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La Lune Lunatique

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どこにも正解はない、のが答えだろうけど…

ニュースを見て以来、ずっとひっかかっていた話をサマンサさんのところで拝見して、ずっと、このことについて何か書きたい、と思いつつ、どう書けばいいのか、自分の中で整理がつかなかった。

母親が、娘の代理母になった、というニュース。

私は、35歳(年賀状準備シーズンになってきて、ああ、イノシシね、年女ね、と実感させられる今日この頃)という年齢だけで言えば、娘の側に近い立場にいるのだろうけれど、この問題に関しては、将来、仮に自分の娘に同じような問題が起こったら、自分が代理母になれるか?ということを、どうしても考えてしまう。

多分、私はしないと思う。実際にその時になってみたら、また、違う気持ちになるのかもしれないんだけれど、勿論。
いつまで、親は親でありつづけなければならないのか。いや、もちろん、一生親なんだけど、でも、あるところから、大人と大人、というつきあいになるんじゃないか、というか、なるべきなんじゃないか、と思うのですよ。そんな、子どもが大人になった後でまで、母親の犠牲を美談にされちゃかなわない、とも思う。
娘のために代理母になってもいい、という人がいること自体をどうこう思うのではなく、それが「娘のためにそうしてやれないなんて、酷い母親」という価値観の押し付けになっちゃ、たまらない、と思うのだ。

仮に息子に問題があれば、息子の父が精子を提供するのか?いや実際、日本では倫理上禁止されている(他人の精子を使う場合、親族じゃなく、第三者、というのがルール。法的規制はどこにもないけど)そういう行為(父親とか、兄弟とかに提供してもらう)をこっそりやっている病院ってのも割とあるようなのだけれど…。で、夫に、あなた、将来、息子にそう頼まれたらどう思う、って聞いてみたら、「どうしても、と言われれば、応じるかもなぁ…」との返答。まぁね、男性の場合、精子提供者になるということ自体には、肉体的なリスクもないわけだし、女性とは感じ方が違うのかもしれない。正直、息子の妻が、自分の夫の子どもを産むなんて、私の感情レベルでは容認できん、とは伝えておきましたが。

医療が進歩して、昔だったら、子どもが授からなかった人にも、子どもが授かるようになった。それ自体は事実。だけど、それは、100%誰もがそうなった、という話ではないのだ。私は不妊治療経験者ではないから、その肉体の痛みを想像することはできないけれど、精神的な苦しみだけでなく、内視鏡手術受けて、注射打って、時にホルモンバランスを崩して、卵巣の腫れに苦しんで、と、あれこれを乗り越えても、顕微授精も100%成功するわけではないのだ。だけど、子宮を摘出した、卵子がない、精子がない、というケースを除けば、うまくいかなかった理由は明確ではない。であるからこそ「次こそ成功するかもしれない。」と、妊娠するまで、どこで諦めていいか、諦めのつかない道が続くのだ。体外で精子と卵子を混ぜ合わせれば…が、次に精子が1匹でもいれば、それを卵子に受精させられる…となり、いつかは「精細胞があれば、精子を培養できる」へと進んでいくのだろう。今回ダメでもいつかは、いつかは、という期待の道は科学の発展と共に延々と続いていく。
子宮を摘出しても代理母がある。卵子/精子がなければ誰かに提供してもらう。精子提供だけが今は公認状態で、あとの二つは非公認。でも、非公認でも、海外へ行けば、あるいは日本でも実施してくれる医師がいれば…

乱暴な言い方を承知で言うと、我々は、可能性が大きすぎる社会に住んでしまっているのだと思う。あるいは、不可能が見えにくい社会、と言ってもいい。

どんなに医療水準が上がっても、出産の時、母が死亡するというケースは、恐らくゼロにはならないだろうと思う。でも、日本ではその数字が、昔に比べて限りなくゼロに近づいていて、みんな、身近では滅多に体験しない、自分には起こらないことだと思っている。だから、一人の妊婦が亡くなると、即「医療事故ではないか」ということにもなる。確かに、最高の設備・状況が整っていたら、その人を救えた可能性は常にあるだろう。だから、「事故」にも見える。かつてなら事故とは呼ばれなかったであろう事態も。

可能性が大きいとき、人は、不可能を否定したくなる。可能性があることに挑戦しない人を不可解に思うし、諦める、ということが難しくなる。

途中でやめたい、と思っても、周囲の圧力に逆らうことに勇気が必要になる。現在の不妊治療が、技術的には発展を続けていても、不妊の人を本当には救っていないと私には思えてしまうのは、このあたりの構造があるからなのだ。

いざ、自分が「限りなくゼロに近いはずの問題の、ゼロではない1」を背負わされたとき、正直、それを受け止めきれる自信はない。自信はないけれど、その覚悟を身につける場がどんどん減っていっているのが日本の現状である以上、心構えだけは持たないと、と、このごろ強く思うのだ。
by mmemiya | 2006-10-26 00:47 | 日々雑感