La Lune Lunatique

mmemiya.exblog.jp
ブログトップ

左手で字を書く、ということ

私は、多分、小学校に上がるかどうか、というあたりで、文字を書く手は右、と直されている。
(直す、とか、矯正、という言葉には、左でやることが間違い、というニュアンスがあるので、好きにはなれないのだが、一応こう書いておく。)
恐らくその頃には字を書き始めていたのだろうが、右で書くことを強制され、私は急にどもり出したのだという。それで親は慌てて私に習字を習わせた。恐らく、初めて手にする道具だから、右への導入がまだ容易だ、ということだったのだと思う。書き方自体、鉛筆での文字の書き方とは違うものになってくるし。

それで私は字を右で書き始めて現在に至るのだが、どもる、というのは、単にストレス云々だけでなく、脳の言語中枢のある場所を考えても、右使用強制の結果として、充分ありうることらしい。
また、ネット上で左利きが情報交換していると、よく聞く話なのだが、右に矯正された左利きの人間は、とっさの時に右左が判断できない、という。これは私もその通りで、助手席でナビをしていて、急に「あれ、もうここで曲がらなきゃ!」などと慌てると、右だか左だか分からなくなる(どちらの方向へ行けばいいのかは分かるのだが、それを言語化して伝えようとする時、スムーズに言語化できなくなる)という現象が発生する。東と西を、北を向いて右、左、と憶えているため、実は東西もしばしば混乱する。(行きたい方向自体はわかっているので、自分で運転していて間違えるわけではない。人への言語での説明が出来ないのだ。)

そういうことを考え合わせると、文字だって左で書いたっていいじゃん、と言いたくなるのだが(ちなみに、もっと年配の人だと、左手で箸を使うことも嫌がられる。年長者と食事する時は、自衛のため、最初に「無作法で申し訳ない」と断わっておいて、どもりの話をする習慣が身についてしまった。本音では、そんなの生まれつきなんだから、たまたまそうは生まれなかっただけの他人がどうこう言うなよ、と思っているのだが。)文字に関しては、別種の問題が発生する。

つまり、書き順、形など、文字の全てが、そもそも右手で書くように出来ている。仮に書き順を自己流化したって、文字の形それ自体が、もう、左手でバランスを取るには困難を極めるのだ。横書きの場合、ペンで書いていくと、インクが乾ききらない間に、隣の字を書こうとして先に書いた字をこすってしまったりして悲惨なことになったりする。
右手で言われる「正しい鉛筆の持ち方」を左に移し変えて、ただ左で書くだけでは、どうにもならないのが文字なのだ。
この問題を解決しようとすれば思いつくのは、鏡文字である。ちなみに、私は左手では非常に稚拙な文字しか書けないが、同じく形は稚拙(線にうまく力が入っていないといった問題もある)でも、鏡文字を書くのはわりと容易い。「この文字を鏡文字にするとどういう形になるんだろう?」などと悩むことはほとんどない。(あんまり複雑な文字は試してみたことがないけれど。)
※昨日、仕事しながら、ふと目に付いた「心房中隔欠損」というのはなんなく書けた。まぁそんなに難しい字が入ってはいないけどね。

パリでフランス語教室に通っていた時、確かスペイン人の女の子が、薄い紙にペンを持ってすらすらと右から左に鏡文字を書いていき、紙をひっくり返したら、右で普通に書いた文字と同じようになっていたのて、そのままレポートとして提出していたのにはびっくりしたが、よくよく考えると、あれが、左で文字を書くときの最も合理的な解決方法なのだ。

鏡文字でなく、左で文字を書くにはどうしたらいいのか、は非常に難しく、だからこそ私は、娘になんとか、文字は右で書いて欲しいなぁ、と思っているのだが、一方で、あまりにも娘にストレスになったら、強要を続けることにも抵抗がある。なにしろ、生まれつきやりやすい手を、多数派じゃないからというだけで変えるよう強要されることの理不尽さは、なによりも私自身が良く知っているのだから。

ネット上を見ていると、左手でいかに文字を書くか、ということの研究は、わずかではあるが行われていることが分かる。娘が字を書き始めるのはまだまだ先のことだろうが、私も少し、勉強してみないとな、と思う。
[PR]
by mmemiya | 2007-11-13 20:52 | 子育て、子育ち