La Lune Lunatique

mmemiya.exblog.jp
ブログトップ

「小学校英語」にどう対応するか

どーうしようかなー、という感じである。

日本の学校における英語教育を語る際に、まず、私の前提となっているのは

・<日本では多くの人が6年以上英語を学習するのにちっともしゃべれない>と言われるが、英語の時間数等を考えると、そもそも十分勉強した、とは言いがたいのではないか。

・同じく、<しゃべれない>というが、それは、日本の多くの人が、英語をが出来なくても生活に支障がない、ということ。大学教育も日本語で受けられるし、日本語で読める専門書もいっぱいある。ある意味、恵まれてるんだからしょうがない。

というような理解です。更に、10歳ぐらいまでの子どもに対する英語教育については、このブログで何回も書いていますが、必要性に対して極めて懐疑的です。母語の基礎、母語を用いた思考をやっと整理し始めたところに、全然別の体系の言語を入れる必要性が理解できない。(追記:日本で、学校で週数時間とかやる程度で、英語をやると日本語がおかしくなる、とは全く思わないが、小さな子どもに、全然別の思考体系に基づく言語があるなんてことを教えるなんて、教えられる子どもが大変だろう、ということです。ちなみに、「全然別の思考体系に基づく言語なんだ」なーんてことが全く伝わらない英語教育なんてものは、仮にそんなものが存在するとして、願いさげっていうか、そもそも絶対やめてくれそんなもの。)

…という前提の上で書くのですが、息子の小学校、小1から週に一回程度の割合で「英語」の授業がある。(たまに、ない週もあるけど、おおむねあるみたい。)で、何やってるかは息子から聞くしかないんだけど、これが、なんというかねー、なのだ。
どこかにマニュアルとか、先行した取り組みを検証した上での教材があるのか、まるっきりこの学校の中だけで手探りでやっているのかは不明なのだが、息子に聞いたところ、このところは、色の名前をやってるんだそうだ。時間割には「なにいろがすき?」とか書いてある。

よりによって、名詞からいくかー。青はブルーで赤はレッドだと。そんなの、日本のたいていの成人が知ってるぞ。知ってて、英語しゃべれない(と、本人は言ってる/思ってる)んだぞ。そんな、日本語のある単語と英語のある単語が置き換え可能みたいなイメージを、よりによって導入部で植えつけてどうするんだ?青はBlueじゃないんだってばさ。(日本語のあらゆる場面で出てくる「青」が、全て「Blue」で置き換えられる筈がない、って意味ですよ、念のため。)例えば、「あの人、顔が青いよ」って時の青は、Blueじゃない、なんてあたりが分かりやすい例かと思うんだけど、同じことは他のあらゆる色に言えるわけで。そもそも、どこからどこまでを一つの同じ色として切り取るか、ってこと自体、言語集団によって違うのは当然予想されるところで、日本の色鉛筆なんか、色概念まで輸入してカタカナで名づけられた色、いっぱい入ってるじゃん。(平安時代の日本語でなら、日本独自の言い回しもあるかも、ってな話はここでは置いて。)

大体、英語の授業で「なにいろがすき?」ですと。主語、どこにありますか。そっからやり直してほしい。
元にある骨格、考え方が根本から違うってことが飲み込めなきゃ、いくら単語覚えたってしょーがないじゃん。っていうか、新しい学習指導要領での小学校英語がどんな教科書になるか、皆目知らないのですが、この導入からどうやって5年生につなげていくつもりなのだ。
発音については、担任がどんな音でやっているのかは全然分からないので保留だが、赤を「れっど」とやってくる時点で見通しは暗い。私は、小学校1年生が英語を発音できなくても構わないのだ。ただ、できることなら、日本語の音を並べて英語の音は作れない、ということだけを実感させてやってほしいだけ。

そもそも、入学説明会で、1年生の授業を見学した時から不安はあった。なにしろ、あるクラスで、先生がタンブリンを叩きながら、「つーつー、すりーすりーすりー!(以下同様)」って唱和させてたのだ。
あのですね、日本語で「8」を数える時、「はちはちはちはちはちはちはちはち」って数えますでしょうか。それで正しく数えられるでしょうか。絶望的に日本語の音とあいまって、「こんな<英語>の授業にプラスの意味がどっかにあるのか?」と、失礼ながら愕然としましたですよ、わたくしは。
ま、あれですね、小学校を終える頃には、算数嫌いになった子の数と同じ程度に、英語嫌いになった子もいるっていう、当たり前の状況になるだけでしょうね。中学から始めるよりマイナスの状況になってるかも。
「ゆとり教育」の見直しがあったように、こんな状況じゃ、そのうち「小学校英語教育」の見直しもありうる、かもしれないけど…そんな頃、うちの子は、小学校卒業してるなぁ。
週に一回、<英語>をやるより、週に一回、自分の考えを理路整然と述べる練習でもしてくれた方がなんぼかマシなのだが、うーむ・・・どーしようなぁ…。

(と悩むのは、日本経済の長期的な凋落傾向やら、インターネットの普及やら、その他諸々を見ていると、いよいよ日本でも、「英語ができなくても十分生きていける」という恵まれた状況が失われつつあるんじゃないか、という危惧があるからで、つまり、これからの子ども達はもうちょっと使えるレベルの英語を身につけた方が、旅行とか趣味のレベルでなく、実用として役に立つんじゃないか、と思うからなんだけど、だからこそ、導入の教育方法がいい加減じゃ困るんだよー・・・。)

小1の週1回の英語なんて、英語の絵本読んでもらうとか、英語の歌を聴くとかじゃダメなのか?
昔、中津りょうこさんの「なんで英語やるの」か、「続・なんで英語やるの」かのどっちかにあったんだけど、小学生が英語で桃太郎の劇をやることになって、「あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」ってナレーターの子がしゃべったら、見学に来ていたアメリカ人が「このおじいさんとおばあさんは夫婦?夫婦なら<老人とその妻が>って言わないとおかしい」と指摘するシーンがあったんですよ。読みながら、あーそりゃそうだよなー、とは思ったんだけど、そこで「そうだな」と思えたのは、私が英語で昔話なんかの類を多少なりと読んだことがあったから、ということでもあって。理屈で英文法を覚えるのも大事なんだが、文法にはどうせ例外もあるし、とりあえず、ある程度以上の量の文章を聞いたり読んだりしたことがないと、ただでさえ難しい「作文」がホント難しいと思う。a big red carって言うのはいいけど、a red big carって違うよな…と、私には感覚的にしか言えないけど、そんでもって、もっと形容詞が増えるとどういう順番が正しいのか分かんなくなるけど、そういうのも、ある程度文章読んで聞いて身につくもののような気がするし。
[PR]
by mmemiya | 2009-06-03 22:06 | 子育て、子育ち