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La Lune Lunatique

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筆ペンで書道を習うのか、ペン習字がしたいのか。

娘がピアノを習い始めるにあたって、自分の中で、あれこれ考えてしまうことが2点あった。
そのどちらも、完全に自分の答えを見つけたわけではないが、思考の整理も兼ねて書いてみる。

1.練習を嫌がったり、「もう止める」と言い出したとき、どう対処すべきなのか。

これは、ピアノに限らず、全ての「お稽古事」共通の悩みというか、どういうスタンスで臨むべきなのか、ってことなんですが。
「止めたい」なんてこと、言うのは簡単です。そう言われて「ああそう」と単純に止めさせてしまっては、大抵の習い事は続かないだろうし、一度、子どもがそう言ったらそれで「じゃあおしまいにしましょう」と言う、というのには抵抗を感じます。
しかしだからといって、本人にどうにもやる気がないものを、いつまでもやらせ続けるってのもどうか、とは思うわけです。
「止めたい」「ああそう、止めれば」では、何事も続かない、特に子どもなんてのは自発性にまかせておけばいいってものじゃない、辛抱も必要だ、という意見も、理解は出来るつもりです。ですが、「粘り強く取り組む力が付く」なんてのは、お稽古事の副産物であって、主目的ではない筈で。
世の中、気が乗らなくてもやらなきゃいけないことは、山のようにあります。毎日仕事に行くとか、毎日ご飯を作るとか、なんでもすぐに「やーめた」なんて言ってては、大抵の場合、生活というのは成り立たないもので、逆に言うと、少々気乗りがしなくても最低限やらなきゃならないことをやる、という力をつけてやることこそが教育の目的なんじゃないかなー、なんてことも、思ってみたりする私です。ですが、そんなこと、日常の他のことでもいくらでも身につける機会はあるわけで、殊更に習い事だけを通して身につけるってもんでもないでしょう。学校へ行く、宿題をする、なんてことが、そもそも、そういうある種の「忍耐力」をつけるための手段なわけですから。
経済的に、あるいは時間的に余裕がないと取り組めない習い事、お稽古事の類は、子どもに「お願いだからやって頂戴」なんて言ってやらせるものではないはずですし(いや、宿題だってお願いしてやらせるもんじゃないけど。)それどころか、子ども自身が「やりたい」とせがんでも、やらせてやれない場合だってある訳で、本人のやる気が欠けている場合や、経済その他の条件が整わない場合は、続ける必要はないように思えます。それだけ、ある種の「贅沢品」ですから。
最終的に<本人が「止めたい」と言い出したら止めさせる>場合は、前提として、「止めたい」発言というのがそう軽々にしていいものではない、ということを、まずもって本人に理解させる必要がありそうですね。逆に言えば、軽い気持ちで言っているのでなければ、親としても止めることに同意するしかないのでは、という感じです。


2.ピアノを習う場合に、ピアノ(デジタルピアノに非ず)は、いつ用意すべきものなのか。

これについては、ネット上を見ていると、「デジタルピアノしかないお子さんはお断りする」と言った意見を始め、教える立場の方からは、ピアノを家に持つことの必要性を説く意見をたくさん拝見します。
その理由は、読ませていただくと一々もっともなことばかり、ではあるのですが、しかし、それでもなお、私自身は、今すぐ、娘のためにピアノを買う、ということに、いまだ消極的です。プロのご意見に反論するなどできようはずもないのに「でも…」と言いたくなってしまう。
いつまで続くか分からない、などという考え方で習い事を始めること自体が正しくないのかもしれませんが、自分の中にある消極性を掘り下げていくうちに、見えてきたことがあります。

ピアノの先生方は、おそらく、というか、勿論、子どもに(大人にでもいいけど)ピアノを教えようとなさっていると思います。ピアノの素晴らしさとか奥深さとか、そういうもの。
対して、「習いたい」と言い出した娘の思いがどの程度のものかはとても分かりませんが、習わせることにした私は、必ずしも、娘に「ピアノを」習わせたいわけではない、んですね、どうも。どっちかというと「音楽を」習うといいんじゃない、って感じで、ピアノはその一手段なんです。
管楽器は肺活量も足りないし、幼児がすぐ出来るもんじゃないでしょう。弦楽器(まぁピアノも広い意味では弦楽器かもしれないが、ピアノを除く弦楽器ね)は、楽器の大きさも調弦の問題もある。ピアノ(まぁ電子オルガンでもいいが)ってのは、とりあえず、触ればそれだけで正しい音が出る(それが、いい音なのかどうなのかは別問題です)という意味で、楽器としては、けっこう、例外的なものだと思うんですよ。だから、幼いうちから音楽に触れるにあたって、比較的容易に始められるんですね。
ピアノをとば口にして、他の楽器に興味が移ってもいいし、楽器演奏以外の音楽に興味を持ったっていい。はっきりと自分の中で言語化されていたわけではないのですが、どうも、考えてみるとこういうことらしい。そういう考え方の私にとってみれば、デジタルピアノと本当のピアノが全くの別物であること自体は理解できても、すぐにピアノを買う、ってのが、選択肢にないんですね。
逆に言うと、娘がこの先、どうしてもピアノじゃなきゃいやだ、と主張するようになれば、購入を真剣に考えたいとは思うのですが。
・・・という考え方は、おそらく、真剣に「ピアノを」教えたい先生にとっては失礼な話なんだろうなぁ、と思いつつ。ヤマハの幼児向けグループレッスン(ピアノをやるというわけではないらしい)に行く方がいいのかもしれないです、ごめんなさい。

デジタルピアノを使用しつつピアノを習う、ってのは、習字に喩えると、筆ペンで書道を習うようなもんなんでしょうね。そりゃとんでもない、のは確かではあります。もっと正確に言うと、家では筆ペンで練習して、先生のところでだけ、先生の筆を借りるようなもの、ってことですか。家で使っている道具と全然違う感触に戸惑うであろうことは、容易に想像がつきます。
ところで、習字を習わせてる人って、何を目的にしていらっしゃるんでしょうね。「字がきれいになる」?。はっきり言って、習字を習って、鉛筆や筆ペンで書く字がきれいになる、ってもんじゃないです。きれいになる人もいるかもしれないけど、一直線にはつながらない、と、断言してしまう。
まぁ、自分を例に出すと、お前が例外なだけ、と言われりゃお仕舞いですが、私、12年書道をやったけど、普段書く文字、ものすごく汚いです。バランスも良くない。そりゃ、12年やった書道が大した腕ではないことも事実です。が、高校生の時、県美術展の高校生の部で、県知事賞(一番上の賞)をいただいた程度には書けたのです。(この時、確か知事賞は全部で3人いて、うち、一人だけが全国高校総合文化祭の出品作に選ばれたのですが、それは私じゃなかった。)
自分のお稽古事に関しては、また別の記事を書いて振り返ってみたいのですが、例えば、香典袋にさらさらときれいな字を書く、とか、年賀状を筆ですらすら書く、なんてのは、習字の中でも細字をやらないと駄目で、私は細字は2年ぐらいしかやってないし、おまけに細字をやってたときも、メインはいわゆる「習字」な、太い筆で大きな字を書く方だったもんですから、細字をメインでやってると、もしかして、鉛筆・ペンの字も、ちょっとはきれいになるのかな?
しかし、私思うに、ペンできれいな字を書けるようになりたければ、書道じゃなくって、最初っからペン習字を習うべきなんですよ。
となると、ピアノ(音楽)における、ペン習字にあたるものって…なんなんだろうなぁ。
by mmemiya | 2008-10-06 20:10 | 子育て、子育ち