La Lune Lunatique

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昔も今も

子どもの寝かしつけ、ずいぶん前は、ただ暗くして「おやすみ」だったのが、いつの頃からか、絵本を読んだり、お話をしたりする習慣になりつつある。
今日は、ちょうど寝る前にプーさんのぬいぐるみで子どもたちが遊んでいたので、「じゃあプーさんのお話をしてあげよう」とは言ったものの、さて、話し出してみると、相変わらず細部を忘れてること忘れてること。プーさんがはちみつ食べ過ぎてお腹がつかえて出られなくなったのって、あれ、誰の家だったっけ?みたいな。
ちなみに私は、岩波の石井桃子訳で育った人間であるからして、断然、ピグレットじゃなく(そんな名前、知ったのは30近くなってからだったわ)コブタであり、ティガーじゃなくてトラーなんである。
クリストファーロビンが「いすがし、すぎかえる」(だっけ?)というメモを残していた話なんて、大人になってから、さて、原文はどんなものだったのか?と思ったりもしたけれど(「鏡の国のアリス」の「ときしもぶりにく しねばいトーブが…」なんてのも、翻訳者の苦労がしのばれる文章だったねぇ)すばらしい翻訳の児童文学に恵まれてきたことは幸せだったと思う。

ところで、最近読んだ、斎藤美奈子さんの「それってどうなの主義」に、「いまの子どもたちは「ドリトル先生」が読めない」という話が出てくる。そう聞いた斉藤さんが、なぜ読めないのか、を考えている時に、ちょうど数人の大学生と話す機会があり、「ねえねえ、ドリトル先生、知ってるでしょ」と聞いてみたところ、彼らはみな「知らない」と答えた、というのだ。
で、斎藤さんはこの話の結びで「「読めない」から「知らない」まで行く課程には「知っているけど読まない」という段階があったはずなのだ。それがいつごろだったのか私は知りたい。」と書いておられる。

うーん、私自身はねぇ、ろくに本屋もない片田舎で、父の東京出張のたびに揃えてもらって、ドリトル先生全巻持ってましたけど、同年代(35歳)の夫は、「なにそれ。知らない」と申しております。まぁ、うちの夫は文学部じゃあないですけどね。
一方で、この田舎のそこらの書店でも、今でも、全冊とは言わないまでもドリトル先生は並んでいるし(私の慣れ親しんだ愛蔵版じゃなく、岩波少年文庫ですけどね)、結局のところ、今も昔も、知ってる人は知ってるし、読んでる人は読んでるし、知らない人は知らない、というだけのことなのかも。ドリトル先生知らなくても、ズッコケ3人組シリーズ読んでたのかもしれないしね、件の大学生は。(いまだとゾロリとかになるんですかね?)
さて、うちの子達は、私の昔読んでいた本、読むかしら?
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by mmemiya | 2007-03-13 22:16 | 日々雑感