私も気づけばあと二ヶ月足らずで40なんだけど、正直言って、「まいったなー、この年で…」というほど、40という年と恋というのが無縁だとは、あんまり思えないんだよね。
実際のところ、中味そのものは、あんまり30の頃とも、下手すりゃ20代の頃とも変わってないような気分でいるときもあるんだけど、そんなことでいいんだろうか、と、ふと思う。

世の中、やれアンチエイジングだの美容整形だの、もっと若く、もっと若く、みたいな情報とか誘惑に満ち溢れているように思うんだけれど、そりゃ、自意識はまだ若い、そんなに昔と変わっていない、が正直なところかもしれないけど、外側をその自意識にあわせてく、って方向性ばかりなのって、なんだか、どうなのよ、とも思うのだ。
中身の方を外側に合わせてく、ってあり方だって、あるべきなんじゃないの?というか。習い事に「形から入る」というやり方があるように、人間の生き方にも「形から」があっていいんじゃないのか、という。

健康のために運動するとかはいいことだし、「若々しい」ってのが悪いことだとは思わないけど、一方で「年甲斐もなく」とか「年相応」ってなことも、もっと考えてもいいのかな・・・などとふと思う39の秋だったりする。
というか、自分で自分をそういう意識に持ってかないと、いつまで経ってもちゃんとしたオトナになれないような・・・。(一体、いくつになったら、自分で自分をちゃんとオトナだと思えるんだろう・・・。)
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by mmemiya | 2010-11-08 21:23 | 日々雑感 | Trackback | Comments(2)

彼女の名前教えないでね

子どもの個人懇談で3時間早退するも、前の人の懇談が押してて、私の時間は結局、5分とちょっと。
まぁ、今のところそんなに大きな問題はない、というように、前向きに解釈しましょうか。忘れ物多すぎるというのはやっぱり言われたけど…ハハハ。教科書とかはチェックしてるつもりなんだけど、ノート忘れを何回か見落としてたようで。来月こそは、忘れ物減らさねば。(親の私が未だに忘れ物、失くし物だらけなんでねぇ…。まだまだ息子のかばんチェックは欠かせません。)

で、懇談後、子ども二人を実家に送り届けて習字の間、明日の娘の弁当材料買い出し(遠足なので)と、本屋へ足延ばして、「閉経の逆襲」見つけてきました。さっきから読み始めたところ。

「我々に求められているのは『家族の立て直し』ではなく『家族観の解体』ではないのか」という言葉が出てきて、この辺が、昨日私が思っていたことへの中村うさぎ流回答?みたいなことになるんだろうけど、血がつながってなくてもいいし、父親役や母親役が複数いてもいいし・・・という家族のあり方は、理屈の上では私も、そういう家族があってもいいと思うし、「『自分がじゅうぶんに受け入れられ、必要とされている』という感覚と、『自分はその愛に応える責任がある』という道理」さえ伝わればいいのだ、大事なのは家族の形態じゃない、中味だというのは誠に正論だろうと思う。
・・・なんだけど、まだまだ横並び意識の強いこの国で、異質なものは異質であることだけを理由に排除されがちなこの国で、家族の形態がそこまで変わり、それも家族のかたちのひとつ、と受け入れられるまでには、けっこう長く苦しい道が待ち受けているような気も、しないではない。


・・・あとね、子どもに愛情を注ぐ人がいれば、その人と子どもの血がつながっていなかろうとなんだろうといいじゃん、とは私も本当に思うのだけれど、子どもにとって、自分を愛してくれるその庇護者が、家庭以外のところに別の愛情の注ぎ先を持っている、と知ることって、やっぱ、子どもであればきついんじゃないかなー、と思うのだけれど、どうなんだろう。子どものころから「そういうもの」という環境で育てば、気にならないものなんだろうか?


父が死んで、母が携帯をみたら、よそのおねーちゃん(?)とのメールがいくつか残っていたそうな。さすがに私もこの年だし、父の年も年なんで、「あの年で(70過ぎだぜ)携帯でメール打ってただけでもすごいじゃん」と笑って済ませられるけど(まぁ、メール程度で深刻な話じゃない、ってのも分かってるしね)、これが思春期だったら嫌だっただろうなーと思うんだよね。
私の母は車の運転が出来ない人で、でも、ここらは、どこへ集まるにも車がないと始まらない田舎。で、母はPTAだの(実は私が中学時代のPTA役員仲間と、未だに年に1度は飲んでいる・・・PTAって凄すぎる・・・)、ボランティア的な地域のお世話役だの色々引き受けてる人で(こっちは内閣総理大臣表彰まで受けている)、で、よく、よその男性の車に乗せてもらって集まりに行ったり、送ってもらってきたりしてたんだけど、実は、中学時代の私、そんな風景ですら、かなり嫌でした。今から思うと笑っちゃいますけどね。

・・・そんなことをつらつら考えるに、やはり、現状のわが家庭においては、夫に言っておきたいのは「長い人生、どこかからふと恋心が降ってくることもあろうが、できれば『思う』だけにしておいてね。もしどうしても行動に移すんであれば、なるべく短い間で終わらせてね。私になるべく分からないようにやってね。そんでもって子どもには絶対分からないようにやってね」だなー、などと結論付けてみる私。
浮気相手を見るなんてヤダよなー。それこそ、名前だって知りたくないわ。ホント、ユーミンの歌うとおりである。

なんてことを夫に言ってみたのだが「うーん、嘘つくのも面倒だしなー」と気のない返事。どうせそんなこと、自分には無縁、と思ってるのがありありと分かる。もー少し、人間、何があるか分からん、と、危機感を持ってくれてもいいんだけど。
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by mmemiya | 2010-10-28 22:17 | 日々雑感 | Trackback | Comments(3)

しかしやっぱり「子育て」がネックでは…

ここんとこ、また、中村うさぎのエッセイを、何冊か読んでいる。
雑誌連載をまとめたみたいな軽い奴中心なんだけど、そんでも、相変わらず、色々考えさせられます。

この記事の前の記事で、化粧だの下着だののことを書いたけど、こんな(って私を見たことない人に「こんな」じゃ伝わらないかもしれないが)身なりに構わない私でさえ、それでもやっぱり、「装う」ってのは嫌いじゃありません。むしろ快楽の方に近いでしょう。(でも「面倒」の方が更に強力なのが私…。)

「美人とは何か?」なんてのを読んでると、まぁ、うさぎさんに100%共感するわけじゃないけど、オンナが「美しくありたい」生き物であることは同意します。そしてそれは、彼女も言うとおり、「オトコに受けたいから」ってもんではないんだな。オトコ受けするファッションとか体型とかは、オンナのこうありたいセルフイメージ上の体型とかファッションとは違う、と思うし。
なんで女は装うのか?っつったら、「そりゃ、いい伴侶をGETするための生き物としての戦略」みたいな回答をする人もいるような気がするけど、どうもそうじゃないんじゃないか、という気がいたします。ではなぜ、女は飾りたい生き物なのでしょうね。(うちの娘を見てても、ホント不思議だけど、好きだよなぁ、飾り立てるの。)ちょびっと考えただけで分かるようなことではないのだけど、興味深い話ではある。「一定以上の年齢のオトコは、なぜああも自分の身なりに構わないのか」とうさぎさんは問うていますが、それとこれとは関係があるのかないのか。

もう一つ、何年か前に、私、このブログで「恋愛と結婚とセックスってものは、もーちょっと分離できんのか」みたいなことを何回か書いてたのですが、中村うさぎって、まさに、結婚と恋愛は全然別、を、実践してる人なのですよね。旦那さん、同性愛者だし。(外国籍の人でもあって、もともと、彼の日本居住のために、書類上だけ結婚した、というのが始まりだそうで。)まぁ、彼女にとって、セックスは恋愛と切り離せないものらしいですが。

「『イタい女』の作られ方」の中で、彼女は「『愛』と『恋』とは違うでしょ!」と書いている。彼女の書くとおり、結婚の基礎には「恋」などという長続きしないものを置くのではなく、「愛」を置くべきだろう。それなのに、恋愛(ってのはこの場合、イコール「恋」ね)こそが至上の価値あるもの、のように思い込まされ、その完成形が結婚みたいに吹き込まれた結果、結婚は返って不安定なものに成り果てているように思える。
結婚してようがなんだろうが、恋する感情なんて、突如降って来ても不思議はないだろうし、昔なら、結婚すれば自分でもある程度、もう恋なんて縁のナイもの、と諦めもついただろうが、イマドキは、世間様が、「いくつになっても『女』を降りるな」とあの手この手で煽ってくるのだ。この場合の『女』とは、恋愛市場で値が付く、恋愛対象として価値のある女、ってことだもの、要するに。そりゃー結婚生活も、不安定になって当然よ。
おまけに、幼少の頃から、女の価値は恋されること、恋されないのはもはや女ではない、と刷り込まれてくりゃ、結婚・出産を機に、あんたは女から降りなさい、と言われれば、そりゃアイデンティティの危機かもしれない。

この本の中でなく、ネット上のインタビューだったと思うが、中村うさぎは、自分達夫婦のあり方を、家族愛はあるし、恋はそれぞれお互いに家庭の外でするし、ある種の理想形、みたいに語っていたように思う。

まぁそりゃ、理想の形の一つではあるな。「イタい女の…」にも、アメリカ人は何故、あんなにLOVE至上主義なのか、などと書いてあったが、恋も愛もLOVEで、しかもそれが至上の価値、となりゃ、生真面目であればあるほど、恋が破綻するたびに離婚して、恋するたびに結婚しなきゃならん。そんな疲れること、御免蒙りたい。

で、恋と愛の分離した夫婦は、理想形の一つではあるのだろうが、やっぱりひっかかるのが、「そこに子どもがいたらどうなるのか」ってことなんだよなー。子どもの価値観からすると、「お父さんはお母さんを大切に思ってるんだけど、お母さんじゃない恋人がいる」とか、「お母さんはお父さんが好きだけど、別にもっと浮き浮きする相手がいる」とか、相当、嫌なもんじゃないかと思うのよ(特に思春期は)。子どものいる家族も維持したいけど、恋は恋で楽しみたい、なんてのは、やっぱり絵空事に近いのではなかろうか。(黙ってやっとけ、っていうかやってる人はいっぱいいるんだろうが。)

まー、やっぱり、「所詮恋なんて幻想よ」と、二次元(実在の韓流スターだろうとなんだろうと、自分と現実に交わらない存在なんて二次元と一緒よ)の恋に現を抜かすぐらいで生きていけるのが、きっと一番健全・・・なんだろうなぁ。
それにしても、中村うさぎは、出産願望を一度も持ったことがないそうだが、彼女が閉経を妊娠と勘違いした時、考えた子育て計画というのにはちょっと興味がある。「ババア・ウォーズ2 閉経の逆襲」、この間行った本屋になかったんだよなー。残念。
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by mmemiya | 2010-10-26 22:55 | 子育て、子育ち | Trackback | Comments(0)